ちょっと気になると夜も眠れない。 車両関係 Ans.Q どうでも良いことなのに…、誰か助けて! |
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第二次大戦のドイツでナースホルンやフンメルで使用されていたIII/IV号車台はIII号戦車のパーツとIV号戦車のパーツを組み合わせたものだということですが、具体的にIII号戦車・IV号戦車と何が違うのですか? また、ナースホルンやフンメル以外にこの車台を採用している車両はありますか? ご存知の方いらっしゃいましたら、どうかご教授いただけると幸いです。 東亜連邦 |
ごちゃ混ぜにしたものですので一言で説明するのはかなり難しいです。
車体自体は新設計です、故に見た目が同じでも転輪間隔が異なります。
概ね駆動系を三号系統から流用してますが
エンジン補器は4号流用があったり
転輪は4号だが起動輪だけ三号(試作時は4号)で
かつ時期により仕様が異なるなど
細部を調べたら数十種類はあるかもしれないレベルです
なんで転輪だけは4号なのってって疑問でしたら
当時枯渇していた4号転輪の専用生産工場の竣工の兼ね合いなど
供給面での問題かと思います
三号は戦車生産は終了予定で突撃砲型は継続生産、拡大が
予定されており、そちらに優先するつもり(それ以外に供給する余裕がない)
と思われます。
派生派については
フンメル車台に砲を載せていないだけの弾薬運搬車が製造されてます
砲を載せるだけでフンメルに戻す(改造)ことができる物
次世代10cm榴弾砲自走砲のホイシュレッケ、クルップ案
ラインメタル案試作車両にIII/IV号車台ベースに新設計された
車両が用いられてる物
試作されてごく少数が先行生産されたものもありますが結局
新規製造するほどの物でないと廃案になってます。
車体試作の検討段階で8.8cm高射砲を搭載する物
これは別の武器運搬車車台で開発されることになり
物になってないペーパープランです
大戦末期にフンメル台車に10.5cm軽榴弾砲leFH18を搭載した物
これは戦後連合軍に提出された書類に11両製造されたと
記録がある事と、別資料で(うろ覚えですが)部隊に
配備されたと見た覚えもありますが
配備の有無については眉唾と思ってください。
自分の把握してるのは上記4件となります。
ももんが
http://combat1.sakura.ne.jp/3+4GOU-R.htm
まさのり
371 |
第二次大戦末期の中国戦線について。 独立混成第7旅団史というサイトで米式装備の第一戦区軍のM4中戦車には手も足も出なかったような事が書かれています。ansqか別の何処かの書き込みで見た記憶だと中国軍のM4中戦車は緬甸方面に配備されていた様で中国戦線での日本軍との交戦は殆ど無かった様に書かれていたので意外でした。 昭和20年以降になるとM4中戦車は中国戦線でも多数運用されていたのでしょうか? 豚 |
Taki
豚
370 |
第二次大戦ドイツ陸軍の車載機関銃としてMG34が最後まで使われたのは、後継機のMG42が銃身斜め横スライド交換方式だったのに対し、MG34が銃身後方引抜交換方式だったため、銃身交換の際乗員が車外に出なくて済むからだったと言われていますが、本当でしょうか? 銃そのものを車内に引き込んで、車内で銃身交換すればいいだけの話ではないでしょうか?機関銃そのものの性能としてはMG42の方が断然優れていると思うのですが…。 備後ピート |
固定武器ってものは取り付けた際に照準調整しないと使い物になりません。
車内も広くありませんので
「ラッチを外し引き抜いて足元に転がしてる予備をつかんで差し込み固定」と
「マウント固定を外し車内に引き込んでから銃身固定ラッチをずらし引き抜いて予備銃身をセットし固定してボールマウントに差し込んで固定」が
どちらが簡便で早いと思いますか?
