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537 昭和16年12月の開戦の時点で、日本側は「ここまで行けば終戦/講和」と云う目標や、講和に進むにあたっての手順など、いくさを終える時の構想をどのように考えていたのでしょうか?
MB

  1. こんなのみつけましたけれども。http://homepage1.nifty.com/SENSHI/book/objection/6S_NERAI.htm

    西国人T

  2. 外交関係がこじれ、アメリカが日本をナチスドイツ同様と定義し日本の徹底打倒、天皇制(国体)解体をも匂わしているような状態で、日本としてはこうしたアメリカの戦争意図を挫き、できるだけ早急に講和交渉に持ちこむことが政府及び軍部通しての目標だったと思いますが。例えば、41年12月〜42年初めにかけて、日本が太平洋で優勢だった頃にアメリカが対日戦争の継続を放棄し、講和交渉のテーブルにつく状況になったとしたら、その時のパワー・バランスを背景にして両国間の勢力範囲の取り決め、外交問題の処理を含む講和交渉が行われていたでしょう。
    もちろん、実際はそのようにはならず、アメリカは日本打倒という極めて妥協を許さない明確過ぎるほどの方針の下、対日反撃を行ったわけであり、日本としては、兵力集中による決戦で一応の勝利を収めることによりアメリカの戦争継続意欲をくじき、その時点で自国にできるだけ有利な講和条件を引き出せる交渉を行おうと考えていたわけです。実際は、日本の思うようにならず、ジリ貧化していくわけですが。
    ちなみに、両戦争当事国が互いに敵国の徹底打倒、政権・体制解体及び自国体制による占領支配という明確過ぎる方針を持っていたからこそ、双方の間の利害関係のギャップが大きすぎて講和交渉などできない、莫大な犠牲を出してでも徹底抗戦継続となってしまったのが独ソ戦だったと思いますけど。
    アリエフ

  3. 補足:戦争は開戦よりも終戦のための和平交渉を行うことの方が余程難しいのです。一旦、和平が成立しても、両国間の紛争発生により戦争が再発することもよくある話。第二次大戦後の中東戦争であれば、米ソ両超大国がアラブ・イスラエル間の和平交渉を行う上での仲介役を果たすわけだが(両超大国とも戦争の拡大を望まないという事情もある)、第二次大戦の場合には、列強が全て戦争当事国であるため、和平交渉の仲介役を果たしてくれる実力のある国が見当たらない。日本は、対米講和交渉の仲介役としてソ連に頼もうとしたが、ソ連は本気で対応しなかった。第二次大戦が長期間の総力戦となったのは、こうした事情もある。
    アリエフ

  4. 質問者です。
    あるめさん、西国人Tさん、アリエフさん、お答えありがとうござます。
    西国人Tさんのお教え下さったお話、興味深く拝読いたしました。質問は、ふとしたことで日露のいくさと太平洋のいくさを比較して、日露は終始綱渡り的であっても、それなりに最後まで用意周到な印象があり、それに比べると太平洋はあるめさんのおっしゃるような印象を私も感じていたからなのです。ですが、アリエフさんの書かれた通り、明治のいくさでは直接的には文字通り日露だけの衝突だったのに対し、昭和のいくさは世界各国ともに直接当事者になっているのですから、ふたつの戦争を比較するのも無理が有ると反省した次第です。それにしても、いったん抜刀してしまったら、刃をおさめるのは難しいことですね。
    MB


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