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164 旧日本軍でニ等兵からの叩き上げの将官なんていたんでしょうか。戦記ものなんかで少佐ぐらいのはみますが。やはり歳くってるから定年になってしまうの
でしょうか。
やっとこ中尉

  1. 制度上、不可能なはずです
    まなかじ

  2. ヨーロッパやアメリカと違い、明治以降日本には軍事専門家は居ませんでした。
    ただ「軍隊官僚制」が有っただけです。従って軍内での栄達も学歴主義、学閥主義が
    横行していました。こういった中で、いわゆる「たたき上げ」は、平常時では
    伍長か兵曹長止まりで、下士官と言われる少尉になれる人は希でした。
    ただ、太平洋戦争も末期になると、多くの軍人エリートが戦死してしまったため、
    大尉か少佐になれた人はたまにいたようです。

    トリミー

  3. 日本海軍に限定して書きます。多分、そういう人はいなかったのでは
    ないかと思います(厳密に確認したわけではないですが)。

    「二等兵」を広く「下士官兵」に広げて解釈しますと、太平洋戦争の
    頃は、一等兵曹(後に上等兵曹)から准士官たる「兵曹長」に任用され
    た後、特務士官である「特務少尉」「特務中尉」「特務大尉」を経て、
    特選によって、士官たる「少佐」に任用されるという順番を取るのが
    通例です。「士官」と「特務士官」ってのは、対応する官階が相互に
    あるのですが全然別個のもので、下士官兵からは一般に特務士官を経
    ないと士官にはなれないのです。で、特務士官から士官に変わり得る
    タイミングは、特務大尉から少佐に任用されるときで(大正9年までは、
    特務大尉から上の昇進はなかった)、これを称して「特選制度」と言い、
    それによって昇進した者を「特選少佐」「特進の少佐」などと呼んで
    いました。

    この特選少佐になるには大変な努力が必要であり、実際の任用者数も
    下士官兵のわずか一部といったところが実情でした。その中から、昭
    和19年には3人の者が「中佐」に進級しています。具体的には、壇原
    袈裟由、酒井常十、三沢千一の3名で、どれが誰に対応するかまでは分
    かりませんが、

    ・昭和13年11月15日 任少佐、昭和19年5月1日 任中佐、終戦まで現役
    ・昭和14年11月15日 任機関少佐、昭和19年10月15日 任機関将校たる中佐、同年
    12月5日予備役編入
    ・昭和15年11月15日 任少佐、昭和19年10月15日任中佐、同年12月5日予備役編入、
    即日召集終戦に至る

    ということらしいです。

    私の理解が間違いでなければ、(特務士官でない)士官に任用されて以降
    は兵学校出身者と同等の扱い(というか、士官として扱われる)になるの
    で、理屈の上からはこの人たちが大佐や将官に進級できるよう制度的に
    はなったかとも思うのですが(実際に進級できたかどうかは別ですが)。

    ちなみに、「特務大尉→少佐」以外にも、予科練出身者である特務士
    官から士官への特選による任用(最初は大尉のみ、後に中尉や少尉に拡
    張)する制度も太平洋戦争中に設けられました。これによって、特務士
    官から士官に特別任用される道が開けました。三〇ニ空分隊長遠藤幸
    男もこの制度で「特務士官たる大尉」から「士官たる大尉」に任用され
    てます。

    いずれにせよ、下士官兵から特務士官になるには大変狭き門をくぐる
    必要があり、ましてや士官(特選少佐)への進級は、兵科士官が元帥に
    なるのと同じ位難しかったといえるのではないかと思います。
    今泉 淳


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