ちょっと気になると夜も眠れない。

艦船関係
Ans.Q

どうでも良いことなのに…、誰か助けて!


・ あなたが疑問を持っているなら、ここで記入してください。
名前:

*ここは新規質問投稿欄です。質問への回答ではありません。
[戻る]

1001 現代の軍艦はたいていが艦尾が逆さまになったカマボコみたいに真っ平らで角ばってますが、ああいう形を世界で最初に採用した艦って何ですか?
橘型も平らですが角は丸まってるのでこういったのではなく、キッチリと角ばった設計の艦を教えてください。
レオ

  1.  トランサム・スターンtransom sternのことだと思いますが、ああいう形状は帆船時代からありますし、丸木舟にもあります。したがって、どの船が最初かなどというのは非常に難しい話です。
     ただ、戦時に急造された艦艇には、工作の手間を省くため、この形状が多く取り入れられており、第1次大戦時のアメリカのイーグル・ボートなどは、そのはじめの方かなと思っています。
     もっとも、「キッチリと角ばった」と書かれると、どうなのかなとは思いますが。
     
    hush


  2. >hush 様
    回答ありがとうございます。
    あの船形は歴史のある形だったんですね、知りませんでした。自分はてっきり最近開発されたものと思い込んでいました。
    今では丸い艦尾の艦はさっぱり見かけませんが、こっちのほうが消滅してしまわないか心配です。
    レオ


  3. >最近開発されたものと思い込んでいました
     同じように思われている方は多いと思いますよ。
     http://www.warbirds.jp/ansq/22/B2002437.html
     あと、御参考までに
     http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001866.html
     http://www.warbirds.jp/ansqn/logs-prev/B001/B0003156.html
     
    hush



1000  戦艦でも巡洋艦でも、砲を主戦兵装とする砲艦はだいたい主砲を撃つと衝撃でどこかが壊れるとかいう逸話があります。戦闘能力に関係ない部分が壊れるには大したことは無いんでしょうが、中にはそれが壊れたら戦闘継続に支障が出るような備品が壊れたりするとなると改良なり修正なりしなきゃいけなくなります。

 こういうのが当たり前になったのっていつ頃からなんでしょうか?

 同一の砲で統制射撃を行うようになったドレッドノート級以後は多分もうそうだったろうなととは思いますが、前ド級の頃にはすでにそうなってましたか?
 さすがに戦列艦ではそうでもないんじゃないかと思いますが・・・
おうる

  1. 1880年あたりの、中央砲塔/露砲塔艦を見ると首尾線方向に撃とうものなら爆風で甲板上が色々大変だろうなと想像できますね。

    前弩級艦でも中間砲が大口径になってくると射角によっては爆風が甲板上に影響しそうですね。

    ご質問は「衝撃で」ということなので、戦艦ネプチューンの船体強度が不足で斉射に耐えられないとかそういうことを言いたいのかもしれませんが。
    超音速


  2.  「改良なり修正なりしなきゃいけなくなり」だしたのはいつかという御質問ですので、随分とずれた回答になりますが、できたから問題なしということは太古からありえませんので、対策はしたけれど、問題が生じたケースで考えてみました。
     発射の衝撃により、艦の運用や戦闘継続に不都合を生じるほどの影響が出たというのは、筒内爆発等を除けば、
     1 日清戦争時の三景艦で艦が大傾斜
     2 ビスマルク等のレーダーが故障
     3 レイテ沖海戦時の武蔵で、方位盤が故障
     というあたりでしょうか。
     うち、1については傾斜の復原速度が遅かったことから伝わった誤伝とも言われています。
     また、3も、そういう乗員の証言があるというだけで、第1次空襲時に主砲は発射しておらず、魚雷の命中、もしくは高速急転舵の連続による艦体震動が原因とも言われています。
     したがって、重要なのは2に相当するケースでしょうが、これは、大和級でも生じており、スリガオ海峡海戦でもウエスト・ヴァージニアのMk8レーダーが故障しています。
     これに対して、無線機の故障は存じませんので、当時のレーダーの脆弱性、特に真空管の問題だったのだろうと思っています。
     発射の衝撃により、運用や戦闘継続に不都合を生じないように設計するのは当たり前です。それでも、完成後にいろいろと問題が生じますので、対策が練られます。たとえば、壊れやすい搭載艇や搭載機は格納庫に入れる、あるいは離脱させるというようなものです。
     にもかかわらず、2のような事案が頻発したということは、そのような電子機器が脆弱であることは分かっていたが、あると有利であるので、あえて搭載されたからと考えております。
     この考えが正しいとすれば、艦載レーダーの登場以降ということになりそうです。
     
    hush


  3. 例によって、回答が遅れて申し訳ない。
    まず、御質問の「こういうのが当たり前」というのが問題であり、さらに「衝撃」の意味が不明です。
    1.軍艦へ大砲を搭載したり、搭載した大砲を発射したりする際には、原則として不都合が生じない措置が予め採られています。しかし、その措置が不十分であったり、予想されない事情や事態が生じた場合に問題となります。これは、軍艦への大砲の搭載に限らず、何時の時代でも、また何にでもいえます。御質問の軍艦への大砲の搭載では、第2次世界大戦以前の例を挙げると、商船に6インチ砲を搭載する際には、原則として据付箇所の補強がなされます。(初期の世界の艦船。旧海軍の造船官)。ドレッドノートで主砲をミシガンのような配置としなかったのは爆風対策のためといわれています。この場合は、杞憂(結果は誤り)でしたが。しかしながら、人は神様でないため、実際には種々不都合が生じることがあります。その例を、御質問の軍艦に搭載した大砲を例にして以下に記載します。
    2.衝撃が発射の際の反動という意味ならば、三景艦がそうです。艦の先または後に搭載した32センチ砲は約4000トンの艦の重量に対して反動が大き過ぎたため、真横方向に発射すれば艦の進行方向が反対方向に曲ったそうです。伊藤正徳著「大海軍を想う」。米国の初期の重巡は、一斉に8インチ砲を発射すると散布界が拡がり過ぎたが、レキシントン級空母ではそうではなかったため、一因として艦が撓んだことが挙げられています。
    衝撃が爆風という意味ならば、英国戦艦ネルソンを挙げられます。艦首に在る16インチ砲9門を一斉射撃した際の爆風はすさまじく、艦のあちこちに損傷が発生したそうです。このため、艦首方向と艦尾方向への射撃は非常時を除き制限されていたそうです(世界の艦船に掲載された福井著「英国戦艦ネルソン型に関する考察」)。なお、大和が第2砲塔と司令塔の間に副砲を搭載したのは、単に魚雷攻撃をしてくる敵駆逐艦に対する利便のみならず、18インチ砲6門の一斉射撃に対する爆風の艦橋への悪影響を防止する意図もあったと想います。なお、大和では戦訓により追加された対空砲、機銃に、特に捜査する人員に大きな悪影響があったそうです。
    蛇足ながら、大型艦に対する魚雷攻撃は、回避されないように前方または斜め前方から行なうのが原則です(初期の世界の艦船。旧海軍造船官)。

