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249  軍事というか工業技術の歴史に関する質問です。

 米国の戦車や車両等とドイツ軍の戦車の駆動系の耐久力の差からWW2当時のドイツでは高周波焼き入れ技術は使われていないと自分で勝手に思い込んでいたんですが、ドイツでの高周波焼き入れの導入は戦後になってからというのはあっていますか?それとも戦時中すでにドイツでは高周波焼き入れ技術は実現していたのでしょうか?

 アメリカが1930年に実用化し、日本には戦後に入ってきて、それによって日本のブルドーザー等建設重機の寿命が一挙に3倍くらいになったというのは話は聞いています。
おうる

  1. 調べた範囲では、ドイツでも戦前から技術はあったように思います。

    https://haertetechnik-hagen.de/induktionshaerten-partielles-haerten-in-hochgeschwindigkeit
    添付のHPには以下の記述がありました。
    Das Induktionshärten ist ein vergleichbares junges Verfahren zum Härten von Stahl. Das Verhütten von Eisenerz und das Erzeugen erster Stahlsorten liegt mehrere Jahrhundert in der Vergangenheit. Die Möglichkeit Stahl mit Hilfe von Elektrischer Induktion zu härten erforderte zunächst die Entdeckung der Elektrizität. Die ersten Versuche Stahl mittels Induktion zu Härten erfolgten im Jahr 1920. Das erste Kurbelwellenhärtewerk wurde in Deutschland 1938 in Betrieb genommen.
    高周波焼入れは、鋼を硬化させるための比較的若いプロセスです。鉄鉱石の製錬と最初の種類の鋼の生産は数世紀前にさかのぼります。電気誘導の助けを借りて鋼を硬化させる可能性は、最初は電気の発見を必要としました。誘導による鋼の硬化の最初の試みは1920年に行われました。最初のクランクシャフト硬化プラントは1938年にドイツで操業を開始しました。(機械翻訳)


    https://de.m.wikipedia.org/wiki/Panzerkampfwagen_IV
    また、このwikipediaには(駆動系の話ではありませんが)、
    Erfolgreiche Versuche mit einer neuartigen Induktionshärtung konnten auf die Panzerblechbearbeitung während des Krieges nicht mehr übertragen werden.
    新しいタイプの高周波焼入れで成功した試みは、戦争中に装甲板金加工に移すことができなくなりました。
    Successful attempts with a new type of induction hardening could no longer be transferred to armored sheet metal processing during the war.(機械翻訳)
    とあります。

    太助


  2. >>1
    回答ありがとうございます。

    少なくともIV号戦車の装甲板はレアメタル欠乏を高周波焼き入れによる硬化で補っていたようですね。
    一応、自分である程度検索していましたが現地語で検索するのは忘れてました。

    歯車のような形状の複雑な製品の硬化には高い周波数での高周波焼き入れが必要になりそうですが、ネットで調べた限りでは当時何Hzの焼き入れまで実用化していたのかは分かりませんでした。
    おうる


  3. >2 そこで言われている「しばしば100時間かかった表面硬化工程」とは浸炭焼き入れのことで、それに代わる火焔焼き入れへの転換で浸炭を行わずともブリネル硬度520を実現していた、というお話ではないでしょうか。
    BUN


  4. >>3
    そうですね…むしろ高周波焼き入れを装甲板の加工に用いることが出来なくなったという風に読み取れそうです。
    おうる



248 旧陸軍の歩兵操典について質問します。
とあるネット上に掲載されていた歩兵操典なのですが・・・

「第七十四 突撃は猛烈果敢にして敵を圧倒するの気勢充溢せざるべからず
突撃を為さしむるには著剣の後左の号令を下す
    突撃に 進メ
予令にて右手を以って木被の所に就き銃を確実に握り銃口を上にして提げ動令にて駈歩と同要領にて前進し次いで「突込メ」の号令にて喊声を発し的に向かいて突進し格闘す但し突入の稍々前に於いて両手を以って銃を保持して刺突の準備を為す
射撃しあるときは予令にて銃を安全装置にし動令にて前項に従い動作するものとす
……突撃に在りては剣鞘を握らざるも妨げなし
演習に在りては格闘に先だち「止レ」の号令を下す然るときは停止し敵を刺突するの構えを為す」

という記述があって銃撃戦中に突撃命令があった時は安全装置をかけることが定められていますが、某S氏ちんのお部屋に掲載されている昭和15年版歩兵操典を見ると、

「第74 夜間の突撃は地形地物に制せらるることなく果敢に実施し得るを要す。手榴弾の投擲の演練亦必要なり
夜間の突撃に在りては喊声を発せざるものとす 」

となっていて、安全装置云々という記述がありません。
先に挙げた方は昭和十二年版のようです。
どうやら昭和十五年改訂の際に安全装置云々の記述が削除されたようなのですが、戦術に変化があったという事ですか?
おうる

  1. 昭和十五年歩兵操典の七十四は夜間突撃で地形に妨げられないようにせよ、手榴弾投擲を重視し、喚声無しの静謐な攻撃を行う、との内容で、突撃一般の動作、要領を示していません。それよりも前の項で安全装置については触れていますので、基本動作の中に安全装置も含まれていると読むべきではないでしょうか。
    BUN


  2. >>1 回答ありがとうございます。

     確かに内容が重複していたので合理化簡略化したのかなとは思っていましたが、ちょうど近い時期に百式短機関銃が正式化されてるのでまさか戦術の変更があったのかと一抹の不安を覚えて質問させていただいた次第です。
    おうる



247 バルバロッサ作戦における、レニングラードを巡るOKHの意思決定がよくわかりません。
バルト海沿岸を補給基地にするという方針が放棄された経緯
攻略ではなく包囲に転換した理由
これらを明確に述べた公文は残っているのでしょうか。
また歴史的に反体制派が現れやすい(現に革命の起点となった)レニングラードをモスクワに叛逆させることは計画されなかったのでしょうか?
あぶくま

誰か答えて下さい。

246 リュッツエンの戦い(ナポレオン戦争ではなく1634年の30年戦争の方)の戦略上・戦術上の勝利は神聖ローマ皇帝軍、スウェーデン軍のいずれにあるのでしょうか?



