QQCCMMVVGGTT
748 日支事変と言う呼称についなのですが、なぜ「日支戦争」ではなく「日支事変」なのでしょうか?
宣戦布告が無かったからだと思いますが、どうして日支共に宣戦布告をしなかったのでしょうか?
偶発的に始まった戦争とはいえ途中でする機会はあったと思うのですが。
一旦戦いが始まってしまった以上、途中で宣戦布告をすることに意味が無かったからでしょうか?

「アメリカの中立法を考慮して」と言う話も聞きますが、スペイン内戦にも適用された中立法が事変と呼称したくらいで本当に適用されないと考えていたとは思いにくいのです。
震天

  1. 米国の中立法ではなく、「パリ不戦条約」等を意識したためではなかったでしょうか?
    極論ですが、日支戦争(宣戦布告を伴う戦争への正式な(?)手続きを踏んだ)を開始したならば、
    1) 戦時国際法が適用され、他国から戦略物資の輸入が難しくなる
    2) WW1後、”不戦条約を最初に踏みにじった国”として国際的な印象を悪くする
    ことが考えられます。

    また私論ではありますが、元々日本にとり日支事変というものは全面戦争を意図したものではなく、その点が国交断絶に至らなかった要因ではないのでしょうか。
    (「暴支ヨウ懲論」とかを聞くにつれ、です)
    能登

  2.  森松俊夫(『北支の治安戦』の人。好きなんだけどな…、治安戦。)『大本営』によると、
     
     中央のほうでも陸軍の一部は作戦の自由を求めて宣戦布告を主張したが、大勢は慎重論で、布告に代わるものとして9月4日の帝国議会開院式勅語で日本の強い決意が述べられた。
     9月中旬には、近衛首相も大義の面から布告をしたほうが良いのではないか、と陸海軍に打診したが、された方は貿易の面からこれに反対。
     10月ごろの現地軍には、「占領地行政に不便が多い。作戦が制約を受ける。親日派の中国人の理解が得られず、政権樹立運動の熱意に欠ける。」と言った面から布告を主張する意見が多かった。
     11月には利害の研究のため、委員会や別に陸海外の間で研究を行ったが、どちらも布告は日本に不利、ということで一致した。

     といった記述があります。
    バツ

  3. どうもありがとうございました、とても参考になりました。
    震天


Back