    UK


  4. >3
     三景艦については、2に申しましたように、世に喧伝されていることは、誤伝である可能性が強いです。
     桜と錨氏がブログに書いておられるように、もし、そのような致命的な欠陥があるのなら、他の艦のように砲の換装を行ったはずだからです。
     もっとも、このカネー砲は、計画段階では42口径だったが、38口径に改められて完成していますので、計画のままでは何らかの不具合が予想されたのかもしれません。ただし、竣工後の射撃成績等を見ていても、それを窺わせるようなものは発見できませんでした。
     したがって、記述中の伊藤正徳が上記にかかるものであるとするのなら、聞いた話を面白く書いたのが、誤伝の原因であるのかもしれないと思っています。
     
    hush



999 フォレスタル級以降の、最初からアングルドデッキを有して完成したアメリカの空母ってどんなソナーを積んでる(積んでた)んですか?
完成前や入渠中の写真等を見ると、とても大きなバウを有しているように見受けられるので、積むなら立派なものが積めそうですが…
エセックス級の一部がSQS-23を積んでいたことまでは調べられました。よろしくお願いします。
レオ

  1.  CVS改装をされたエセックス級を除くと、バウ・ソナーを装備していたのはアメリカだけで、エセックス級と同じくAN/SQS-23を搭載しています。あと、ジョン・F・ケネディも計画段階では搭載予定でしたが、実際には装備されていません。
     
    hush


  2. >hush 様
    ご返答ありがとうございます。
    つまり、基本積んでいないんですね。ソナーは護衛の艦艇に任せるって感じなんでしょうか。
    同じ級でも積んでる艦と積んでない艦が混在しているのが不思議な感じです。
    レオ


  3.  ソナーは、音を拾うためのものですから、周囲に雑音があるといけません。このため、停止、あるいは低速での航行が必要ということになりますが、これは攻撃を受けやすいということになります。このため、ソナーを装備するのは小型の、つまり、価格が安く、大量生産できる艦艇となります。また、逆に、大型艦艇、特に防御力の弱い空母には、充分な護衛艦艇を用意できるのなら装備する必要性はないわけです。
     それが変わったのは、AN/SQS-23という、それまでのものより格段に長い探知能力を持つソナーが開発されたからです。これを使えば、長距離で探知して、対潜攻撃機を送り込んで撃沈という戦術が使えるからです。もちろん、護衛艦艇に装備するソナーの情報に頼ってもいいのですが、当時はデーター・リンクも発展途上ですから、自艦が装備したほうが楽だったわけです。したがって、エセックス級を対潜空母に改造する際に、このソナーもセットで装備され、新造空母にもとなったわけです。
     ところが、ヘリコプターと吊下げ式ソナーの発達により、このメリットはなくなります。搭載ヘリコプターを派遣して潜水艦を探知させれば、自分が音波を発して相手の潜水艦に発見される危険性を冒す必要性がなくなるからです。
     JFKの場合、アメリカが発注されてから4年後の発注です。おそらく、その間に上記の発達があり、ソナーの搭載が計画されたが、必要性がなくなったということです。
     つまり、アメリカの戦後の攻撃型空母でアメリカだけがソナー搭載しているのは、端境期の計画だからなのです。
     
    hush


  4. >hush 様
    丁寧な説明ありがとうございます。
    大きなバウを有しているだけにもったいなく感じてしまいます。
    レオ


  5. >4
    >大きなバウを有しているだけに
     多分、大きなバルバス・バウという意味でしょうが、そこにソナーを入れると乗員が増えますし、維持費も必要になります。動かすのに水測員が1人でよかったとしても、軍艦は3交代勤務ですので、それだけで3人必要なわけです。
     もちろん、機械だけ入れておいて人員を配置しないということも可能ですが、それでも装備代はかかります。そして、軍の装備というものは、確実に動くことが求められますので、使用の有無に関わらず、常に部品交換をする必要があります。
     したがって、設置するほうがもったいないのです。
     なお、JFKは、戦後建造のアメリカ空母としては珍しく、艦首端にアンカーがあります。これは、バウ・ソナーの保護が目的ですので、ソナーが要らないと決まったのは、かなり遅かったということになります。したがって、装備予定だったソナーはすでに発注されていた可能性がありますが、そうだったとしても、他艦に転用されたのでしょう。
     
    hush


  6. >hush 様
    ありがとうございます。あのバウは純粋に造波抵抗へのものだったんですね。よく分かりました。
    レオ


  7.  ありゃ
     http://navgunschl.sblo.jp/article/187170457.html
     失礼いたしました。
     
    hush



998 恐れ入ります、大戦中の駆逐艦の動向に関して疑問に感じていることがあり、質問をさせてください。
第六駆逐隊は昭和18年に入り、第1艦隊隷下に編成された第11水雷戦隊に編入されました。しかし当時の第六駆逐隊所属艦の内、響・電の両艦は18年4月1日付で軽巡龍田と共に11水戦へ編入されていますが、雷に関しては行動年譜を見るかぎり11水戦に編入された旨の記述は無く、そのまま船団護衛やミレ・クサイ島輸送に参加しているようです。
雷は18年3月に若葉と接触損傷し、六駆の11水戦編入の際は横須賀で修理に入っておりその事が影響しているのかとも思いましたが、横須賀出渠以降〜戦没の間の所属はどのようになっていたのでしょうか?
六駆に復帰→11水戦へ編入されたのか、それとも単艦で防備隊などに編入されていたのでしょうか?
18年4月以降の雷の所属についてご存じのかたがいらっしゃいましたらなにとぞご教示お願いいたします。
DD

  1. こちら ↓ は如何でしょうか

    http://hush.gooside.com/name/i/Ik/Ikadzuchi/Ikadzuchi.html#anchor329513
    駄レス国務長官


