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479  かって、このサイトで(多分?)、「海軍の高官の出世はハンモックナンバー、すなわち海軍兵学校の卒業時の成績でほとんど決っている」と聞いたように記憶しております??

 一方、こちらも記憶モードなのですが、「陸軍では大将に成れたのは陸軍幼年学校の卒業者に限られており(少なくとも陸軍幼年学校が出来てからは)、そうでないのは陸軍幼年学校の卒業生の居なかった1年のみである」と読んだように思います。
 また、陸軍幼年学校では、臣民、軍人としての精神教育に重きが置かれたとも読んだように思います。
 そうなると、一般の旧制中学から陸軍士官学校に進んだ者のほうが、陸軍幼年学校からの進学者よりも一般的に考えて、より広い範囲の学問や教養を身に付けていたのではないでしょうか。陸軍幼年学校の卒業者が陸軍士官学校の卒業時の成績でトップクラスを独占したとは考えにくいのですが。

 陸軍幼年学校の卒業者は、陸軍士官学校では、なにか特別な扱いを受けたのでしょうか。
 それとも本当に陸軍幼年学校の卒業者が陸軍士官学校の卒業時の成績でトップクラスを独占したのでしょうか。
 それとも陸軍幼年学校の卒業者は、陸軍士官学校卒業後に、なにか特別な扱いを受けたのでしょうか。

 何を、基準、拠り所、として陸軍大将になる人事は、決められたのでしょうか。

 よろしくお願い申し上げます。

 以上、全て記憶モードで書いていますので、間違いが有りましたらご指摘ご教授くださいますようお願い申し上げます。
 
roht

  1. 旧軍の将官昇進ルートの類型は、大きく分けて、

    1 士官学校のできる前に既に戊辰戰役に参加していて、建軍と共に幹部となった人材。
    2 建軍後に兵籍を得たが、士官学校を経ていない人材。(乃木さんは長州閥のヒキで、民間人からいきなり高級将校に任官)
    3 既に士官学校生徒の募集をしていたが、そこには行かずに、陸軍嚮導團に生徒として入隊した人材。下士官養成学校だが、成績上位者は将校に任官できた。(昭和軍閥の一翼を担った武藤さんは、このくち)
    4 徴兵ないし志願兵の下士官兵から士官学校を受験した人材。(あまりいない)
    5 幼年学校→士官学校ルートの人材
    6 中学校→士官学校ルートの人材

    があります。
    5・6に話を限ると、先ず将官になるのに必要な資格は、幼年学校・中学校の出身ではなく、陸軍大学校を卒業しているか否かが決め手となります。幼年学校→士官学校の学歴+有力者にヒキがあっても、陸大を出ていなければ、まず平時では将官になるのは大変に狭い関門となります。将官のポストは限られていて、陸大卒業者だけでその補充が可能なので、一般の無天組(陸大卒業していない組)は聯隊長どまりで、定年となって現役を去る時に優遇措置で少将に任官する(營門少将)くらいです。戰時には部隊増設で将官ポストが不足するので、後方部隊の将官ポストに召集される可能性はありますが。
    「陸軍では大将に成れたのは陸軍幼年学校の卒業者に限られており」の意味は、士官学校卒業者は少尉任官すると必ず部隊に配属されるのですが、そこで陸大受験準備をする時に、部隊長の推薦が必要で、部隊長は幼年学校出身者を優先して推薦したからだと思います。幼年学校出身者は、それだけで「優秀」と思われる風潮があり、また軍内では幼年学校出身者が主流を占めていたので、そうなったのでしょう。幼校出身者の親が軍人である場合は、ことさらで、かって親父の部下だった旅團長がわざわざ息子の新品少尉に司令部で会って、「お父上」の話をすると云うふうだったそうです。親父でなくとも、どこかで血縁者が陸軍首脳部にいれば、少尉なりたてでも、たいへんな優遇を受けました。
    陸大を受験するには、相当の準備が必要で、何回も落ちてやっと合格となるほどの難関でしたが、隊付で新兵の教官をやったりしていると、とうてい勉強はできないので、部隊長は受験者を副官や旗手といった閑なポストにすえて、受験勉強に専念させました。部隊長は幼校出身者をそうやって優遇するので、このへんで、幼校出身者と一般中学出身者との差がでてきてしまい、確率からいっても陸大出身+幼校出身=大将候補者となります。
    陸大卒業者は、陸大を出ていない将校の年功序列進級ルールとは別に佐官時代には先輩を追いぬいての「抜擢進級」の特典を受け、同期生より早く進級して特急出世街道を進み、よほどのヘマをしない限りはすくなくとも少将にはなれるわけですが(将官になるのは年功序列によったので、早く大佐になった方が勝ち)、軍の首脳部は長州閥を打破した幼校・陸大出身者によって固められていて、少将になった後もそのヒキで出世ポストについていき、必然的に階級も上がっていくことになります。将官の進級は年功序列なのに、なぜ階級があがっていくのかというと、邪魔な人物は豫備役編入というのがあって、定年前にリストラとなるので、政治的に上位ポストを空けて、そこに就くことができるわけです。派閥人事でそうすることが可能であったわけで、このへんまでくると、もう幼校出身かどうか以上のレベルとなり、むしろどの派閥に組しているか、が決め手となります。