車内を見たことある人ではないので予想ですが狭い車内で機銃を全部引き抜くのは座席に座ったままでは困難と思いますし、座ったままが不可能なら
作責からずれる動作も加わります。
見た事は有りませんが恐らくボールマウント重機はボルト固定と思いますし
何の書籍か忘れましたが確かボールマウントに据え付けてるMG42は銃身交換不可能の記載がありました。
ボールマウントの形状を変えれば42も使えるようなものはできたのかもしれませんがそうすると既存の車両との互換性の問題が出てきます。
ももんが
369 |
1980年代ぐらいまでは、ソ連系戦車や自衛隊でも74式がドラム缶のドロップタンクを使ってた記憶があります。 しかし今は見かけません。何故なのでしょうか? 素人目には良いアイデアだと思うのですが。 似非ハンター |
・建前では、戦闘前には投下するのですがしないまま戦闘に入る車両がある。
・いくら燃えずらいとは言え、昨今のトラック火災を見ると…中東戦争の時イスラエル軍は、エジプト軍の撃破しずらいJS-3戦車を撃破するため曳航弾でドラム缶を狙ったみたいです。
まさのり
まさのり
確かに薄い鉄板一枚のドラム缶は、弱点にはなりますね。
似非ハンター
かめ
後部に装着された燃料タンクの付け根に分離装置が有り、その装置からワイヤー?が車外の金属製パイプ内を伝って車内へ伸びています。
詳しい動作内容は分かりませんが、中国人民革命軍事博物館にあった3輌のT-34/85(1輌はポーランド製)全てに付いていました。
陸奥屋
片
368 |
車長が一人何役もこなさなければならない二人乗りの戦車は能率的でないというのが妥当な評価だと思いますが、WW1のルノーFTの時点でそのような戦訓は得られなかったのでしょうか? TR |
おそらく後の戦車運用の基本となるような機動戦が無い上に敵側に戦車が存在せず、歩兵を支援しながら前進するのが基本で速度も遅いので周囲の状況の変化がそれほど早くなく周囲の監視と指揮に専従する乗員の必要性がそれほど高くなかったからでは?
おうる
TR
にも@一言。
質問者氏にとって
ww2アメリカの、「三人砲塔の量産体制を整えるには時間が掛かる」からリー/グラントの様な物を中継ぎとして量産するといった判断は
理解の外なのでせうから、先ず質問者様に対して「では菱形戦車が能率的なのですか?」と問い返しませう。
にも@二言。
車長が指揮に専念する方が効率が良いというのは戦車の運用が複雑化してきたから、というだけの話なのです。
みかん段ボール
菱形戦車は車長・砲手・装填手を分業しているので、車長が兼砲手兼装填手のルノーFTよりは車長が指揮に集中できたんじゃないでしょうか。後期の型は特に。
またロールスロイス装甲車やランチェスター装甲車は二人乗り砲塔、ガーフォードプチロフ装甲車は二〜三人乗り砲塔、FCM1A重戦車は三人乗り砲塔ですので、複数人砲塔はWW1にもありました。
しかし、WW1明け間もなく仏FCM2Cや米M1921中戦車や英中戦車マーク1やA1E1等、車長砲手装填手を分業した英スタイルの戦車が作られる一方で、
乗員を切り詰めたルノースタイルの戦車も多く作られているので、WW1で兼任車長は大変だという評価は得られなかったのかなと思い質問させていただきました。
余談ですが、もし1A重戦車が2C計画に食われずに実用化していたら、戦車の砲塔は三人乗りがベターだという意識が特に仏で早く広まったかもしれませんね。
TR
>その後継の戦車はしばらく二人乗り砲塔になってます
そうだったのですか。中戦車マーク1〜3、マークC、マークD、戦間期の巡航戦車、歩兵戦車はマチルダ1以外三人乗り砲塔だと記憶していました。
>車長が指揮に専念する方が効率が良いというのは戦車の運用が複雑化してきたから、というだけの話なのです。
いくらWW1がWW2に比べて単純で展開が遅いと言っても、砲塔旋回ハンドルもない原始的な一人乗り砲塔で照準を覗いて射撃する、射撃結果の観測をする、索敵や状況判断をする、操縦手に指示を出す、味方とコミュニケーションを取る、装填/装弾をする、とそれら全部を一人で迅速にやらなければならない車長は明らかにオーバーワークですから、車長が指揮に専念できた方が良いという戦訓がFTの時点で得られても不思議ではないと思いました。
ちなみにルノーFTの直系のR35について「2人乗り戦車は数が揃っても指揮官車についてウロウロ動くだけで物の役には立たない」という結論の意見を目にしたことがあり、印象に残ってます。
>理由の一つとして車体容積があります。大型の戦車を作るにはコストも技術も資源も必要で、乗員が増えるなら人的資源も必要です。