  2. >駄レス国務長官様、ご回答ありがとうございます

     実はそちらのサイト(The Naval Data Base)も閲覧してはいたのです。 同サイトの第11水雷戦隊の項目に『1943.4/1軽巡洋艦龍田、第6駆逐隊(駆逐艦雷、電、響)、駆逐艦新月で第1艦隊隷下に新編』とあり、雷も11水戦に編入されたのだと思っていたのです。ところが一方で
     雷の項目…『4/1第6駆逐隊(電、響)は軽巡洋艦龍田等と第1艦隊隷下に第11水雷戦隊を新編』とはありますが雷自体の11水戦編入に関しては記述が無く、また
     電の項目…『(44,2)23-5高松寄港後第6駆逐隊(響、電)は空母千代田を護衛して/26-3/1横須賀』
     響の項目には『43.4/1第6駆逐隊は第1艦隊第11水雷戦隊に編入』と、雷に関しての記述がやはり無いのです
     第六駆逐隊の項目にも『4/14雷沈没(6/10除籍)』の記述はあるものの、雷の11水戦編入に関しては触れられていませんでした。
     その他、光人社「日本海軍艦艇写真集16−駆逐艦吹雪型」の行動年表も、響・電両艦については『18・4・1:第1艦隊第11水雷戦隊に編入される』との記述があるのですが、雷は『18・3・30:幌筵海峡にて若葉と触衝、18・4・6:大湊入港11日横須賀回航修理、18・5・1:横須賀〜トラック間の船団護衛に六回従事』とあるだけで以下戦没まで六駆の中で唯一、11水雷編入の記述が見られないのです
     更に雷の射撃指揮中継所下士官・橋本兵曹の回想記である光人社NF文庫「特型駆逐艦”雷”海戦記」でも若葉との接触→横須賀で修理の経緯はあるのですが、雷の11水雷編入に関しての記述は無く、実際に11水雷へ編入されたのか?六駆所属のままだったのか?とかえって実状がよくわからなくなってしまい、こちらのサイトで質問させていただいた次第なのです
    折角、ご回答をいただき申し訳ないのですが…
    DD


  3.  いい加減なサイトを作りまして申し訳なく思っております。
     結論だけ申し上げますと、3隻とも第11水雷戦隊編入から1944年6月10日の解隊まで所属は変わっておりません。
     
    hush


  4. hush様!ご回答いただきありがとうございます!
    >3隻とも第11水雷戦隊編入から1944年6月10日の解隊まで所属は変わっておりません

     第六駆逐艦は3隻揃って11水戦へ編入されたということなのですね。
     実は今回の六駆の件に興味を持ったのは、hush様のサイトで3水戦編成史を知ったことがきっかけでして…、各水雷戦隊や10戦隊の編成や駆逐隊序列を調べられないか?と興味を持ち、その中でも錬成隊故にどうも変遷がわかりにくい11水戦の戦時日誌でも残っていないか、いろいろ調べていたのです(11水戦と10戦隊の編成序列は難しいですね…)
    hush様のサイトは各艦船の誕生から終焉までのプロフィール、艦隊・戦隊の戦歴や海軍軍人の皆様の経歴にいたるまで詳細が網羅され、またその膨大な情報もとても検索し易く、いつも利用させていただいております(実は本日も夕方からつい今しがたまでずっと閲覧しておりました…)
    船乗りや艦の経歴は、彼ら彼女らの履歴書であり生きた証だと思っております。ですのでその生涯の記録や研究を残すことは非常に意義あることと考えております。
    今後のhush様のサイトのより一層の充実とご活動ご活躍をお祈りしつつ…

    この度はご回答をいただき本当にありがとうございました。
    DD


  5. すみません…hush様から直接のご回答をいただき、嬉しいあまりに文章が抜けてしまいました

    >実は今回の六駆の件に興味を持ったのは、hush様のサイトで3水戦編成史を知ったことがきっかけでして…
    ↓↓
    >実は今回の六駆の件に興味を持ったのは、hush様のサイトで(各水戦戦隊の変遷の詳細を知り、そこから出沼様のサイトで)3水戦編成史を知ったことがきっかけでして…

    です…。()内が抜けたまま送信してしまいました
    hush様、出沼様、申し訳ありません、失礼いたしました。
    DD


  6.  鄭重なお言葉を賜り恐縮致しております。
     何分、いろいろなところに手を出しておりますので、整合性に欠ける部分も多々あり、仰られるような凄いサイトではないことは、充分、承知しております。
     それはそうと、第11水雷戦隊ならびに第10戦隊の戦時日誌がアジア歴史資料センターでWeb公開されております。
     ご興味があれば、一度、御覧になられてはと思っています。
     
    hush


  7. >1
     拙サイトを紹介していただきありがとうございます。
     ちょっと慌ててしまいまして、御礼を申し上げるのが前後して申し訳なく思っております。
     
    hush


  8. >6
    hush様
    第11水雷戦隊と第10戦隊の戦時日誌の件、ご教示いただきありがとうございます。
    アジア歴史資料センターのデータは膨大であり、今まで(少し敷居が高いかな)と、必要な場面だけをチョコチョコとつまみ食いのように利用していたのですが、やはり一次データは『点』を調べるのではなく、点を『線』として結び、更にそれを『面』にするような調べ方をしないとダメですね…お恥ずかしい限りです。
    今度は時間をかけじっくりとデータを閲覧しようと思います。

    hush様、駄レス国務長官
    様、この度はご回答・ご教示くださり本当にありがとうございました。
    DD


  9. >8
     いや、つまみ食いでいいんです。たとえば、アジ歴のリファレンス番号C08030126000が第11水雷戦隊戦時日誌(1)ですが、その17コマ目に麾下艦船の行動というのがありまして、それを見ますと1943年4月1日〜30日の編制ならびに各艦の居場所が一目瞭然で分かるわけです。そういうのが毎月書かれていますので、それを見るだけでいいのではと思っております。
     
    hush



997 初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。
翔鶴型って3番艦や4番艦、もしくはそれ以降を建造する予定はなかったんですか?大鳳は改型が予定されてましたが、翔鶴型は自分の調べた限りでは翔鶴・瑞鶴の2隻しかなくって寂しいです。
レオ

  1. 翔鶴型の改良強化版(飛行甲板の装甲化)が大鳳および改型なので我慢しましょう
    駄レス国務長官


  2. >駄レス国務長官 様
    ご返答ありがとうございます、やっぱり鶴の次は鳳で鶴は2つのみなんですね…
    個人的には凄く出来がいいし、外見もカッコいいと思うだけに悲しいです。
    レオ


