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154 ヒトラーがオーストリア出身でドイツ人なのは知っていますが
ユダヤ人の血が混ざっているとかいわれているのはホントでしょうか?
初心者

  1. さ、さあ?
    わたしは、その説は「アドルフに告ぐ」でしか読んだことないですが…。
    まなかじ

  2. 「もしそうだったら興味深い」ことですが根拠がありません。そうである可能性とそうでない可能性が五分五分。そういうことを記述した資料がありませんので。
    このへん、「徳川家康の長男の信康の将器をおそれた織田信長がいいがかりを付けて殺させた。」とか、「実は羽柴秀吉が明智光秀をけしかけて本能寺の変を起こさせた。」とか、「実はルーズベルトは真珠湾奇襲を知っていたが、第二次大戦に裏口から参加するため、あえて太平洋艦隊に知らせなかった。」というたぐいのことと同レベルです。
    kazu

  3. この説は完全に否定する証拠も見当たらず真相は現在に至るまで不明なのです。ヒトラーの父親は私生児として届けられましたが、その出生届の父親欄は空白であり誰がヒトラーの父方の祖父だったかわかっておりません。この該当者である可能性がある人物が3人おり、その中の1人がユダヤ人だった可能性があります。
    1930年代初め、ヒトラーが台頭した頃、一部のマスコミがこのことを取り上げて彼を攻撃したことがあり、彼も気になって調査させていますが、この祖父がユダヤ人だった可能性を完全には否定できませんでした。また、ヒトラーはアーリア人種であることの証拠書類を提出できず、彼自身、自分の体にユダヤ人の血が流れているのか否か、という苦痛に満ちた疑いに終生苦しめられていたようです。
    しかし、ヨーロッパの真中に位置し昔から多数の民族が入り混じって住んでいたドイツで、自分が数百年前まで家系を遡ってもユダヤ人の血が全く入っていない「純粋のアーリア人種」だと言う方が疑わしいと思うが。
    (参考:「アドルフ・ヒトラー」第1巻、2巻 ジョン・トーランド著 集英社文庫)

    アリエフ

  4. (投稿先を間違えたので再度・・・すみません。)

    この話題をアドルフ・ヒトラーの父親アロイスの出生に関する問題とするならば、アロイスの父親、つまりアドルフの父方の祖父がユダヤ人であるという推測は、現在の実証史学に置いては退けられていると言って良いようです。

    戦後暫く、この説は一定の説得力を持っていました。ナチス党法務局長ハンス・フランクは、1930 年にヒトラーの依頼により(当時、ヒトラーは政敵からアーリア的出自の正当性を攻撃されていました)アロイスの出自について調査したところ、アロイスは母親がユダヤ人家庭で女中奉公をしていたときの主人の子供ではないか、との結論を得たとの旨 1955 年自らが戦犯として絞首刑になる前に記した告白録中にて述べています。この時期のヒトラー研究家イエツインガーも、ユダヤ人祖父説を支持しています。
    その後 1960 年代後半から 1970 年代始めにかけて、西ドイツのヒトラー研究者ヴェルナー・マーザーが綿密な史料分析の結果として、アロイスの父親は彼の妻となるクララの祖父にあたる人物であることを推定しました。すなわちアドルフは近親婚により出生したというわけです。あわせてユダヤ人祖父説についてはこれを否定しています。
    西ドイツのヒトラー研究では、その後もヨアヒム・フェスト、セバスチャン・ハフナーなど大家が居ますが、出自問題についてはその後大きな修正は無いようです。
    ただし、アリエフさんのおっしゃるとおり、この問題を完全に実証ないし反証することはもはや不可能でしょう。それだけにこの問題に決着が付くと言うことは無く、今後もファンタジーを生み出してゆくと思われます。当のマーザー自身、ユダヤ人祖父説を妥当としていた時期もあります。
    なお方法論的動向としては、民衆史・社会史を基調としたドイツにおける近年の第三帝国史研究の中で、出生にせよ性格・思想にせよヒトラーやナチスを安易にエキセントリックな存在にすべきではないという枠組みが存在することは確かで、マーザーの「近親婚」説も批判が多いようです。

    Das Reich

  5. 訂正と補足の自己レスです。

    > 1955 年自らが戦犯として絞首刑になる前に記した告白録中にて述べています。

    ハンス・フランクが処刑されたのは 1946 年です。
    告白録は当然ながらこのとき作成、出版が 1955 年でした。訂正いたします。

    >この問題を完全に実証ないし反証することはもはや不可能でしょう。

    と記しましたが、あにはからんや、村瀬興雄氏によれば、アントン・アダルベルト・クラインは 1970 年のグラーツ市歴史年報所収の論文にて、次のように記しています。

    アロイスの母親マリアがグラーツで女中奉公をしていたとされる 1836 年頃、ハンス・フランクの告白録においてアロイスのユダヤ人父親とされているフランケンベルガーと言う人物は住民リストには存在しない。またそもそもグラーツにはこの時期ユダヤ人は居住を禁止されていた。一方、アドルフの甥パトリックによればフランケンライターという人物がアロイスの父親とされ、確かにこの人物はグラーツに家庭を構えているが、バイエルン系のドイツ人で、旧教徒である。さらにこの時期、彼は家業を破産させ、マリアと愛人関係を保てるような状況ではなかった。また彼の子供は当時 10 歳で、これも父親となるのは不可能であったろう。
    そしてそもそも、マリアがグラーツに来ていたという証拠そのものが存在しない。

    ・・・となるとユダヤ人祖父説はなかなか成立が難しいですね。
    かたやハンス・フランクは何を調べていたんだということにもなりますが。
    Das Reich


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