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7 大戦末期、本土防空のために学校や甲子園等の野球場にも高射砲が設置されたそうですが、どの程度の規模の砲が設置されたのでしょうか?

  1. 甲子園には配備はなかったと思われます。(紫電改の駐機場だった?)後楽園には高射題118連隊の本部と第3中隊の88ミリ6門が配備されていましたが、学校へは例がなく、北九州の製鉄病院屋上に高射131連隊の高射機銃中隊が配備された程度です。ビル屋上(丸ビル等東京の数ヶ所の屋上)には高射機銃が、鉄道駅等には工場、公園等には高射砲が中隊(6門)ごとに置かれました。BUN


  2. 最後の方書き間違えました。操車場や鉄道駅には高射機銃が配備されています。低空での侵入を受けやすいとの考えからでしょうか。


  3. 操車場や駅は阻止攻撃や戦略爆撃の重要な攻撃目標の一つですから当然防御もそれなりにされていたはずです。


  4. よく考えてみれば射程の短いソキにとっての防衛対象は操車場、鉄橋等具体的になるのは当然でしたね。具体的な例、近衛機関砲1大隊ケキ7個中隊、ソキ2個中隊、配備地「禁裏」というのがあります。また航空用13mm機関砲400門を高射師団以外の師団も含めて分与、交通上の要点(やっぱり機銃は駅、港か)に配備する計画でした。


  5. 質問者です。仔細な説明ありがとうございました。当方戦前建築マニアでして、戦前の学校等調査に行くと「この台座は高射砲が云々」といった話を聞かされることがあったもので。たぶん高射機銃ですね。こういう台座の痕跡は工場に隣接した阪神間の学校に多く、建物の結構奥の方にも弾痕があってゾっとします。(かなりの低空侵入だ)


  6. うちの母校(横浜市立の中学校)は大正時代に建築された校舎自体が高射砲の台座とされてますよ。卒業生にして徒歩5分の位置に住んでいた母親が記憶してます(笑)


  7. それは何中学なのでしょう、近くなので行って見たい。見せてくれるかな?何か興味が沸いてきているのです。BUN


  8. ↑現在の横浜市立平楽中学校ですが、残念ながら旧校舎は既に壊されていて残っていません。往時を知るのは平楽小学校(当時)の在校生・近所の相応の歳の人くらいですかね



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