  3. 鳳よか活躍したので以って瞑すべきでしょう
    駄レス国務長官


  4. アメリカみたいにポンポン量産できるだけの予算・資源・施設があれば良かったんですけどね・・・。

    エセックス型航空母艦だけでも日米開戦前の段階で発注済み11隻、起工済み5隻って・・・。
    一体どうしろと。
    Ranchan


  5. 米国でも新型が出れば旧型は量産しないでしょう
    駄レス国務長官


  6. と言うか翔鶴型も大鳳もWW2勃発以前の建造計画で元々2隻と1隻しか計上されてませんので同大戦中と比べられましても
    レス国務長官


  7. >駄レス国務長官様

    言葉足らずで申し訳ありません。4.を訂正させて頂きます。

    「アメリカみたいにポンポン量産できるだけの」

    「アメリカみたいに姉妹艦を同時に何隻もポンポン量産できるだけの」
    Ranchan


  8. 翔鶴型はエセックス級のカウンターパートと考えてもいいんでしょうか。
    排水量や条約に縛られない点とかを考えてみると似てるなと思ったのですが…
    レオ


  9. >7.
    あいや小職も「エセックス型航空母艦だけでも」と書かれたのを見落としていたようで相済みませんでした

    >8.
    そう見ていいと思いますけど
    駄レス国務長官


  10. >翔鶴型はエセックス級のカウンターパートと考えてもいいんでしょうか。
    エセックス級1番艦が計上されたのが第二次ヴィンソン案、
    これに対抗すべく予算化されたのがマル4計画なので、
    エセックス級1番艦のカウンターパートはマル4計画の大鳳と言う事になります。

    エセックス級2番艦以降へのカウンターパートはマル5計画ですが、
    この辺りになるともう無理くりって感じになりますね
    大艦巨砲趣味者


  11. >10.
    条約明け最初の計画が日は○三米は第二次ヴィンソンで艦型などを見ても充分カウンターパート(対手)の関係だと思いますけど
    後から出てきたモノがカウンターパートならエセックスが翔鶴型のカウンターパートってコトになりませんかね
    駄レス国務長官


  12. ……完成時期で見るなら翔鶴型のカウンターパートはホーネットって気がします、同艦は実質的に無条約時代に突入した後の計画ですし。
    起工時期で見ればエセックスのカウンターパートは同年に起工された大鳳でしょうし、翔鶴型が竣工する4カ月前に起工されたエセックスをカウンターパートとは言い難いのでは。
    薩摩


  13. カウンターパートとはほんらい同格の相手のコトですから排水量で翔鶴型の八掛けしか無いホーネットは格下でしょう
    建造時期だけでなく総合的に見れば>8.の見解は妥当と思いますけど
    駄レス国務長官



996 金剛代艦(藤本案)について質問です。
この設計案において副砲は艦首・艦尾と、明らかにヴァイタルパートから外れた所に副砲塔がありますが、
これでどういう防御を施すつもりだったのか知りたいです。

砲塔部のみならば大和型同様、防火シャッターで防ぐことも可能でしょうけど、
砲塔直下の弾薬庫は流石に間接防御で対処するのは無理があると思うのですが。
実は砲架で弾薬庫が無い、と言うのは流石に無いでしょうし…
大艦巨砲趣味者

  1. イヤまさしくその流石で砲塔直下は砲側準備スペース程度でバイタル内の本庫から途中適宜防火扉を配した水平コンベアーで順繰りに運ぶってのが現実的じゃないんでしょうか

    駄レス国務長官


  2. ボックス・シタデルでヴァイタルパートは別の防御を施す予定だった、って可能性はないでしょうか?
    薩摩


  3. 重心から離れた艦首尾に重量物置くとピッチングが酷くなりますからそもそもそんな所に砲塔なんか置くなってハナシじゃないんでしょうか
    駄レス国務長官


  4. 回答ありがとうございます。

    >駄レス国務長官様
    うーん、本当に砲架の可能性が有るんですね、
    砲戦中の事を考えるとそんなに長い砲弾薬輸送路があると言うのは
    ダメージコントロールを重視したと言う割には問題あり過ぎじゃないかな?と思ったので…

    >薩摩様
    ボックスシタデルだと仮定すると、防御装甲をどう設けても問題があると思うのです
    口径相応の対巡洋艦規模のシタデルでは対戦艦砲戦では意味がありませんし、
    対戦艦砲レベルの厚みのシタデル設ける位だと、ヴァイタル伸ばすのと変わらない位重量がかかるのでは。
    大艦巨砲趣味者


  5. >4.
    とうぜん防御甲板の直下か一層下あたりと考えたんですけど如何でしょうか <搬路
    駄レス国務長官


  6. >5
    ヴァイタルパート内はそれで良いと思うんですが、
    ヴァイタルパート外については搬路が守れないのではないでしょうか?
    大艦巨砲趣味者


  7. 三万五千トンに収めるには大胆な割り切りが必要です
    駄レス国務長官


  8. 遅れて申し訳ない。捜し出すのに時間がかかりました。
    1.別個の防御区画とされています。(丸スペシャル1986年6月号。梅野氏記載「金剛代艦建造計画の概要」。)
    2.世界の艦船1962年3月号から13回にわたって掲載された福井氏著「英国戦艦ネルソン型に関する一考察」、特に5月号によると、横隔壁は特に海面下には扉を設けない、副砲といえども砲塔形式として弾丸の搬送路が連なるケースメイト方式は採用しないこと等は、当時の戦艦設計の基本とされています。
    3.なお、平賀案のケースメイト方式は、古いと言う記事を読んだことがあります。また、条約明けの新戦艦は、全て砲塔形式です。
    UK


  9. >>8
    回答ありがとうございます。

    別個の防御区画と言うとボックスシタデル防御を取っていると言う事になりますかね
    (それとも全体防御方式を取っているという説明もあるのでそこまでヴァイタルを伸ばしている?)
    大艦巨砲趣味者


  10. これ ↓ 見るとバイタルは一番三番主砲塔間と読めますけど

    https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/hiraga/document/7d2db455-38a9-4df2-a3eb-31f1c393be54#?c=0&m=0&s=0&cv=1&xywh=1719%2C1875%2C1601%2C955
    (バイタルが短過ぎて機関部が収まりきらないとは思いつつ)

