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552 第一次大戦中に日本が地中海に派遣した第二特務艦隊は一体何処から何処までの航路を航行する輸送船を護衛していたのでしょうか?
あと、地中海の連合国とドイツの海軍の戦力はどの程度だったのでしょうか?
涼月

  1. ・・・当然、墺国軍はドイツ軍の僕ではないのだから、ここで言う戦力には含まれないのだな?もっとも、墺国軍は確かに『ドイツの海軍』ではあるのだが。
    ナゾの人

  2. 戦力などの詳細は記載がないかもしれませんが、最近出た単行本、「日本海軍地中海遠征記 ─若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦」(片岡覚太郎著、河出書房新社)は一読されてみるのもよろしいかと思います。長らく知りたかったその地中海での日々を、本書でようやく読むことができました。ちなみに序文は阿川弘之、編/解説はC. W. ニコルの両氏です。
    MB

  3. 少し調べてみたのでが、マルタを基地にして行動していた程度しかわかりませんでした。
    文献としては
    『日本海軍地中海遠征秘録』(桜田久編/産経新聞ニュースサービス・一九〇五円)
    という本も出ているようです。
    指揮官佐藤少将の手記が元になってるそうですので、なにか手がかりがあるかもしれません。

    余談
    調べている最中に「あたらしい歴史教科書」中に第二特務艦隊に関して捏造?された記述があるとの記事を掲載したページを見つけました。
    http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/malta.html
    たしかに大破した駆逐艦はあったような記憶はありますが、撃沈された駆逐艦はなかったような気がします。

    SAW


  4. 「日本海軍史」第二巻 通史第三編によりますと、第二特務艦隊(司令官佐藤皐
    蔵少将)は大正六年二月七日、明石、第十駆逐隊、第十一駆逐隊をもって編成、
    二月中旬以降内地にあった部隊はシンガポールを経由(三月十一日同地出発)し、
    四月十三日マルタに到着しています。

    第二特務艦隊が地中海方面に到着した当時、仏・伊艦隊がアドリア海を、英・
    仏艦隊がダーダネルス海峡封鎖任務についていたため、第二特務艦隊は、マル
    タ経由アレキサンドリア・マルセーユ間、アレキサンドリア・タラント間、マ
    ルタ・サロニカ間の輸送船の直接護衛を行ったとされます。

    第二特務艦隊到着当時の同盟国側の潜水艦総数は四十八隻であるとされていま
    すが、これ以上は同書に記載するところがなく、詳細を知り得ません。

    なお、参考までに「海軍制度沿革」による同艦隊の編制を示します。

    大正六年六月二〇日
    第二特務艦隊
    出雲(六月二〇日編入)、明石(二月七日編入、一一月四日解除)
    第十駆逐隊(桂、楓、梅、楠、本籍佐世保、二月七日編入、大正七年四月一日に第二十二駆逐隊と改称、本籍佐世保)、
    第十一駆逐隊(榊、柏、松、杉、本籍佐世保、二月七日編入、大正七年四月一日に第二十三駆逐隊と改称、本籍佐世保)、
    第十五駆逐隊(桃、樫、檜、柳、六月一日編入、大正七年四月一日に第二十四駆逐隊と改称、本籍佐世保)

    大正七年一二月一日
    第二特務艦隊
    出雲、日進(一一月一六日編入)
    第二十二駆逐隊(桂、楓、梅、楠)
    第二十三駆逐隊(榊、柏、松、杉)、
    第二十四駆逐隊(桃、柳、樫、檜)

    大正八年六月一日
    第二特務艦隊
    出雲(七月二〇日解除)、日進(七月一六日解除)
    第二十二駆逐隊(桂、楓、梅、楠、七月二〇日解除)、
    第二十三駆逐隊(榊、柏、松、杉、七月二〇日解除)、
    第二十四駆逐隊(桃、柳、樫、檜、七月二〇日解除)、
    八月九日編制廃止

    なお、同書には、東京、西京、栴檀、橄欖の記載はありませんが、これは正式
    に編制に加えられたわけではなかったことを意味するものと考えます。

    蛇足ながら、

    第二特務艦隊 司令官
    少将 佐藤皐蔵 大正六年二月七日〜大正八年七月二十日
    欠 大正八年七月二十日〜大正八年八月九日

    以上、「日本陸海軍総合事典」より。

    今泉 淳

  5. >ナゾの方
     だめですよ堅気の人に(笑)。
    大名死亡

  6. 返事がすっかり遅れてしまいました。
    皆さんありがとうございます。

    >5
    言われると嬉しいようななんというか・・・(爆)
    涼月


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