QQCCMMVVGGTT
162 以前、マリアナの三航戦の特殊攻撃隊について質問した際、千代田艦長の城大佐についての指摘を今泉氏から受けましたが、大佐の日記を読むと、艦長着任以前の侍従武官であった18年6月頃に「特殊航空隊」を発想し、艦政本部、航空本部に技術的な裏付けを確認するなどかなり筋道を立てた提案を行なっていた様です。日記に付属していたという「別表」にはマリアナでの三航戦に良く似た、偵察機と単座攻撃機による「特殊航空隊」の編成案が具体的に記されています。
この城大佐が19年2月に千代田艦長に侍従武官から転任する訳ですが、航空分野に関与していたとはいえ、比較的長かった侍従武官から第一線の航空母艦艦長への人事は当時の常識から見て自然なことだったのでしょうか?
BUN

  1. 質問からは逸脱するのですが、3航戦司令官と653空司令を兼任した大森末男氏とはどのような人物だったのでしょう?城大佐と並んでこの人の正体が3航戦の性格を考える上でキーパーソンになるような気がするのですが、私の手持ちの資料ではよくわかりませんでした。
    エルドリッチ

  2. 3航戦司令官は「大林末雄」少将、653空司令は「木村軍司」大佐でありました。大林少将が南太平洋海戦の時に瑞鳳艦長だった事ぐらいしか知らないので、この人もどこか経歴に特攻にまつわる事柄がありはしないかと思ったのですが・・・
    エルドリッチ

  3. 本来ならば109に回答するのが筋なのでしょうが‥‥

    人事の事は私には解りませんし、日記をお持ちであれば既知
    の事項であるやも知れませんが。

    確かに城大佐は18年の6月下旬に「肉弾攻撃する特殊航空
    隊」の指揮官に任命されるように要請していますし、7月上
    旬に大西提督を訪れ(7月2日?)肉弾攻撃を承認するよう
    に請願してます(城大佐は特攻用の専用航空機を製造する事
    や各艦船に対する攻撃法も考えていた様ですね)。

    しかし、マリアナ沖海戦の2日後に、城大佐が大西中将に「
    通常の方法では優勢な敵空母に対抗し得ないので体当たり攻
    撃を目的とする特別攻撃隊の編成を意見具申する」とした事
    からも、マリアナ沖海戦前には(肉弾攻撃前提の)特殊攻撃
    は(考えられていたとしても)実際には命令されていなかっ
    たと思うのですが?

    出典は、「ドキュメント神風 特攻作戦の全貌」です。
    takukou

  4. 109の質問中でも「命令が下された」とは書いておりません。ただ編制、訓練他に異様なものを感じたのです。

    「城栄一郎日記」(山川出版社)の解題にも記されていますが、城栄一郎大佐の経歴は海軍航空に深く関わっており、大正13年からの霞ヶ浦航空隊教官時代には同じく教官の大西瀧治郎、当時霞空副長だった山本五十六との深い親交が始まり、その後の鳳翔勤務と際にはやはり大西が飛行長を勤めており、僚艦赤城には山本五十六が艦長として居るといった繋がりが続き、結婚その他も含めてこの三者の交流は深かったと思われます。
    日記の山本五十六国葬に特別縁故者として出席した城大佐は日記に思い出を記しますが、そこには何と早くも昭和六年の海軍大学甲種学生卒業時の作業答案に既に「肉弾体当たり」「爆弾搭載射出」といった特攻作戦案が存在していたようでそれを山本五十六と話し合ったとされています。(「最後は体当たり」と話した人物が城栄一郎なのか山本五十六なのか実はよくわからない文面も気味が悪い。)

    本題に戻りますが、城大佐は陸上基地の航空部隊を希望していました。それは城大佐に操艦経験が無かったからで、内示があった後、十九年一月二十日より海軍航海学校で10日間、摂津で操艦の実習2週間の研修の後に千代田艦長として着任するのですが、恐らく終始千代田の操艦には口を出さなかったのではないでしょうか。
    このように決戦準備中の航空母艦に操艦のできない艦長が着任するのはやはり異様な事態におもえてなりません。
    なぜなら本人の希望する陸上基地航空隊は母艦航空隊より更に大規模に拡充中だったのですから。
    希望をはずれ操艦も出来ないまま艦長として着任したところ、そこに城大佐の提案に極めて近い爆戦と偵察機による飛行隊が搭載されているとしたら、何か海軍中央に意図があったと勘ぐりたくなりませんか?
    BUN

  5. 毎度のことながら書き飛ばした為に文章が変ですが、山本、大西、城の間に特攻戦術に対するある種の合意が早い時期から形成されており、他の有力人物を含め海軍航空の戦術思想の中に底流として深い部分に常に流れていたのではないか、山本の死という事態を以てそれが発動し始め、そうした大きな動きの中に城大佐の十八年六月の提案もあったのではないか?というような疑問をBUNは抱いている、ということです。
    BUN

  6. すいません、109に関しては誤読でした。

    私が気になるのは戦史叢書での「司令部では2階級特進〜」といっ
    たくだりの記述です(確約では無いにしろ、その様な雰囲気?)。
    これから受け取れるのは、司令部では「暗黙の了解」の様な事項が
    「特殊攻撃」にあったのでは無いか、という事で。それには城大佐
    の意向が大きく関与していたのでしょうか?
    中央の意向については私には判断しかねますし。大西提督が特攻推
    進論者だったのかどうか、も判断がつきかねます。
    ただ、確かに状況証拠からは何かの「意図」が感じられますね。