    あと艦首副砲塔下の船体形状は喫水線辺りで大分細くなってるはず
    いろいろ考えると天才造船官もかなり無理してるなと思う今日この頃
    駄レス国務長官


  11. >>10
    確かにヴァイタルパートの両端は主砲塔間になっているようですね。
    少なくともヴァイタルパートがそこまで伸びていると言う事が無いのは理解しました。
    大艦巨砲趣味者



995 初めて質問させていただきます
日本海軍の潜水艦について、大戦中の写真で甲板上に白いラインを記入しているものがあります(ペナン出港中の伊10・上空からの伊37・伊11後甲板での万歳三唱・ペナン到着の呂500など)
写真のキャプションでは味方識別帯となっており、槇幸氏の伊25潜の回送にも”飛行機格納庫に白い識別帯を記入した”との記述がありますが、この白帯の本数や記入場所は特定の規則・訓令に基づいてなされたものなのでしょうか?
(例えば前記の伊10・呂500は前甲板に白線2本、伊37は後甲板に白線2本、伊11は後甲板艦橋寄りの14サンチ砲付近に白線1本…と異なっており、あるいは駆逐艦に於ける所属水雷戦隊や駆逐隊の序列を示す煙突白線のような法則があるのか…?と疑問を持ったのですが、手持ちの海人社『日本潜水艦史』、大日本絵画『日本海軍の潜水艦』等の資料にも解説が見当たらず、ネット上でも見つけることが出来ませんでした)
御存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただきたく、何卒宜しくお願い申し上げます

  1. 潜水艦の識別は規定があり、時期で異ります。
    煙突の白線のように個艦を識別する区分はなく各艦共通です。

    BUN


  2. BUN様
    ご回答をいただきありがとうございました
    >潜水艦の識別は規定があり、時期で異ります
    潜水艦は時期によって塗色の傾向や日の丸の大きさも異なっていたりと興味深いです、また水平面の黒塗装や遣独復路の伊30潜の顕著な濃淡塗装など惹かれる点が多いです
    >煙突の白線のように個艦を識別する区分はなく各艦共通です
    成る程共通なのですね
    実は某所で太線+細線の(ちょうど駆逐艦の4番隊のような)識別帯を付けた丙型潜と太線1本の潜特の模型を見たもので、(??あるいは…?)と思った次第です
    潜水艦は水上艦と比べて同型個艦の差異が少ないせいか模型でも他艦種と比べ人気が無いようで、その為か塗装や識別帯等に視点を置いた資料がなかなか見られず(見つからず)やっと辿り着いたのがこちらのサイトでした、そして今回BUN様にご回答をいただき本当にありがたいです
    日本海軍の潜水艦は苛烈な戦場で任務を黙々とこなし消耗して行きました、しかし劣勢の中で旧式艦を操り米艦に魚雷を放ったL型呂61潜や、ドイツで装備したFlak38で最後まで戦った伊8潜など潜水艦乗り達の逸話に読む度に、日本潜水艦の様々な面からの更なる研究・検証が進むことを願って已みません


  3. すぐに原文を提示できないので心苦しいのですが、
    識別標識は部隊でも異り、例えば19年の八潜戦では幅1mで甲板サイズの白十字を描いています。
    BUN


  4. BUN様
     重ねての御教示、ありがとうございます

    >識別標識は部隊でも異り、例えば19年の八潜戦では幅1mで甲板サイズの白十字を描いています。
     19年の八潜戦というと、それまでの所属艦が太平洋へ引き抜かれ、伊8・37・165・166の4隻のみでの編成になった時期でしょうか?
    これまで潜水艦の識別標識は白の直線と白地に三角の標識のみと思っていましたので、白十字の標識の存在は初めて知りました
    本当にありがとうございます



994 旧海軍の艦艇へ施されていた迷彩塗装についていくつか質問させていただきます。
海防艦って迷彩塗装がされていたんですか?wikipediaにも載せられている「鵜来」の進水式の写真を見ると、光の加減を考えても同じ色で塗られているようには見えず、一方で他の海防艦はどう見ても同じ色一色で塗装されているようにも見えて混乱しております。
また、「雲龍」は進水時は迷彩がされていなくて後から迷彩に塗ったって本当ですか?
次に、「伊吹」も残されている写真を見ると単色で塗られているように見えて定番の迷彩の塗り分けがされていないようですが、完成していたら塗り直す予定だったんでしょうか。同じように未完成だった「笠置」は迷彩の塗り分けがバッチリ見えますが、何か事情があるんでしょうか。それとも自分の目が悪いだけでしょうか。
最後に、もしよろしければ旧海軍の水上艦で末期まで残っていたものの、迷彩はされていなかった艦を教えてください。
ジゴキシン

誰か答えて下さい。

993 この質問は削除されました
管理者


992 スプルーアンス級はもう全艦退役したことになってますが、軍艦籍から退いただけでまだ試験艦?として動いているのがいると聞きました。検索してもよく(全く?)出てこないので、詳しい方がいらっしゃられましたら教えてください。
ジゴキシン

  1.  (DD464)ポール・F・フォスターは2004年に除籍後試験艦となり旧ポール・F・フォスターと呼ばれています。
     
    hush


  2. ありがとうございます。調べたところ画像やどんな任務に供されているか分かりました。
    画像では錆が目立ってましたが、やっぱり最前線にいないとそういった面でのメンテナンスはされないのですかね。
    何となくあすかとの違いを感じてしまいました。
    ジゴキシン


  3.  御免なさい。DD464ではなくて、964でした。
     錆が目立つとということでしたが
     http://www.navsource.org/archives/05/964.htm
     上記に収められた2003年あたりのではそうですが、最近の写真ではけっこう綺麗になっていますので、ご安心下さい。
     
    hush



991 巡洋戦艦という艦種について英語での呼称がバトルクルーザーなのであるから巡洋戦艦よりも戦闘巡洋艦と訳した方が適切であるという意見があります。
英国のインヴィンシブル級が世界最初のそれですがこれは当初大型装甲巡洋艦、つまりラージアーマードクルーザーと呼ばれていたわけですが、そこから一気にバトルクルーザーと呼ばれ出したのではなくファストバトルシップ、バトルシップクルーザーを経てそれが短縮されてバトルクルーザーになった。バトルクルーザーのバトルとはバトルシップが短縮したものであるから訳として巡洋戦艦の方が適切という意見も目にしました。
結局どちらが正しいのでしょうか?

