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693  太平洋戦争初期、アメリカはヨーロッパ方面を第一としており、海軍も戦前から、開戦からしばらく経って艦隊戦力や補助艦が充実してから攻勢にでる、と想定していたように記憶しています。
 となると、在比米軍の救援はどうするつもりだったんでしょう?まさか、見捨てるつもりだったんでしょうか?
ウグイス

  1. 「オレンジ計画」(エドワード・ミラー著、新潮社)を読むと、この辺の経緯がよくわかります。アメリカの太平洋・対日戦略策定において、フィリピン救援問題が常に最大の議論の種であり、日本の信託統治領である南洋諸島を突っ切ってフィリピンを救援すべきとする突進派と、一旦フィリピンからは撤退し足場を固めた上で反撃に出るべきであるとする慎重派との対立の歴史でもあります。
    39年頃からヨーロッパにおけるドイツの勢力拡大を目の当たりにし、大西洋方面にも艦隊勢力を展開させる必要が強まったため、太平洋の艦隊戦力は不足気味で突進作戦(「通し切符」戦略)は難しくなり、防衛的な作戦を取らざるを得ない状況でした。もちろん、マッカーサー始めフィリピン救援を強く望む声も、軍や政府部内に多かったのではあるが。
    アリエフ

  2. 米軍の作戦計画は当初フィリピン放棄の方針でしたが、急遽方針転換し、フィリピン防衛を計画に含むようになります。防衛の根幹を成すのは日本の侵攻艦隊、船団を邀撃、撃破できる航空戦力として配備されるB17です。もし開戦時にB17を始め、予定された戦力が到着、展開していればフィリピン攻略は日本にとってかなりの難題となっていたことでしょう。
    BUN

  3. お二人方、レスありがとうございます。やはりアメリカもかなり悩んでいたんですね。

    2>重箱の隅をつつくような質問ですが・・・計画が変更された経緯とはどのようなことからなのでしょうか?また、増援部隊は本来ならばいつごろ到着する予定だったのでしょうか?
    ウグイス

  4.  ワシントン条約の西太平洋諸島の非要塞化条項以来二十年、フィリピンは「守れない」と考えられていましたが、41年7月に現役復帰したマッカーサーの楽観主義とB-17の成功によって大転換することになります。
     防備を固める期間は大体42年春まで、と考えられ、それまでは外交によって時間を稼ぐことが求められていました。こちらは出来るだけ早い開戦が有利と考えていたのと比べると、二人の気持ちはすれちがっています(笑)。
    バツ

  5.  B-17は100機ほど欲しかったようです(35機で開戦)。
    バツ

  6. >BUNさん
    素人質問ですが、Bー17はそういう・・・・えー、対艦攻撃もできるつくりになってたんですか?
    疫病神

  7. >2,B17を始めとする予定された戦力というのは、映画「パールハーバー」にでてきた本土からのB−17云々のことなんでしょうか?
    BISTA

  8. >6 そうです。実際に効果が期待できたであろう事はミッドウェーの戦訓所見で急降下爆撃機は怖くはないが、何を置いてもB17への対抗手段を採らねばならないという内容があることからも想像できるでしょう。対抗不能と判断されているのです。その後、機動部隊はB17の行動圏内には行動できないとの見通しを日本海軍は持つようになります。B17の存在によって変更された大きな作戦もあれば、その為に改良された機体、兵器もあります。

    >7 真珠湾で炎上したB17はフィリピン向けの増援機です。
    BUN

  9. >素人質問ですが、Bー17はそういう・・・・えー、対艦攻撃もできるつくりになってたんですか?
     ビリー・ミッチェルが1920年代から爆撃機で軍艦を攻撃する実験を繰り返していましたからね。
    アメリカ陸軍としてはかなりの成算があると思っていたのではないでしょうか?
    結果論で言えば、ノルデン式を初めとする爆撃照準器に過大な期待を掛けていた気もしますが。


    便利少尉

  10.  米海軍にはアジア艦隊の潜水艦部隊によって積極的な作戦行動を行うことにより、必要とされる
    救援兵力の到達まで敵の侵攻を遅らせる、という明確な防衛作戦の方針がありました。実際1941年12月の
    時点で太平洋艦隊の22隻に対してアジア艦隊の潜水艦部隊には29隻の潜水艦が配備されており、
    潜水艦による日本軍兵力の漸減・日本側の作戦遅延に大きな期待がかけられていた事が伺えます。
    (因みに29隻のうち大型の艦隊型潜水艦は23隻、当時作戦可能な米海軍の大型潜水艦兵力のうち
    2/3以上の艦がアジア艦隊に集められていました)。
    大塚好古

  11. >8,9 こちらも素人質問です。
     マレー沖海戦を経験した海軍が大型機の水平爆撃を高く評価するのはわかる気がしますが、私のいい加減な二次情報データベースの隅に、マレー沖の大型爆弾の効果について海軍は過大評価したというのが引っかかっています。
     日本側もB-17を過大評価していたという可能性はないのでしょうか。
    カンタニャック

  12. >11
     過大も何も、大戦前までの航空攻撃とは大型爆弾によるものでした。
     また、マレー沖海戦では日本軍は徹甲爆弾を用いておらず、どの程度の評価を持っていたのかは不明ですが、より強力な対艦徹甲爆弾の存在が念頭にあったのではないでしょうか?>真珠湾では徹甲爆弾で戦艦を撃沈していますし。
     またB−17の評価が固まったのはミッドウェイ海戦で、艦隊迎撃戦力がそれをまったく阻止し得なかった事が大きく作用していると思われます。
     確かにB−17の爆撃は全然当たってませんが、一方的に爆撃をされる事は非常に大きな問題ですし、当たる当たらないは敵の爆撃技量の問題とも言えますから、当たる奴が出てきても不思議ではない、そして日本軍にはそれを阻止する術が無い。由々しき問題ではないでしょうか。
     また米軍が大型爆撃機による対艦攻撃を放棄していない事は、例えばレイテ海戦を見ればお判りになるでしょう。米軍のB−24が何度も日本艦隊襲撃を行っています。
    SUDO

  13. >8、便乗質問とゆう無礼な形でしたが、お答えをいただきありがとうございます。
    BISTA


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