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50 日本軍は外国の軍事制度を学んだはずなのになぜ准将という階級がないのでしょうか?

  1. 日本の階級名が欧米のものをそのまま輸入したものではないのは御存知の通り。その欧米ですら各国ごとにバラバラなのが実体です。准将は無いけれど、代将というのは海軍においては便宜的に存在します。佐官の戦隊司令が合同した際、先任者が代将旗を掲げて代将となります。BUN


  2. 確か将官ってのは政府から許可が無いとなれない筈で、戦場で便宜的に将官に準ずる位として「代将」ってのが有るんだったような・・・・/あいまいで間違ってる可能性大です(爆) SUDO


  3. 将官は勅任官(形としては天皇の意向に基づく任命)ですね。佐官と尉官は奏任官(内閣総理大臣から天皇に奏上して任命)、下士官が判任官(各省の長が任命)です。ちなみに当時は警察署長や学校の校長クラスでさえ判任官だったそうです。


  4. 必ずしも各国で三階級ある訳ではない将、佐、尉を大中小、と振ったのはやはり右大将、とか兵衛尉等の律令制時代の名称を当てはめたせいでしょう。部隊名についても、師、旅等を中国から受け継いでいるものの、重要な単位であるバタリオンを大隊とそっけなく名付けています。BUN


  5. 律令時代の官制では尉も佐も2段階ですね。やはり近代の日本軍が3段階にしたのはそちらの方が世界的には一般的だったからじゃないでしょうか。でも陸軍がモデルにしたフランス陸軍も、海軍がモデルにしたイギリス海軍も2段階だったんですよね、、、いまいち納得いかないですが。海軍はイギリスに習って、明治19年から明治30年までは中尉、中佐を廃止して2段階だったようですが。


  6. 「大隊」というのは、幕末に西洋式軍制を取り入れた各藩や幕府歩兵の頃から使われていたのに対し、旅団や師団というのは明治18年に鎮台の戦時編制として取り入れられたのが最初なので、成り立ちは違うのでしょう。幕末の「大隊」は編制上の一番大きい単位だったため「大隊」という言葉が与えられたのだと思います。構成人数も各藩によって違いました。明治の「大隊」でも、初期には小隊60名、中隊は2個小隊、大隊は10個中隊という事で1個大隊1200名だったのが、


  7. それまでの4鎮台から6鎮台に増えて徴兵が行われるようになった明治6年からは、1個連隊が2000名で3個大隊からなる、というように変わっています。


  8. それを言ったら、ドイツにもソ連にも准将はないですぜ。代わりに上級大将って位があって、少将が准将にあたる・・・と思えばいいかな。


  9. 日本海軍における代将(旗)に対する私の理解は、戦隊や根拠地隊など
    の司令官として大佐が配員された場合(定員令上は許されているはず)、
    司令官がその指揮権の所在を示すために、本来将官なら掲揚が許され
    るはずの将旗が大佐にはないため、代将旗を掲揚するというものです。
    すなわち、「代将になる」ということではなく、あくまでも「代将旗
    を掲揚し、その指揮権の所在を明らかにする」という意味で存在する
    用語だと思います。
    今泉 淳


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