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335 どなたか「元寇」の歌詞を教えてください。
確か、いつぞやの某宴会でどなたかが声高らかに歌っていたと思うですが・・・。
胃袋3分の1

  1. 中学生のとき、歴史の先生が教えて下さいまして、クラス全員で覚えたものでした。20年前の記憶ですが、結構あってるはずです。作詞は西條八十でしたか。

    四百余州を挙る十万余騎の敵
    国難ここに見る、弘安四年夏の頃

    何ぞ恐れん我に鎌倉男児あり
    正義武断の名、一喝して世に示す

    多々良浜辺の蝦夷そは何蒙古勢
    傲慢無礼者、倶に天を戴かず

    いでや進みて忠義に鍛えし我が腕(かいな)
    ここぞ国のため日本刀を試し見ん

    こころ筑紫の海を波押し分けて行く
    益荒男(ますらたけお)の身、仇を討ち帰らずば

    死して護国の鬼と誓いし箱崎の
    神ぞ知ろしめす大和魂(やまとだま)潔し

    天は怒りて海は逆巻く大波に
    国に仇をなす十余万の蒙古勢は

    底の藻屑と消えて残るは唯三人(みたり)
    いつしか雲晴れて玄海灘月清し

    地名なんかは漢字適当です。

    Sampon

  2. ありがとうございました!
    なるほど〜!ちゃんとストーリーになってるわけですね!
    胃袋3分の1

  3. 明治25年の歌では西条八十作詞は無理ですね。作詞は永井建子です。
    自分の歌に「聞き惚れた」方が歌詞をAns.Qで尋ねているて、照れますねぇ(高笑)。
    胃袋さん、恥ずかしがらずに私に聞けば、それはもう「手取り足取り」教えて差し上げましたのに・・・・(暗笑)。

    BUN

  4. しかし、日清戦争直前の歌ということは、清国を元に見立てた歌だったんですね。
    BUN

  5. >それはもう「手取り足取り」教えて差し上げましたのに
     いや、そんなこと言いそうだからここに書いたんですけど(笑)
    胃袋3分の1

  6. BUNさま、ご指摘ありがとうございました。歌詞には自信があったのですが、調子に乗って西條八十と書いたのは完全な勇み足でした。昭和の歌だと思っていたら、明治25年の作だったのですね。しかも作者は28センチ、もとい28歳の女性だったとのこと。↓に詳しい解説が載ってました。
    http://village.infoweb.or.jp/~fwhk4659/genkou.htm

    ところで、「ここぞ国のため」という歌詞には違和感を覚えます。鎌倉武士にとっては武功を挙げるのは恩賞のためとお家の名誉のためであり、忠君と愛国はイコールではなくって、それは基本的に幕末まで変わらなかった筈ですが、御一新後たった24年にして、日本の歴史を通じて忠君=愛国だったという国民常識が出来あがったことに驚きを感じます。
    Sampon

  7. この歌と鎌倉武士に愛国心があったかどうかは別の話でして、日清両国間の緊張状態を二度目の元寇であり、国難である。という内容であったと読むべきではないでしょうか。私は当時の日蓮他の行動や発言を見ても「国難」意識はある形で存在したと思いますし、江戸時代ではなおのこと「国家」を考えやすくなっていたと、本居宣長以降の国学者や何人かの兵学者とその読者の存在から思います。

    でも、軍歌って結構意外な人達が作詞していますよね。

    「誰か思わん暁の 夢驚かす攻撃を
     つんざく雲の切れ間より 見よ 轟々と舞い下る
     必殺の雷 海の鷲 しんしん迫る 潜航艇
     
     天も砕ける 轟爆音 今こそ知れや 米艦隊
     正義の決意 すでにして 凱歌は揚がる この八日
     一望万里 太平洋 あれあり望む 大東亜」

    上のは私が三つだけ暗唱できる北原白秋の作品のうちのひとつです。
    白秋独特の叙情溢れる詞と「ハワイ大海戦」という美しい題が心を洗いますね。
    ああ、北原白秋は素晴らしい。

    BUN

  8. BUN師匠、フォローありがとうございました。わたしも西條八十について調べましたが、「東京音頭」も「蘇州夜曲」も「若鷲の歌」も「青い山脈」も、みんな彼の作だったのですね。
    Sampon

  9. >北原白秋
     おお懐かしい!うちの小学校の校歌の作詞者ですね。
     ちなみに作曲は滝連太郎でございますね。
    胃袋3分の1


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