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658 日本の対オランダ戦争について質問です。

そもそも、昭和16年夏の段階でオランダはドイツに降伏していたのに、仏印進駐のように蘭印に平和進駐ができなかったのは何故でしょう。植民地総督府が亡命政権の方についたから?スラバヤ沖でのオランダ艦隊や地上軍も亡命政権の指揮下にあったのでしょうか?日本はオランダには宣戦布告していたのでしょうか?

質問が多くてすみません。初歩的な質問かもしれませんが、よろしくお願いします。
七四野

  1. まず、オランダはドイツの「占領下」にあるのであり、抵抗を諦めて降伏したのは軍であって政府ではなく、フランスとは違って「ドイツに協力する現地政府」は存在しません。
    オランダは王国であり、現国王たるウィルヘルミナ女王がドイツに敵対する意志を持って英国にに頑張っている以上、これを廃立するわけにもいかないわけです。
    もちろん、オランダ人自身にオランダ憲法上の手続きを踏ませて合法的に王制を廃止・・・なんてことができるわけもありません(^^;)
    従って、全軍が降伏し全土が占領下にあっても、オランダ王国の政府はただひとつ英国に亡命している女王の率いる政権のみということになり、それは有効に存続しているわけですから、蘭印総督府が従うべきはそれしかありません。

    一応、オランダ王国はウィルヘルミナ女王の名において1941年12月8日に対日宣戦布告をしていますが、この時点で日本はまだ対オランダ宣戦には踏み切っておらず、国際法上は『オランダが日本に戦争を仕掛けた』かたちになっています。
    もちろん、これは米英の対日宣戦と歩調を合わせたものであり、この戦争における日本の戦略目的の主たる部分が蘭印占領にあることや、亡命政権は英国と同盟国という以上に不可分の状態にあること、また極東方面植民地の地政学的条件及び配備兵力から見ても妥当かつ至当な判断といえるでしょう。
    これにより、蘭印総督府と植民地駐留軍は米英軍と協力して日本軍の侵攻にあたることになります。

    ただ、もともとオランダ領東インドは東インド会社の昔から独立採算を旨とし本国に対しても自主独往の気風が強いところでもあり、またそれは本国の意図するところでもありました。いわば蘭印はオランダを盟主とする『連邦』であり、英連邦時代の南アやニュージーランド、オーストラリアのような、常に本国に協力する同盟国に極めて近いものとして捉えるべきでしょう。
    蘭印の陸軍及び空軍は蘭印総督府および蘭印軍司令部の策定した計画のもとに蘭印自身の予算で賄われ、本国参謀本部ではなく蘭印参謀部が独自に立てた年度作戦計画によって運用される、本国軍とは半ば独立した軍隊でもあります。
    海軍の東インド艦隊は本国海軍軍令部の直轄部隊ではありましたが、ドイツの本国占領以来事実上独立部隊化しており、開戦前からABDA艦隊結成の計画がありましたし、潜水艦戦隊は英海軍の指揮下に入っていました。
    実戦でも蘭印軍は本国(というか亡命政府)からの指導はまったく受けていません。あくまで蘭印軍司令部が最高司令部であり、地上軍と空軍の最高責任者はテル=ポーテンであり、海軍はドールマンで、蘭印防衛の最終責任はチャルダー総督にありました。
    総督府の自主的判断で無血開城という選択肢も取ることは可能だったでしょう。

    米軍の作戦計画によれば日本が蘭印を直撃して米英の植民地に一指も触れなかった場合、蘭印は一時的にもせよ見捨てられる可能性がありました。

    ただ、日本側としては潜在的脅威としてフィリピンとシンガポールの存在はあまりに剣呑ですから、これを無視するというわけにはいかなかったでしょうが。
    まなかじ

  2. まなかじさん、素人質問に長文のご回答ありがとうございました。なるほど、オランダにはヴィシー政権にあたる親独政権は存在しなかったのですね。この点を知らず、馬鹿な質問をしてしまいました。
    七四野


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