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294 293に関連して思い出した疑問ですが、今の自衛隊「駐屯地」に当たるものを、陸軍では(そして、世間一般では)何と呼んでいたのでしょう?ただ〇〇聯隊とだけ呼んでいたものでしょうか。
Sampon

  1. 「衛戍地(えいじゅち)」ではなかったでしょうか。ただこれは軍隊で使用して
    はいましたが、民間にはあまり使われていなかったと思います。
    ぺンギン

  2.  衛戍地には衛戍監獄や衛戍病院等の施設もあり、明治期には衛戍衛兵が時刻に合わせて「ドン」を撃っていたこともありますから、「衛戍地」という言い方は一般にも使われることはあったと思います。ただ、現代でも「駐屯地」=陸上自衛の駐屯する場所、航「基地」=航空、海上自衛隊の駐屯する場所、という名称がそうであるように、一般の会話の中では連隊名や、地名で代用されてしまう類の用語ではあります。また、「駐屯」という用語そのものは陸軍衛戍令の本文にも使われていますので「駐屯地」という言葉が全く用いられ無かった、とも言い切れません。
    BUN

  3. ペンギン様、BUN様、ありがとうございました。2.で言及された午砲(ドン)について、明治期を描いた小説などにこれが出てきますが、廃止されたのははっきりいつと分かりますでしょうか。
    Sampon

  4. すみません、↓で答えを見つけました。
    http://www.zdnet.co.jp/internet/links/9909/09/past.html

    Sampon

  5. ドン(午砲)の件の追加です。
    大正時の軍縮(山梨・宇垣軍縮)で削減されたはずです。
    ちなみに長崎(要塞)地区は長崎海洋気象台に移管され、終戦前後まで維持されたと思います。
    ペンギン

  6.  ペンギン様、ありがとうございました。上述HPにも、これは東京の場合ですが、「1922年の9月に陸軍省の予算が減らされたため,東京市がこれを受け継いで午砲を発していたが,1929年に入ると代わってサイレンが使用されるようになったという。」と書かれています。
     支那事変のころにはサイレンも廃止されるのですが、これはもしかして空襲警報と紛らわしいからか、とも思っています。
     
    Sampon


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