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180  このサイトにはそぐわない重い話題で申し訳ありません。
しかし、どうしても皆さんの意見を伺いたく、質問させて頂きます。
「南京大虐殺」に関するボードを閲覧していたところ、次のような発言がありました。

因みに、支那筋や左翼筋から南京虐殺は30万人と云われていますが、
30万人殺すには、原爆が2発必要です。
とても、日本兵の銃剣で殺せる数ではありません。
また、日本にとって大東亜戦争は云うまでもなく資源の戦いで、
虐殺するために使う銃弾など無い事は簡単に想像できます。
その上、剣一本で殺せる数を考えたら、30万は益々不可能な数です。

 なかなか説得力のある文章です。軍事には素人と思われる反戦派をやりこめておりました。
かく言う私も、この数字に反論も肯定も出来るだけの知識はありません。
 
 質問のポイントは3つあります。
1.この方面の陸軍の兵力。(1万人もいれば、老人や子供を含んだ30万人を銃剣で刺殺する事は可能です。)
2.軍の留まった期間(一瞬で30万人殺せと言うなら、確かに原爆2発が必要かも知れませんが…)
3.小銃弾30万発は日本軍にとって重大な数字か?
(一番のポイントです。30万と言う数字にしりごみしてしまい、「なるほどなぁ…」と
思ってしまうのですが、良く考えると、一式戦闘機数機分程度の消耗に過ぎないのでは、と
思うのです。)

 どうか宜しくお願いいたします。
どんべ

  1. 小銃弾30万発なんてたいしたことないです。
    小銃手一人が完全装備で120発携行します。2500人分、一個旅団の小銃をたった一度充足するにも足りません。この他、もちろん軽機にも小銃弾は使います。一個連隊をかつかつに補給するのがせいぜいでしょう。
    ただ、各部隊は南京に到達するまでにも戦闘を続けてきており、補給に難渋していたことは確かなようです。
    上海からの補給線は太く短いですが、それでも参加全兵力で7個師団半を食わせるのは、やはり日本軍の兵站能力では苦しいようで。

    南京攻略作戦参加の日本軍は、中支方面軍麾下の2個軍。第十軍の全力と、上海派遣軍の主力、合計7個師団強。
    そのうち、5個師団弱の兵力が直接南京へ指向されています。
    上海派遣軍から、第九師団、第十六師団、山田支隊〔第十三師団の一個旅団基幹〕第十軍から、第六師団、第百十四師団、国崎支隊〔第五師団の一個連隊(歩41)基幹〕
    すべて四単位師団ですから、6万5千〜7万を展開、実戦(一線)兵力は4万強〜5万というあたりでしょうか。

    その手の資料を斜め読みすると、12月13日から19日まで日本軍は虐殺しまくったようですが、ちょっと期間が長すぎるような気もします。一週間も続けるでしょうか?
    まなかじ

  2. これは小林よしのりさんが常々主張なさってますね。
    これに関する主張でもう一つ、無茶苦茶説得力があるのが、
    「当時の南京は、居住区の外に住民が避難した無人地帯が居住区の何倍という面積で広がってる。しかもここに住んでたのは裕福な人が多かったので、略奪したければ物盗り放題ではないか。わざわざ居住区に闖入する必要などまったくない」
    というのがあります。
    これについてはどうでしょうか?

    もう一つ、気になるのが30万人虐殺と簡単に言いますが、行われていたのが略奪である以上(一箇所に集めて殺したわけではない)、殺された人数に匹敵する負傷者が出てるはずで、この辺からも30万という数字がかなり疑わしいものと考えてます。
    勝井

  3.  まなかじ様
    貴重なデータを本当に有難うございました。
    あとは、時代背景について、自分で調べ、考えてみたいと思います。

     夜更かしの機会があったので、このサイトをあちこち調べていたら、
    過去、この問題について議論されているのを見つけました。

     ささき氏による「34万という数について」という発言が
    ひとつの答えになっていました。
    これを読んで、もやもやしていた物が、ずいぶんすっきりしました。

     勝井様
     「東大一直線」の印象から、小林よしのり氏は好きじゃ無かったのですが、
    やっぱり食わず嫌いはいけないなぁ…と思い、「戦争論」を買って来て読みました。

    「沈黙の艦隊」に染められてしまっている自分の脳味噌が
    相当な拒絶反応をおこしましたが、どうにか読み終えました。
     戦後補償について、何が問題となっているのか良く解りました。
    「真実は永久に解らないだろう」と言う言葉の意味も。
    常々思っている事ですが、物事は両面から見ないと理解出来無いものです。
    しかも、この問題に関しては、「両面」が「両極端」になってしまっているようですね。

     話は変わりますが、日本では「言論の自由」と言いつつ、
    戦争肯定論を悪として切り捨てる風潮があります。
     筆者が真摯な姿勢で書いた物を切り捨てる権利など誰にも無いと思います。
    書かれている内容を受け入れるか否かを読者の自由意思に委ねるのなら。
    「大本営発表」みたいな物に騙されたくはありません。

