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692 関が原の戦いで西軍から東軍に寝返った小早川秀秋、脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保の5人のうち小早川と脇坂の二人は加増移封されたのですが残りの3人は所領を没収されているのは何故なのでしょうか?「寝返った武将だから信用できない」と言うのであれば前述の二人の加増とは矛盾すると思うのですが?
ポトリオット

  1. 小早川が加増、脇坂と朽木が所領安堵だったと思います。
    小早川、脇坂、朽木は事前に東軍に寝返りを約してましたが、小川と赤座は事前連絡無しにその場の成り行きで裏切ったもので、その差だと聞きました。
    をぐに

  2. 朽木元綱は2万石から一万石弱に減禄されています。所領没収に至らなかった理由はわかりませんが、憶測モードでいえば、近江源氏(佐々木氏)の一門の名族だったからかも知れません。
    カンタニャック

  3. ↑減禄は事実ですが、朽木家の家譜には「所領安堵」と記載されているそうです。また、事前連絡の有無ははっきりしないようですね。
    カンタニャック

  4. そもそも?「寝返った武将だから信用できない」
    とかいう視点が、問題を分りにくくしていませんか?
    東西とも大半の武将が、日和見のスタンスで布陣していたのが現実だと思います。
    家康も三成も、より多くの武将が自軍に加わるように、特に大身の武将へは多大な恩賞を提示して裏工作を試みています。
    合戦は、特に小早川秀秋の寝返りが戦術的にも、政治的にも大きく、東軍勝利に貢献しました。(脇坂安治の功は失念)
    そして、殆どの西軍諸将と、徳川家にとって益少ないと判断された(未参戦及び中途寝返り含む)武将は、リストラされました。
    つまり加増は軍功ではなく、豊臣の世から徳川の世に移行する時期の・・・
    政治的影響を主に決められたとみるべきです。
    この段階では、双方とも「(豊臣)秀頼様の御為に」という主張下での合戦であり・・
    加増・減俸ともに、豊臣家の名分で発表されているのです。

    sinn


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