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370 昭和19年10月、T攻撃部隊の建制化が実施されましたが、この部隊は終戦まで建制化されたままだっ
たのでしょうか? それとも、捷号作戦のあと解散したのでしょうか?

源五郎

  1.  質問者です。質問したあと、考えてみたのですが、T攻撃部隊の建制化とは、新たに部隊を作るん
    ではなく、建制によってすでに設置されている航空隊に、いままでさまざまな指揮系統にあった特設
    飛行隊をまとめた(762空と801空)ということで、T攻撃部隊という名称は、建制化された時
    点で消滅したんではないかと想像しましたが、どうでしょうか?


    源五郎

  2. レイテ海戦直前の段階での兵力見積りの中に「T部隊100機」とありますから、名称は残っていたのではないでしょうか。作戦後、どの時点を解散と見るのかは私には判断がつきかねます。
    BUN

  3. 本件に関して考察してみましたが、資料不足並びに考察不足のた
    めにこれという結論を得ませんでした。過度な推測や憶測をした
    り、それに基づく推論を結論の如く記すのは厳に慎むべき行為と
    みなされているかのように思いますので、拙い考察過程を記すの
    みとさせていただきます。

    T攻撃部隊(以下T部隊と表記)の建制化といっても、戦時編制
    などに「T攻撃部隊」という名称で加えられたのではなく、七六
    二空に所属していないT部隊編入予定の飛行隊を原隊から除き七
    六二空に編入、T部隊に編入されていない七六二空の飛行隊を除く
    (T部隊の編成は9月25日、建制化は10月3日、七六二空の全
    飛行隊がT部隊に編入予定あるいは編入されたというわけではな
    い)ということがその内容です。もっとも、これによって派出元
    の航空隊が一元化されたわけではなく、依然七六二空以外の航空
    隊から派出される飛行隊がありました。その意味で、完全な建制
    化といえるかどうかやや疑問がありますが、逆に七六二空の軍隊
    区分名としてしてではなく、あくまでも七六二空以外所属の飛行
    隊を併せて編成されることから「T部隊」の名称には意義がある
    ものと思います(単に七六二空だけからなるなら、軍隊区分名称
    は「七六二部隊」としておけば良いわけですから。もっとも、「T
    部隊」の名称は既に第二航空艦隊の戦策にも記されていたので、
    「T部隊」から「七六二部隊」に変更することが躊躇われたかも
    しれませんし、T部隊のその特殊な性格を鑑み当初の軍隊区分名
    称が存置されたのかもしれませんが、推測の域を出ません)。

    上記の「建制化」が行われたあとも、「T部隊」という名称が用い
    られたことは各種資料から明らかで、台湾沖航空戦の際も継続して
    使われています。では、いつまで「T部隊」の名称が使われていた
    かですが、まず10月17日に聯合艦隊によってT部隊は第六基地航
    空部隊から除かれ(聯合艦隊直率)、フィリピン沖海戦中は南九州に
    て戦力回復中に努めます。次いで、11月8日に再度第六基地航空部
    隊に編入され台湾に進出、11月28日に第六基地航空部隊から除か
    れるまでは、その名称が使用されていたと推測いたします。ちなみ
    に、10月の第六基地航空部隊から除かれたのは、七二一空と併せて
    本土方面の邀撃兵力及びマリアナ方面への進攻兵力とする腹案こと
    が背景らしく、12月上旬を七六二空の再建、七二一空の整備の目処
    と考えていた模様です。実際、12月14日には、両航空隊を以って
    第十一航空戦隊が編成されています。もっとも、この第十一航空戦
    隊も、20年2月10日に解隊され、両航空隊とも第五航空艦隊に編
    入されています。

    T部隊が基本的には軍隊区分名であることや、T部隊の編成が聯合
    艦隊の命令作にて発令されていることからして、その編成が解かれ
    る命令が発せられている日時を調べないと厳密にはいつ解散したか
    に関する断定は難しいと思います。ただ、11月28日にT部隊が第
    六基地航空部隊から除かれる時まで、「T部隊」という名称で呼ばれ
    ていたことは確実だと思います。

    一応、手持ちの資料に基づく考察でした。

    今泉 淳

  4. いろいろご教示いただきまして、ありがとうございます。
    元々、11航戦(721空と762空)のことを調べていたんですが、桜花部隊とT攻撃部隊という異な
    った性格(特攻専門と雷撃専門)の部隊が一つの航戦にまとめられたのはなぜかな?というところから
    はじまり、T攻撃部隊という名称に疑問を持ったわけです。
    いまだ、まとめられた訳について自分なりの結論は出ておりませんが、参考にさせていただきます。

    源五郎

  5. ↑これは、当時の関係者の回想等を総合する以外ないですが、手持ちの
    資料から言えることは、T攻撃部隊、七二一航空隊はともに当時として
    は期待を寄せられていた「特殊部隊」という位置付けでは共通します。
    戦時編制の改定のための軍令部総長の奏上にも「以上ノ之等ノ航空隊(
    注:七二一空と七六二空)ハ逐次拡張充実セラレマシテ加フルニ其ノ内
    容用法ノ特殊複雑性等ニモ鑑ミマシテ此ノ際両航空隊ヲ以チマシテ第十一
    航空戦隊ヲ編成シ」などとあって、奏上が事実をそのまま語っているか
    という部分はあるにせよ、当時の認識を垣間見ることができようかと思い
    ます。

    悪天候下もしくは夜間の雷撃と、桜花の体当たり攻撃とでは、確かに違い
    はありますが、その特殊性は他の航空部隊に比べて抜きん出ているわけで、
    これらをして、本来はマリアナ及び本土方面の作戦に充てるつもりではあ
    ったものの、比島方面の航空兵力増強の要望に答えるために、両航空隊を
    以って第十一航空戦隊が12月20日に編成されたもの、と小生は見ており
    ます、

    もっとも、そのために桜花を輸送する必要が生じ、マニラへ桜花を輸送中
    の空母「雲龍」は米潜水艦の雷撃を受けて沈没、それを受けて空母「龍鳳」
    が桜花を台湾へ輸送することに変更されこれは成功しましたが、比島方面の
    戦況悪化のため神雷部隊は結局投入されることなく終わったことは、周知の
    事実化と思います。

    今泉 淳

  6. >「以上ノ之等ノ航空隊(注:七二一空と七六二空)ハ逐次拡張充実セラレマシテ加フルニ其ノ内容
    >用法ノ特殊複雑性等ニモ鑑ミマシテ此ノ際両航空隊ヲ以チマシテ第十一航空戦隊ヲ編成シ」

    という奏上文だったんですね。私が見た奏上文は省略されており、
    「七二一空の桜花隊の練度も順調に進みまして、近く作戦地に進出可能の見込みでございますが……
    七二一、七六二両航空隊をもちまして十一航空戦隊を編成し、且つこれを聯合艦隊に編入……」
    となっていたんで、判りませんでした。詳しくは戦史叢書にでも記載されているんでしょうか?

    源五郎

  7. ↑そうです。戦史叢書「大本営海軍部・聯合艦隊<7>」に掲載されています。

    今泉 淳

  8. 出典教示、ありがとうございます。さっそく図書館で見てみます。
    源五郎


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