確かに戦間期の不況は深刻で豆戦車が流行した位ですものね。
仏が一人乗り砲塔に拘ったのは人的資源が理由の一つと言われていますね。
TR
367 |
三式中戦車の撃発についてですが、wikpediaには撃発手は無線手又は車長が行うと書いてます。 疑問に思うのは無線手が撃発手を兼ねる場合、右側にある拉縄を左側かつ砲より手前に居る無線手が引くというのはあまり理想的な配置では無いように思います。(というより砲塔旋回する際縄が砲手や装填手、車長に引っかかるのでは。)実際一式七糎半自走砲や一式十糎自走砲は右側に撃発手が居るため、三式中戦車もこれに準じてると思うのですが、無線手が兼任するという話はどこから出現したのでしょうか。 匿名 |
Taki
Taki
366 |
ヴィッカース6t戦車(単砲塔型)の砲塔が左に寄っているのはなぜですか? 東亜連邦 |
東亜連邦
Taki
365 |
日本軍戦車で冬季迷彩に塗られた車輌を見たことが無いのですが、日本陸軍戦車は冬季迷彩についての規定又は研究若しくは使用実績は無かったのでしょうか? 匿名 |
□ □
http://www3.plala.or.jp/takihome/mixi/diary/1763941/1006911.html
しかしこのような例は多くはなく、戦車兵だった方に聞いたところ、春になって剥がすのが大変なのでやらなくなったと言ってました。
Taki
364 |
日本陸軍戦車に使われた徹甲榴弾について 某Twitterで英国において2ポンド砲の徹甲榴弾は生産性の問題と不具合が多く、 炸薬も少ないので小口径徹甲榴弾の効果に疑問が持ち結局無垢徹甲弾に切り替えられたという内容がありました。 日本において似たような口径の47mmや37mmは無垢徹甲弾よりも徹甲榴弾が使われ続けましたが、 英国はともかく日本では無垢徹甲弾に比べ徹甲榴弾の方が何らかのメリットがあったから後半になるまで徹甲榴弾にこだわった理由があるのでしょうか。 みかん段ボール |
Taki
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本欄355番ですでに質問致しました北朝鮮の多軸ミサイル運搬車についてです。最近のYahooニュースのサイト「ミサイル爆発で死者発生「失敗隠し」焦る金正恩」(https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20220408-00290394)を見てください。多軸運搬車の前から3軸までのタイヤが側報を向いていますが、その傾きの量が前から大・中・小となっているように私には見えます。やはり精密なリンク機構があるのでは、と思った次第です。皆様のご意見をお聞かせください。 電気戦艦 |
電気戦艦
あとはコストパフォーマンスや周囲の他のコンポーネンツとのスペースやリソースの奪い合いに勝てるかどうかだけです。
どういう構造なのか興味があるのなら、現在の前2軸のトラックのリンケージを調べてみてください。
多軸で軸ごとに操舵角が比例するステアリング構造としてはあれが一番シンプルで信頼性が高いです。
おうる
電気戦艦
アッカーマンは一つの車軸で左右の車輪の操舵角をそれぞれ最適化するためのリンク機構で複数の車軸の操舵角を調整するための機構とは異なります。
前2軸(前輪が4つある)大型トラックを探してきて実物を見るのが一番分かりやすいと思います。ネット上で分かりやすい画像が無いか漁って見ましたが、都合の良い画像が掲載されているサイト(astamuse.com)が最近閉鎖されてしまったので日本語のサイトだとちょっと見つかりにくいですね。
一応「前二軸車ステアリングシステム」で画像検索をかけるとそれっぽいイラストが出てきます。
あとは「double front axle steering linkage layout」で画像検索をかけるともう少しマシなイラストが出てきますが、ズブの素人がコレ見ただけでわかるかというとちょっと難しいかもしれません。
やっぱり実物を探して見てください。近所のコンビニとかドライブインの駐車場に行けば、大抵は車の外から見ただけでもだいたいの構造は分かると思います。
おうる
電気戦艦
電気戦艦
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チョールヌイ・オリョール(オブイェークト640)=T-80UM2だと思っていたんですが、T-80UM2はAPSを搭載した型で、チョールヌイ・オリョールとは違うようですね。 それで、チョールヌイ・オリョールが正式採用されることがあったとしたらどんな名称になっていたと思いますか?(完全な妄想ですが…汗) 東亜連邦 |
