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13 ただ中川州男大佐指揮の歩兵第2連隊基幹の守備隊(第15連隊第3大隊、同第2大隊、師団戦車隊配属−計9838名)が見事な戦いぶりをしたのは確かで、第1海兵師団(24234名)を投入して2、3日で占領するつもりでいた米軍は大打撃を受けて、1万人以上の死傷者を出した同師団はほとんど戦闘能力を失ったと判定されて後方に下げられています。また同島守備隊の奮戦には昭和天皇の御嘉賞の言葉が11回も中川連隊長宛に無線で伝えられたという異例の事もありました。

  1. ↑下への回答の続きでした。すいません。


  2. こちらで続けます。ペリリュー及びアンガウルの守備隊(第14師団)がそれほどまでに善戦できた理由は、それまでの主流だった水際配備を止めて内陸部に堅固な陣地を築いて部隊を配置するという戦術に転換した事、第14師団が戦時編成ではない常備師団で兵も装備も優良(99式小銃装備、戦車師団以外では唯一正式な師団戦闘序列に戦車隊を持つ)だった事、井上貞衛師団長の指揮が優れていた事などが挙げられています。


  3. 水際か内陸の堅固な陣地か?については、前者を主張する井上師団長と上級司令部の第31軍司令官小畑英良中将の間で対立があり、一度は水際防御に作戦転換されてしまいましたが、グアムの陥落で小畑中将が戦死した事によって、当初の戦術に戻された経緯があります。


  4. ↑あっ違った。井上中将が主張したのは後者です。



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