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21 日本軍の白兵戦重視は日露戦争時に白兵戦で苦戦し続けた(要するに白兵戦に弱かった)ことによる、とする説がありますが真偽のほどは如何でしょう?

  1. 貧乏国家の軍隊なので「弾丸を撃ちまくる」という発想が無かったというのは、あまりにもひねくれた解釈でしょうかね。


  2. 日本陸軍も第一次大戦の青島攻略の頃までは射撃戦や火力重視で「銃剣突撃一辺倒」になるのは戦後(WW1)からです。(理由に関しては詳しい本が手元にないので後述)


  3. 自動火器(機関銃)の登場で、白兵戦は事実上過去の物となってしまいました。各国がそれを認識したのは第1次大戦の時で、第1次大戦の初期には日露戦争における旅順攻撃のような事態がヨーロッパの戦場で起きました。日本軍は「最初の20世紀型戦争」である日露戦争でいち早く認識していたはずなのですが、後世に残されたのは自動火器の目標にされにくい夜間の白兵戦術でした。結局日本軍がそうなってしまったのは、日本が貧乏国だった事と第1次大戦を経験していない事、そして自軍の人的損失に余りも鈍感だったせいです。


  4. ↑を勝手に補足させてもらうど(失礼) 日露戦争時に「師団単位で夜襲」という桁外れな集団行動に成功したことが白兵戦重視の発端のはずです。当然夜襲なので白兵戦が主体になるというわけで、その後の日本軍の方針は「夜襲−白兵」が基本となっています。夜襲は途中で霞んでしまったみたいですが。


  5. (続き)いや、霞んでないか>夜襲(ガ島なんかも襲撃行動は夜でしたっけね) 後は、やはり2段下の方がかかれてますが旅順の被害を覆い隠す意味もあって無闇やたらと強調した結果でしょう。臭い物には蓋をして過去の栄光ばかり追い求めるのは悪い癖ですね(日本人全部なのか旧帝国軍なのかは読んでる人の感想にお任せ)


  6. 夜襲重視は確かに弓張嶺での第2師団の戦例に味をしめたからのようですが、白兵戦重視は第二次上海事変での戦例によるもののようです。このときは、後の日本軍対米軍の戦いが中国軍対日本軍のあいだで行われてます。
    日本軍は火力で中国軍を圧倒しようとし、火力に劣る中国軍はそれに対抗して、接近しての白兵攻撃で日本軍を悩ませます。これで、もっと火力を!となれば日本軍もアメリカ並みなのですが、これ以上火力を増大することは経済的に困難なので、白兵戦にも対応できるようにする、それが荒木陸相時代に皇道派の精神主義と結びついて、戸山学校の発言力が増大、歩兵操典の白兵重視…となります。
    とはいえ、フランス軍もアルメ・ブランシェ(白兵)重視でしたし、ソ連軍もノモンハンやスペイン戦争のころは火力万能主義でしたが大粛清以後、ソ芬戦争を経て、大祖国戦争当時は砲兵力はともかく、歩兵火力という点ではかなり白兵に力を入れてました。
    まなかじ


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