QQCCMMVVGGTT
249  太平洋戦争に日本が無条件降伏して連合軍が進駐してきたときに、日本人による組織的な抵抗というものは無かったのでしょうか。日本人のパルチザンってちょっと想像できませんが。
やまぐ

  1. 先日の質問でも触れましたが、軍の公式の組織による抵抗としては、8月15日以降の満州及び北千島におけるソ連軍の攻撃に対する抵抗位では。敗戦と共に関東軍は降伏を決めていたところ、ソ連軍が攻撃を中断せず攻めこんできたので撤退しつつ抵抗戦を行ったのですが。
    なお、8月15日の前後、御前会議における無条件降伏決定に反対する一部の陸軍将校がクーデターを画策したことがありますが、失敗し首謀者は自決しました。
    ところで、もし、日本軍の一部が本土に入ってきた連合軍に組織的抵抗を行うとしたら、天皇を自分たちの勢力の中に引き入れると共に、御前会議の決定と玉音放送について天皇が降伏派の陰謀により強制的に行わされたものであり無効と天皇に宣言させるような工作をしなくてはならないでしょう。天皇を引きこまないパルチザンは、226事件の青年将校のように賊軍とみなされてしまい大義名分が立たない。
    アリエフ

  2. 帝国陸海軍は確かに無条件降伏しましたが、大日本帝国政府としては「ポツダム宣言」の諸条件を受諾して降伏したのであって、無条件降伏ではありません。したがて、ポ宣言に記載ない、外交権の停止を連合軍が行ったことなどは、ポ宣言違反として糾弾されるべき背信行為です。
    Sampon

  3.  アリエフさん、sampoさん、どうもありがとうございました。
    確かにこの話の場合、天皇というものが大きなポイントなのかもしれません。
    やまぐ

  4. >2 ポツダム宣言受諾は無条件降伏だと思いますよ。一般に「条件」と言われている条項は、「そちらが降伏したら、少なくともこんな事するぞ」いう宣言みたいなものです。「条件」と誤解されてしまう原因は外務省の翻訳でして、抗戦派を抑えるために行った意図的な誤訳だということです。
    tomo

  5. >4 停戦後の交渉で、米の主張する直接軍政と軍票使用を回避したことは、無条件降伏でなかった証拠になると思います。
    Sampon

  6. 便乗質問です。
    進駐した米兵に対する民族主義的な個人テロ(または殺人事件)さえなかったのでしょうか?


    アイアンハート

  7. >5 降伏後の日本の統治に関しては既存の日本の組織を使わざるを得ませんから、統治に関して別個に取り決めが交わされています。その話し合いにおいて、日本側がようやく取り付けた譲歩だったのではないかと考えますが。

    >6 日本の例は寡聞にして聞きませんが、ドイツの例は本の記述で読んだことがあります。針金をある一定の高さに、通りを横断して張るものです。いい気分でジープを運転していると、突然首がスッパーンと宙に……。死者が何人も出てしまったので、しばらく間、ジープには針金除けの鉄材が付けられていました。
    tomo

  8. >7 [取り決め」、「話し合い」があるから、無条件降伏ではない、と言っているのです。無条件降伏であれば、勝者から敗者への一片の通告で済みます。
     その後の経緯が、実質的には限りなく無条件降伏に近いものになってしまったことは、私も認めます。これ以上の議論は、「議論ボード」に持ちこみましょう。
    Sampon

  9.  「無条件降伏」について、日本が最もこだわった国体(天皇制)維持の条件以外、ほとんど先方の要求を無条件で受け入れたものです。 
     パルチザンやレジスタンスのようなゲリラ的抵抗について、フランスやポーランドでドイツに対するレジスタンスが活動できたのは、イギリスに亡命政権を樹立した自由フランス、自由ポーランドが米英連合国からの協力の基支援を受け、本国内のレジスタンス組織を全面支援していたからです。
     軍隊が降伏したら直ちに武装解除し抵抗の意思のないことを表明しなくてはなりません。隷下の一部隊が命令に背くような事態を放置しているようであれば、その国が降伏の意思なきものと疑われ、相手から攻撃を受けても文句言えません。したがって、厳格な統制の元に武装解除が行われ、降伏した国の国民は元兵士を含め、武器として使えるものをほとんど持たないことになります。現に、敗戦後、一般庶民の家にあった刀剣や猟銃の類まで厳しく取り締まられています。
     日本やドイツにとって、降伏後、武器援助を行ってくれる第三国が無く、武器と言えるものをほとんど持たない、軍隊組織も解体されている、そして完全装備の占領軍が目の前を行進していく状況で、抵抗やテロを考える者がいたとしても成功する見通しがほとんど無かったのが実情だったと思いますが。
    アリエフ

