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149 「ミッドウェー海戦に関する疑問」
主力部隊(山本部隊)は無線諜報によって、米機動部隊がハワイ方面を出撃した形跡を察知してたのに、南雲部隊ではそれが察知できなかったのでしょうか?もちろん空母の無線装備が戦艦などに比べて脆弱なのは百も承知です。しかし、南雲部隊には霧島・榛名といった二隻の戦艦がいたはずです。この二隻は敵信を傍受できなかったのでしょうか?
彦衛門

  1. あくまでも想像なのですが、無線封止やマストの高低より、艦隊旗艦としての設備を持った長門等に比べ、無線通信機器の装備が悪く能力が劣っていたり、要員が小規模であったりするのではないか、と、考えてしまいました。たとえば比叡だったら受信できた、等ということは考えられないものでしょうか。
    BUN

  2. 千早正隆氏などは、そもそもあれは誤報ではないかと言う意見ですね。
    (N)

  3. この通信の受信は、大和が受信したのではなかったですか
    長門などのその他の艦艇でも受信されたのでしょうか?
    主力部隊以外に攻略部隊でも受信されたのでしょうか?
    所有の資料が足りないのでこの点が確認できません。
    だれか教えてくれ〜
    もし、大和だけということなら
    大和の搭載されている通信能力であったから受信できたのではないのでしょうか

    あきんど

  4. 長門は艦型が似ていることと、真珠湾の際に攻撃隊の電信を直接受信している実績からあげたのですが、もし質問のような事態が起きたとすれば、そうした理由が考えられないかと思いました。
    BUN

  5. あの時の機動部隊随伴の金剛型二隻は第三戦隊第二小隊で、戦隊司令部が座乗していなかったと
    記憶しますので、やはり通信傍受/解析能力に劣る面があったのではないでしょうか?
    大塚好古

  6. 敵信傍受をしたのはGFだったという説と地上施設の敵信班だという説があって私にはどちらかわかりません。もし後者なら傍受電波は長距離用のHF(短波)の可能性が強く電離層の影響による不安定な要素があります。
    無線兵装は昭和14年に制定された「艦船無線兵装標準」で艦船への装備基準が作られ、その後昭和18年に改訂されています。
    14年版はわからないので18年版から受信機(長短波兼用)の装備数を見ると、

    戦艦    艦隊旗艦40 戦隊旗艦28 一般13
    空母(甲)  艦隊旗艦40 戦隊旗艦23 一般20
    空母(乙)  −−−−− 戦隊旗艦23 一般18

    数から言えばほぼ同等ですがアンテナの装備位置の制限から空母の方が劣るのは止むおえないでしょう。


    舞弥

  7. 変な事書いちゃいました。
    どちらかというと「もし後者なら傍受電波は長距離用のHF(短波)の可能性が強く」というより「もそ後者なら傍受電波の内容は長距離用のHFで伝えられた可能性が強く」と書きたかったのです。

    舞弥

  8. 木俣滋郎の「空母戦記」によると連合艦隊旗艦には
    連合艦隊直属の通信暗号解読班が乗船している
    そうです。トラック島からハワイの動静を探れたそうですから
    大和級の無線傍受能力は高かったのでしょう。
    そういう特殊班は普通の艦には乗っていないので
    南雲艦隊では傍受できなかったのでしょう。
    こういち

  9. この問題については物証となるべき電報綴等が現存していないため当時の関係者の証言に頼るしかないのですが、この証言というのが一人一人てんでんばらばらで真相は藪の中状態と言っていいと思います。
    敵信傍受は大和の敵信班だったと証言しているのはGFの航空参謀だった佐々木彰少佐で、彼によれば、山本長官が1航艦に知らせるべきだとしたもののGFの幕僚たちは黒島主任参謀をはじめ、1航艦も受信しているはずなので無線封止を破ってまで発信する必要はないという意見が主流で結局そのままにされたそうです。この時GF通信参謀の和田雄四郎中佐は「1航艦はGFより優秀な敵信班を持っている上に敵に近いので当然受信しているはずだ」という意見を述べたと(少なくとも)佐々木氏は言っています。

