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691 ジム・ショート著「闇の特殊戦闘員」(講談社刊)の73ページに以下のような記述があります(まんま転載マズイかな)。

「フランス領インドシナでは第二次大戦末期の1945年には、対日戦のため訓練したベトナム軍が手をつけられないほどになり、イギリスは戦争中にもかかわらず、捕虜となった日本陸軍を再武装させて鎮圧にあたらせたのだ。」

これは私は初耳なのですが、こういった事実はあったのでしょうか?

satoski

  1.  フランス領インドシナは1945年8月の敗戦まで実質的には日本の支配下にありました。1945年春、日本はフランス領インドシナを解体し、バオダイのベトナム、シアヌークのカンボジア、シーサワンオンのラオスの三国の独立を認めましたが、実質的には日本の傀儡政権でした。この中でベトナムでは反仏反日のベトミンが大飢饉の中で日本軍からの食料奪還をスローガンに大きな勢力を持ち、日本の敗戦によってバオダイ政権は倒れベトミンが権力を握ります(その後復帰したフランスとのあいだでインドシナ戦争が始まるわけです。)
     こういう状態ですから、敗戦前にイギリスがフランス領インドシナを支配したことはなく、イギリスがインドシナの治安にかかわることは考えられません(治安を混乱させるための反日運動への援助はあったでしょうが)。
     ただし、敗戦後ベトナムやインドネシアなどで、捕虜にした日本兵を再武装させ独立運動の鎮圧に使用したという事実はあります。
     この作者の方は戦中と戦後を混同されているのではないでしょうか。
    カンタニャック

  2. 日本語訳があまりうまくありませんね。ことによると「誤訳」かも知れません。
    カンタニャック

  3. レスありがとうございます。
    確かに誤訳の可能性は否定できないかもしれません。
    同書の、他の訳文もあまり出来がよくないですし。
    なんといっても「スペツナズ」を「スペチナゼ」ですから。
    何だよ?それ?(笑
    satoski

  4.  カンタニャックさんの後に、記憶モードで書くのも気が引けるのですが。
     
     「戦後そのように再武装をさされて欧米国軍のために対独立軍戦線に駆り出された元日本兵の中には、逆に独立軍に身を投じて独立戦のために戦った兵士もいた」と、何かの戦記で読んだ憶えがあります。そして、そのまま現地に永住された方ゝが恐らく現在も現地で生活されているのでしょう。
    roht

  5. 会社で書き込みなので記憶モードで書きます。
    戦後ベトナムに残った兵士の話が石川文洋さんの本、戦場カメラマンにでています。
    やはり第1次インドシナ戦争ではベトミンに加わって戦っていたそうですね。
    おかげでサイゴン陥落時もかつての同志が北にもいるだろうということで若干安心していたと書いてあります。
    1975年当時、南ベトナム側に在住していた元日本兵の方々は50人前後だったそうです。
    ですが戦後、統一ベトナム政府の要請でみな日本に妻子共々帰国されたそうですね。
    P-kun

  6. P-kunさん 有難う御座います。

    8>ベトナムで南北に分かれて戦っておられたとは存じませんでした。またそんなにも多くの方が戦後30年も経って帰国されたのも存じませんでした。

    roht

  7. ああ、rohtさんすいません。
    どうも書き方がまずかったというか午前4時という時間に仕事しながらかくもんじゃないっすね(^^;;
    ええと、第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争)では日本兵の方が南北に分かれて戦ったことはないと思います。
    かつての同志というのは、かつてベトミンに加わって戦っていた時のベトナム人の同志のことです。
    ですんで陥落後の生活は多少ですが楽観していたそうです。
    のでサイゴン陥落で早々と降伏声明が出たせいで市街戦とならずほっとしたそうです。
    言葉足らずですいません(^^;;
    P-kun

  8. rohtさん、P-kunさん。
     お二人のお話に異を唱えるつもりはまったくありません。

     東南アジアで降伏した日本軍のかなりの部分は、武装解除されるまで連合軍の指示に従い現地の治安維持にあたりました。その際、現地の独立勢力に武器を渡したり、連合軍の治安維持命令に消極的抵抗をおこなった例もいくつかあることは存じております。他方、連合軍の指示に従い治安維持、つまり植民地独立運動の抑圧をおこなったケースも存在します。私は後者の行為を非難するつもりはありません。連合国との関係で言えば、降伏義務を真摯に実行していただけですから。連合国の命令に従うにしろ、サボタージュするにしろ、難しい状況での、苦渋の選択であったでしょう。

     ただ、一つだけ、気になるのは、敗戦後独立運動に投じた個人の話や、連合国の命令実行を遅らせ独立派を助けたといった話のみが声高に語られ、昨日まで「鬼畜米英を倒しアジアの独立を実現する」といっていたのが、手のひらを返すように「連合国の命令により独立運動の集会やデモは禁止。」する日本軍の存在が無視されているのではと思えることです。

     お二人はこのような事情をご存じの上で、私が「独立運動を弾圧する日本軍」だけを語っているのを、それはそれで一方的だとフォローして下さったのですね。ありがとうございました。
    カンタニャック

  9. 終戦時インドネシアにいた父の話では、ゲリラの活動がはげしくなったため、
    再武装なしに俘虜収容所から出されて、収容所の外の連合軍宿舎に日本軍が
    はいり、代わりに収容所内を要塞化してそこに連合軍が入ったそうです。
    外側に日本軍がいるためにゲリラの攻撃は収まったとのこと。
    また、武装解除以前に隠匿した武器の隠匿場所をゲリラに通知して
    ゲリラ側の武装化を間接援助したそうです。
    wittmann

  10. 8>カンタニャックさん。

    「戦後そのように再武装をさされて欧米国軍のために対独立軍戦線に駆り出された元日本兵の 『中には』 、逆に独立軍に身を投じて独立戦のために戦った兵士『もいた』 」と言う事なのですが???
    roht

  11. 大槻重之氏のインドネシアに関する総括的なサイト
    http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/index.html の
    http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page031.html#319
    あたりが、敗戦後の日本軍とインドネシアの複雑な関係を示しています。

    http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page029.html#359 
    は、インドネシア義勇兵になった日本兵のケース。
    引用元の信憑性についての細かなチェックまではなさっていないようですが、大変な労作です。

     以上インドネシアの例をあげましたが、インドネシアはやや特殊で、他の占領地域の日本軍は、もっと素直に連合軍の命令にしたがっています。
    カンタニャック


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