備後ピート

  1. ミリタリー系Youtuverの配信でもいくつか取り上げられているリュッツエンの戦いですが、人によって戦略上・戦術上の勝利の解釈がバラバラなので、あえてこの板の識者の皆様のご意見をお伺いするしだいです。よろしくお願いいたします。
    備後ピート


  2.  何を持って勝利とするかでしょうね。
     
    hush



245 こんにちは。 お世話になります。
2.26事件の際、射撃の名手として知られていた教育総監・渡辺錠太郎大将は拳銃で応戦したとありますが、当時、将官などの軍人は非番時における拳銃の所持・使用が許されていたのでしょうか?
Deutschland

  1.  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%83%E8%A6%8F%E5%88%B6#%E8%BF%91%E4%BB%A3
     時代にもよりますが、銃規制は今よりゆるく、将校は自由に拳銃を所有できました。
     なお、将校の場合、軍装などと同じく、私物です。
     
    hush


  2. hush様
    おはよう御座います。お教え、ご紹介サイト大変参考になりました。
    良い勉強をさせていただきました。心より御礼申し上げます。
    ありがとうございました。
    Deutschland



244 MO作戦においてクックタウン空襲が計画されていますが、機動部隊でクックタウンのどこを空襲する計画だったのでしょうか。

MO機動部隊による豪州空襲計画は航空兵力の撃滅とのことですが、クックタウンの航空基地の場所がわかりません。
日本軍のクックタウン空襲計画や実際の連合軍の在クックタウン航空兵力についてご存じの方がいればよろしくお願いします。
天ヶ崎

  1.  毎度、Wikipediaですいません。
     https://en.wikipedia.org/wiki/Cooktown,_Queensland#World_War_II
     に、”The busy airfield played a key role in the crucial Battle of the Coral Sea when Japanese expansion towards the Australian mainland was finally halted. The last military unit, the 27th Operational Base Squadron of the RAAF, ceased operations in Cooktown in April 1946.”とあります。
     また、 https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2+%E3%80%924895+%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89+%E3%82%AF%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3/@-15.4674503,145.2273469,1663m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x699dcb0f8aabd22d:0x400eef17f207250!8m2!3d-15.4758164!4d145.2470981 を見ますと、クックタウンの飛行場が確認できます。
     なお、27th Operational Base Squadron of the RAAF ”cooktown”で検索をかけると、いくつか出てきますね。
     
    hush


  2.  https://en.wikipedia.org/wiki/Cooktown,_Queensland#World_War_II
     には、”Some 20,000 Australian and American troops were stationed in and around the town.”ともあります。
     http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=049# 105コマを見ると、MO機動部隊で同地を攻撃することと定められたが、第5航空戦隊からの反対意見によって取り下げられている経緯を見ますと、実施部隊のほうできちんとした計画を策定したかどうかも分かりません。 ただ、戦史叢書の100コマにはクックタウンは出てきません。等に含まれているのかもしれませんが、急遽、候補に挙がった地名かもしれません。
     
    hush


  3. hush様ありがとうございます。
    やはり現在のクックタウン空港(cooktown Airpot)は1942年から存在する航空基地だったのですね
    天ヶ崎


  4. >3
     現在のクックタウン空港Cooktown Airportとクックタウン飛行場Cooktown Airfiledは違うようです。というのは、http://www.cook.qld.gov.au/development/infrastructure-update/cooktown-airport-development/CooktownAirportDevelopmentMasterPlan.pdf の1.4.Role and historyに町の西2qに飛行場を設置したが、低湿地だったために3度も冠水し1949年に廃止されたとあるからです。したがって、2で示したGoogle Mapの滑走路跡らしいものがWW2当時の飛行場だと思っています。地図を縮小していただくと西北西のEndever川沿いに見えているのが新しいクックタウン飛行場で、Wikipediaの町の中心部から7.5qという表記と合致します。
     1、2ではそこまで書く必要性は感じなかったのですが、Cooktown AirportよりCooktown Airfiledのほうが当時の情報がより多く出てきますので、おせっかいながら書かしてもらいました。
     
    hush


  5.  3で紹介したpdfはかなり重たいので原文を添えておきます。
     The first aerodrome constructed was at a mission on the existing site and was used regularly as far back as the mid-1920s. This site is 17 km from town.In 1936, CSC established a licensed aerodrome, 2 km west of the town on a low swampy area protected from flooding by a levee bank. The Department of Aviation took over this aerodrome on 1 January 1938 and remained in possession until 1949 when the aerodrome was decommissioned. During its brief life the aerodrome was flooded three times despite the levee bank protection.
     
    hush


  6. ありがとうございます。
    2で示して頂いたgoogle mapをクックタウン空港のことと勘違いしてしまい失礼致しました。
    詳しい解説をして頂き感謝です。
    天ヶ崎



243 サ第一号作戦の時に、日本の艦は、星条旗を掲げるなど、米艦に偽装しましたが、これは、戦時国際法上の背信行為にあたらないと、日本海軍は判断していたのでしょうか。攻撃の時には、星条旗を降ろして、日本の軍艦旗を掲げていたようなので、これで戦時国際法上の背信行為ではない、という解釈なのでしょうか。
saLo

  1.  国際慣習法としては、交戦国船舶を攻撃するときは自らの国籍を明らかにしなくてはならないと考えられていました。逆に言えば、接近時に自らの素性を明らかにする必要はないし、欺瞞行為もギリギリの所でセーフであると考えられていたようです。ですから、ドイツ水上艦艇が通商破壊戦を実施している時には、かなりの欺瞞行為を行っていました。したがって、問題ないと考えていただろうと思います。
      ただ、サ第一号作戦時、利根は、「我は汝と信号せんとす信号し易き距離内に接近せよ」、「我はアメリカ巡洋艦なり」と発光、ならびに旗旒信号を送ってるとか、艦首紋章を隠すとか、戦闘記録(アジア歴史資料センターC08030573400)に書いてあります。ところが、戦史叢書(http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=054の182コマ)には、そのようなことを書いてないところを見ると、多少の後ろめたさはあったのかもしれません。もちろん、その後の商船Beharの乗員処刑問題がありますので、あまりこの作戦には触れたくはなかったのかもしれません。
     
    hush


  2. ご回答ありがとうございます。ドイツの仮装巡洋艦「アトランティス」なども別の国の旗を掲げて、攻撃の時に正体をあらわしていましたね。
    saLo



242 空母龍驤が南方作戦中に高角砲でしずめたという艦艇の名前分からないでしょうか。
昔からずっと気になっているものでして。

  1.  http://www.combinedfleet.com/kumano_t.htm
     上記の1942年4月6日のところに、
     The 5,491-ton American freighter BIENVILLE is bombed by RYUJO's aircraft, finished off by gunfire from CHOKAI (reportedly also from RYUJO), and then scuttled a torpedo from CHOKAI.
    The 6,426-ton British cargo ship GANGES is attacked by one of CHOKAI's floatplanes and two of RYUJO's aircraft, and is then sunk by gunfire from the surface ships, including gunfire from RYUJO.
     とありますので、この2隻ではないかと思っております。
     なお、 http://combinedfleet.com/ryujo.htm には、Survivors of TAKSANG, GANGES, and BIENVILLE all mention the carrier using her guns, so this seems to be true. It is known she continued to operate directly in the midst of the column and that the fleet moved into high-angle gun range and used them, so likely RYUJO did as wellと記されています。
     
    hush


  2. 面白そうなので調べてみました(間違ってる可能性もあります)