    舞弥


  10. 以下は、私の見聞に基づく想像の部分が大ですのが、無知をさらけ出す覚悟で
    思うところを記します。

    まず、「察知できなかった」という問いには「できなかった」で終りになって
    しまいます。一応史実として、第一航空艦隊司令部では敵機動部隊出撃に関連
    する情報を、自隊でも得られず、他からの転送を受けなかったということになっ
    ているからです。ここでの質問の意図は、恐らく「能力」という観点かと思い
    ます。

    まず、「無線諜報」の意味がなんであるかをきちんとしておく必要があるかと
    思いますが、とりあえず「敵の無線の傍受」という前提のもとに、議論がなさ
    れているように感じました。おそらくそれは、「6月4日に『米空母の呼出符号
    らしくものを傍受した』」ということを指すものかと思います。この「米空母
    の呼出符号の傍受」は、海戦後の6月17日の佐薙メモ(軍令部部員佐薙毅中佐、
    海兵50)に「GF暗号長ハ敵空母ガMIノ北方ニアルラシキヲ感ズ」とあることか
    ら、少なくとも大和では傍受できたことを示唆しています。また、GF航空参謀
    佐々木彰中佐(海兵51)の証言も、「大和」が敵空母の呼出符号を傍受したこと
    を示唆するものと言えます(戦史叢書「ミッドウェー海戦」)。ただし、佐薙毅
    氏の回想によれば、「GF(この場合はGF司令部あるいはGF旗艦)じたいの無線諜
    報探知能力は大したことがなかった」として、「大本営の特情班が、直接敵の
    電波を傍受して、GFに反復放送した、とみるのがわたくしは至当と思う」とし、
    「大和」の傍受では無い旨の意見を述べています(亀井宏「ミッドウェー戦記」)。

    また、在クェゼリンの第六艦隊司令部の敵信班が米空母の呼出符号を6月5日の
    2〜3日前に傍受、通信参謀の高橋勝一少佐(海兵54)が報告を受け、方位測定に
    より推定位置を、聯合艦隊司令長官や第一機動部隊指揮官、先遣部隊潜水艦等
    を宛先に作戦特別緊急信として発信したとあります。もっともこの電報は、当
    時第六艦隊参謀長三戸寿少将(海兵42)が戦後戦史室での質問に対して「全く記
    憶に無い」と答えていることや、件の電報が現存していないことから、この話
    の真偽は判定されるに至っていない模様です(戦史叢書「ミッドウェー海戦」、
    高橋勝一「米空母の出現の傍受情報 南雲司令部に達せず」、丸別冊「運命の
    海戦」)。

    あと、6月4日に「飛龍」において、やはり米空母の呼出符号を傍受したとの説
    もあります(森史郎、「飛龍艦橋のいちばん長い日」、丸別冊「運命の海戦」)。
    この話は、別の文献等で確認ができないので、真偽のほどは定かではありませ
    ん(この時は、「それは何かの間違いだろう」程度に扱われて、司令部(二航戦)
    にその情報は伝わらなかったそうです)。

    以上が私が所有する文献内で、とりあえず「米空母の発信の事実」を示唆する、
    日本側の記録や戦史、戦記の記述です。どこがどう傍受し、その情報を得た方
    法がどのような経路なのか、今一つ混沌としているのが現状かと思います。

