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357 旧日本軍は物資が戦地に届かなかったから負けたのですか?
それとも元々国力がないから負けたんですか?どっちなんでしょう?
どっちもって言わずに教えてください。
紅葉饅頭

  1. どっちも、です。
    BUN

  2. どっちも、なんですけども、物資を戦地に届けるには何が必要なのか、考えてみましたか?
    まなかじ

  3. 船・・・ですか
    紅葉饅頭

  4. ごく大雑把に言えば、国力がないから、ただでさえ少ない物資を戦地に届けることができないのです。
    船を出すにも、護衛戦力を十分につけてやることができないので、よく沈められます。
    沈められても、沈められた分の船や物資の補充もきかないし、人員の補充もきかないのです。
    人員の補充がきかないので、兵隊も工員もヘタクソばかりになり、物資も減って船や飛行機の数も少なくなってくるので、なおさらやられやすくなります。
    細かいことを言い出すとキリがないし、個々の分野ではこの傾向にあてはまらない部分も多いのですが、全体的な傾向としてはこんなものです。
    まなかじ

  5. 戦争の勝敗はただ一つの要素で決まるものではありません。
    武器の性能・士気・練度・作戦立案・組織力・戦略物資・外交環境・・・・
    あげればきりがないんですが、旧日本軍の場合、「士気」について
    は神風特攻隊に見られるようにほぼ世界一であったと思います。
    劣っていたのはその他全てで、これは神風特攻隊でも覆せませんでした。

    まず完全に最悪だったのが島国ゆえの戦略物資と外交環境です。
    ABCD包囲網で日本は孤立し、更に石油禁輸で追い詰められていました。
    武器については零戦をはじめとしてかなり自国で生産できていましたが、
    それでもアメリカを相手とするには力不足であったと言わざるを得ません。
    また日米開戦は泥縄式に始まったので多くの日本兵は十分に訓練を受けてません。

    なお、ミッドウェー海戦の大敗は作戦立案のまずさと官僚的軍組織
    の欠陥に集約されると思います。それまでの連勝に奢っての油断です。

    毛沢豚

  6. あと、陸戦なら「兵員の数」も重要なファクターです。硫黄島や沖縄
    ではアメリカ軍も大勢の死傷者を出したものの、総兵力では日本とは
    比較にならない程多いので、全体の損害率は低いことになります。
    全人口はアメリカが日本の倍くらいなので、兵員動員力でも負けます。

    同様に独ソ戦の関ヶ原たるクルスク会戦も、損失人員はソ連側がやや多い
    くらいの相撃ちと言われているけれども、トータルで言えば予備兵力の
    大半を使い果たしてしまったドイツ側の完敗であったことは明らかです。

    #むろんソ連本土が戦場になった独ソ戦と、アメリカ本土無傷に
    #終わった太平洋戦争とは最初から戦争の質が全く異なるのですが。
    毛沢豚

  7. むしろ逆です。物資が日本に届かなかったから負けたんです。
    日本は潜水艦を見くびっていました。
    南方資源地帯を占領して大量の物資を本土の工場に運んで兵器生産をする、ここまではいいのですが、
    アメリカの潜水艦が本土行きの輸送船をゲリラ的に襲ったので、本土の工場は稼動しませんでした。
    (当時は、現在みたく外国に工場を建てて現地生産するって事はできなかったのです。現地に建てようにも工作機械は戦前に米国から輸入した物がほとんどのため、新たには高品質の物が作れなかったのです。)
    B29の爆撃で工場が破壊されても、すでに稼動してないので無意味だったとの説もあるくらいです。
    資源小国であり、そのために開戦をしたのですが、、資源を大事に扱わなかったのです。
    こんな首尾一貫しない態度ではとても近代戦は勝てません。



  8.  工場が稼働してないってホントですか??

     航空機の生産量なんか年を経る毎に増加して、昭和19年が一番多いんです
    けど・・・
    tackow

  9. B29の本格爆撃が始まったのは45年ですので、44年と45年の境頃から不足してきたのではないでしょうか。
    また、アルミはあっても石油がない場合は経戦不能ですので、航空機を生産できても稼動できない場合も多かったのではないでしょうか。

    ちなみに、輸送船は当初の予測より大幅に増産できましたが、消耗はそれ以上だったそうです。
    航空機の増産についてはどの機種がどれくらいかを見ないとなんともいえないのですが、
    前線では確実に不足でした。
    表があれば・・・


  10.  日独共に戦争末期の1944年に兵器生産のピークを迎えています。
     日本の場合、南方航路が途絶した昭和19年(1944年)末にから、燃料、原材料の供給の長期的見通しが立たなくなりますが、燃料不足から航空作戦が中止されることはありませんし、航空機の生産もまた、停止していません。
     昭和20年の生産低下の大きな原因のひとつには主要工場の疎開という問題もあり、直接のB29による被爆による被害は深刻なものではありません。例を上げれば数度の大空襲を受けた中島飛行機武蔵製作所は日本の航空機エンジンの主要工場ですが、終戦までの損害は軽微なものです。B29の航空機生産設備への攻撃がある程度効果を表したのは、終戦直前の一ヶ月程のことです。
    BUN

  11. BUNさんの例示に追加を、、、

    造船業でも鋼材などの不足も生産量減少の一因でしたが、より大きな要因として熟練工の徴兵と
    一般工員の罹災による欠勤(空襲により焼け出された、疎開のための欠勤、焼け跡整理 etc)と
    工場疎開が大きな要因としてあげられます。造船所自体は意外と損害は軽微な例が多いのですが、
    工員が揃わず、就労意欲を失ったため工数が進まなかったとの証言もあります。

    ↑”工員が来れない” 無差別爆撃の本質だと思いますがいかがでしょうか。
    ペンギン

  12. 11>その通りだと思います。

    「東○100年史」より
    東京大空襲直後の○芝○川崎工場の出勤率は40%未満であった。

    白熊

  13. >日独共に戦争末期の1944年に兵器生産のピークを迎えています。

    じゃあ何で1944年夏のノルマンジーでドイツ空軍は現われなかったんですか。
    その「兵器生産のピークで作られた」はずの独軍機は一体どこへ行ったんですか。
    aaa

  14. >13 一次資料の裏付けのないいわゆる「定説」ですが、ドイツでは分散隠匿した工場により飛行機だけは大量に生産されたものの、燃料・搭乗員の欠乏で戦力にはつながらなかったと言われています。また占領後のドイツの写真を見ると、生産最終過程で部品待ちのまま野ざらしにされた飛行機が大量に写されています。連合軍航空兵力による鉄道・港湾・道路網の徹底的な破壊によって流通が滞り、帳面上の生産数と戦闘し得る兵器の実数に食い違いが生じていたのではなかったかと思います。
    ささき

  15. ↑空爆に伴う米英およびドイツの損害状況については様々な数字があって
    僕には何とも言えませんが、少なくとも所謂「暗黒の木曜日」に懲りもせず
    執拗な執拗な対独戦略爆撃を続けた結果、遂に独空軍出撃不能となったんですな。

    aaa


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