    Wikipediaの重巡洋艦鳥海ページの、太平洋戦争緒戦項の5段落(「ジャワ島・スマトラ島・インドネシア方面各島の攻略成功後、」で始まる段落)の最後に「「鳥海」は4月6日に米船Bienvilleと英船Gangesを沈めた。」とあります。
    段落中盤には「馬来部隊は5分割され、中央隊(指揮官小沢中将:鳥海、由良、龍驤、夕霧、朝霧)」ともあります

    で、米船Bienvilleと英船Gangesを検索したのですが
    ・米船Bienvilleは貨物船
    「American freighter BIENVILLE」「CARGO SHIP BIENVILLE」で画像検索→https://www.wrecksite.eu/imgBrowser.aspx?50052
    ・英船Gangesは旅客船
    「United Kingdom freighter Ganges」で画像検索→https://www.wrecksite.eu/wreck.aspx?31688
    両船の船籍が1942で終わっているように受け取れるのでこの二船の可能性があります
    両船が軍の徴用船かどうかは不明です
    米船Bienvilleは軍用艦艇としての沈没記録は見当たりません

    上記と>>1hushさんのリンク先英文とあわせて考えると、「中央隊(指揮官小沢中将:鳥海、由良、龍驤、夕霧、朝霧)が通商破壊作戦に従事し、米貨物船Bienvilleと英旅客船Gangesを見つけ、攻撃し、BienvilleとGangesが沈んだ。」「相手が貨物船と旅客船なので龍驤も砲撃に参加した。」とかでしょうか。

    龍驤の砲撃で沈んだかどうかは不明です。
    空母が砲撃戦に参加するのは珍しいので記載された可能性があります。

    まやん


  3. >2
     ついでに書いておくと、 http://www.clydeships.co.uk/view.php?ref=10926 ならびに https://www.wrecksite.eu/wreck.aspx?31686 に、イギリス貨物船タクシャンは1942年4月6日にベンガル湾で日本の空母の砲撃を受けて沈没し乗員15名が死亡とも書かれています。
     ただ、戦史叢書の「蘭印・ベンガル湾方面海軍侵攻作戦」( http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=026 )の347コマ(p667)には熊野、鈴谷、白雲の発射弾数が載っていますが、龍驤のものは掲載されていません。もっとも、鳥海等のも収録されていないので、中央隊の記録が残っていないだけだと思いますが。
     ビエンヴィル、ガンジス、タクシャンの各船は被爆後鳥海以下の砲撃を受けて沈んでいますが、その際、危険性もなさそうなので、龍驤も参加したということでしょう。
     もっとも、戦史叢書の付図10を見ていますと、海岸から随分と近いところ起きたことですので、ある意味、危険な行為であるように思いますが、相手側が非武装だったということなのでしょう。
     なお、Wikipediaの龍驤の項には、高角砲云々というところで玉手修司という人の手記が紹介されていますが、収録本は古書店等から出品されていますので、ご覧になれば、もう少し何か分かるかもしれません。
     あと、もっと詳しいことは http://www.combinedfleet.com/Stuart-20-Ships-Operation-C.docx という英文の文章に載っています(htmlではなくWord文書ですので、ご覧になるかどうかは各自の判断でお願いします)。
     
    hush


  4. >2
     ビエンヴィルのリンク先ですが、assigned to:とある https://www.wrecksite.eu/wreck.aspx?37137 のほうが分かりやすいと思います。
     もっとも、輸送中の猿500匹云々が気になってということでしたら、ごめんなさい。
     
    hush


  5. >>3
    「相手側が非武装だったから」に一票です

    リンク先を見ると艦隊はかなり多くの貨物&旅客船を沈没させているのですね
    これは初めて知りました

    >>海岸から随分と近いところ起きたことですので
    最下段のリンク先の縮尺や艦隊位置が正しいかどうか不明ですが、図から距離を出すと、伊豆と伊豆大島間ぐらいでしょうか
    かなり近づいていますね
    英軍の基地が近くに無かったのか・・・それとも、時期的に英軍の攻撃力があまり無かったのか・・・それともおびき出すためだったのか・・・

    >>4
    リンクの貼り間違いです(サルは気が付きませんでしたw)
    調べる時に沢山のタブを開いていたので、コピー間違いしました
    私が貼ろうと思っていたのはそのリンクで、私が貼ったのはそのリンクから飛んだ先だった(かな?)と思います
    まやん


  6. >5
     猿云々でなくてよかったです。
     
    hush



241 よろしくお願いいたします。これが最近の定説なのかはよく分からないのですが、江戸時代、大名諸侯、旗本は例えお目見え以上でも将軍の顔を直視することは許されず、面を上げるように命じられても僅かに顔を上げる程度で、将軍の顔を直視することは出来なかったと知りました。そこで疑問に思ったのは,幕閣や御三家などの一部の例外を除いた他の大名諸侯は将軍の顔を認識していたのか、ということです。当代の将軍の顔を家臣が見知らないというのは何とも奇妙な話だと感じてしまい、是非お教えを請いたいとスレッドを立てさせていただきました。よろしくお願いいたします。
一角

  1. >当代の将軍の顔を家臣が見知らないというのは何とも奇妙な話だ

     奇妙な話じゃなくて当たり前です。
     将軍の顔を見る事の出来ない諸大名だって顔を見れるのは限られた人たちだけです。
     公家の中でも帝の顔も見れるのはごく限られた人だけで、歴代征夷大将軍だって帝の顔を見た事のある人は限られます。

     当時は偉い人は偉い人の恰好をしているので、服装を見れば十分判別できたんじゃないでしょうか?
     そもそも生活空間が断絶しているので判別しなければならない機会そのものがほとんどないと思います。
    おうる