  1. バトルシップ・クルーザーのバトルシップは名詞の形容詞的用法で和訳すれば戦艦的巡洋艦ですから巡洋艦の一種には変わりないと思いますけど
    駄レス国務長官


  2.  ジェーン年鑑の記載がArmored CruiserからCruising Battleshipを経てBattlecruiserに落ち着いた経緯から考えると、最終的に戦艦よりも巡洋艦の範疇に入れていたと考えられます。実際、帝政ドイツの場合はマッケンゼンに至るまで、すべてがGrosse Kreuzer大型巡洋艦で、ナチス・ドイツになってからのシャルンホルストでSchlachtschiff戦艦となり、Z計画にあるP級は巡洋戦艦と日本ではなっていますが、ドイツではPanzerschiffe装甲艦です。
     これに対して、日本で戦闘巡洋艦ではなく、巡洋戦艦としたのは、そちらのほうが、国威発揚とか、予算修得によかったいうような別の理由ではなかったかと愚考致しております。
     
    hush


  3. 艦種類別変更で巡洋戦艦が制定された大正元年八月の時点では帝国海軍に弩級戦艦が摂津河内しかなく扶桑よか先に金剛型4隻が就役の見込ってのも有ったんじゃないでしょうか
    ちなみに金剛・比叡・榛名・霧島は計画上それぞれ伊号装甲巡洋艦・卯号装甲巡洋艦・第二号装甲巡洋艦・第三号装甲巡洋艦と呼ばれてました
    あでも巡洋戦艦の語感と艦種は好きです(違)
    駄レス国務長官


  4. >3
     それを忘れておりました!
     
    hush


  5. ありがとうございます。
    それでいてフッドなんかは単に戦艦と呼ばれていたことあるそうですからややこしいですね...


  6. >5
     フッドがFast battleship高速戦艦と呼ばれたのは事実ですが、公式にはあくまでも巡洋戦艦で、旧日本海軍のように巡洋戦艦から戦艦に艦種変更したわけではないようです。
     
    hush


  7. 「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」もドイツ海軍では「Schlachtschiff(戦艦)」なのによく巡洋戦艦と言われますものね・・・。

    Ranchan


  8. >7
     あれって、同級の装甲をどこまで理解していたのか分かりませんが、イギリスがBattlecruiserに分類したのが始まりのようで、チャーチルがそう書いているそうです(後にBattleship)。
     https://en.wikipedia.org/wiki/Scharnhorst-class_battleship#Classification
     まさか、陸軍の軍人の名をとっているから巡洋戦艦としたわけではないと思いますが。
     もっとも、私は巡洋戦艦として親しんできたのですが。
     
    hush


  9. 次期遅れかも知れませんが、質問の前提そのものが不明です。本質問に限らず、何故翻訳した名称、それも少なからず直訳にする必要があるのでしょうか。我国としては、もっとも相応しい名称にすればそでで良いと思われますが。
    戦艦の攻撃力と巡洋艦の速度を持つから、巡洋戦艦、略して巡戦で良いではありませんか。
    ともかく、我国の海幕議長あるいは軍令部長に相当する米国の職を作戦部長と直訳したり、warshipを戦艦と誤訳したり、本当にいやですね。


    UK


  10. それを言うなら戦艦の攻撃力を持つ巡洋艦なので戦闘巡洋艦略して戦巡でも良いではありませんか
    駄レス国務長官



990 初めて質問させていただきます、どうぞよろしくお願いいたします。
私事ですが、最近とあるゲームに熱中しており、そのゲームはブロックを積んで船を始めとした色々なものを作るゲームです。手っ取り早く表すならばマインクラフトに近いと言ったところでしょうか。
そのゲームで、諸外国含め色んな軍艦を再現してみようと考えているのですが、外観だけ再現するだけでは気が済まないので、内部(居住区画や機関室等)の配置も極力再現した凝ったものにしたいです。
そこで、船の外観だけでなく内部まで記されている設計図が欲しいのですが、どういった入手方法があるでしょうか。もちろん現役の船のそういった物は無理だというのは踏まえており、まずは手始めに旧海軍の艦船を作りたいと考えております。
ジゴキシン

  1. 原書房 昭和造船史別冊「日本海軍艦艇図面集」日本造船協会編 などは如何でしょうか
    「日本の古本屋」で二万二千円から出てます

    駄レス国務長官


  2. × 日本造船協会
    ○ 日本造船学会
    駄レス国務長官


  3. ありがとうございます。早速買ってみようと思います。
    大鳳や信濃の資料って残っていたんですね。検索してみたところ書籍の説明に書かれておりびっくりしました。
    ジゴキシン


  4. 大和や信濃は当時の原図でなく戦後にリライトされたモノらしいのでそれでも宜しければ
    改装長門や翔鶴あたりまでは原図の写しと思われます

    駄レス国務長官


  5. 艦艇図面集は良い資料ですが、元は造船のお仕事用資料のようなものが図面ですし、予備知識が無くいきなり読んでも分かりづらいかもしれません。国会図書館を利用するという手もあるので、購入する前に少し読んでみてはいかがでしょうか?複写サービスでまず目次のページを郵送してもらって読み、それから読みたい図面のページを指定して複写サービスでお願いするというやり方も可能です。大型艦は情報量が多くて理解するのが大変なので、最初は階層が少なく床面積が小さい駆逐艦の図面をおすすめします。


    あとは、個人的にはヤヌス・シコルスキー氏の図面集もお勧めしたいところです。一冊丸ごと解説書籍としてまとめたものなので、原図面だけよりはだいぶ分かりやすいかと思います。また、造船の図面は仕事で必要のない部分は省略されたりもしていますが、こちらは解説目的なので、扉だとか床の排水口がどんな形だとかまで細かく載っています。軍艦に乗ったら中はどうなっているんだろう?という想像をしてみたい向きにはこちらの方が適っているかもしれません。


    みがも


  6. ありがとうございます、お財布事情を考えて、取り寄せしてから発注に切り替えてみようと思います。
    確かにまずは小型艦からがいいですね。いきなり大型艦を作るのは難しいですね。
    ジゴキシン



989 戦艦大和の舷側装甲板の寸法は5.9m×3.6m×0.410mだったらしいのですが、どうしてこのサイズになったのでしょうか?
舷側装甲を巨大な1枚の装甲板で作ることが出来れば、理論上防御力はかなり上がるはずです。
このサイズになった原因といいますか、工作機械や製造上の制約となった物はなんだったのでしょうか?
当時日本は200トンの大型鋼塊を製造可能だったようですが、上記の寸法に鉄の密度を掛けてみると約69トン程です。装甲板の焼入れや切削加工、圧延加工といった加工を行う上での制約があったのでしょうか?