    さて、敵信傍受に関しては、艦隊司令部には、適宜通信科下士官数名からなる
    「敵信班」が配属され、専ら敵信傍受に当たっていた模様です(中島親孝「聯
    合艦隊作戦室から見た太平洋戦争」)。この敵信班は、基本的に敵信の傍受を
    専門に行うもので、この時期はまだ米海軍の暗号などを解読する能力は無かっ
    た(最後まで暗号は解けなかったですが)ですから、艦所固有の呼出符号と方位
    測定を中心としていたものと思われます。上記の記述から、聯合艦隊、第一航
    空艦隊、第六艦隊各司令部には敵信班が配属されていたものと推定されますし、
    中島親孝氏の記述によれば第二艦隊司令部にも開戦直前に配属されていた模様
    です。実際には、敵の使用電波や呼出符号が予め分かっていないと待ち受けら
    れませんし、どの電波を待ち受けるかなどは、適宜司令部で指示していたのが
    実情かと思います。ちなみに、敵の使用電波の周波数などは、現場でいちいち
    調べるのではなくて、調査したデータを軍令部辺りでまとめた資料を部隊に配
    布されていたのではないかと邪推します。

    ちなみに、海上を行動中の艦隊からでは方位測定による敵存在位置の推定の手
    段は使えなかったと思います(自ら電波管制を敷いていますので)。これができ
    るのは、第六艦隊司令部など、他の通信隊と自由に連絡を取り合える陸上に置
    かれた司令部であり、第六艦隊は単に呼出符号の傍受のみならず、クェゼリン
    とヤルートからの方位測定によって位置を推定したとあります。なお、この情
    報は、改めて東京通信隊の一般通信系と超長波によって放送されたとのことで
    すが、これを裏付ける資料は今のところ存在しないとのことです。

    これら敵信班は敵信の傍受のみに専念していますが、これらは敵信班員個々の
    能力、また通信参謀(あるいは通信長)の指導に依るところも大きいと私は考え
    ており、加えて個艦の通信能力(受信機数、アンテナの装備方法)にも依存する
    ところが大であることは議論を待つ必要がありません。よって、敵信が発せら
    れても、これを確実に傍受できるかどうかの保証は無いと私は考えます。また、
    ハワイ作戦の際の通信計画として機動部隊内では、

    1.敵信傍受は旗艦赤城で行ない、第八戦隊および第三戦隊の一艦をしてその一
    部を補助させる。傍受の主目標は敵基地航空部隊の哨戒機電波、敵潜水艦およ
    びハワイ基地電波とする
    このため「赤城」に有力な敵信班を配置する。
    2.妨信担任艦を第八戦隊および第三戦隊の一艦とする
    3.(今泉略)

    などとあり(戦史叢書「ハワイ作戦」)、もちろん旗艦「赤城」の敵信班がその
    傍受の中心になるものの、一部部隊内の別の艦の補助があったとのことですの
    で、ミッドウェー作戦でも同様の措置が採られていた可能性がありますが、も
    し傍受できていなかったとしたら、受信能力の高い艦(戦艦とか)で待ち受けて
    いた周波数での発信ではなかったということもあり得るかと思います。あるい
    は、赤城で待ち受けていた周波数だったけど、受信能力が低かったが故に受信
    できなかったのかもしれません(でも、「飛龍」で受信できた事実は、何を意
    味するのだろうか?)。

    また、私が想像するに、敵信班が乗艦していない場合の敵信傍受は、通信科の
    手が空いている場合に限られるのではないかと思われます(もし「飛龍」でも
    傍受をしていたのなら、多分この例)。すなわち、味方通信に対する待ち受け
    が必要な場合はそちらに専念せざるをえず、結局人員の余裕があるときに行わ
    れるものではないかと考えます。同様に、敵信を傍受するにせよ、敵側が使用
    する周波数にて待ち受けをしていなければ傍受は不可能なわけですから、第三
    戦隊司令部の指導がなかったことは事実でしょうが、それがすぐに傍受能力の
    低下につながるかといえば、必ずしもそうとも言えないような気がします。ま
    た、「飛龍」の傍受が、「飛龍」の独自(通信長の判断?)によるものなのか、
    あるいは二航戦司令部の指導なのか、それとも第一航空艦隊司令部の定めると
    ころなのかいずれの可能性も否定できません。

    多分に想像が混じっていて、「これはこうだ」的に断言はほとんどできず、
    「私の知る限り」という意味でしか言えないことを付記しておきます。

    今泉 淳


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