QQCCMMVVGGTT
416 初めまして、自分は第二次大戦中のドイツ軍の編成を調べていてある疑問を抱いたものです。
warbirdsの皆様に教えを請いたく書き込みをさせて頂きます。よろしくお願いいたします。

第二次大戦中のドイツ陸軍の砲兵について調べているのですが、師団砲兵以下の編成等に
ついては詳しく語られた資料はいくらでもあります。ですが、軍団以上の部隊の指揮下の砲兵
については、ほとんど資料が見当たりません。
また、大日本絵画社の「バルジの戦い」「ヒットラー・ユーゲント」等にも、軍団直轄砲兵大隊や
軍直轄砲兵大隊の記述が若干あっても、連隊規模以上の砲兵部隊の記述はほとんど見当た
りません。

ここで自分は疑問を抱いたのですが、もしかして第二次世界大戦中のドイツ軍は、軍団以上
の部隊の直轄砲兵部隊をほとんど野戦で運用していなかったのでしょうか?

よろしくお願いいたします。
rakugaki

  1. 英語のサイトですが、有名所のようです。
    記号の解説のページがありますので、探してください。

    http://www.freeport-tech.com/WWII/011_germany/__ge_index.htm



    土屋二飛曹

  2. >記号の解説のページがありますので、探してください。

    下記のリンクにありました。
    http://www.freeport-tech.com/WWII/000_admin/009_symbols.html
    土屋二飛曹

  3. >土屋二飛曹様
    URLをありがとうございました。確認いたしましたが、各軍集団ごとの軍団及び師団編成に関しては載って
    おりますが、軍団砲兵、軍砲兵に関しては見つかりませんでした。やはり、全般支援砲兵に関しては、研究
    そのものがマイナーなのかもしれませんね。
    自分は、ドイツ軍が戦術空軍の育成に力を入れていたのは、陸軍が全般支援砲兵を整備する金がなかっ
    た為であり、ベルサイユ条約の結果重砲兵の整備ができなくなった為ではないのか、という疑問を抱くに到っ
    たのです。
    皆様のご意見をたまわりたく思います。よろしくお願いいたします。

    rakugaki

  4. え〜。この時代のことは不得手なんですが…。
    ダニガン先生の「Russian Front」によれば、ドイツ軍は1943年末から44年夏にかけて東部戦線で砲兵師団(第七砲兵師団)を運用していたそうです。それから(これは反則かも知れませんが)空軍管轄下の高射砲部隊には、高射砲師団はもとより、高射砲軍団まであったそうです。
     また、ドイツの第17軍(1941年)の編成表を見ますと、7個砲兵大隊を直轄しています。2個連隊強ですから、軍レベルで一個師団弱の砲兵部隊を直轄していると言っていいでしょう。
    カンタニャック

  5. ↑↑↑↑このページに記載の編成は、師団規模以上の部隊のみでなく、軍団規模以上の部隊に直轄部隊として配属された大隊規模以下の部隊までが記載されている点がすごいと思うのですが。

    それとも、rakugakiさんの仰る「直轄砲兵部隊」とは、ひょっとして配属部隊のことを指しているのではなかったのかな(軍、軍団固有部隊?)。
    土屋二飛曹

  6. ドイツ軍が砲兵を軽視していたわけでも、空軍に予算をとられていたわけでもありません。当初、砲兵軍団がなかったのは集中運用しようという構想がなかったためであって、砲兵自体には、特に攻城重砲には相当な予算がかけられていたはずです。
    sharman

  7. 第2次世界大戦時のドイツ国防軍にも1943年から第18砲兵師団と言うのが存在します。
    第18装甲師団を解体して作られたものです。

    軍直轄砲兵、軍団砲兵に関しては、連隊規模で編成されても
    大隊規模で軍や軍団に配属されることがほとんどです。

    また軍直轄砲兵や軍団直轄砲兵は上級司令部に配属されるだけあって
    野戦榴弾砲のような射程10キロ程度の砲ではなく、
    21センチ臼砲や17センチカノン砲が使用されますから
    展開などの準備時間が長く
    その任務も対砲砲兵戦や敵戦線突破時に使用されることが多い
    したがって機動戦時より攻勢開始時や要塞攻略などに使用されます。
    1942年のセバストポリ、1943年のレニングラード(オウラニエンバウム)
    などに、かのフォン・マンシュタインとともに戦場に姿を見せています。
    ななし

  8.  大戦初期の軍団砲兵や軍砲兵はたいてい大隊単位で配属されましたが、
    それに対応する軍直轄砲兵連隊はちゃんとあったようです。後になって
    こうした(徴兵制度とも関係する)対応関係がいつ頃まで維持されたか
    はよく知りませんが、例えばノルマンディー戦当時になっても軍直轄・
    軍団直轄の砲兵連隊本部というのはあって、必要に応じて軍砲兵・軍団
    砲兵を統括するための司令部として働いていたようです。つまり、連隊
    単位での総括指揮もやっていたけれども、連隊本部に所属する大隊はこ
    ろころ変わったということですね。
     連隊以上の司令部を設けて、広い意味での砲兵を統括運用することは
    高射砲やロケット砲でよく行われました。例えばノルマンディーにいた
    第III高射砲軍団は、4個(突撃)高射砲連隊を統括していましたが、各
    連隊は4個中隊しかないので実質的には大隊です。また、ロケット砲旅
    団は2〜3個ロケット砲大隊から成っていました。
    Niklas Zittering'Normandy 1944'J.J.Fedorowicz Pub.
    George F. Nafziger 'The German Order of Battle : Panzers and Artillery in World War II'Stackpole Press
     あたりがおすすめです。