    幼年学校の成績が優秀でも士官学校でふるわないものもあり、士官学校の成績が優秀でも陸大に入らないものもあり、中学校出身者でも士官学校から陸大に入る者もあるので、個人の能力と運により大将になるのですが、人生ゲームふうの確率の設定からいえば、幼校出身者には進級のための初期値が大幅にプラスされていると思わざるをえません。

    「陸軍幼年学校では、臣民、軍人としての精神教育に重きが置かれた」のですが、案外にリベラルな教育をしており、軍事訓練は高学年になるほど多くなりますが、低学年はむしろ規則正しい生活と豊富な栄養を施して病気にならない身體をつくることを目標とし、決して無理をさせませんでした。文官(非軍人)の教官は大学助教授クラスの優秀な人材を揃え、軍事学は少なく、むしろ基礎教養と語学(独仏中露)に力点を置いていました。語学は自由に喋れるくらいまでやったそうです。一般の中学には設けていない音楽の科目もあり、むしろ中学生よりもある意味で視野が広かったような気がします。幼校の中退組に特異な人材が豊富なのも、そのへんの事情をうかがわせます。

    一般の中学から士官学校に入る連中は幼校出身者からは軽視されました。内務(軍隊での日常生活)も知らずにオタオタしているので、幼校出身者から見ればトロくみえたのでしょうね。自然に校内に派閥ができて、あい反目したこともあったでしょう。また中学出身者は幼校にくらべて世間を知っていると思われがちですが、わざわざ軍人志願をしただけあって幼校よりも軍人らしくなろうとしたところもあったのではないかと思います。
    けれど、幼校出身者が兵科決定時に輜重兵(出世ポストが少ない)になる例がほとんどないことから分るように、幼校というのは選抜や抜擢、推薦の場面で諸事優遇されていたのだと考えられます。
    あるめ

  2. 私は大杉栄ぐらいしか知らないのですが、
    幼校出身者で民間に行った人にはどのような人がいるのでしょうか。
    良い資料があれば、お願いします。
    LittleNemo

  3. 纏まった本はワタシも知りませんが、思いつくまま挙げると、幼校出身者で三好達治が士官学校中退、岸田國士が将校となってから依願免官、たしか山中峰太郎が士官学校中退、宇都宮徳馬が幼校中退、ワタシの個人的に存じ上げている方の御父上で陸軍被服廠の高等文官だった人が幼校を剣道稽古中の片目失明事故で中退。
    あるめ

  4. あ、大将進級者の出自では、

    http://homepage2.nifty.com/60hp/ron.htm

    に載っている中平進二さんの「陸軍大将管見」がぴったりです。数的分析もあって、すごい出来栄えです。
    あるめ

  5.  あるめさま。本当にいつもいつも有難うございます。詳細に、かつ解かり易く、ご教授いただきまして本当によく理解出来ました。実は、本当のところ、この質問に御回答頂ける確率はいかにこのサイトでも50%は無いだろうと半分は諦めておりました。もっと早くお礼を申さねばと思いながら、逆にあまりにも感激いたしまして、どのようにお礼を申し上げれば良いのか迷ってしまいお礼の書き込みが遅れてしまいました。本当に有難うございます。当方、素人ですので、また何をご質問致しますか分かりませんが、今後とも宜しくお願い申し上げます。有難うございました。
    roht

  6. こちらこそ、どうか宜しく御願申上げます。
    あるめ


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