喜兵衛

  1. 当該甲鉄は圧延前に鍛錬するため独逸より当時世界最大の一万五千トン水圧プレスを購入したとありますので寸法制約要因はその門柱間隔とかではないでしょうか
    ちなみにコレ ↓ が四千トンなので一万五千トンだと門柱間隔は約二倍と成ります(水圧シリンダーの内径に比例と推定)
    http://www.daimaru-kozai.co.jp/forging/
    駄レス国務長官


  2. ちなみに舷側甲鉄は進水後に装着しますので起重機の力量(150トン前後)にも制約されますし前後左右のバランスも取りながら進めなくてはなりませんのであまり一枚を重くすることは出来ません


    駄レス国務長官


  3. 鍛造プレスの寸法が、関係していたとは!ありがとうございます。
    喜兵衛


  4.  提示の寸法から上部舷側装甲のことだと存じます。船の大きさから必要長さは決まってきます。下部舷側装甲とは厚さが異なるし、途中で曲がっているので、一体連続ものとして製造はできません。
     幅については最終圧延ロールの幅で決まってきます。寸法から考えるとロール幅は5m近くあったのではないでしょうか。圧延機は12,000馬力の蒸気機関で駆動するものすごいものでした。使用する鋼塊の大きさからも最大幅は決まります。今回の場合、160トンの鋼塊を15000トンプレスで鍛錬した後疎圧延したり色々やって最終的には、6.5mx4.1mx0.42m の鋼板が得られます。端の部分を切り落としさらに厚み方向を少し削り最終品に仕上げます。途中で不純物が多いとされる部分を切り落とすので、少しずつ小さくなっています。総重量は半分になっていますが、こんなものなんでしょう。
     この記事は、堀川一男「海軍製鋼技術物語」(2000年、アグネ技術センター)からです。この本はかなり詳しく、大砲のことなども書いてあるので役に立つと思います。
    電気戦艦


  5. 4行目の「最大幅」を「最大長さ」に訂正します。元になる鋼塊の大きさと幅との関係で可能な最大長さが決まります。これはあくまで算数の話ですが。
    電気戦艦


  6. 書籍まで教えていただき、ありがとうございます!近くの図書館に置いているようなので、早速行ってみようかと思います!
    喜兵衛


  7. 2: 駄レス閣下、大和の舷側甲鉄は、浸水後に装着可能でしょうか。建造時の長門と異なり、水面下は舷側装甲の外部にはバルジが在りますが。
    UK


  8. 7: 浸水を進水に訂正します。
    UK


  9. >7-8.
    進水重量軽減のため上部舷側甲鉄は進水後の取付でバルジ上部はその後に取付です(喫水が浅いうちは作業可能)

    駄レス国務長官



988 紀元二千六百年特別観艦式について
国立公文書館アジア歴史資料センター
紀元二千六百年祝典記録・第6冊https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A10110010200
から、参加航空機の機種を調べようとしています。
これの271ページによると、
空中分列式の第5群に飛行艇が20機いたようですが、大と中と書かれたものがあり、これは、97式飛行艇と99式飛行艇のことを指しているのかと考えています。
97式飛行艇が観艦式で写っている写真は有名ですが、少数しか生産されていない99式飛行艇が参加していたのか気になります。皆様のお考えを教えていただければ幸いです。
仮置零士

  1.  微妙ですね。
     99式の初飛行は1936年ですが制式採用は40年2月、その半年強後の10月の観艦式にどれだけ部隊に配備されたかということを考えるとfd中が91式を示す可能性はあります。
     ただ、翌41年に生産が中止されまでに試作機も含めて20機が製造されたことを考えると、表中にある合計9機があったとしてもそう不思議はないことかもしれません。
     一応、当時の佐世保、佐伯航空隊の配備状況を調べてみましたが、99式が配属されていたかどうかは分かりませんでした。
     ただ、観艦式という晴れの舞台ですから新鋭機を出したいでしょうから、運用できるものがあれば出すとは思います。
     もっとも、佐世保航空隊はともかく、採用後半年強の新鋭機を佐伯にまで配備できたかというと、それも疑問はありますので、もしかしたら混用だったのかもしれません。
     
    hush


  2. 日本ニュース第19号「紀元二千六百年特別観艦式」に空中を航過する飛行艇の映像が映っています。映像内のものは全て97式飛行艇に見えます。

    「紀元二千六百年祝典記録・第6冊」の序列図と見比べてみて、映像でとらえられているのは第二集団指揮小隊の飛行艇5機・第5群先頭の飛行艇9機と判別できると思います(いずれも97式)。
    序列図で500mとされている指揮小隊と第5群先頭の間隔からすると列が詰まりすぎているようにも見えますが、映っているのが指揮小隊抜きの第5群のみとするとそれはそれで並びがおかしい事になるでしょうし、ここは指揮小隊と第5群前半に位置する横浜空分、のべ「大」14機と判断しました。
    あと数秒長く第5群の通過が映っていれば謎が解けたのに・・・。惜しいですね。
    さわりんX


  3. 皆さん有難うございます。やはり、99式が参加していたかは、なかなか難しいですね。

    仮置零士



987  大和級戦艦の装甲システムには重大な欠陥が有りました。上部舷側装甲を支持する構造物と下部舷側装甲を支持する構造物が、本来連続であるべきところをわざわざ上下に分割されています。その分割された隙間に棚板という部材が入り込み、結局全体としての上下方向の連続性が不完全になっています。
 1943年12月に米潜の魚雷により大破孔が生じました。調査の結果上記の弱さが立証されましたが、もはや対策は不可能でした。この棚板という物は、バルジを船体本体に取り付けるため、船体内部から上下舷側装甲の間を貫き外部に突き出しています。これらを考えると、
 「この棚板は本当に必要だったのか。他の既存戦艦を改装するとき、バルジはリベット(一部溶接も)により、外部から船体に張り付けられている。大和の場合もそうすれば棚板なしですんだのではないか。」という感想や疑問が浮かんできます。皆様のお考えを教えていただければ幸いです。
電気戦艦