  2. お教え感謝申し上げます。
    大変良い勉強をさせていただきました。
    ありがとうございました。
    一角


  3.  すでに回答が出ておりますので、屋上屋を重ねることになりますが、詰席にいる大名というのは退屈を極めていたようです。
     というのは、隣同士で歓談なんてことは許されるはずもなく、ただ、じっと正座しているだけだからです。
     午前10時から2時間ぐらいですから、我慢もできるでしょうが、それでも苦しくなってお坊主部屋に逃げ出して、持参の重箱を開けてという方もおられたようですが、茶坊主に心付けをきちんとしていないと茶も出ないそうです。
     このため、幕府側の意向もありますが、大名同士が知り合いになってというのはほとんどなかったようです。
     その一方で、将軍が上野の寛永寺に墓参りする時には騎乗と定められており、庶民も平伏する必要がなかったので、顔を見られたという話がネット上に転がっています。
     広重の大名行列の出立の風景を見ていますと、魚売りが平気で前をよぎっていますので、そういうこともあったのかなとは思いますが、このあたりの信憑性は保証できかねます。
     
    hush


  4.  http://e-sampo.co.jp/column-asukayama2.htm
     https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2006-05-09
     将軍の御成となると、人通りもなく、赤ん坊の泣き声さえ聞こえず、戸口も窓も目張りされていてということですので、3で紹介したネットの記事は怪しいようです。
     
    hush


  5. hushさん、お教え感謝申し上げます。大変良いお話をありがとうございます。今も昔も宮仕えは中々苦労が絶えなかったのでね。良い勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
    一角



240  古代ローマ軍の小麦について質問です。

 古代ローマ軍が食べていた軍用パン(パーニス・ミリターリス)ですが、百人隊長以上のパンはフスマを取り除いた小麦で、一般の軍団兵用のパンはフスマごと挽いた小麦粉で作られていたそうです。
 ローマ軍は携行用製粉機も持ち歩いて戦地で製粉していたようですが、小麦からフスマを取り除く作業も現地で行っていたのでしょうか?
 フスマを取り除いた将校用の小麦だけ別に持ち運んでいたわけでは無いですよね?
おうる

  1.  https://www.flour.co.jp/history/history4/
     上記を見ますと、古代ローマでは小麦粉ではなく、小麦のままで持ち歩いて、毎日、必要量だけ挽いていたそうです。
     小麦粉からフスマを取るのは、篩を換えながらやっていくしかありませんので、毎日、兵員用とは別に精製していたということになります。
     
    hush


  2. >>1 ありがとうございます。

     製粉する前にフスマを取り除くのだと思い込んでましたが、その方法が出来るのは近代に入ってからでした。

     ということはローマ人が食べてた小麦粥は全部フスマ入りだったんですね。

     参考になりました。
    おうる



239 戦国時代の毛利氏に関するいわゆる「毛利の高陣」という言葉には、私の知る限り、

1.常に敵より高所に布陣する毛利氏には警戒せよ(吉田郡山城の戦い、厳島の戦い)という畏敬的な意味

2.毛利氏はいつも山の上に陣取って様子見に終始し,いざという時に間に合わず不覚を取ってばかりいる(備中高松城の戦い、関ヶ原の戦い)という侮蔑的な意味

の2種類の説があるのですが、本来の意味(同時代に一般に流布していたもの)はどちらが正しいのでしょうか?
備後ピート

  1.  毛利の高陣という言葉は初めて聞いたので、手元の電子辞書で検索をかけてみましたが、この語はもとより、高陣すらもヒットしません。また、ネット上でも29件のヒットしかなく、地元でしか使わない言葉ではないかと思います。
     もし、その想定が正しいとしたら、地元の英雄を悪く言うわけはないので、当然、1の意味だろうと思いますが、この語の出典が不明です。したがって、戦国時代にあった言葉かどうかが不明です。
     もっとも、ネット上には、毛利軍学の中にあり、元は孫子の謀攻編だという記述はあります。しかし、謀攻編の中にそのような記述はありません。修櫓というような語はありますが、この櫓は大型の盾であって、高いところに城をというような意味ではありません。また、虚実篇に敵雖高塁深溝という語はありますが、管見の限りでは、孫子にそのような記述は見当たりませんし、虚実篇の記述も慣用的な表記です。
     毛利軍学についても、それを書いた書があるのかと思って調べたのですが、見当たりません。
     違っていたら御免なさいですが、後代、毛利の偉業を称えようとして作った語ではないでしょうか。
     もしそうなら、山城を造るのに、わざわざ低地に造る者はおりませんので、当たり前のことを仰々しく言っている理由にもなろうかと思います。
     
    hush


  2.  1は、謀攻篇にあった語を引用した際に、カヴァーしていない文字を使用したようで、文字化けを起こしたものです。
     可能であれば、削除してください。
     
    hush



238 ふと気になったので質問させていただきます。
バターン半島攻略戦やコレヒドールの戦いで、96式24cm榴弾砲や96式15cm加農砲を使用した独立重砲兵第二中隊についてです。
彼らはフィリピンの戦い以後戦史にはまったく出てこないのですが、これは解散したということでよろしいんですかね? 個人的な想像では臨時松岡中隊と同じく各原隊から人員を引っこ抜いて兵器を与え、作戦終了次第原隊に戻されたように考えております。
みかん段ボール

  1.  戦史叢書第2巻比島攻略作戦 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=002# 290コマに5月19日大陸命第634号により独立重砲兵第2中隊を満州の第3軍の編組にありますので、解散はしていないですね。
     その後のこと等は、 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/CrossSearch 独立重砲兵第二中隊を調べると比島を含めて5冊出てきますので、そのどこかに出ていると思います。
     
    hush


  2. 17年5月21日の南方軍命令で満州に派遣、関東軍司令官隷下に...
    17年末の関東軍地上兵力増加予定表に牡丹江重砲に編入と有り、ソ連参戦時の兵力概見にも記載があります。

    poran


  3. 解散はしていません。終戦時の所属は第3軍で終戦時の所在地は満州の八道河子です。ソ連軍とは戦闘をすることなく終戦になったようです。
    Taki


  4. 独立重砲兵第二中隊の部隊略歴です(18フレームから)。
    https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C12122426700
    こちらの資料では終戦時の所在地は図們となっています。この方が正しいでしょう。

    Taki



237 陸軍の飛行第53戦隊、千早隊に関して書かれたサイトまたは資料などはありませんでしょうか?
イギリス人の知人に訪ねられネットと過去ログを漁りましたが特に見つかりませんでしたのでご助力いただきたく思います。
toe

