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329 よく「日本軍は竹槍でB29を落とそうとした」という話を聞きますが、誰がそんな馬鹿なことを言い始めたのでしょうか?どんなに思考能力がマヒしていても、絶対不可能だということくらいわかりそうなものですが……。
えぬじぃ

  1. 申し訳ありませんが、寡聞にして「日本軍は竹槍でB29を落とそうとした」という言説は聞いたことがありません。
    第二次大戦中、国民にそれこそ町で森で田畑での近接戦のため竹槍のつくりかたやその扱いかたが広告、訓練されたのは事実ですがB29を落とそうとしたとはきいたことがありません。
    「竹槍ではB29を落とせない」ならそもそもあたりまえですが、聞いたことがあります。
    いおーじま

  2. 竹槍すなわち米軍、ということで、圧倒的な米軍に対し竹槍なんて、そんな無茶な。ということでしょうが、検索してたら「対空噴進爆槍」なる竹槍ロケット弾が構想されたとありました。案外、本気だったりして。
    misty

  3. 「竹槍すなわち米軍」ではなくて「B29すなわち米軍」ですね。すみません。
    misty

  4. 学校における軍事教練等で藁人形を竹槍で突いたりする訓練が行われていますが、銃剣の代りに竹槍が訓練用として用いられたと思います。米軍の空襲に対しこのような訓練を行っていても無意味だった、という主張が、戦後、吹聴されたのではないでしょうか。そもそも、ゲリラ戦のような状況を想定した近接格闘戦のための訓練と、航空機による爆撃とは次元が異なり、戦法の優劣を比較するのはおかしいと思うのだが。
    アリエフ

  5. えぬじぃ様、はじめまして。
    実はこの話、私も耳にしたことがあります。
    でも、多分デマでしょう。もしかしたら、訓練中に、教官(?)が「B29を落とすつもりで」ぐらい言ったかもしれませんが。
    こんな話に尾ヒレと背ビレと腹ヒレと、ついでに胸ヒレまでつけてできたがったのが、竹槍兵vsB29神話じゃないでしょうか。
    で、映画やテレビにおける旧日本軍軍人の『精神至上主義の努力型人間(Byドイツ最後の参謀総長)』ぶりを見て、信じるようになってしまったのだと思います。

    なお、竹槍訓練は実在しました。墜落したB29から脱出した敵パイロットと戦うことを目的としたと思います。

    ちなみに、出身はどちらでしょうか。もし近場でしたら、情報もとが同じ可能性があります。こんなおかしな情報があちらこちらに流れるようには思えないのですが……

    byグデーリアン

    かすた

  6. ごめんなさい、落書きの部分を完全に消すのを忘れて投稿してしまいました。
    最後の部分は無視してください。
    かすた

  7. 「笑点」で桂歌丸さんがよく『竹槍でB29を落とした』と言ってました。
    怪人37型

  8. みなさまありがとうございます。
    ちなみに私は北海道出身ですが、この話は全国誌などでもよく見ます。
    「日本の軍部がいかに馬鹿だったか」という話をする時によく持ち出される物ですが、たしかにこの話を持ち出す人はあまり詳しい人ではない場合が多いですね。
    えぬじぃ

  9.  私の推測のうえでカキコします。
    戦中に新聞記者(社名失念)が、「竹槍では爆撃機は落とせぬ」と題した記事を掲載し、その新聞記者が懲戒徴兵をくらったという話を読んだことがあります。
     内容は、南方方面での海軍機の消耗による増産要求に対し、陸軍も同数要求したことに異議を唱え、海軍機の重点生産を行うべき要旨でした。陸軍の乱発する竹槍精神では近代戦(防空)は戦い抜けぬ、これを衝撃的に言い表したのがこの題であったと理解しています。
     この話に関して、私は裏を取れないのですが、この記事に詳しい方が御教授下されば幸いです。
     なお、この件の後日談として、
    1.この記者は陸軍の徴兵の前に、海軍の従軍記者に採用された
    2.陸軍は懲戒徴兵の批判をかわすため、記者と同年代の30台後半の中年を臨時徴兵した
     とも聞きます。これに関してもよろしくです。
    ペンギン


  10. 日本の戦争責任 最後の戦争世代から下 若槻泰雄(ワカツキ.ヤスオ)
    にこのエピソードが触れられていました。手元にないのでどこまで詳しくかかれていたかは覚えておりません。

    いおーじま

  11. >この話に関して、私は裏を取れないのですが、この記事に詳しい方が御教授下されば幸いです。

    本件は、新名丈夫が昭和19年2月23日付の毎日新聞に「竹槍では間に合わぬ」
    「飛行機だ、海洋航空機を」と書いたことが東条英機の逆鱗に触れ、強度の近
    視であったために兵役免除になっていたものが、丸亀聯隊に入隊することになっ
    たというものです。新名自身は大正時代に徴兵検査を受けていますので、老兵
    も老兵です。

    ちなみに、新名は黒潮会(海軍省担当記者クラブ)所属で、毎日新聞がどちらか
    というと海軍寄りの記事が多かったこと、直前に飛行機生産の割り当てなどで
    陸海軍がもめていたことなどのことが背景にあったと言われます。

    海軍にとって有利な記事の内容であったこともあって、海軍が、大正の時代に
    徴兵検査を受けたものを何故に召集するのか、とのいちゃもんをつけたらしく、
    陸軍としてはつじつまあわせのために丸亀聯隊に大正の兵隊を250人召集したと
    いうことらしいです。

    これに対して、新名自身は以前陸軍の従軍記者の経験があり、そのような関係
    から聯隊内では破格の待遇を受け、数ヶ月にして召集解除、その隙に海軍が徴
    用、フィリピンに報道班員として派遣されたものです。

    これらは、新名自身が書くところに依っていますので、周囲の状況に関しては
    若干間違いはあるかもしれませんが、自身の体験に関してはおそらく信用でき
    るものと考えます。

    今泉 淳

  12. >陸軍としてはつじつまあわせのために丸亀聯隊に大正の兵隊を250人召集したと
    いうことらしいです。

    この250人の兵隊はその後どうなったのでしょうか? まったくの記憶モードでまったく自信がなくて申し訳有りませんが、多くの戦死者を出していたのではないのでしょうか?もしご存知ならご教授くださいませ。よろしくお願いいたします。


    roht

  13. ゴミレスで失礼致しますが、新名記者の件は東宝映画
    「激動の昭和史 軍閥」でも取り上げられていますね。
    自分も高校生の時、この映画のビデオを観て学校の図書室
    で当時の毎日新聞の記事を読んだ事が有ります。
    無限


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