  1. 確かに不連続ではありますが問題とするのが浸水量であれば構造云々よか水防区画の大小の方がより重要ではないでしょうか
    駄レス国務長官


  2. 1.重巡洋艦でなく戦艦では、重量があり、敵弾命中時の衝撃も大きな舷側装甲は船体に貼りつけるのではなく、棚板でしっかりと支持するのが原則です。(初期の世界の艦船の旧海軍技術官。確か堀氏、または福井氏)
    2.舷側装甲は、1枚では製造不可。大和では、上部と下部の傾斜が異なる為なおさらです。また、下部もさらに上下に分割されて製造されています。1枚では、製造不可だったと思います。
    3.構造的には一体の心算だったが、支持をキーや支持材の横断面への押圧でなくリベットの歪断によったこと、魚雷の威力が想定(TNT350kg)以上であったことが原因です。
    UK


  3. 当該部が十字断面の一体部材で魚雷の威力が想定内であったとしても船体構造で爆圧をはね返せるとは考えられませんしあまり頑丈に作ると爆圧が船体深奥部に及んで却って被害が拡大する恐れが有りますから敢えて外側を弱く造るってのもアリなんじゃないでしょうか
    駄レス国務長官


  4. 魚雷爆発に対する防御は、火薬量300kg程度の場合に装甲で対処しようとすると、30cm程度の厚さが必要なので重量的に成立しません。そこで、外板の破壊には目を瞑り、内側に液層や空気層を設けて爆発力を和らげ、外板から3〜5メートル程度内部に設置した強固な隔壁で爆発力を防ぐのが基本です。この際、この隔壁の多少の水漏れ等には目を瞑り、最後の防水隔壁・・・大和では9mm・・・で艦内への浸水を防ぐようにします。(初期の世界の艦船。旧海軍の造船官。堀氏または福井氏。)なお、大和では、バイタルパートでは水中弾対策の装甲が爆圧を吸収する計画でした。その他、1988年ごろの世界の艦船の日米戦艦比較論が参考になります。著者は、牧野茂氏。
    UK


  5. そもそも装甲は対弾防御が目的で水中帯甲も水雷に対してはスプリンター防禦にはなりますが爆圧は自ら吸収せず内部構造に伝えますから構造材の永久変形ないし破断によって浸水を惹起するんじゃないでしょうか

    >大和では、バイタルパートでは水中弾対策の装甲が爆圧を吸収する計画でした。

    当該文献を確認しましたが上記の意味と解釈されます

    あと大和型では下部帯甲と水雷隔壁の間隔は上端約2.7m下端約1.5mですから仰せの3〜5mには全然足りてませんね
    駄レス国務長官


  6. 下部装甲の上端は、外板から1,3m程度しか離れていませんが厚さは200mmあります。また、下端の厚さは0.05m程度ですが、外板から3.5m程度離れています。このため、支持さえ充分であれば、爆圧に耐える筈でした。実際には、リベットが切断されて支持部材ごと内側に押し込まれました。リベットの切断がなければ、上下の船体が一体になって爆圧を受け持つので、TNT換算で400kg強の航空魚雷であれば、充分耐えたでしょう。
    なお、戦艦を狙う際の魚雷の深度は、4m程度です。但し、出典は思いだせませn。
    UK


  7. > 支持さえ充分であれば、
    > リベットの切断がなければ、

    繰り返しますが当該部が十字断面の一体部材であっても船体構造の永久変形は起こり浸水は不可避であったと言うのが小職の見解です
    駄レス国務長官


  8.  爆圧で一旦引っ込んだ装甲が弾性で元に戻る際にコーキングが壊れるので、どのみち装甲では浸水は防げないんじゃなかったでしたっけ?
    おうる


  9. 魚雷が命中すれば、多少の浸水が生じるのは不可避です。設計時の見積もりでは、大和はTNT350kgの爆薬で1000トン、ノースカロライナは同じく700ポンドで500トンです。また、命中箇所から多少離れていても、爆発時の振動で、特に複数本が命中すれば、方位盤が狂ったり(大和)、レーダーの支持が破損したり(ノースカロライナ)、リベットが緩んだりします。要は、浸水であれば、厳しい重量制限の下で、どの程度に抑えるかです。
    あと、本来の質問から離れるので、これまでとします。
    UK


  10. >9.
    > 要は、浸水であれば、厳しい重量制限の下で、どの程度に抑えるかです。

    >1.に書いたコトと同じではありませんか
    駄レス国務長官


  11.  皆さま、いろいろ議論していただきありがとうございます。水防区画の大きさと配置は大変重要なことでありますので、今後自分として考えていきたいと思っています。
     私の最初の質問では、棚板というものはいらないのではということでした。調べてみますとこの部材は、縦フレーム(縦肋骨)の一つであり、バルジ上方側面まで伸びた幅の広い大きいものです。簡単には省略できないようで、これが上下舷側装甲の間を通るのはやむをえません。この場合、装甲を支える上下の(背板+フレーム)ユニットを強固に結合するには、牧野さんが最初に考えたような十字形のアーマー(装甲)受け材が最適と考えます。牧野さんの論文(日米戦艦比較論)では、呉工廠の製鋼部から製作できないと言われて案を引っ込めたとありますが、本当に不可能だったのでしょうか。実際の受け材は底面が平面だから製作可能であるということですが、この平面も最初からあるわけではなく、鋼塊から削り出したものです。とにかくト形の受け材が加工できたということは、大型のプレーナ(平削り盤)が動いていたということですので、なんとか工夫して十字形の受け材できなかったかと感じます。
     構造物の強度には「絶対的に強い」ということもなく「絶対的に弱い」ということもありません。全て相対的なものです。しかし、ある要素の設計を考える時は、許される範囲でできるだけ強くしておくことが必要でしょう。今問題にしている大和のこの部分は見ただけで頼りなさそうです。実際に設計に当たった人たちもこの部分にはかなり心配していたようです。松本喜太郎「戦艦大和 設計と建造」の付図見ると青焼き図面に、この部分について手書きでいろいろな案が書き込まれています(1937年5月段階)。


     
    電気戦艦


  12. 上下別々の丁字断面の受材を十字断面とすれば「棚板」と書かれてる28ミリDSの縦通部材を貫通し連続性を損ないますから造船官も諦めたのではないでしょうか
    図面上の手書き案も生産性含め原案以上のものではなさそうです
    仮に当該部分を強化しても次に弱いトコロが壊れますからね

    駄レス国務長官



[管理人専用]

管理者 F4U : Ans.Q v1.40 [Shigeto Nakazawa]