QQCCMMVVGGTT
434 いつも教えていただきまして有難うございます。
本の名前は失念しましたが、ずっと前に太平洋戦争中に米軍に撃墜された日本軍大型機に搭乗していた参謀クラスの回顧録を読む機会がありました。その回顧録に「撃墜され負傷した後、友軍の救出部隊に助け出された。その後、化膿止めを注射された」と言う意味の記述がありました。そこで質問ですが、戦時中の日本軍はペニシリンなどは持っていなかったと聞きましたが、サルファ剤などの薬剤は持っていたのでしょうか。教えてください。お願いします。
クラマ

  1. 日本軍は米軍ほど豊富で一般的ではありませんがサルファ剤を持っていました。またペニシリンも実用へ向けて研究が進められています。
    BUN

  2.  日本におけるペニシリン(当時は『碧素』と呼ばれていた)は、1944年1月27日に陸軍大臣から開発命令が下り、軍医学校の稲垣克彦少佐をリーダーとする碧素研究会において、半年から7ヶ月以内に完成という期限付きの下、開発が進められました。そして、同年11月16日に完成が報告され、12月から培養と量産が開始されています。
     当時、日本にもたらされていたペニシリンに関する情報は、ドイツからもたらされた論文等ほんのわずかでした。しかも物資不足甚だしい戦争末期、さらに、ペニシリン開発に先行していたアメリカの開発データ(アメリカは1943年にペニシリンを完成)を見たわけではありません。このような状況の中で、アメリカですら14年かかったというペニシリン開発をわずか10ヶ月ほどで完成させた日本の研究者たちの努力は称賛に値するでしょう。

     この陸軍で開発されたペニシリンが初めて臨床で使われたのは、広島は呉市で敗血症を患って重態だった少年に対する治療だそうですが、この経緯というのがちょっと変わっています。
     治療には碧素(ペニシリン)を使うしかないと言われた少年の父親が上京して碧素を探したが見つからず、駅かバス停の待合いで途方に暮れていたところ、偶然そこにいた軍の医療将校を見つけ、碧素をご存じありませんかと尋ねたら、事情を聞いたその将校は、これを使いなさいと持っていた碧素のアンプルを渡したそうです。その将校は碧素の開発に携わった人物でした。
     少年は碧素によって無事全快し、現在も存命中だそうです。
    <『たけしの万物創世紀』スペシャルより>
    ブラック・タロン

  3. 瑣末なことではありますが、当時の新聞記事でも「ペニシリン」は「ペニシリン」と表記されています。十九年末頃でもそうなので、最初から「ペニシリン」という単語が流通していた可能性も高いのではないでしょうか。
    BUN

  4.  角田 房子著 「碧素・日本ペニシリン物語」を読むと戦時中の日本国内での
    ペニシリンの研究、生産の様子がほとんどわかります。文庫本でも出ているはず
    です。
    プリンス

  5. 情報を頂きまして有難うございました。
    クラマ


Back