QQCCMMVVGGTT
306  こちらに投稿すべきなのか、ちょっと迷いましたが、書きます。
 シミュレーションゲームなどみていると、昭和19〜20年になると、艦載機をめい一杯搭載した機動部隊がワンサカでて来ます。
 でもここで疑問が生じました。大量の艦載機搭乗員なんて、そんなに簡単に練成できるんでしょうか・・・?帰還率の差があったそうですが、それでも当時の日米の人口比から考えると、こんなに差がつくとは思えないんですが・・・?何か決定的な要因があったのでしょうか?
ぷるぷる

  1. 日本海軍航空隊もソロモン他の陸上航空戦での消耗が無ければ母艦搭乗員に大量の熟練者を回すことが十分に可能でした。というよりも開戦時の規模であれば、戦争後期でも十分な技量の搭乗員で全ての航空隊を編成することも出来ました。日本海軍も戦争後半には保有機数も搭乗員数も開戦時の数倍の規模に膨れ上がっているのです。海軍航空隊は平時の搭乗員が少なく、また、戦時に向けての急速養成が遅れた上に、戦争が進むにつれ決戦兵力としての母艦航空隊に対しての期待度が低下していたことが米軍との落差を際立たせているのでしょう。
    BUN

  2. 着艦訓練に割く時間をより実戦的な訓練に割ける基地航空隊に期待の比重が移っていった、て感じですか?
    非常に極端な考えであることは承知の上ですが。
    勝井

  3. 勝井山、全然違います。
    BUN

  4. ちなみに、日米開戦前の「航空朝日」16年7月号の「新航空母艦(米)」というトピックス記事には、ボノム・リチャード、バンカー・ヒル、カボット、エセックス、フランクリン、ハンコック、ホーネット、イントレピッド、ケアサージ、オリスパリ、ランドルフ、テイコンデロガ(ママ)の名が既に挙げられていて、なかなか感慨深いものがあります。当然といえば当然ですが、搭乗員の養成計画も戦前から開始されていたはずと思います。
    彼の国には、民間の航空人もかなりの絶対数がおりました事情も、かなり有利に働いたのではないでしょう


  5. ↑ちなみのちなみに、このホーネットは就役前のCV−8なのですが、、こんなところに名前が挟まっていると、なんだかCV−12の出現を予言しているようで、不思議な気持ち。


  6. ありがとうございました m(_ _)
    質問に出たゲームは、かの「太平洋の嵐」です。普通にやっていたら面白いように熟練搭乗員が減っていくので、開戦早々に、空母艦載機搭乗員から南方の陸海軍のめぼしい熟練搭乗員を全て内地に引き上げさせて教官にし、パイロットを育てまくりました(その間空母は片っ端から改装。無論ドックに余裕なし)
    この卵たちが空母に乗れるまで、実にニ年(ゲーム時間)を要しました。それでも雲龍型空母群には足りない。実際のところはわかりませんが、ここまでしても足りんとは…ぞっとしないです。雲龍型が順当に配備されたとしても、乗る搭乗員が用意できたのか…開戦時の維持が体一杯だったかもしれませんね。
    ぷるぷる


Back