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340 船長や艦長は船が沈む時、船と運命を共にすることが昔は多かったのですが(今はわからないけど)なぜですか?私が知っている限りではタイタニック号のスミス船長や飛龍の加来大佐がいますが。
ぱるぱる

  1. 精神論に関しては分かりません。
    名誉という概念は、個人の感性の問題であるばかりでなく、
    その時代時代が要求するものでもあり、
    誰かの何らかの判断を“愚か”と嘲笑うことこそ“愚か”でしょう。

    中学生の頃、初めて山口少将 加来大佐の最期を知ったとき、
    「なんと男らしい立派な最期だ」と感動しました。

    高校生になると、
    「バカなことをするものだ、生き残って次のチャンスを待てばいいものを」
    と考えるようになりました。

    その後の感想は、
    「唯只管に悲しい」
    と変化しました。


    原則論としては、

    「現場の最高責任者は最後まで残留」

    これは、本来、どんなケースにも適用されてしかるべきだと思います。
    その仕事を終えた後の身の振り方は、この書き込みの振り出しに戻る。


    雪風2

  2.  軍人さんの場合、艦を失うということを負け、もしくは艦の保全という任務の失敗と認識し、その責任をとってという意味合いもあると思います。こういう形の自殺は昔からありますし。
    tomo

  3.  100トンぐらいの船舶の免許を持っている人物から聞いた話なのですが、

     「沈没事故など、全員が船を降りる必要がある事故がおきた場合、
    船長は乗員・乗客全員の降船を確認し、一番最後に船を降りる」

    ことになっているそうです。私はこの話を信じていたのですが。

    どんべ

  4. 「船長は船と共に死ね」というのは世界的な常識だと思いますよ。
    そうした言葉が教本に書かれることも多くありますし、訓示される事も別に異常なことではありません。逆に日本では教本、典範類にそのような事が書かれることは無かったようです。
     ただ、これは沈没に際して、必ず死ねと言う事ではなく、「全責任を負え」という厳しい心構えを説いた言葉であり、大失策を犯したと思った艦長は文字通り船と共に死を選ぶこともあった、と受け取るべきでしょう。
    BUN

  5. 全くの余談になりますが・・・。B−17のような大型機が被弾し乗員脱出という事態になった場合、機長は他の乗員が脱出するまでコクピットにとどまり機を安定飛行させる責任があったそうです。傷ついた機を最後まで操る彼らの姿は日本・ドイツの迎撃戦闘機パイロットにも目撃されており、その勇気と献身には「敵ながらあっぱれ」と賞賛されています。
    ささき

  6. 吉川潔少佐でしたか「艦長がいちいち艦と運命を共にしたのではたまらない」
    と批判しています。艦長になるには長年の経験と技術が要求され、すぐに
    育たない事への警鐘を発しています

    Kz

  7. こういうのは世界的な慣例のようですね。

    そういえば、日本海で沈没して重油を撒き散らした「ナホトカ号」も
    船長さんだけ遺体で見つかっています。(他は全員救助)
    ごるぴゐ

  8. 大正8年6月、令達第百十一、艦船職員服務規程によると第三十三条に

    「艦長ハ其ノ艦遭難ニ際シ之ヲ救護スルノ術全ク尽キタルトキハ 御写真ヲ守護シ乗員ノ生命ヲ救助
    シ且重要ナル書類物件等ヲ保護シテ最後ニ退艦スヘシ…以下略」

    とありますので、基本的には退艦するのが普通だと思っているんですが、遭難と戦闘による沈没との
    違いがあるのかもしれません。

    源五郎

  9.  分野が少し違って恐縮なのですが,以前大型客船の船長をなさっていた方から聞いた話ですが,船長の仕事とは「最後に腹を切ること」だそうです。
     船というものは,集団で動かすものであって,一人や二人の人間ではどうにもなりません。今までのログにあるように,自分に与えられた全責任を果たしていると,逃げ遅れることは当たり前でしょうし,裁判や事情聴取となっても,航海士などがしてくれます。となれば,最後に腹を切ることがその仕事となるようです。
    となりの大トロ

  10. 6.に追加を、
     命中率三倍論で有名な黛氏は「自分が艦の喪失に対してミスを犯したときは腹を切れ(それ以外なら生き延びろ)」という趣旨の発言をしていましたね。
    ペンギン

  11.  記憶なんですが、黛氏は米国勤務を終えて帰国した時の最初の仕事が「部署
    標準?」の改訂であったそうです。
     なんでも、平時、事故などによって艦艇が沈む時の規定がその中にあるそうで、
    艦長は積んである内火艇等で脱出するべし、というのを削除したそうです。

     戦時に関しては、黛氏によれば、レイテ作戦前にシンガポールで補給した際に
    同期の艦長と呑み会をやり、「艦長は艦と運命を共にする必要は無し」という雰
    囲気であったそうです。
     しかし、同海戦で沈没した艦艇の艦長が艦と運命を共にしたのは「機関室や弾
    薬庫で脱出出来ずに艦と運命を共にする部下がいるのに、艦長が脱出するわけに
    はいかない」という感情からではないか。と回想しておられました。
    tackow


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