    私も以前は、大西提督は特攻の創始者である」という事になんの疑
    いも感じておりませんでした。しかし、前掲書や高木俊郎の著作等
    から実はそれが創作であると思っているばかりか、城大佐の意見具
    申に際して「そんな酷いことがどうして出来るのか」とまで言った
    事から、特攻に懐疑的ではなかったのか?とも思っていました(こ
    れは言い過ぎかも知れませんね)。

    BUN説では、逆転有罪になりますね>大西提督

    まぁ、この辺は軍部の暗部というか恥部でもあるので、真相発掘は
    難しいかも知れませんが、愚考するにその様な説も「あり」かな、
    とも感じます。

    まず「城栄一郎日記」を読むのが先か?未だ品切れじゃ無いようだ
    し。

    takukou

  7. 分かっちゃいたのですが、また変換ミスがありました。城「英一郎」ですね。海軍史に新しい登場人物を加えてしまいました。こういう大ミスを放置しておくとまた叱られそうです。
    BUN

  8. 「山本、大西、城の間に特攻戦術に対するある種の合意」があっというBUNさんのご説、山本長官は部下を非常に大切にしていたという評判を信じる人間には、非常な違和感を感じるのですが。真珠湾攻撃の際、収容の潜水艦を配置することを条件に甲標的の出撃を許したとか、赤城艦長(だっけ?)のとき着艦に失敗した飛行機の尾翼にしがみついて一緒に海中に落ちそうになったエピソード等本当だとすると、特攻を話し合うようには思われません。
    Sampon

  9. ええ、山本五十六のイメージからはちょっとかけ離れていますが、「話し合った」「最後は体当たり」(山本か城かどちらの発言かわからない)というのは城英一郎日記の中に実際に出てくるのです。
    それが気になっていまして・・。
    また、城英一郎と最初の特攻隊を出した二〇一空司令とは親戚(妻同士が姉妹、山本五十六がからむ)ですし、どこか特攻周辺の人間達には特攻人脈といったものがある様で、しかもその頂点に山本五十六が来てしまうとその人脈は、あくまで印象の問題ですが海軍航空関係者の主流派そのものなのではないかとさえ思えてしまうのです。

    また大西瀧治郎も宇垣纏も部下を厚く想う人物だったという評判もあるはずです。まして大西は一度は城の特攻攻撃提案を思い留まらせているではないですか。山本五十六は「熱意にほだされて」帰るあてなど実際にはまるで無い(ことは今月の「世界の艦船」についていい記事あり)甲標的を出撃させています。しかも甲標的は真珠湾の戦果がほぼ無効と考えられたにもかかわらず、そのまま複数回同様の出撃を行っていますが、GF長官がこれを中止させようとしたら簡単に実行可能だったはずです。
    情に厚く人格も優れていたとされることと、こうした問題に対する姿勢とは全く無関係に並立できるのが当時の軍人というものではないでしょうか。
    BUN

  10. 本件に関しては、手持ちの資料から傾向調査をしようと思っているのですが、
    とてもじゃないけど時間が無いのでいつになるかわかりません。よって、全
    然本質的じゃない点のみ。

    >城英一郎と最初の特攻隊を出した二〇一空司令とは親戚

    海兵46期、山本栄大佐でしたっけね。ブインに五八ニ空が進出していた
    ころ山本司令が、車で移動中トカゲを見つけたら、運転兵と巧みにこれ
    を捕らえて、肉を食用にして、皮をなめして侍従武官を通じて献上する
    つもりだ、などと言っていたことが、奥宮正武「ラバウル海軍航空隊」
    に書いてあった気がします。

    今泉 淳

  11. BUNさん、浅学な私の横槍にご丁寧に回答下さいまして、ありがとうございます。確かに、特潜の出撃は特攻と変わらないものであり、真珠湾に続いてシドニー、ディエゴ・スワレスと続けて出撃を命じたことで、山本長官も特攻に実質的に賛同していたと見ることができますね。

    部下思いかどうかは、特攻を認めるかどうかとは別問題とのことも、良く理解できます。大西中将も、特攻は部下に死所を与える大慈悲だと言ってたかと思います。宇垣纏中将については、「黄金仮面」というあだ名から部下にも傲巖不遜な態度だったのかと思っておりましたので、意外に感じました。出撃の際、「たった5機という法はない、稼働全機でお供します」と言わしめたのも、宇垣中将の人徳だったのでしょうか。


    Sampon

  12. ゴミなツッコミですが「黄金仮面」じゃなくて「鉄仮面」ですね。怪盗じゃないんだから(笑)
    (N)

  13. 「黄金仮面」だと思ってました。
    BUN

  14. 架空戦記あたりではたまに混同して使われてます。
    案外そう伝えてる文献があるのかも。
    勝井

  15. だ、だから「黄金仮面」が正しいんじゃないか、と。
    BUN

  16. >10

     山本大佐のゲテモノ喰いはラバウルでは有名だったようで捕らえたは虫類
     の皮を「たくさん集まったら天皇陛下に献上するんだ」と大切に保存して
     いた、と草鹿任一中将の回想録にあります。また、草鹿中将は山本大佐か
     らへびの蒲焼きやトカゲの蒲焼きをご馳走になったそうで、へびは味はい
     いが肉が堅くて食いにくいがトカゲは味もよく、肉も軟らかで結構だった
     と感想を書いています。

    Kz

  17. 宇垣中将のあだ名は「黄金仮面」のようです。
    児島襄「戦艦大和」(文春文庫版上巻197P)には「子供の人気漫画の主人公に似ている」というのがその由来だと出ています。
    城英一郎の転任について。
    答えになっているかどうかわかりませんが、
    侍従武官から外戦部隊の指揮官に出た例としてはほかに鮫島具重中将がいます。
    侍従武官から井上成美のあとの第四艦隊長官に転出しています。



Back