  1.  今は翻訳サイトがかなりよくなっているので、適当なページを英訳してはどうでしょうか。
     
    hush


  2. >1 ご返答ありがとうございます。
    残念ながらそれらしいサイト自体1つ2つほどしか見つけられなかった上に彼は震天制空隊の英語版wikiを作成中で、見たところ私の探し出せる情報はすでに持っているようなのです。ttps://en.wikipedia.org/wiki/User:Imp_dean/sandbox
    toe


  3.  戦史叢書第19巻「本土防空作戦」 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=019# の219コマあたりから記述がありますので、このあたりかなと思います。
     ただ、コピー&ペーストができないと思いますので、大変だろうなとは思いますが。
     あと http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/CrossSearch で横断検索ができますので、こちらを使うという手もあります。
     
    hush


  4.  なお、横断検索で飛行第53を調べても出ませんが、飛行第五十三では出ますので、付記しておきます。
     
    hush


  5. 再三に渡りご丁寧なご回答頂きありがとうございます。
    御礼遅くなり申し訳ありません。
    toe



236 WW2戦時下における工業体制について。
英米(特に米国と)日独(特に我が国)の差というのは、ズバリ具体的にはどういった要素に有ったのか?

初めて質問させて頂きます。

戦史界隈に片足を突っ込んでみて初めの方によく見る
『日本やドイツ、特にドイツは工業技術でも優れた工作機械等もあったかも知れないがこと我が国においては、例え優秀な装備を作ったとしても、それらを支えていた工業体制というのはお粗末で前時代的なものであった』
といった主張は、有名な部品規格や互換性が“なかった”とする俗説や三式戦のハ40問題を筆頭に様々な主張の理由付けとされています。
しかし我が国が未だ手工業的な体制を脱却しなかったといった主張もある一方で、当時の生産体制をBUN先生のお話を拝読させて頂く等しつつかじっていく過程で
・どうも我が国にもそれなりの総力戦の生産体制や規格を社会的、工業的に構築はしていたらしいこと
・最新兵器に対する“職人の手作業”は連合国側にもあったらしいこと(これはイギリスはともかくアメリカはあったのか)
等のイメージを漠然と掴み
それでは我が国とアメリカのいわゆる“基礎工業技術”とやらは世間一般で言われているほどではないのか、と考えつつ
されどやはり詳しい方々が“アメリカの兵器は細部を見た時にため息が出る”等々仰られているのも拝見しつつ
中々実態はどういった差が具体的にあったのか、今ひとつピンと来ません。

日本より先に産業革命を達成し総力戦体制も既に一度経験した英米と我が国の間では、やはり“言われているほど”ではないにせよ、何かしらがあったのだろうと思いつつ、その何かしらが分からないのです。
逆に我が国やドイツがそれなりに画期的だった部分、英米に劣らなかった部分もお教え頂けたら有難いです!

長文になり申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。
ねお少佐

  1. 初めてこちらの板を使わせて頂いておりますので、カテゴリー違いの質問だ等がもしあれば、そちらもお教え頂ければ幸いです。
    ねお少佐


  2.  生産量の圧倒的な差です。
     たとえば、アメリカのM4戦車は4万9000両製造されており、ソ連のT34の5万7000両に次ぐ数値を達成しています。これに対し、ドイツのIV〜VI号戦車を合計しても1万6000両であり、日本の97式戦車は2100両に過ぎません。
     航空機に関しても総生産数が1万機を超えたのは日本では零戦のみですが、ドイツはBf109とFw190で5万機弱、これにJu88の1万5000機が加わります。これに対し、アメリカは戦闘機がP51、47が各1万5000、P40が1万4000、F4U、F6Fが各1万3000、P38、P39が各1万で計9万機、爆撃機がB24が1万8000、B17が1万3000、B25が1万で計4万機です。また、イギリスはスピットファイアーとハリケーンで3万9000機です。
     つまり、ドイツはともかくとして、日本の兵器生産量は圧倒的に低いのです。
     これだけの差が生まれたのは、日本の工業体制が貧相だったからです。軍事技術としては優れたものがあったかもしれませんが、日本全体としては、繊維産業を中心とする軽工業しか発達していません。その上、インフラの整備が遅れており、国民のほとんどは電話をかけたことはなく、伯父が自動車免許を持っていたため、兵役を免れたぐらい、自動車免許は特別なものでした。当然、車がほとんどないため、主要国道すらほとんどが舗装されておらず、名古屋の三菱から岐阜県の各務原飛行場まで牛車で運ばざるをえないという状況すら生まれています。
     これに対し、ドイツはナチスの時代にアウトバーンの建設を行い、フォルクスワーゲンの生産に乗り出しており、アメリカの自動車の登録台数は1920年代に2000万台を超えています。イギリスもアメリカの数分の一の保有台数ですが、世界2位です。また、アメリカは五大湖周辺の鉱業と大西洋岸、メキシコ湾沿岸の工業を運河と河川交通により結んでおり、ドイツもスウェーデンの鉄鉱石と国内の製造業を、バルト海と河川交通で結ぶ同様のシステムを持っています。日本の敗戦の要因としては、海上輸送が崩壊して原料と工場を結べなくなったことが挙げられますが、ソ連の崩壊も、軍事にすべてをつぎ込んで、インフラの整備維持を怠ったことに原因を求める人もいるぐらいで、輸送力は重要な問題なのです。
     その結果として、大破したB29に別の機体の部品を持ってきてもくっつくが、零戦は無理であるということになるのだと思います。たしかに1921年に日本工業規格(Japanese Engineering Standard:JES)が定められており、航空機のような精緻なものは、そのようなものがないと危なくて飛ばせるものではないとは思います。しかし、その後の20年間で規格が定められたものは520種余りしかなく、1941年の臨時JESにより、かなり簡略化されていますし、そもそも、当時の日本の工業力がその要求に応えられたのかという疑問があります。その上、戦時中の熟練工の減少と原料不足、さらには輸送力の低下により、ネジ1本でも合いそうなものを探して鑢掛けをしてという状況が生まれ、そのような結果に結びついたとしても不思議はないと思っております。
     戦時中のアメリカの艦艇を見ていますと、どうも美観というものに欠ける気がします。技術的にも特別なものがあるわけでもないようです。ただ、簡単に造れる上に頑丈です。そして、彼等はそれで戦争に打ち勝ったわけで、本質的な技術というのは、そういうものかもしれないと思います。
     
    hush


  3. hush様
    御丁寧な回答、有難うございます。
    前半仰る通りです。

    我が国の兵器生産において、生み出された品の“強さ”“性能”がいかほどのものであったかの議論はあれど、その生産規模やそこから生み出される量産数が英米独ソらと比べて勝っていたといった議論は(一部海軍要素等の例外を除けば)基本的には有り得ないでしょう。
    我が国はまずは“圧倒的物量”を有する敵に対し劣勢であった、という前提はまずは共有しうると思います。

