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333 東京、JR国立駅前の長い直線道路は、戦時中陸軍防空戦闘機隊の緊急着陸のための滑走路だったいう話を以前読んだことがあるのですが、ホントなのでしょうか。
NX

  1. 回答付かないな。
    ちゃんと調べてない&うろ覚えで恐縮だけど、初めからその目的で作られ
    たということは無い。
    あの道路は、というか街は、民間人の手で戦前に構築されたものだから。
    # このへんの名前が分からないのよ。結構な有名人なんだけど
    # 過去の研修の資料にあるはずなんだけど・・・もしかして捨てたか(汗)

    とはいえ、十分広いのも事実(計画じゃもっと広くしたかった様な・・・)
    で、たまたま滑走路代わりに不時着した機体があって、それに尾ひれが
    付いたんじゃ無いかと愚考するっすよ、私ゃ。

    もう少し調べてみるけどあんまり期待しないでね〜
    tow@腐れ土木屋

  2. 震災後に国分寺と立川の間に、「国立」を開発したのは箱根土地会社の堤 康次郎ですが、ゲッチンゲンをモデルに文化都市を目指したもの。滑走路云々は道の広さから出た噂です。
    わち

  3. 箱根土地株式会社(現・国土計画)が開発した所ですが、駅前から延びている大学通りでは、戦前、同社により軽井沢と国立を結ぶ定期便が飛んでいたそうです。陸軍のお下がりを用いていたそうで。この話に尾ひれがついたのかな?
    (参考)
    http://homepage1.nifty.com/kunitachi/map/d01.htm
    アリエフ

  4. 緊急着陸用に想定してた可能性もあるかもしれませんが、「滑走路だ」の説は街ができた当初から流布していたので、都市伝説みたいなものではないでしょうか。
    わち

  5. 皆様回答ありがとうございます。以前、戦時中の昭和二十年初頭に陸軍の二式戦か四式戦(47戦隊なのでしょうね)がしばしば不時着していたとの話を、どこかで読んだことがありまして。戦前は本当に飛行場として使われていたんですね。

    NX

  6. しかしなぁ、一番近所で盛んに飛んでいた飛行第二四四戦隊の飛燕がそこに不時着したと言う話は全く聞かないんですけれどね・・・。(二四四戦隊史はリンクのコーナーから二四四戦隊ホームページ(これはお奨め)に行ってそこで発注しましょう。5000円は高いかもしれませんが、まだ誰も知らないことが書いてありますし、買う価値はありますよ。)
    BUN

  7. 二四四戦隊の飛燕が国立駅前の直線道路に不時着しなかったのは、被弾やエンジントラブルで緊急着陸の必要が生じても、至近距離にある自隊の基地の調布飛行場まで滑空で充分帰還できたからではないでしょうか。そして四七戦隊の二、四式戦が近くに調布飛行場が有りながらあえて国立駅前の直線道路に不時着したのは、二四四戦隊と四七戦隊が実はあまり仲がよくなかったから、という想像も成り立ちます。帝都防空用の最精鋭部隊とされていた両隊が、激しいライバル意識を持っていたとしても不思議ではありません。
    NX

  8. 成増で撮られた二四四戦隊の飛燕の写真もあることですし、ライバル意識はあっても仲が悪いってことはなかったのでは?
    調布だけじゃなく、立川や福生もそう遠いところではないですし、そこに降りたのはホントにたまたまだったのではないでしょうか?
    FJ1

  9. 二四四戦隊と四七戦隊は装備機を融通していた位ですから「仲が悪い」とはどうでしょうか?二四四戦隊は士気の面では異なるかもしれませんが、編成の経緯も変則的でどちらかというと二線級部隊という表現が正しいように思えます。また二四四戦隊機は周辺によく不時着していますので、滑空で調布に帰るくらいなら降りられる所に降りたことでしょう。
    BUN

  10. 仲は悪くなかったんですね。とんだ邪推でした(笑)。ところで、二四四戦隊が二線級部隊ってどういうことなのでしょうか。皇居直衛(高度数千メートルに上がってしまえばそんなこと意味ないのですが)も任された精鋭部隊ではないのでしょうか。関東地方の防空を担当した第十飛行師団も、四七戦隊と二四四戦隊は特別扱い(戦力を温存するために出撃を制限等)してましたし。編成の経緯って、そんなことを言えば海軍の302空も二線級部隊になってしまうのではないでしょうか。
    NX

  11.  大活躍した三〇二空はやはりどちらかと言えば二線級部隊です。この部隊の特徴は練成部隊としての任務の割合が大きい所に特徴があります。派手な伝説に隠れて日常の任務があった訳です。搭乗員の技量などを紫電の三四一空等と比べれば一目瞭然の差があります。
     問題の二四四戦隊も当初の中隊編制(144戦隊の初期は事実上の飛行中隊)では、整備部隊も正規の部隊がつかず、民間が当たっていたはずです。九七戦で編成された最後の部隊で当初戦力にならず、四七戦隊や他の部隊からキ44やキ45改の貸与を受けていたこと等を見ても「精鋭部隊」のイメージはありません。そもそも戦隊番号三桁が全てを語っているのではないでしょうか。精鋭部隊としての位置付けにあったのであれば早期にキ44に機種改変されていたことでしょう。この部隊もどこか三〇二空と似ていますね。
    BUN


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