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599 ハワイ海戦での航空機の編成(第一次攻撃隊の雷撃隊は何機だ。とかいう意味です)をどなたか教えてください。宜しくお願いします。

南雲ファン

  1. モデルアート臨時増刊No.378「真珠湾攻撃隊」P150とP164によると下記です。
    第一次攻撃隊 九七艦攻(水平爆撃)計49機、九七艦攻(雷撃)計40機、
           九九艦爆 計51機、零戦 計43機   総計183機
    第二次攻撃隊 九七艦攻(水平爆撃)計54機、九九艦爆 計81機、
           零戦 計36機   総計171機
    どの空母からそれぞれ何機出撃したかも記されています。改訂版が出ていますが、
    私は持っていませんので上記数値が変わっているかどうかは知りません。


    KI−100

  2.  http://www5a.biglobe.ne.jp/~nkgw/history43.htm
    ↑ こちらなどはいかがでしょうか。

    Take

  3. どうもありがとう御座いました。
    南雲ファン

  4. 源田実の「真珠湾作戦回顧録」によれば、
    第一次攻撃隊
    第一集団
    第一攻撃隊 淵田中佐指揮 97式艦攻 15機 800kg爆弾
    第二攻撃隊 加賀飛行隊長指揮 97式艦攻 15機 800kg爆弾
    第三攻撃隊 蒼竜分隊長指揮 97式艦攻 10機 800kg爆弾
    第四攻撃隊 赤城飛行隊長指揮 97式艦攻 10機 800kg爆弾
    特第一攻撃隊 赤城飛行隊長指揮 97式艦攻 12機 91式航空魚雷改二
    特第二攻撃隊 加賀分隊長指揮 97式艦攻 12機 91式航空魚雷改二
    特第三攻撃隊 蒼竜分隊長指揮 97式艦攻 8機 91式航空魚雷改二
    特第四攻撃隊 飛竜分隊長指揮 97式艦攻 8機 91式航空魚雷改二
    第二集団
    第十五攻撃隊 翔鶴飛行隊長指揮 99式艦爆 27機 250kg陸用爆弾
    第十六攻撃隊 瑞鶴分隊長指揮 99式艦爆 27機 250kg陸用爆弾
    第三集団
    第一制空隊 赤城飛行隊長指揮 零戦 9機
    第二制空隊 加賀分隊長指揮 零戦 9機
    第三制空隊 蒼竜分隊長指揮 零戦 9機
    第四制空隊 飛竜分隊長指揮 零戦 6機
    第五制空隊 瑞鶴分隊長指揮 零戦 6機
    第六制空隊 翔鶴分隊長指揮 零戦 6機
    第二次攻撃隊
    第一集団
    第六攻撃隊 嶋崎少佐指揮 97式艦攻 27機 250kg,60kg爆弾各1
    第五攻撃隊 翔鶴飛行隊長指揮 97式艦攻 27機 250kg,60kg爆弾各1
    第二集団
    第十三攻撃隊 蒼竜飛行隊長指揮 99式艦爆 18機 250kg通常爆弾
    第十四攻撃隊 飛竜分隊長指揮 99式艦爆 18機 250kg通常爆弾
    第十一攻撃隊 赤城分隊長指揮 99式艦爆 18機 250kg通常爆弾
    第十二攻撃隊 加賀分隊長指揮 99式艦爆 18機 250kg通常爆弾
    第三集団
    第一制空隊 赤城分隊長指揮 零戦 9機
    第二制空隊 加賀分隊長指揮 零戦 9機
    第三制空隊 蒼竜分隊長指揮 零戦 9機
    第四制空隊 飛竜分隊長指揮 零戦 9機
    Vinegar-Joe

  5. >第四攻撃隊 赤城飛行隊長指揮 97式艦攻 10機 800kg爆弾

    第四攻撃隊ですから、赤城じゃなくて飛龍でしょう。よって「飛龍飛行隊長」
    の誤りです。「真珠湾作戦回顧録」(読売新聞社)にはきちんと書いてありま
    すので、写すときのミスでしょう。あるいは、文庫版にはそう書いてあったで
    しょうか。

    >第五制空隊 瑞鶴分隊長指揮 零戦 6機
    >第六制空隊 翔鶴分隊長指揮 零戦 6機

    これは、第五制空隊が翔鶴で、第六制空隊が瑞鶴です。これは、源田の記述
    のほうが間違っています。

    >第六攻撃隊 嶋崎少佐指揮 97式艦攻 27機 250kg,60kg爆弾各1
    >第五攻撃隊 翔鶴飛行隊長指揮 97式艦攻 27機 250kg,60kg爆弾各1

    源田はそう書いていますが、当時翔鶴艦攻隊に飛行隊長の配員はありませ
    んでしたので、第五攻撃隊の指揮官は「翔鶴分隊長」でしょう。これも、
    田の記述が間違っていると考えられます。

    >第十二攻撃隊 加賀分隊長指揮 99式艦爆 18機 250kg通常爆弾

    加賀の艦爆は27機ですね。源田は正しく書いていますので、写し間違いかと
    思います。

    もっとも、これらは予定していた飛行機隊の編制であって、故障などのため
    出撃できなかった飛行機があったので、当日参加した機数とは必ずしも一致
    しないことは言うまでもありません。
    今泉 淳

  6. >んでしたので、第五攻撃隊の指揮官は「翔鶴分隊長」でしょう。これも、
    >田の記述が間違っていると考えられます。

    二行目の冒頭、「源」が抜けていました。H.H.Keyboardに慣れぬもので、
    失礼いたしました。
    今泉 淳

  7. 間違いが多くてすみません。ねむかったものですから。
    Vinegar-Joe

  8. >5
    そうそう加賀の艦爆はヒトカップ湾への途上、
    着艦時に高野兵曹が壊して
    真珠湾攻撃時には26機になっていますねえ。
    予備機、補用機は無かったらしい。
    ななし

  9. >加賀の艦爆はヒトカップ湾への途上、着艦時に高野兵曹が壊して

     便乗質問で申し訳ありませんが、確かに山川新作氏の「空母艦爆隊」にご指摘のようなことが書かれています。
     もし、ななしさんの情報源が前掲書でなく別にお持ちだとするなら、高野兵曹とは乙飛7期の高野秀雄一飛曹のことでしょうか。
     だとすれば、その高野さんは清水飛曹長とのペアで12月8日に出撃(配置は3中隊29小隊長機)しておられますが、そうなるとどのペアが待機に回ったのでしょうか。
     当時、加賀には待機組として山口(改姓後若林)利七一飛(操)、岩政将雄三飛曹(偵)のペアがあったことが山口さんの回想から推測されますが、ほかにも待機組があったのでしょうか。もしご存知ならお教え願えませんでしょうか。
    土屋二飛曹


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