    後半の規格問題、例えば
    >大破したB29に別の機体の部品を持ってきてもくっつくが
    >零戦は無理であるということになるのだと思います。

    >戦時中の熟練工の減少と原料不足
    >ネジ1本でも合いそうなものを探して鑢掛けをしてという状況が生まれ
    等のお話について、素朴な疑問として、では英米はこうした問題に悩まされる事がなかったのか、アメリカはヤスリをかけなかったのか、とは思うのです。
    令和21世紀の現代プラスチック製品ですら削ってやらないと凸が孔に入ってくれないなんてのはままある話ですから、いくら“基礎工業技術”と言われても80年前の米国の工業製品が本当に何の塩梅もなく組み換えられていたのか、日本人だから元敵国の内輪の話は聞かないだけなのか、とは思うわけです。(もちろん金属製品、まして軍に採用されてるものですから規格のうちに公差等はあるとは思いますが。)

    女工の動員規模や時期、金属なんかの物資統制なんかをみてもいくら資源大国工業大国とて相応の苦労はしたのではないか、とも思います。

    元々の質問とは主旨も変わりますが、こちらも如何でしょうか。
    ねお少佐


  4. >いくら“基礎工業技術”と言われても80年前の米国の工業製品が本当に何の塩梅もなく組み換えられていたのか

    或いは仮にこれが例え一世紀前とてアメリカ工業製品の当たり前だとするならば、それがアメリカ以外の国には出来なかった、というのも何となく理解しかねます。

    第一次で総力戦を米国以上に一層しっかりやってきた英独や、1930年代くらいまでは欧州や米国とも工業製品の輸出入もガッツリやってきてたであろう日本が、兵器ではない体制の部分でアメリカと差が空くとすれば、何か個別のよほどの事情があったのかとは思うのです。
    ねお少佐



  5. >いくら“基礎工業技術”と言われても80年前の米国の工業製品が本当に何の塩梅もなく組み換えられていたのか

    或いは仮にこれが例え一世紀前とてアメリカ工業製品の当たり前だとするならば、それがアメリカ以外の国には出来なかった、というのも何となく理解しかねます。

    第一次で総力戦を米国以上に一層しっかりやってきた英独や、1930年代くらいまでは欧州や米国とも工業製品の輸出入もガッツリやってきてたであろう日本が、兵器ではない体制の部分でアメリカと差が空くとすれば、何か個別のよほどの事情があったのかとは思うのです。
    ねお少佐


  6. >3-5
    >アメリカはヤスリをかけなかったのか
     戦前、アメリカの工場を訪れた日本人が、なぜヤスリが置いてないのかと聞いたという話があります。それに対して、どの部品でもきちんと嵌まるので、その必要はないと答えられて驚愕したそうです。
    >女工の動員規模や時期、金属なんかの物資統制
     アメリカの女性は機械になれています。たとえば、シンガー・ミシンは1913年の1年間だけで250万台を売っておりますが、戦前の日本でミシンを保有していたのは富裕層だけです。そして、戦後まで既製服というものは存在しませんので、服地を買ってきて自分で縫製ということになりますので、アメリカの女性は頻繁にミシンを使っています。これだけでもずいぶんと違うでしょうし、仰るように1次大戦の総力戦で女性の社会進出は盛んでしたので、かなり日本とは状況が異なります。
     金属統制はアメリカでもありましたが、2で申しましたように、アメリカは五大湖周辺に巨大な鉱床を持っています。輸入に頼るしかない日本とかなり状況は異なります。
    >1930年代くらいまでは欧州や米国とも工業製品の輸出入もガッツリやってきてたであろう日本
     ちょっと意味が分からないのですが、日本が1930年代まで工業製品の輸入を大量にやってきたという意味でしょうか。もしそうなら、民需に関しては異なります。
    >アメリカ工業製品の当たり前だとするならば、それがアメリカ以外の国には出来なかった…
     欧米では普通のことだったと思いますが。
    >何か個別のよほどの事情があったのかとは
     大量生産、大量消費というものが日本に根付くのは田中角栄以降です。つまり、それまでの日本では大量に消費する者がおりませんでしたので、他品種少量生産が中心でした。部品にヤスリがけをして嵌め込むというような製法でよかったのはそのせいです。
     
    hush


  7.  他品種少量生産→多品種少量生産
     失礼しました。
     
    hush


  8. 戦後の例になりますが米国連邦規格GGG-G-60だと最小作業公差は製品公差の80〜89%、1955年のJIS BO402では56〜80%になってます。戦前はもっと差があったのでは.....

    それから考えると7粍7の92実包の外径が7.90〜8.21粍 米軍の7.62粍のM2実包の外径が7.80〜7.82粍だったのが理解できます。

    poran


  9. hush様、poran様、引き続き回答ありがとうございます。

    hush様、ミシンの件確かにそうですね。
    自動車等にもよく言われる話ですが、昭和10年代等の段階ではまだ国や富裕層に対してしか機械を売り込む市場を広げられていなかった現実があるというのは、あったと思います。

    >大量生産、大量消費というものが日本に根付くのは田中角栄以降です。
    国民の文化面からの視点で言えば、確かになかなか日本人は大量消費を美徳面では意味嫌う等、むしろ対極の民族性を有しているかも知れません。面白いです。
    安易に民族文化と経済、軍需生産を結びつける物言いも(マルクス経済学的見方等でないのならば)学説としては不味いかとは思いますが、間接的一因の可能性の話で行けば、確かに我々はずっと“大量消費の戦争”は嬉しくないと思う精神を維持し続けてるコミュニティなのかも知れませんね。


    >日本が1930年代まで工業製品の輸入を大量にやってきたという意味でしょうか。
    ややこしい文章失礼しました。そのつもりの発言です。

    大正くらいまで“舶来品”を有り難がり、“和製品”を劣等なものとする風潮は(民需製品だから特にかも知れませんが)、それなりに国民に共有されていたようです。
    日本の製品は欧米のそれとも互角以上にやりあえるという認識がしっかり湧いたのは軍事ではノモンハンや大東亜戦争が始まってからで、民間一般だとどうも1970年代くらいからなのかな、と。
    裏を返せば、つまりこうした外国製品を優秀とする認識を国民が持つには、それなりの国民規模の需要を満たす“舶来品”の民需製品が和製品がまだ未成熟なうちから流通しなくては有り得ないのではないかと思いまして。

