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657  私の友人の御祖父方のお話なのですが、その方は高崎十五連隊に狙撃兵として
おられ、パラオ諸島に派遣され生還された方なのですが、その方のお話では
仲間はほとんど戦死し、数度に渡って輸送船で脱出をしたが、先にいった船は
撃沈され、後発の自分達は生き残れた。との事なのですが、「パラオ諸島にいた」
というだけで、詳しく何島におられたのか、実際このような脱出劇?はあったのか
又は、もしやペリリュー島の話なのかわかりません。どなたかパラオ戦に詳しい方
いらっしゃらないでしょうか?
はにまる

  1. パラオ戦において歩兵第十五連隊(高崎)の主力はパラオ島に配置されていましたが、第三大隊(千明武久大尉)はペリリュー守備隊(歩兵第二連隊基幹)の指揮下に入りペリリュー島に配置されています。また、ペリリュー島への米軍の攻撃開始後、第二大隊(飯田義栄少佐)が増援の為、パラオ島からペリリュー島へ逆上陸を実施しています。このため、この両大隊はペリリュー島で壊滅しています。
    なので、その狙撃兵の方はパラオ島に残った部隊(おそらく第一大隊)に所属しておられたのだろうと思われます。
    パラオ島には米軍は上陸しませんでしたが、終戦まで補給は断たれていたと思います。パラオ島の部隊が脱出を図ったかどうかは不勉強なため分かりかねます。

    TETSU29

  2.  ご回答有難うございます。補足いたします。
    1 極度の食料不足に悩まされた事、本人はありったけの食料を木の下に埋め、昼間は樹上で過ごし、夜間になり下に降りて食事などをした事もある。
    2 狙撃兵なのでしんがりを務め、仲間達は先に脱出し(輸送船かどうか不明)
     心配して待っていてくれた隊長と共に、後発の部隊と共に出航した。これが運命の分かれ道となり、先発組は潜水艦に撃沈された。(戦時中なのか終戦直後なのか不明)
    もし終戦直後なのだとしたら、米潜水艦の独断専行なのか?
    3 仲間は自分の周りで、母親や恋人の名を叫び、号泣しながら次々に死んでいった。自分は必死で逃げた。
    4 今でも庭木いじり等をしながら、見つけたイモ虫等を「栄養があるぞ」と食べていらっしゃる。(どんな地獄を味わわれたのか) 
    はにまる

  3.  すみません、かなり昔に聞いた話なので、私の記憶も曖昧なのかもしれません。
    パラオ本島に残られた第一大隊の戦記などは、どなたかご存知ありませんか。 
    はにまる


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