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404 明治時代の華族令による爵位で「公侯伯子男」てありますよね。
これの語源をどなたかご教示ください。
それと、ヨーロッパの場合の起源も、わかれば。
有朋

  1.  ここは軍事系の質問掲示板なのですが、定期的にこういう関係ない質問て来ますね。

     以下平凡社百科辞典の「爵位」の項丸写し。

    古代中国における爵位の呼称は時代によって異なるが,一般に天子によって賜与され (賜爵),天子を頂点とする身分秩序 (爵制) の編成を志向したものである。すでに殷代に三等爵制が存在したと説く書物もあるが,歴史上有名なものは,周公によって制定されたと伝えられる周爵であろう。これは公・侯・伯・子・男からなるいわゆる五等爵制で, 爵位に応じて采邑や秩禄が賜与されたという。しかしながら,呼称自体は卜辞や金文に現れるものの,はたしてそれが爵位として身分秩序の画定に作用していたか疑いがある。また,体系的な記述としては,戦国期の《孟子》以前にさかのぼることができない。そのため,いわゆる周の五等爵制とは,春秋中期以降に諸侯の会盟が行われたさい,その席次決定の必要から生じたものか,もしくは戦国期の思想家が周代に仮託した理想的制度であろう,とする見解が有力である。

    ついでにヨーロッパも、

     古代ローマの貴族には,位階序列を表す称号はなく,ヨーロッパの爵位は,中世・近世においてその発達をみることができる。国と時代により差異はあるが,一般に知られている爵位は, 公 (デュークduke),侯 (マーキスmarquis), 伯 (アールearl),子 (バイカウントviscount), 男 (バロンbaron) の 5 位階である (かっこ内は英語)。これらのうち,公と伯の呼称が歴史的に見て最も古く,それぞれ古ゲルマンの軍事統率者であるドゥクスdux (ドイツ語はヘルツォーク,フランス語はデュクduc),フランク国王の統治権とりわけ裁判権を地方管区ごとに執行する役人としてのコメスcomes (ドイツ語はグラーフ,フランス語はコントcomte) とにさかのぼる。封建制度の発達にともなって,両者はいずれも官職的性格を失って,封建諸侯の称号となり,公は国王の直属封臣のうち最高の位を占めた。公と伯の中間に位置する侯は,もともとフランク王国時代に,異民族との辺境地域の統治をゆだねられた辺境伯 (ドイツ語はマルクグラーフMarkgraf) に由来し,その軍事的重要性のゆえに,しばしば公の名を帯びたが,のちにはこうした歴史的起源とは無関係な,封建貴族の称号となる。スペインやポルトガルでは,14 〜 15 世紀以降,有力貴族にこの称号 (マルケスmarqレ冱) がさかんに与えられた。一般に,封建王制が確立する中世盛期以後,これらの爵位は国王が授与し,称号に表現される栄誉の配分を通じて政治秩序の組織化に役だてられたが,それ以前には,軍事的・政治的な実力にもとづいて各地の豪族がみずからそれ相応の称号をおびることが多かった。イギリスの伯 (アール) は,アングロ・サクソン時代に地方の行政・司法・軍事等の権力を王からゆだねられた貴族のエアルドルマンealdormanに由来し, 11 世紀にこれがアールと呼ばれるようになるが,ノルマン・コンクエスト後,シェリフ(アングロ・サクソン時代のスキルゲレファ scirgerefa) に州長官としての実権を奪われるにつれて,単なる称号と化した。デュークとマーキスは,大陸の制度に倣ったもので,アングロ・サクソン時代にはさかのぼらない。

     イギリスの爵位貴族nobility はロードlordの敬称を帯び, サーsirの称号をもつ騎士 knight 階層から区別されるが, 爵位は当該家門の長男によって世襲されるのが常であった。子爵の名は,中世初期に伯の職務を代行した役人 vicecomes に由来し,ノルマン・コンクエスト後のイギリスではシェリフにこの名が適用されたが,これもやがて単なる爵位と化した。 爵位の最下級のバロンに対応するドイツ語フライヘルFreiherrは, 11 世紀以降,グラーフの下に位置する騎士的な小領主層 freie Herren を指したが,彼らの一部は中世末期にグラーフへと上昇し,一部は家士 (ミニステリアーレ) と融合することにより下級貴族の一称号となり, 18 世紀には皇帝直属の帝国騎士Reichsritter身分がフライヘルと呼ばれた。プロイセン改革の指導者シュタインの家門などがその例である。

    これらの爵位の称号は,貴族の身分的特権の一つであり,フランス革命や 48 年革命において,土地領主権や裁判権などの他の身分特権が廃止され貴族制が廃止されても,貴族の称号としての爵位は残存し,ブルジョアなど財力で貴族の称号を新たに得た〈爵位貴族〉とともに,支配階層を形成した。 爵位が廃止されるのは,ドイツでは第 1 次世界大戦後のドイツ革命を通じてであり, 1918 年に新規の爵位の授与が禁じられ,ドイツでは,名目的な使用だけは許されたが,オーストリアでは爵位を用いることはまったく禁止された。これに対し,イギリスでは,現在にいたるまで, 爵位の使用と授与が行われている。

    ネット上の平凡社百科辞典のサイト。5分間繰り返し無料で使えて便利。

    http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/
     

     
    名は秘す

  2. や、これは申し訳ない。今後気を付けます。
    そして、にもかかわらずご教示、有難うございます。


    有朋

  3. いえこちらこそ、それに読み返してみたら結構ミリタリーと関係ありましたね。
    名は秘す


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