QQCCMMVVGGTT
138 新参者で質問一覧を見てもわからなかったので質問します。
第2次大戦の5大戦勝国の中にフランスは、なぜ入っているんでしょう?
1940年にドイツに負けた(休戦?)のに。
自由フランス軍が連合国側で戦ったのでそうなったのなら、イギリス連邦としてではあるが、インド軍やオーストラリア軍も戦っているのに、なぜなんでしょうか。

源五郎

  1. 1940年に負けたのは「フランス国内に残ったペタン元帥が勝手に作った政権」であり、我ら「自由フランス軍」こそが「正当なフランス政府(の後継)」という主張です。そしてその立場を貫くためにドゴールを始めとする自由フランス軍は戦力的に小さいにもかかわらず、英軍に吸収されることを拒み、連合国の1国としてデカイ顔をして英・米と対等の立場を要求しつづけたのです。そしてフランス奪回後は連合国の一員としてドイツと戦い、「5大戦勝国」の仲間入りをしたのです。
    対してインドが戦勝国に入れなかったのは政治的理由です。当時インドはイギリスの植民地でした。イギリスとしては「イギリス領内のインド」の軍隊が戦ったという考えです。ここで戦勝“国”として認めたら、それすなわち独立を認めるに等しい行為です。インドの独立は大英帝国の(特に経済面で)根幹にかかわる事態です。下手をすれば、中東、東南アジア、アフリカなどの独立を誘発するかもしれません。それは多数の植民地を持つフランスにとっても同じです。ソ連でも連邦内の共和国が独立に走るかもしれません。第二次世界大戦で、連合国は「正義」と「自由」と「民主主義」のために、それらを否定する「悪」と戦ったのではありません。「自国の権益を守る」ために「権益を脅かす敵対国」と戦ったのです。少なくとも英、仏、ソ、中の四国はそうです。ゆえに植民地が「民族自決」と「自由」のために独立することを決して認めませんでした。
    kazu

  2. >連合国の1国としてデカイ顔をして英・米と対等の立場を要求しつづけた
     フランスが5大国の中に入れたのは、自由フランスの指導者ドゴールの政治的手腕による所が大きいでしょう(背景としてアングロサクソンの傘下に置かれたくないとするフランスの国民意識もあるが)。ダンケルク撤退後、自由フランスは他の亡命政府同様、米英ソ政府から対等のパートナーとして扱われてこなかったが、ドゴールはフランス国内のレジスタンス組織の統一を図ると共に自由フランスの影響下に置き、44年6月には共和国臨時政府を名乗っています。ノルマンディ上陸後、パリ解放に至る戦いでは自由フランス軍を連合軍の一部として参加させると共に、レジスタンスや市民を動員してドイツ軍に対する国民蜂起を指導し、フランス国民による祖国解放戦争として位置づけようとしました。例えば、自由フランス軍・第2戦車師団長ルクレール少将(今の新型主力戦車の名称になっている)は、パリ一番乗りを強硬に主張して実行し、パリのドイツ軍司令官の降伏文書の宛先を、「連合国」ではなく「フランス共和国臨時政府パリ軍政司令官」にさせています。そしてビシー政権関係者を弾圧し、占領地行政を考えていた米英の介入を排して国内の行政を速やかに掌握していきました。こうした対独戦争における貢献と「主権国家フランス」としての既成事実の積み上げ、それにドゴールが米英ソ首脳との間でうまく立ち回ったことにより、45年2月のヤルタ会談でドイツの米英占領地区の一部をフランスに与えることに同意させるなど、大国の地位の復活に成功したわけです。

    アリエフ

  3. ごみレス
    「史上最大の作戦」にロレーヌの十字架をつけた自由フランス軍がノルマンディ東部のウィストラムという町を攻撃するシーンがあります。ヘリコプターからの長い長いワンショットの戦闘シーンがすごい。
    SHI

  4. しっかしなあ
    こんな事が通用するようでは政治的な解決なんて無意味だよな
    「国は降伏したけど、俺は納得しない、武力で抵抗する」テロリストだな

    SUDO

  5. 回答ありがとうございます
    疑問に思っていたことが、解決しました。
    源五郎


Back