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717 映画ネタですみません。
プライベートライアンのオマハビーチ・チャーリーセクターに
おける兵員の損耗率はどれほどのものだったのでしょう。
映画で見ている限りは、米軍がいう部隊の崩壊状態(損耗50パーセント)
に達しているように見えたのですが…。
Poket

  1. 死亡率75%(死傷率ではない)で、オハマ全体での死者は1000人になったそうです。
    ソース:戦史研究 URL:http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/
    きっど

  2. なんと…。25%しか生き残らなかったのですか…。
    死亡ということはさらに多くの兵士が重傷だったということでしょうね。
    あの作戦は、交戦規約にのっとると失敗だったということでしょうか…。
    Poket

  3. オマハビーチは西からC(チャーリー)・D(ドッグ)・E(イージー)・F(フォックス)の各セクターに分けられ、更にドッグセクターはドッググリーンとドッグホワイト、ドッグレッド、イージーセクターはイージーグリーンとイージーレッド、フォックスセクターもフォックスグリーンとフォックスレッドに分割されています。
    初日に上がる部隊はチャーリーとドッグ、イージーグリーンに第29歩兵師団第116連隊、イージーレッドとフォックスに第1師団第16連隊が割り当てられました。
    とりわけ激戦区となったのは東端のイージーホワイト、イージーレッド、フォックスグリーン、フォックスレッドです。
    とくに第29師団の部隊は、潮流の関係と事前に伏せていた英軍の豆潜水艇(Xクラフト)の位置標定の誤りから上陸地点を3kmあまりずらしてしまい、イージーレッドとフォックスグリーンで第1師団の部隊と混じりあって混雑と混乱を招き、損害を増すことになりました。

    また、チャーリーには主力は指向されず、断崖上の砲台を潰すためのレインジャーと戦闘工兵の一部が上がったわけです。
    ミラー大尉の隊はレインジャーでしたから話の都合上チャーリーに上げなければならなかったのでしょうが、海岸での大混乱はそこから3〜5kmあまり東の情景ということになります。
    ミラー隊を乗せた舟艇も位置を間違ってイージーホワイトかイージーグリーンのあたりに着いてしまったということなのかもしれないのですが、それでもオマハ・チャーリーではないですね。
    DDシャーマンが沈没しまくったのもドッグホワイト・ドッググリーン間とフォックスレッド・フォックスグリーン間でのことで、チャーリーには向かっていません。チャーリーでは装備を積みすぎた工兵隊のアリゲーターはいくつか沈没していますが、レインジャーはほぼ無傷で揚陸を果たし、「史上最大の作戦」の方で描かれているように砲台の制圧に向かっています。
    「プライベート・ライアン」でのあのシーンは映画制作上での演出ということになります。

    死亡率75%というのはどの地点のどの時点での数値かわからないのでなんともいえません。
    D-Dayにおけるオマハ全体での死傷者行方不明者を合計すると2500名という数値もあります。
    この日オマハに上陸させようとした兵力は約7000から8000であり、損耗率としては35%を超えていて部隊戦闘力喪失と認定できる非常に高い水準ですが、潰滅状態とはいえないでしょう。

    まなかじ

  4. しまつたー
    文中の「イージーホワイト」は「イージーグリーン」に読み替えてやってください(大汗
    まなかじ

  5. あんなにリアルだと思ってたプライベートライアンにも
    やはり映画上の演出はあったんですね。
    目から鱗です(w
    3人に1人の死傷者というと背筋が寒くなります。
    ところで便乗ですみません。
    対するオマハのドイツ守備隊はどの程度いたのでしょうか?
    混乱した状態でも制圧された事を考えるとあまり多くないような
    気がするのですが…
    Poket

