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210 以前から気にかかっていることがありますので、教えて下さい。

高句麗で、642年にクーデターを起こして実権を握った、「泉蓋蘇文」と
いう人がいますが、この人は日本書紀では「伊梨柯須弥(いりかすみ)」と
して出てきます。

この二つの名前を比較すると、「蓋蘇文」と「柯須弥」は同じ音を表している
ように思われます。

そうだとすると名前の残りの部分は「泉」と「伊梨」が対応しています。
ということは、「伊梨(いり)」は「泉」の、高句麗語による「訓読み」
だったのでしょうか。

また、このことを取り上げた論文はあるでしょうか。

よろしくお願いします。
山名政宏

  1. 古代朝鮮史には全く疎いのですが、検索してみたら、下記の歴代高句麗王に関するサイトには「淵蓋蘇文」と書いてあります。どう読むかわかりませんが、こちらに聞いてみた方がよいのではないでしょうか。「淵」と「泉」の2種類の苗字で呼ばれていたのかも、あるいは、両方とも同じ音韻を示していたのか?
    http://www.portnet.ne.jp/%7Eberry/zino/koguryo.html
    アリエフ

  2.  「泉葢蘇文」と「伊梨柯須弥」とについての考証は、内藤湖南がやっております。「読史叢録 近獲の二三史料 四 泉男生泉男産墓誌銘」(内藤湖南全集 第7巻)p.566をご覧ください。
     泉男生・男産は、泉葢蘇文の息子です。高句麗から唐朝に走り、将軍として活躍し、泉男生は、『唐書』に伝があります。墓誌銘は、二玄社の「中国法書選 37:道因法師碑・泉男生墓誌銘[唐・欧陽通/楷書]」をご覧ください。細かいことですが、
     「伊梨」は「泉」の、高句麗語による「訓読み」
    ではなく、高句麗語の「伊梨」を、唐語の「泉」に翻訳した、または「訓読み」した、というべきでしょう。たとえば、日本人の泉さんが、アメリカ国籍を取得した時に、Spring と名乗るようなものでしょう。
     それから、アリエフさんの文にある、「淵」と「泉」についてですが、私の手元の「三国史記」には、「泉」しか出てきません。おそらく「忌諱」(皇帝・王など主君の本名を避ける・親や先祖の名を避ける)だと思います。あのホーム頁の作成者がご覧になった本が、たぶん李朝の頃の本であって、李朝歴代の王様の誰かの本名に「泉」字があり、それを避けるために、「淵」に書き換えたのかもしれません。確証はないですが。
    休莫


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