    マイソフ

  9. 軍団直轄砲兵を指揮するのは
    ARKOでは?
    武装親衛隊では
    軍団砲兵指揮官と言う役職があり
    フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ボックSS少将などが
    その地位にいたことがあります。(ノルマンディ戦時)
    第2SS装甲軍団だったか第1SS装甲軍だったか。 

    ななし

  10.  記憶でものを言ってはいかんですね。Nafzigerを見直したら、あるわ
    あるわ(笑)。
     まず上記の訂正から。ロケット砲旅団はふつう2個連隊(各3個大隊)
    から成ります。
     ARKOはご指摘の通り、砲兵司令部部隊とでも言うべきもので、師団に
    配属された軍団直轄砲兵と師団砲兵を統一指揮します。私が念頭に置い
    ていたのはArtellerie Regimentalstabで、いくつもの直轄砲兵大隊を
    集中指揮するものです。
     すでに話の出ている第18砲兵師団のほか、1943年11月から1944年7月
    まで、309から312まで4つの砲兵師団が存在しました。これはARKOの
    軍〜軍集団版であるHoeher ARKOをそれぞれ改編して、輸送・通信など
    の機能を強化したものです。
     1944年9月以降、終戦までに23個の砲兵旅団が編成されました。これ
    らは5個ないし6個砲兵大隊を持つことになっていましたが、末期に編成
    されたものは3個しか持たないようなものもあり、部隊名だけで下位の
    編成が不明のものもあります。
     これらの多くは、間もなく国民砲兵軍団と改称されましたが、5〜6個
    砲兵大隊という基本ラインは変わりませんでした。半数程度が105ミリ
    榴弾砲、残りが150ミリ砲だったりカノン砲だったり210ミリ臼砲だった
    りという構想でしたが、75ミリ野砲なども使われていました。固有の
    第2大隊に88ミリPAK43を持っている例が多いのですが、これを操作して
    いたのが戦車猟兵か砲兵か、というのは面白い問題です。
     要するに、末期に苦しくなってから、軍・軍団直轄砲兵の集中運用で
    急場をしのごうとした、ということですね。

     最初から最後まで、軍・軍団直轄砲兵は大隊単位で運用されることが
    多く、連隊の影が薄いのですが、第○砲兵連隊第II大隊、というような
    表記をされる部隊は特に大戦初期にたくさんあり、独立した大隊は臼砲
    などの部隊に多く見られました。おそらく105ミリ榴弾砲と独立した番号
    を持つ大隊は、大戦間際または大戦中に臨時編成された部隊なのだと思
    います。

    マイソフ

  11.  上記の(連番のある司令部部隊としての)ARKOのほか、軍団司令部スタッフ
    としての軍団砲兵指揮官(General der Artillerie)のことをARKOと呼ぶこ
    ともあるそうです。ななしさんの書き込みを拝見する限りでは、ボック少将
    はこちらではないかと思います。

    マイソフ

  12. http://members.tripod.com/~Sturmvogel/artillery.html

    こんなん見つけました
    SUDO

  13.  おおこれは便利だ。ありがとうございます。
     Sturmvogelで、大戦後半には重機材の不足から105ミリ榴弾砲の
    軍直轄砲兵が増えたと書いてありますが、その様子がわかるのが
    http://dspace.dial.pipex.com/town/avenue/vy75/ob.htm
     です。クルスク戦当時の戦闘序列が細かく書いてありますが、
    軽榴弾砲大隊(Light Howizer Abt.)の比率が高いのがわかります。

    マイソフ

  14.  さらにしつこく調べてみました。主にこのスレッドの上のほうにある
    Nieholster氏のサイトからの情報です。
     開戦時には、ひとつの軍団は2個砲兵大隊と、ひとつのArkoを持つのが
    普通で、もうひとつ上の軍司令部レベルでいくつかのArt.Rgtstab.を
    持っていました。独ソ戦開始時になると直轄砲兵大隊もArkoも増えて、
    ひとつの歩兵軍団が3つのArkoと6つのArt.Rgtstab.を持っている例すら
    あります。
     ななしさんの挙げられたII.SS-Panzer-Korpsは、確かにSS Arko 2
    (ひとつだけ)を持っているので、ボック少将はおそらくその指揮官であり、
    軍団唯一のArkoであったと思われます。

    マイソフ

  15. マイソフさん、どうも、はじめまして。
    Nieholster氏のサイトは、何を隠そう、マイソフさんのサイトにおじゃまして知りました。まさか、大御所がお出ましになるなんて、思ってもいませんでした。お恥ずかしい限りです。今後ともよろしくお願いします。
    それでは、rakugakiさんのご質問からは退散させていただきます。

    土屋二飛曹


Back