  10. (補足)有効な軍事的支援のないレジスタンス的抵抗がいかに脆いか、自由ポーランドのレジスタンスによるワルシャワ蜂起のとき、ソ連軍の大部隊がすぐ近くに来ていながら彼らを見殺しにした例が典型でしょう。
     ついでに、80年代初めまでの旧ソ連で、体制に共産党体制に不満な勢力、民族が多数いたにも関わらず目立った反政府活動が起きなかったのも、各勢力が孤立し横の連絡もほとんど無く、国外からの有効な支援を受けられなかったこと、そして体制の厳しい監視下に置かれていたからです。
    アリエフ

  11. アリエフ様、「ポツダム宣言の無条件受諾」と、「無条件降伏」とは違いますが、そんなことはもちろん承知してらっしゃいますね(誤解される方がおられるといけませんので)。

    tomo様、「条件」という言葉は外務省の「抗戦派を抑えるために行った意図的な誤訳」とおっしゃいましたが、私には、やはりどうしてもこれは「条件」としか思えません。

    というのも、いま手元には三省堂の「デイリーコンサイス」しかないのですが、”Following are our terms”(ポツダム宣言5条)のtermという言葉の原意を、「限界」「限定」としており、「条件」という訳語の前には括弧付きで(限定する)とわざわざ書いてあります。原意に忠実に解釈すれば、この文の訳は「我らの条件は以下の如し」となるのではないでしょうか(つまり、拡大解釈が許されるようなものではないということ)。しかも、ポ宣言5条は次に”We will not deviate from them”と云っており、これは「我々は条件を緩めない」と読めるかわり、連合軍はこれらの条件に縛られる、という解釈も成り立つ訳です。

    また、「条件」が「意図的な誤訳」というのは初耳です。恐れ入りますが、出典を教えていただけますでしょうか。私の浅い知識でも、”Subject to”を「制限下に置かれる」という意図的な誤訳を外務省が行ったことは承知しているのですが。

    これから「議論ボード」にコーナーを作ろうと思いますので、まだ関心がおありでしたら投稿をお願いします。
    Sampon

  12. >11 あの話は大学の講義で日本近代政治史を研究している先生から聞いたものです。それと、「無条件降伏」に対して「条件」という単語を使ったのですが、ちょっと誤解があるようです。さて、この話をもう少し詳しく書きます。
     まず1つ目はSamponさんの仰るもの。2つ目はこうです。ポツダム宣言の文章はは「Term X」と書かれた箇条書き(?)になっています。本来ならば「第X項」とでも訳するのですが、「第X条」(Article X)と訳したのです。後述するように実質的な無条件降伏の勧告ですが、この様に訳することで条約のような形にし、外交文書の非専門家である抗戦派の軍人達に、条件有りの降伏であると錯覚させた、とのことです。
     さて、ポツダム宣言はあくまで連合国側からの意思表示です。この宣言での条件は主に連合国が何を望むかであって、連合国側を実質的に縛る条件は日本の領土として四島その他を保証したことぐらいです。これだって、逆に言えばそれ以外の領土を割かれるのと同義ですから、結果として相手の言いなりになります。他の条件に関しても、文章解釈によってどうとでもなります。ですから、実質的に無条件降伏です。天皇制に関してのバーンズ回答は文章の解釈を巡る問答ですから、条件にはなりません。(あやふやではあっても、言質を取ったことには多いに意味がありますが。)

     日本を知らない米人が一方的に何もかも指示するのでは統治に無理が生じます。それを無くすために既存の日本組織を使います。任せてもよいものは任せてしまうのです。そして、そのためには、できる事とできない事、やるべき事とやらなくてもいい事を見極め、取り決めをする必要があります。そのための話し合い、取り決めは、実務のためのすりあわせであって、条件にならないと思うのです。
    tomo

  13. tomo様、どうもご回答ありがとうございます。この議論は「議論ボード」で続けたいので、さらなるご回答はそちらにおねがいします。
    Sampon


Back