  6. プライベートライアンの上陸シーンは、ここはオマハのドッグ・グリーンであると字幕が出てきます。

    6個中隊からなる、第2レンジャー大隊はチャーリー地区のオック岬とぺリセー岬を攻撃目標とし、大隊長ルダー中佐がDEFの3個中隊を率いてオック岬第一陣、シュナイダー中佐がABの2個中隊を率いてオック岬第二陣、ゴランソン大尉(劇中ミラー大尉)率いるC中隊が単独でぺリセー岬という計画で舟艇を進めますが、ルダー中佐の第一陣以外はチャーリーの崖を登って攻撃する計画をチャーリー沖の土壇場で変更してドッグの方面に転進しました。C中隊はドッグとチャーリーの継目付近のドッグ・グリーン西端、シュナイダー中佐の二個中隊はドッグ・ホワイトかイージー・グリーン付近に上陸しています。この変更は単に舟艇が流されたのではなく、意図してドッグに向かったとされています。(シュナイダー中佐の二個中隊はドッグ・グリーンに向かったものの東に約1キロ流された)
    従って、実際にはもっとチャーリー寄り、開鑿予定地点D-1のVierville sur Merの村への入り口の谷より更に西だったと思われますが、映画で第2レンジャー大隊C中隊がドッグ・グリーンにいたのは史実通りです( 映画ではVierville sur Merより東にいると受け取れる会話を交わしている )。
    その時、このドッグ・グリーンでは第29師団 116連隊第1大隊A中隊が機関銃弾の中で全滅した直後でした。中隊長フェラーズ大尉は舟艇内で同乗の部下全員31名と共に戦死、A中隊は最初の舟艇が前扉を開いてから15分間で死傷率75パーセントに達し事実上消滅。映画でも指揮官なしでおびえるばかりの第29師団の兵隊達が出てきますが、これも史実通りと思います。第2レンジャーC中隊もここで135名中58名の死傷者(死者ではない)を出し、以降の作戦( D-1から入って陸路をぺリセー岬に向かう)を放棄せざるをえなくなります。116連隊第1大隊はA中隊の30分後、第2レンジャーC中隊にかぶさるようにB中隊を送り込みますが、これも中隊長が渚で戦死して戦闘力を失います。ドッグ・グリーンは『血なまぐさいオマハ』を象徴する戦場でした。この映画はそういうドッグ・グリーンの惨状を描いて、出てくる部隊ともどもほぼ史実通りだと思います。

    では嘘はなしか?。嘘というか、大変な誤解を招きそうなのは、ミラー大尉指揮下に小火器だけ、約30分間でD-1を開鑿して状況終りと、なんか小競り合いみたいな描き方なので、上陸軍の第一波だけで185000人が参加したという『史上最大の作戦』の規模が理解できない事。

    史実では、ドッグで最初の突破口D-3が開かれたのは、ドッグ・ホワイト付近で第29師団副師団長コータ准将の陣頭指揮下で、時間は上陸開始から2時間半後の事でした。D-3に続いて、映画のミラー隊の突破口 Vierville sur Mer の東側あたりにも小さな突破口が開けられ、D-3から入ったコータ准将指揮の混成部隊と合流、西に向かって進撃、D-1を内側から開きます。時間は12時半頃といわれ、上陸開始から6時間が経過、オマハビーチ・ドッグ地区の制圧は分隊レベルの小競り合いの結果ではなく、師団規模の兵力が投入され、艦砲の近接支援も受けながらの長時間の大規模戦闘の末の事でした。この映画でノルマンディ上陸作戦を理解しようとしても無理で、その目的なら『史上最大の作戦』の方が、いかに大規模な作戦であったかが判って良いと思います。それでも、まなかじさんのおっしゃっている、イージーとフォックスを受け持って、大損害を出しながら、オマハ最初の突破口を開いた、歴戦の米第1師団の戦闘は全然出てこないし、空挺もプライベートライアンとは逆に82師団ばかりで101師団は殆ど描かれていません。

    チャーリー・セクターでの死傷率
    チャーリー・セクターで戦闘を行った唯一の部隊である、ルダー中佐の三個中隊は終日孤立無援で戦闘を続け、D-Dayだけの死傷率30パーセントといわれていますから、約130人というところでしょうか?。D-Dayの長い日が暮れる頃(21時頃?)、ドッグに上陸したシュナイダー中佐の二個中隊の内A中隊の一部が内陸を回ってオック岬に到着します。

    ドイツ軍の兵力
    オマハに向かった米第5軍団の第一波は、二個師団(第1と第29)、二個レンジャー大隊(第2と第5)、プラス海軍の施設部隊(海岸の障害物をぶっとばすからどけ、とミラー大尉にどなる東洋系の兵士が属していた部隊)、支援艦砲射撃の弾着観測班など約25000人。これに対して、ドイツ軍はオマハ(これは連合軍の作戦名ですが)にノルマンディ随一の歴戦師団である第352師団を配備していました。しかし、第352の守備範囲は広く、かつ制空権を完全に握られていた為、戦闘開始後、機動を行う事も援軍を送り込む事も著しく制限され、D-Day当日、米第5軍に対して海岸で発砲したのは、当初から配置についていた600人から800人であろうといわれています。従って、米軍が渚での混乱から体勢を立て直せば、勝負あったで、実際にオマハの米軍死傷者は最初の30分間に集中しています。

    SHI

  7.  第352師団は歴戦師団、と書いてある資料は多いのですが、じつはこれ
    は常識のウソです。第352歩兵師団は1943年11月に編成され、ノルマン
    ディーが初陣です。
     この師団は3つの師団の生き残りを集めて基幹要員としたもので、元の
    師団の戦歴はモスクワ、デミヤンスク、ドン川、そしてクルスクと東部
    戦線の激戦地を網羅していますから、下級指揮官以上が実戦慣れしている
    という意味では「歴戦の師団」です。同時期に編成された同様の師団は
    ほとんどが東部戦線に投入されましたが、この師団だけは重装備のそろう
    のが連合軍の輸送妨害で遅れ、ノルマンディーで戦うことになったよう
    です。

    http://www.coretek.org/352nd/history.html
    マイソフ


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