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163 もしドイツが1939年、ポーランド侵攻を思いとどまったなら、
第二次大戦は結局いつ頃勃発していたと思いますか?
ついでに戦局の推移について、一考をお持ちでしたら
是非ご開陳願います。
勝井

  1. いや、英仏に毅然とした態度をとったならば
    1938年開戦が有り得たと思いますがね。
    かっぱ

  2. 仮に、当時の英仏の指導者が対独宥和政策に反対していたチャーチルとド・ゴールだったとしたら、38年のズデーデン侵攻を事前に食いとめるため、ドイツ西側国境に攻撃をかけた可能性が高いと思います。39年のポーランド侵攻の場合も、このように英仏がドイツの背後をつく動きを示していれば、ヒトラーはポーランド作戦をあきらめざるを得なかったでしょう。
    そうなると、ドイツ西側国境でドイツが防衛戦を展開することになりますが、英仏がヒトラーによる周辺国への侵攻阻止が目的であれば、ドイツ国内に深く侵攻することはせず限定的戦闘が継続する可能性が高いと思います。その後は両者が相手の完全打倒、全面的侵攻占領を目指すかどうかにかかってくると思いますね。
    アリエフ

  3. 私見ですが、1939年ドイツが対外戦争をするパターンとして、ドイツの「英仏は参戦しないだろう」との見方はミスでしたが、倒す順番は妥当だと思います。
    1.ソ連と結んでポーランド倒す。(東に敵がなくなる。)
    2.フランス倒す。(ヨーロッパ大陸に敵が無くなる。)
    3.イギリス倒す。(西に敵がなくなる。)
    4.ソ連との条約破って倒す。
    実際には3.で失敗してこれが解決しない内に4.をやっちゃったのですが。
    で、1.を思いとどまるとなると、2.を先にやることになる。するとフランスを攻めてる間に東から同盟国のポーランド軍が侵攻してくる。イギリスも海峡わたって攻めてきて袋叩き、となる。(ポーランド攻めないなら、ソ連は陸続きでないので援軍を送れない。)
    3.をいきなりやったら。仏、英の空軍相手に独だけでやらにゃならない。
    4.はソ連に対して海越えで攻めるしかない。
    上記の点からポーランドに攻めるには背中の英仏が怖い。英仏攻めるなら背中のポーランドが怖い、ということになる。
    四方が敵対国の国が他国に攻めるのに全方面を相手にするのは不利すぎる。
    となるとあの時点でポーランドに攻め込まないのは、独ソ不可侵条約締結の直後という絶好の機会を逃す愚策ということになる。
    kazu

  4. ありがとうございます。
    しかし、「早まる」方の可能性をお考えの方が意外に多いのは少し驚きました。
    僕としては、チェコ併合で英仏が態度を硬化し、「今度はもう許さない」という
    不退転の覚悟を固めた、というのをどこかの本で読み、
    なら当時まだ抜群の外交センスを発揮していたヒトラーなら、
    この情報に接して変節もあるかな、と思っていたのです。
    特に自国海軍の準備不足はそれこそ世界中誰の目にも明らかでしたから。
    勝井

  5. ところで39年当時、英仏が史実通りの状態で、それでもヒトラーがポーランド侵攻を思い止まったとしたら、ドイツ国内のヒトラーの威信が低下するのではなかろうか。ポーランドからダンチヒ回廊を奪還し第一次大戦の屈辱をはらすことは、ドイツ国民からかなりの支持を得るのに効果的だったし。政治が絡んでくると、色々な可能性が考えられるからややこしい。
    アリエフ

  6. 当時のドイツ国民の多くは「ヒトラー神話」の虜になっていましたが、同時に彼が外交上の成功を得るために次第により大きなリスクを冒していることも知っていました。もうこれ以上の成功が続かないだろうと予測する者も多かったけれども、「神の使者」に「神意」がなお寄り添うのでは、という希望にしがみついていたというのが本当のところではないでしょうか。ゆえに国民世論は平和の維持は可能であるという考え方にむしろ固執していたのでは、と私は思います。
    また、ポーランド戦開始時、当初ドイツ国民は一様に沈鬱な雰囲気につつまれていたと聞いたことがあります。
    なんでや?


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