ソビエット連邦
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日本陸軍の砲兵トラクターについての質問です。 九八式四屯牽引車の説明に付いてはWiki等に掲載されているのですが 九八式六屯牽引車(ロケ)に付いては何も書かれていません。 また光人社「軍用自動車入門」でも簡潔に書かれているだけです。 詳細とまでは言いませんが設計・製造メーカー・性能概略・生産数等が分かる 書籍・サイト等は有りませんでしょうか。 陸奥屋 |
陸奥屋
Taki
「機甲入門」は持ってなかったので早速注文しました。
陸奥屋
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日本軍戦車の主砲について質問です。 wikipediaなどでは一式四十七粍戦車砲の発射速度は毎分10発になってますが、なぜ三式七糎半戦車砲の最大発射速度の12発、2ポンド砲の毎分22発より低いのでしょうか。構造的な問題なのでしょうか? 園田 |
一式四十七ミリの毎分10発は一式機動四十七ミリ砲の数値だと思いますが、「移動目標に対し」とあります。
三式七糎半の方は元となった九〇式野砲が毎分最大12発となっていますが、これは移動目標を対象にしたものではないと思われます。
この「移動目標に対する射撃かどうか」が重要なのではないでしょうか?
元自
発射速度
固定目標に対しては一分間最大二〇発、実用一〇−一五発
酷寒季に於いては実用三発乃至七発
動目標に対しては一分間最大二〇発、実用一〇発内外
と報告されていますので、wikipedeiaの内容を気にする必要は無いでしょう。
発射速度の数値は最初から、概ねそれくらい、との目安なのです。
BUN
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いつも大変お世話になってます。 九七式中戦車の57mm砲塔型と新砲塔型の車内構造についてご教授ください、 車長が展望塔を視察する際、もしくは外部視察する際はどうやってその位置まで登っていたのでしょうか? 砲塔側に梯子的なものがあるのか、それとも床にあるシャフトやら弾薬箱やらを踏み台にして登ったのでしょうか? みかん段ボール |
また、九五式軽戦車の中へ入ってみましょう!:車両内部 大探検 というブログにある95式軽戦車も梯子はなさそうです。
hush
Taki
車長が展望塔のスリットから外部視察する際も内部の出っ張りに足を掛けて監視していたんでしょうか?
みかん段ボール
Taki
というのもチハ改とチヘとチヌの順に車高はどんどん高くなっており、チヌの関しては短砲身チハから40cm近く高くなっており、キューポラのスリットの位置がかなり高いように思います。
便乗質問
目の高さというのも、人によって随分と変わってくると思いますが、旧日本陸軍の戦車兵に身長の基準のようなものがあったのでしょうか。よく、戦車兵は小柄とか聞きますが、戦車兵から飛行機に転じた伯父は、大柄ではありませんでしたが、それほど小柄であったとも思えないのですが。
hush
新砲塔チハのスリット位置は15cmほど高くなっています。このままでは高すぎるので、床板で調整したのではないでしょうか。チヌ車はさらに高くなっていますが、チヌ車の床には弾薬箱が置かれていて床が高くなっています。
> 6
低い方に合したのでしょう。高ければしゃがめばよいのですから。戦車兵の身長に特別な基準はありません。徴兵検査の身長基準だけです。現役は身長1.55メートル以上ですから、これが低い方の身長です。
Taki
御教示ありがとうございます。
そういえば、身長が足りなくて不合格になった(戦時中ですので多分152cm)と伯父が嘆いていたという話を聞いたことがあります。その結果、生き残ったわけですから、何が幸いするか分かりません。
hush
358 |
昔、タミヤのKV−2の説明書きに「車体が少しでも傾斜すると砲塔が旋回できない」とありましたが、本当なんでしょうか? また、手動旋回だったティーガー1等でも同様(車体が水平でないと旋回できない)だったのでしょうか? 安井 賢一 |
hush
流石にタミヤのは与太話でしたか<旋回できない。
あのドデカイ砲塔が30度の傾斜でも回るとは驚きですが。
安井 賢一