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236 ノルマンディ上陸って失敗する可能性あったのでしょうか?
Alphabeta

  1. そもそも「失敗する可能性のない」作戦なんてありえないと思いますが。例えば、プライベート・ライアンにも出てくるオマハビーチでの作戦は、戦車が海中に沈んだりして作戦としては失敗だったと言われています。
    ドイツ軍が連合軍の陽動作戦に惑わされずノルマンディ方面の戦力を強化していたら、上陸作戦が始まってすぐにヒトラーを叩き起こして適切な作戦指令を出させていたら・・、などドイツ軍の適切な反撃の前に、連合軍が壊滅とはいかないまでもノルマンディでの戦闘が継続しにくくなるようなストーリーは色々考えられますが。
    アリエフ

  2. 大日本絵画から翻訳本がでている「Dデイの惨劇」といういい資料本
    がでています。

    VANDY1

  3. ノルマンディに橋頭堡を作るという目的は達成出来たと思います。その為にあれだけの兵力を集めて、あれだけ陽動作戦をやって、機密漏洩防止に努めて、ドイツはノルマンディに来るとは思っていないという確信を持って『奇襲』をかけたのだから。事実水際で危なかったのはオマハ地区だけであとはむちゃくちゃな損害は出さずに上陸しています。オマハの29D、1Dが一時考えられたように撤退したとしても橋頭堡を作るという上陸作戦の第一の目的は達成できたと思います。この場合ユタ地区と101、82の両空挺師団が一時的に英軍と分断されるというゆゆしい事態を招きますが、後続を既に確保しているユタ地区に上げ、バイユー方面に進撃して英軍と合流を図ればオマハの埋め合わせはできると思います。問題のドイツ機甲師団ですが海岸地帯に大兵力を割くとカーン方面が手薄になるのでそうは割けなかったと思います。カーンがあれだけ粘れたのも結果としてDデイ初期に機甲部隊を分散させずにおいて集中使用できたからではと思います。もし、カーン地区が手薄になっていたらアロマンシュの補給港は史実より早く整備され機能したかもしれません。以上は条件がDデイ当日と同じとした時でドイツ軍が攻撃を察知して史実の何倍もの兵力を配置していたら、というような条件下ではディエップを大規模に再現したかもしれませんが。
    SHI

  4. あれからずっと考えていたのですが。
    御質問の失敗の定義が『全軍水際に戦死者と捕虜の山を残して退却』というディップ型の失敗で、1944年6月の状況そのままとして作戦を決行し、『失敗』の可能性は?というのでしたらやはり『なかった』と思います。
    もちろん史実からの遅延等の可能性は沢山ありますし、史実よりうまくやれた可能性もあります。

    史実とは関係なし、なんでもあり、でしたら。
    1941年春夏がキーですね。もしヒトラーが、この時F・ルーズベルトの三選を甘く見なかったら、そして東部戦線を開かなかったら、歴史は変わっていたと思います。この場合、我々が知るノルマンディ上陸作戦そのものも無かったと思いますが。


    SHI


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