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424 海軍軍人のモットー「スマートで目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」という言葉はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。また、海軍の伝統を重んじる今の海自でもこの言葉は云われているのでしょうか。
蛍菜

  1. 海軍軍人全般というより、海軍での士官教育で五省などとともに云われたものではなかったでしょうか。
    御質問の主旨である正確な「いつごろから」と「海自」の件は知りませんが(汗)、
    元海軍士官の方々が、戦後一般企業で活躍された頃、それぞれの職場や
    その周辺までこのモットーの精神を広められたことは結構あると思います。
    身近にも結構実例が。
    MB

  2. 海上自衛官の著作でもしばしば目にするばかりでなく、商船界出身の方の著作でも
    目にする言葉です。
    SAW

  3. 国際航路の商船乗りだった祖父から間接的に聞いたのですが、
    戦前の船乗りは、海外を股に掛ける当時としては希有な職業だったため
    とてもハイカラで、上記モットーのような事は普遍的にいわれており、かつ
    大衆が船乗りさんに対して持つイメージも同様であったそうです。
    今日の私たちが旅客機のパイロットや客室乗務員に対して抱くイメージとやや似ているでしょうか。
    無頼庵

  4. 雨倉孝之さんが書くところによれば、「スマートで 目先がきいて 几帳面 負
    けじ魂 これぞ船乗り」は太田質平大佐(後少将、海兵32)が運用術練習艦春日
    艦長兼富士艦長の際に作ったものらしい、とのことです。なお、太田質平の履
    歴を調べますと、

    明治43.12. 1 海軍大学校乙種学生
    明治44. 5.22 海軍大学校専修学生
    明治44.12. 1 音羽航海長
    大正元.12. 1 海軍兵学校教官兼監事
    大正 3.12. 1 宗谷航海長
    大正 4.12.13 海軍少佐、舞鶴鎮守府参謀
    大正 5.12. 1 運用術学生
    (中略)
    大正14. 8.22 富士特務艦長
    大正14.12. 1 春日艦長兼富士特務艦長(15.12.1免兼)
    昭和 2.11.15 兼富士特務艦長
    昭和 4. 2. 8 軍令部出仕
    (以下略)

    となっています。

    その当時の海軍大学校専修学生とは、「海軍大學校條例 明治四十年四月二十
    日(勅令一三四)」によれば

    第十一條 海軍大学校學校學生ハ之ヲ五種ニ區別ス
    甲種學生
    乙種學生
    専修學生
    機關學生
    選科學生

    第十四條 選修学生ハ將校ニ在リテハ航海術、機關官ニ在リテハ機關術ヲ専修
    スヘキモノトシ航海術ヲ専修スヘキ者ニハ航海術ニ關スル高等ノ學術ヲ教授シ
    實地ノ研修ヲ爲サシメ(以下略)

    などとあるように、後の海軍大学校航海学生の前身のようなものと小生は見倣
    しております(もっともこの時代は乙種学生もあるので、厳密な意味での前身
    かどうかの議論は別途必要だろうとは思いますが)。また、「海軍大學校規則
    明治四十年四月二十二日 (達四〇)」による学生の修養期間は専修学生で航海
    術を専修すべき者は六ヶ月であり(機関術の場合は一年)、太田質平が兵科将校
    でありかつ履歴から概ね半年間専修学生にあったことからして、航海術を専修
    していたことは間違いなく、従いましてこの人は航海畑の人であろうと思われ
    ます。また、運用術学生も経ていることから運用屋でもある人です。

    太田大佐が春日艦長兼富士特務艦長職にあったのは、厳密にはT14.12.1〜
    15.12.1とS2.11.15〜S4.2.8 となりますが、その辺の厳密さをおいておくなら
    ば、大正の末から昭和の初めころに世に出始めたものと考えられます。 そう
    いう意味で、その精神やらがいつからあったかはともかく、標語そのものは、
    海軍全体の歴史から見ればそれほど古いものではないと考えることもできます。

    今泉 淳


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