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732 知りたいです。
太平洋戦争で日本軍は米軍や英軍の軍事力はさておき、その戦場になろう場での足場固めの準備の早さに驚かされたと、言われておりますが得にブルト−ザ−を初め様々な近代土木作業機の確保があそこまで整っていたことへの見せつけが敗戦の色が濃くなり始めて来た日本軍にさらに輪をかけて無力なものにさせられたなんて言われておりますが、考えてみれば戦争とは武力だけあっても意味は無いと言うのは誰でも分かります。そこで気になったのがあれだけ満州で経験を積んで来た日本軍が何故、その当たりの土木機器にもう少し力を入れていなかったのか?
無論、太平洋戦争に突入してからでは資源の問題もありますから今から作れ!と、言うのは無理はあるんでしょうが、そんんなのは最初から承知のはず。
まして陸軍歴豊富の日本軍ならその辺の損得勘定は分かると思うんですが、何故、あれだけ世界を驚かせるような戦闘機を作れる技術があるのなら米軍のブルト−ザ−くんだりで何を血迷ってたんですかね。
確かに国際連盟の下にあった時は軍装関係の生産の定めはあったでしょうがブルやロ−タ−くらいはもう少しまともな物を生産できたんではないのかな?と、思いお聞きして見ました。
P51ノ−タリ−ン

  1. 土木関係の機械化が軍関係のみならず停滞していた背景には土木関連事業が社会政策的な位置付けで雇用確保をその目的のひとつとして行われて来たという事情があったとの海軍設営部隊関係者の回想があります。ブルドーザーを大量生産する技術と余裕が無かったことに加えて、当時の日本で土木関連事業に期待された社会的な機能も大きく関係していたということなのでしょう。
    BUN

  2. 「国力の限界」と言ってしまうのはたやすいですが…当時の日本軍は何もかも足りなかったんです。地平線まで続く中国の荒野の道を、両肩に砲弾をかついだ兵隊が黙々と歩いてゆく写真をご覧になったことはあるでしょうか。運搬中に砲を損傷したことの責任を取って自決した下士官の話をお聞きになったことはあるでしょうか。「ブルドーザーくんだり」と仰しゃいますが、当時の日本ではブルドーザーよりもっと切実に必要とされているものが沢山あったのではないでしょうか。
    ささき

  3. >2 なんか説明不足なので自己フォロー。砲弾を人力で運んだとか、砲を損傷して自決したという話はかなり極端な状況下での話で、それが日本軍において普通だったわけではありません。ですがそういう事実もあったことも確かであり、これが「世界を驚かせる戦闘機や戦艦を作る技術」と両極をなしていたのが当時の日本の姿だったのです。それにたとえブルドーザーを作っても、それがすぐ飛行場建設の役に立つ訳ではありません。それを南海の孤島まで運ぶ輸送船、その輸送船を守る護衛艦、揚陸後目的地まで運ぶトラック、積み下ろしに使うクレーン車など、インフラが揃っていなければブルドーザーは潜水艦にやられて海底に沈むか、揚陸港から動けず持ち腐れとなるでしょう。そして、これらの全てが慢性的に不足していたのです。
    ささき

  4. 日本経済は昭和10年をピークに以後減少していますので太平洋戦争に突入する以前でも況に変わり無いでしょう。
    また、輸送船の確保や損害につても太平洋戦争に入る過程で検討されていますが、損害が予測値に近いのは昭和16年〜17年位で後は大幅に狂い船腹不足になっています。
    「世界を驚かせる戦闘機や戦艦を作る技術」は当時の日本では突出した内容(それのみに資本を投下した)と観た方が解りやすいと思います。
    錦単子

  5. 自己フォローです。昭和10年をピーク→昭和12年をピーク
    錦単子

  6.  私は建設業界の人間ですが、土砂を掘削する場合の工事費用というのは、通常立米当たりいくらといった方法で算出されます。そしてブルドーザなどの建設機械による掘削と、人力による掘削方では当然掘削費用は異なり、おおまかに言うと機械と人力では立米当たり50〜100倍くらい掘削費用が異なってきます。そのため機械での掘削作業が困難である場合以外は、通常は機械掘削により工事を計画します。
     ところが、戦前、昭和恐慌の時代の頃は失業者が街に溢れていたため、人力による掘削費は安価であり、また建設機械もあまり普及していなかったため、人力による掘削工事が一般的で、そのため国内では建設機械に対する需要がほとんど無く、これにより建設機械の開発はほとんど行われることはなかったのではないかと推測しております。
     太平洋が始まり、ニューギニアに多数の飛行場を建設する必要が生じた時期には、ブルドーザーなどの建設機械の需要も高まり、そのため建設機械の開発も急ピッチで進められたようですが、いかんせん短期間での建設機械の開発には無理があったらしく、せっかく試作された各種建設機械にも様々な問題点があったようです。
     ブルドーザーは単純に戦車に排土板を装備することで出来上がるようなきもしますが、ことはそれほど単純ではなく、建設機械という機械の各部位に大きな負荷をかけるものはそれ相応の設計が必要で、民需での実績のなかった日本ではこの部分のノウハウが不足し、大戦中という短期間での建設機械開発の試みは結局実ることくなく終わったのだと考えています。(以上私の推測です。)
    土方

  7. 追加質問になりますが戦後に戦車工場のラインを利用してブルドーザーを作って開拓に使用したと聞きますがそれまでにノウハウができていたのでしょうか?
    ロックマン

  8. 「航空戦の激化と共に、設営機械の国産化が計画され、一連の新型重機械が設計された、外見はたのもしくとも、性能、耐久性は鹵獲品に及びもつかなかった。さらに、これらの機械を初めて見た者が多く、アメリカにおいても、能率よく作業のできる一人前のオペレータを養成するには、三年ないし五年かかるといわれている。」
    (出典「海軍設営隊の太平洋戦争」光人社、一部省略)
     これによると、大戦中には、満足な性能をもったブルドーザーを生産する技術もなく、そしてそれを十分に運用できる技術もなかったようです。
     ところで、終戦直後の食料増産、失業対策により実施された開拓事業について書かれた回想記(個人的事情により、資料名は明らかにできません。)によると
    「昭和21年、某県某地域では、当時北海道開拓公社から派遣されていた機械開拓班に依頼し、開拓を行いました。その開拓作業については航空隊上がりの技術者が、ブルドーザーと連合軍払い下げの牽引車を用い」
    という証言もあります。
    この証言で注目されるのが、牽引車については「連合軍払い下げ」という注釈があるのに対し、ブルドーザーについては「連合軍払い下げ」という註釈がないこと、そして「航空隊上がりの技術者」という部分です。
    以上参考までに報告いたします。
    土方


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