    特に自動車等になると昭和11年の自動車製造事業法以前はシボレーとフォードが日本の自動車需要を独占してたと言われるような有り様ですから、富裕層相手が中心とはいえ、日本人7000万の舶来品需要はそれなりのものであったと思いました。
    ちなみに輸出については民需筆頭に第一次大戦の特需景気から一気に拡大して延々続いてるような、こちらも何となくの認識です。
    ねお少佐


  10. poran様
    >それから考えると7粍7の92実包の外径が7.90〜8.21粍 米軍の7.62粍のM2実包の外径が7.80〜7.82粍だったのが理解できます。
    まず自分の“公差”の知識理解が甚だいい加減なものなのですから、貴重な資料をご提示頂いてて申し訳ないのですが…。
    そもそも実包の外径とは7.7mmや7.62mmより大きいものなのですね。基礎中の基礎かとは思いますが、大変勉強になりました。

    その上で、アメリカのM2が0.01mm単位の数値幅なのに対し日本の九二式のそれが0.1mm桁に跨がってるのが気になりました。
    これは当然“小さければ小さい方が望ましい”数値幅なんでしょうか?


    ねお少佐


  11. >9
     鄭重な御礼を賜りありがとうございます。
    >そのつもりの発言です
     実は民需だけでなく、軍事面でもそうで、戦艦大和の主砲は、このためにドイツから輸入した機械がなかったら製造できてません。装甲もそうです。また、海軍が1937年から41年の間にアメリカから工作機械や航空機部品は邦貨で8592万、陸軍も1939年に大阪造兵廠等で使用する工作機械のために4000万円を準備していますが、幻に終わった東京オリンピックの総予算が3100万円だというのを考えると、いかに巨大な金額かが分かると思います。にもかかわらず、工作機械のすべてを輸入品でというのは無理で、国産品も使用せざるを得なかったのですが、精度や能力の点で大きな差があったのです。
     しかし、工作機械の輸入がなかったら、日本の軍事産業など成立しなかったわけです。実際、戦時中に開廠した、したがって、ほとんどが国産の工作機械を使っていたと思われる、鈴鹿海軍工廠(今、ホンダの工場になっています)で製造していた航空機用の機銃と弾は、ほとんど実用に耐えなかったといわれます。また、ドイツを訪問した伊号潜水艦も、騒音がひどく、ドイツ側を呆れさせたという話もあります。しかし、ここで使用された潜水艦は伊52以外、完成こそ戦時中ですが、開戦前に起工されたものです。
     これに対し、日本の輸出品目の大半は繊維関連で、一部機械類の輸出はアジア各国が中心です。欧米を中心とした世界標準の中では、国民の意識はともかくとして、日本の工業というのはかなり下に見られていたはずです。
     ノモンハンは、当時の日本では敗戦だと捉えられていたと思います。一般ではおおっぴらには言えなかったと思いますが、軍部の衝撃は大きく、その後、ソ連への侵攻を行っていません。戦車は鉄条網で動けなくなる、装甲は簡単に撃ち抜かれるのに、相手の戦車を撃ち抜くことができないので、火炎瓶を使っての攻撃しかなかったからです。しかし、これを改善するためには戦車の馬力を大きくし、装甲を強化し、砲を強力にしなくてはいけないのですが、そこへ注ぎ込むための予算も、国内工業もなかったわけです。
     では、日本の製品、多分、これは艦艇や航空機のことだと思いますが、太平洋戦争の時点で欧米に並んだかというと、これも疑問なのです。たしかに、大和や零戦は優秀な「製品」であったと思います。しかし、レーダーは当初の段階ではありませんでしたし、B29が登場すると、その飛行高度に達することのできる国産戦闘機はあったのでしょうかとなるのです。
     また、旧日本海軍が建造した駆逐艦島風の機関は40kg/cm、蒸気温度400゚Cですが、アメリカのフレッチャー級駆逐艦のそれは43.3kg/cm、454゚Cです。そして、島風は1隻のみの建造ですが、フレッチャー級は175隻を戦時中に完成させているのです。
     これに対し、ドイツはMe262やV2、ヴァルター・タービンのような新機軸を打ち出しており、レーダーも開戦時には使用しています。しかし、日本はドイツから導入したマウザー砲の生産はできませんでしたし、最初の御質問にあったハ40も同様です(別のところで書きましたが、伯父はそのハ40の不調により中国上空で脱出しています)。
     国民の意識はともかくとして、当時の日本の工業力などというものは、アメリカやドイツ、そして、多分、イギリスから見ても下位にあったと思うのです。そして、現在の世界に冠する日本製品というイメージも、日本を含むアジアだけの話であって、2017年にドイツで行われた品質イメージ調査では、1位がドイツで、日本はフランス、アメリカと同点の8位だったりします。
     なお、1970年代に就職した私のイメージでは、また日本製品のイメージは安い、悪いだったように思います。
     あと、第1次大戦の特需以降は、戦間期の日本経済で調べてもらえれば分かりますが、ひどい状態です。そして、日本人7000万の舶来品需要と書かれていますが、当時の日本人の収入を考えれば、需要はほとんどありません。
    >日本人は大量消費を美徳面では意味嫌う
     私は逆だと思っています。海外では、一つのものを実に長い間使用します。もっとも、この板でそのようなことを論議するのは場違いも甚だしいので、それ以上は書きませんが。
     
    hush


  12. >小さければ小さい方が
    この場合の外径とは弾丸の外径です、有る程度以上にバラツキが有れば当然弾着も違ってきます。

    ノモンハン事件の記録では、薬莢寸度の製作も問題があり、37粍と13粍砲の弾薬筒で2割が装填できなかった原因の多くが薬莢起縁部2糎位の過大であったと記録されています。
    10加も300発中20発が装填不能だったとの記録も有ります。

    それと米国からの工作機械は中古の機械で価格が安く貧乏国向けであったのですが、量産/精度的には不利であったと思います。

    バネ鋼はにスェーデンからの輸入品を使用しており、輸入が途絶するに従い国産品に換えましたが性能は不十分で発動機の弁バネの故障の遠因となり、98式固定機関銃(ラ式)は復座スブリングが原型通りに出来ず終戦まで工場の一角に放置される状況でした。(一式37粍機関砲も同様だったのでは無いでしょうか)


    poran


  13. poran様
    >米国からの工作機械は中古
     それは存じませんでした。また、スウェーデン鋼の輸入の件等、興味深い情報をありがとうございました。

