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627 初めて投稿します。
江戸時代の藩で、○○藩とありますがあれはどのような基準なのでしょうか。

HI

  1. 名付け方ということでです。
    HI

  2. ただ単にそこの地名では?
    例えば我らが埼玉には、忍(おし)藩、川越藩、後もう一つなんかありますがどっちも今も残る地名です。
    紅葉饅頭

  3. 江戸時代の一万石以上の所領を持つ大名の所領支配の組織・機構のことを通常藩と称し、その政庁の置かれた地名を以って通常称しますが、国一国を有する大藩の場合は長州藩等とよぶこともあります。ただ江戸時代において○○藩と言う呼称が正式に使われたことはなく、明治維新から廃藩置県の期間のみ正式な政治区分の名称として使われました。従って江戸期においての正式な呼称と言うのは存在せず、後期になって大名の改易や移封がなくなると、毛利藩というような大名家の名前により呼ぶ方法も広く行われています。
    山奥の人

  4.  ここでは珍しい話題ですね。ではここらしく、重箱の隅をつついた
    ような(笑)例をひとつ。
     江戸町奉行・大岡忠相は晩年になって、本来大名が務める寺社奉行
    を拝命しましたが、のち加増されて1万石の大名となりました。加増
    に加増を重ねたため、領地が3ヶ所に散らばる変則的な藩となり、し
    かも官僚として出世した家であることから、藩主は定府(参勤交代せ
    ず常に江戸にいる)でした。
     この藩の陣屋は三河の西大平(いまの岡崎市の一部)にいちおう設け
    られたので、その地名を取って藩も西大平藩と呼ばれています。

    マイソフ

  5. 補足というか本筋から外れた与太レス
    >1万石
    これが直参と大名の分かれ目扱いになったため実は徳川(松平)に何の縁もない家まで旗本あつかいになってます。
    (野州豪族?とか竹中半兵衛の子孫とか(戊申戦争で陸軍奉行かな?役目上抵抗、陣屋を焼かれる)、没落(改易された)した外様大名家とか、今川氏の子孫とかetc.)
    交代寄合?という参勤交代をした旗本とかもこの類の者が多いようです。
    (全部ではないです。役目柄、大名家と張り合わせる必要のある家とかも中にはあったので)

    岩国藩は本家の毛利が認めなかったので第二次長州征伐まで大名扱いでなかったような話も聞きます。(小説「花臣」参照)
    部外者

  6. >第二次長州征伐まで大名扱いでなかった
     正式に吉川家が諸侯に列せられるのは、第二次長州征伐の翌々年・明治元年(1868年)ですね。七卿落ち(1863年)の頃から、「大名昇格を条件に毛利宗家に協力する」という約束はできていたようですが。
    ノースバーグ

  7. >大名扱いでなかった
    でもこれって有る意味おいしいことですね。
    蔵屋敷とか諸侯が持つ物ほとんど有ったようですが参勤交代不要。よく考えると直参でなく陪臣だから江戸に入る必要も直接の使役もないでしょうし。(誇りの問題は別)

    参勤交代がつらくて交代寄合から外して貰った旗本も居たそうですから。
    部外者


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