     こういった本が刊行される事は、今の日本の自由の証だと思うし、
    この自由は大切にすべきだと思います。

     それでは。ありがとうございました。
    どんべ

  4. この問題は「何が真実か」ではなく、政治の駆け引きだのイデオロギー争いだのとして利用されているところが問題なのです。そのため虐殺肯定派も否定派もそれぞれ我田引水、ああ言えばこう言うところは某宗教幹部なぞの及ぶところではありません。ちなみに当事者の中国では「歴史は熱いうちに語るものではない。」という意味の確言がありまして、元朝滅亡直後に編纂完成した「元史」は当時から内容的に極めて評判が悪く、改めて「新元史」を編纂しなおさなければならなかったほどです。南京事件も150〜200年程経てば、日中双方とも現在とはまた違った教えられ方をされる可能性は十分にあるでしょう。
    桃水軒

  5.  私の知り合い(古代史専門)は、はるか昔のローマの都市国家時代の推測を引っ張り出してきて、まあ万単位だな、との判断を下していました。
     日本陸軍のような、補給が不十分で、戦争意識(なにしろこれを戦争だと思っていない)の低い軍隊が入ってくると、住民の1割ぐらいは平気で殺されてしまうようです。
     まして、この時代には銃があります。

     というか、数字云々は問題じゃないんですよ。
     30万という数字が誇大広告だからといって、虐殺の存在自体が否定されるわけではないんですから。
     
    FIX

  6.  桃水軒さん「元史」は例としてあまりよくありませんよ。元史杜撰の理由
    は元滅亡直後に作られたからではなく、資料批判が適切ではなかったせいで
    す。つまり、原資料の選び方、編集の仕方が正しくないというのが理由です。
    似たような例で「旧唐書」と「新唐書」の例がありますが、これなら例にな
    ると思います。ただし、新唐書の方がイデオロギー上の理由で政府の公文書
    が資料になっていた旧唐所を書き換えたのです。
     私もかつては思想信条のかかわりで「南京大虐殺」に対する自分の立場を
    あきらかにしなければいけない立場にあった者です。当時は虐殺非難の立場
    です。
     純粋に実証的立場から考えてみると多くの証言はそのままでは証拠能力ま
    たは証明能力が不十分なものばかりです。言ってみれば元史杜撰の水準です。
    このような場合は一つ一つの事実に対してレフリーを立ててお互いの主張を
    討論させ、お互いに合意するものと道理の上で正しいと思われるものを選別
    して、それを基礎に議論を進めるしかありません。言ってみれば裁判の公判
    の審理と似たような方法になります。その上で謝るべきものは素直に謝る。
    不当な宣伝に対しては撤回を求めるのが、もっともすっきりしたやり方だと
    思います。
     ただし、現在の中国政府の正当性の基礎が抗日戦にあるので日本が悪けれ
    ば悪いほど現政府の正当性が増します。韓国の対日関係もこれとよく似てい
    ます。そのような意味で旧日本軍の蛮行も従軍慰安婦問題も政治問題なので
    す。ですから、これらの議論に対しては熱くなればなるほど問題は紛糾する
    のです。
     その点で小林よしのりさんの議論はかなり問題があると思っています。相
    手が政治宣伝の対象として考えているものに対して、あまり正確ではない議
    論で政治的な立場で対抗する。それは事態を紛糾させるだけです。小林さん
    は真摯かもしれません。でも、私の考えでは彼は真摯な扇動者だと思ってい
    ます。別にそれで小林さんの議論を切り捨てるべきだとも思っていません。
    ただ、明らかにそれを利用して粗雑な議論を押し通そうとする人たちがいる
    ようですね。
     戦争に対してあまりにも情緒的な考えは問題があると考えています。戦争
    は国家主権が最もはっきりした形であらわれたものですので、本来、戦争の
    是非に関しては非常にドライな感覚が必要だと思っています。こんな言い方
    をすると感情を害する人がいると思いますが、狭い意味での特別攻撃隊の戦
    死者が7000弱だという数字があるそうですね。でも、英国のドイツ空襲では
    機上戦死6万人という説を聞いたことがあります。(数字が間違っていたら
    ごめんなさい)この数字を見ていつも思うのは何と日本人は感情的な反応が
    先行するのだろうと思います。確かに体当たり攻撃で死を命じられた者は悲
    惨です。しかし、その十倍近くの死者を出しながらもしつこく戦略爆撃を繰
    り返す。でも、損害については、結果としては割り切ったわけでしょう。
    (戦争中の選挙ではチャーチルは敗れましたが)私はここら辺にいつも底知
    れぬ恐ろしさを感じています。
     国際政治ではこんな国(人?)たちと私たち心やさしき日本人は向かい会
    わねばならないのです。そんな時ふと自分は今何のために議論をしているん
    だろうという考えに陥ります。
     事実を整理して、生き馬の目を抜く国際社会で自分を主張するための議論
    であればどれだけ手間ひまをかけてもやる価値はあります。でも、現在のこ
    れらのことがらをめぐる議論は外への広がりが持てずに、だんだん不毛な所
    へ入り込む方向へと迷い込んでいるのではないかと思えてきます。もっとド
    ライな立場が持てるまで不確かな議論で熱くならないようにするのも一つの
    見識かもしれません。




    tk


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