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昭和13年10月12日、広東攻略を目指して行ったバイアス湾上陸作戦のことについて、参加した部隊、その後の作戦経過などを教えてください。 できればこの作戦でも使われた、当時一番の信頼性をもったディーゼル機関を積んだヤンマー船(大発?)の事も教えてください。 太 |
- 第21軍主力は、10月9日、台湾馬公港を出発、12日白耶士(バイアス)湾に上陸、21日中国軍の放棄した広東に突入、占領した。本作戦における日本軍総兵力は約7万であるが、戦死173名、戦傷493名に止まった。
『新版 日中戦争』 臼井 勝美 著 中公新書 2000年
日本軍はこの作戦の為に第五、一八、一〇四師団からなる第二一軍(兵力7万人)を編成、10月16日(ママ)、香港の東にあるバイアス湾(広州湾)に上陸させた。華南には13コ師団11万人の中国軍がいたが、例のごとく戦いながら撤退していった。日本軍は上陸後わずか5日間で人口110万人の大都市広東を戦領した。死傷者も他の作戦と比較して少なく死傷1880人(ママ)である。
『わかりやすい日中戦争』 三野 正洋 著 光人社 1998年
以上2冊、内容が少し違います。専門家の皆様宜しくお願いいたします。
roht
- 専門家じゃないっすけど・・
上陸は多分12日だと思います。
敵の抵抗は殆ど無く、順調に進撃していった様ですが。道路の不良と日中の気
温が高いのに悩まされたらしいのですが・・
日中の気温が摂氏60度ってホント?>戦史叢書
広東攻略作戦全体での我が軍の総兵力は約7万。戦死者は173名、戦傷者は
493名であり。戦病者の合計は1257名であった様です。
ヤンマーとは「ヤンマー発動機を装備した艀舟の俗称」であり、本作戦で用い
られたのは、漁船にヤンマーと称する発動機を付けたものらしいです。
tackow
- ヤンマー発動機とは、「ヤー坊マー坊天気予報」のヤンマーディーゼル㈱(戦後にこのように社名変更、その前はブランドネームでヤンマーを使っていたのかもしれない)が作っていた発動機のことなのでしょうか?ちなみにこの会社は山岡さんという人が起こしたそうで(だからヤンマーか・・?)
アリエフ
- ヤンマーディーゼルのHPを見ましたら、「1933年、世界最初の小形横
形ディーゼルエンジンを完成」とかあるので。多分、現在に通じる「ヤンマ
ー」のディーゼルエンジンであると思います。
私の職場でもヤンマーの小型ディーゼルエンジンを使っているのですが、メ
ーカーの話では基本は相当に古いモノらしいです。
tackow
- 家は農家なのでヤンマーディーゼルの農業機械なら沢山
有りまっせ!トラクターから耕運機、はたまた最近は使用
していませんが、水冷式エンジンだけ保管もしています…。
ところで、そのエンジンですがトラクター以外はバッテリー
搭載型は高価なので、クランクを回してエンジンを始動させます。
ちなみにヤンマーは「とんぼ」の鬼ヤンマーから取ったそうで、
最初、社名を「とんぼ発動機」と命名しようとしたそうです。
その名残に、昭和40年代のヤンマーディーゼルエンジンの
タンクにとんぼの絵のステッカーが貼って有りました。
(最近のエンジンには入っていません)
ちなみに自分はそのディーゼルエンジンを小学校2年の時より
始動させていました。正常に始動すれば良いのですが、反動で
逆始動してしまう場合も有り、クリーナーがマフラーになってしまう
という事も度々しでかしてしまいました…。
無限
- >5
ウチの職場(現場のポンプとか特装車に付いてる)にあるのも同様な奴だと思
います(数馬力~十数馬力程度)。
あれは、慣れればなんとも無いのですが、やはり小学生の手には余るのではな
いでしょうか(^^;
あの儀式は真冬などはなかなかに苦労しますネ。
今でもたまに自分が始動させる事がありますが、最近の若者はどうにも根性が
無いのか大部分セル付きになっちまいました・・確かにラクですけど、、
しかし、アレを見ていると。信頼性もなにも「何処が壊れるんだ」と思います
けどネ。(笑)
tackow
- 実家が農家でタコマという石油発動機を使っていました。水冷ロッカーアームOHV4サイクル横置き単気筒で始動時はガソリンを使いフライホイールについたハンドルをエイヤっと回してかけ、かかったら灯油に切りかえる。おそるべき悪環境下の酷使に耐えそれこそどこがこわれるんじゃという代物でしたが好不調はありました。兄はこれが大好きで始動調整は勿論小学校5年の時には分解組み立てできたそうです。ばらした発動機と一緒にうれしそうな兄と怖そうな幼い私の写真があります。一般農家にヤンマーなどのかっこいいエンジンが入ってきたのはそのずっと後ですね。またまた回想失礼しました。
SHI
- 昭和12年から陸軍では木造船所を動員して木船を作ってヤンマーのH型、S型を積み、それを貨物船で中国へ送っていましたが、名称がまちまちでしばしば混乱していました。(前進オンリーのクラッチを使っていたので「いのしし船」とか、ただ「木船」とか。)そこで修理サービスのために技術員数名と来ていた山岡内燃機の吉川武夫が提案した結果、「ヤンマー船」と呼ぶことに決定したそうです。この名称は次第に定着していき、バイアス湾上陸の新聞報道で一気に広まりました。
tomo
- >7. 実家が農家でタコマという石油発動機を使っていました。
おぉ、SHI さんタコマをご存知でしたか!タコマエンジン社長の多古谷は私の(チキューにおける)母方の祖父にあたります。戦後はエンジンが売れてダイハツ・ヤンマーと成長を争うほどの時期もあったようですが、ガソリン2サイクル化の波に乗り遅れて(何でも社長自ら考案し特許も取った電気エンジン(ポルシェタイガーみたいなもの?)とかいうのに固執して市場の動向を見なかったらしい。ワンマン会社はこうなると閉塞しちゃう)零落してしまったそうです。
ささき
- 脱線ついでにコネタを一つ
家の親父は昔、ヤンマー農機の代理店に勤めていましたが、
ヤンマーは昭和40年代「ディーゼル ロータリーエンジン」を
開発していたそうです。が、やっぱりあの「おむすび」がうまく
回らず開発中止になったそうです。
無限