    >弾丸の外径
     銃身にはライフルと呼ばれる溝があり、弾丸はそれに食い込む形で発射されるため回転し、直進性がまして命中率が高まります。このため、弾丸は銃身の溝の山と谷の間の直径でないといけないわけですが、あまり差があると12で書かれているような問題が生じます。”実包の外径とは7.7mmや7.62mmより大きいものなのですね”と質問者の方が書いておられるので、念のために書いておきます。
     
    hush


  14. hush様、poran様引き続き有難うございます。

    hush様
    >海軍が1937年から41年の間にアメリカから工作機械や航空機部品は邦貨で8592万、陸軍も1939年に大阪造兵廠等で使用する工作機械のために4000万円を準備していますが
    この金額は、poran様のほとんど中古でかつ量産や精度面では劣っていたというのと合わせて初めて伺えました。
    勉強になります。

    工作機械についての『よく聞く話』としては、日本は戦前本当に必要なお高い工作機械だけは“少数を”“後の敵アメリカから”購入していた、という話がありますが、ある意味真相は逆だったのですね。

    潜水艦や駆逐艦の設計思想、或いはB-29に対して我が戦闘機や電探が十分な性能を有していたかについて等は様々な方のお話も伺いつつで私自身は少し別の考えを有しておりますが、貴重な御意見有難うございます。
    確かにそうしたお話も“基礎工業力の結果悪かった”とするお話において欠かせないエピソードな感があります。
    また別場でお話伺えたらと思います。

    >1970年代に就職した私のイメージでは、また日本製品のイメージは安い、悪いだったように思います。
    議題からは逸れますが(質問者が申し訳ないです…)、有難うございます。
    主観同士の話になってしまいますが、私は日本製品の品質の高さを十分宣伝されるようになってから(しかし不景気の中)この国に生を受けた世代の者ですので、こうした周りから伺える環境の認識のズレのお話は貴重です。
    ねお少佐


  15. poran様
    スウェーデンの鋼のお話、勉強になりました。
    ちなみにバネ鋼の“性能”とは、何でもたらされているのでしょうか。含まれている成分等ですか?

    >この場合の外径とは弾丸の外径です、有る程度以上にバラツキが有れば当然弾着も違ってきます。
    丁寧なご回答有難うございます。
    となると、我が九二式実包のそれは米軍のそれに比べて、少なくとも実包だけをみれば着弾がばらつく可能性があるということですか。
    (設計思想上の副次的産物なのかも知れませんが)命中精度の高さを特に宣伝される九二式重機の弾薬なので、理論上の話なのかも知れませんが意外な気もしました。

    >ノモンハン事件の記録では、薬莢寸度の製作も問題があり、37粍と13粍砲の弾薬筒で2割が装填できなかった原因の多くが薬莢起縁部2糎位の過大であったと記録されています。
    >10加も300発中20発が装填不能だったとの記録も有ります。
    こちらについて同世代のアメリカやドイツ、イギリス、或いは敵ソ連のカノン砲や対戦車砲等と比べた時に、向こうはどの程度の“バラツキ”があったのでしょうか?
    そもそも寸法や形の不良成型品なら出荷前の時点では弾かれないものなのですかね?
    ねお少佐


  16. 工作機械の件ですが、こちら昔に何かしらで『イギリスもドイツ製の工作機械使ってたんだから(ソースは不明)、兵器もそうだが工作機械まで非自陣営の製品であることを求めてそれを優劣批評の軸に据えるのがおかしい』みたいな話を聞いた気がするんですが
    その話が本当だとしたら、逆にアメリカやドイツが他国からわざわざ輸入してまで使いたかったもの等は何かしらあったのかな、という疑問も少し湧いてはきます笑
    ねお少佐


  17. 国産のバネ鋼はどうしても同様なものは作れず、反発力/耐久性がかなり落ちて98式は連発が出来なかったそうです。

    >出荷前の時点では弾かれない
    検査が甘かったのでしょうね、88式高射砲の砲架にグリス孔が無く、戦場で砲をつり上げて脚にグリスを充填した話もあります。

    他国ではそれほど寸法のばらつきは無かったのでしょう。
    我が国は99式小銃からやっと製作図方式になったのですが、工場が違うと互換性が無かったそうです。

    poran


  18. >14
    >日本は戦前本当に必要なお高い工作機械だけは”少数を””後の敵アメリカから”購入していた
     それは戦後の話ですね。戦前も模倣していたでしょうが、原材料と精度の関係で同品質のものはほとんどできなかったのではないでしょうか。それが、戦後、私等の上の世代が頑張ったというのもあるのですが、軍事に傾注しなくなったというのも大きいと思います。軍事産業は、秘密ばかりですから、特許を公開して他に転用するということがありませんので、どうしても広がりに欠けるからです。そして、その結果として、日本のVHSヴィデオの軸受けの精度は大陸間弾道弾のそれより高いとか、TVのゴースト対策として開発した塗料の性能はステルス機のものより高いという評価に繋がったわけです。
     したがって、今、中国や韓国が日本の技術を模倣してと怒っている人が多いですが、同じことを戦後日本がやってきて、アメリカは怒っていたのだろうなと思って可笑しく思うのです。
    >周りから伺える環境の認識のズレのお話は貴重です
     そう言っていただいて幸いに思っています。
     私等の子供の頃は日本は貧しくて、靴下に穴が開くと、布を当てて、さらにそれに穴が開いたのを履いているという時代でしたので、隔世の感があります。
     さて、そんな昔話をしていると違うところでやってくれと怒られますので、スウェーデン鋼の話を書きますが、あれは最高品質の鋼だそうです。
     日本は火山国ですから、産出する鉄鉱石に硫黄や燐等の不純物が混じります。そして、硫黄が混じると、鉄は非常に弱くなるのです。ところが、スウェーデン北部、キルナ鉱山で取れる鉄鉱石は不純物をほとんど含まないのです。それをドイツは大量に輸入し、戦時中も中立国となったスウェーデンと交渉(恫喝?)して輸入し続けたわけです。それを、兵器の重要部分、たとえばバネに使ったわけです。
     http://www.warbirds.jp/kakuki/sanko/99gun_slow.gif
     上記を見ますと、銃弾が発射された後、装填位置にまで戻すのにバネが使われているのが分かると思います。そして、毎分300発としますと、毎秒5回バネが動くとなりますが、普通のバネではすぐに駄目になってしまいます。
     この複座バネの品質が、日本製のものはあまりよくなかったわけです。
     pporan様が12で書いておられる弁バネというのは、今はアチャラ語でバルブスプリングと申していますが、燃料や空気をシリンダーの送り込んだり、排出するために弁を開閉するものです。
     http://www.warbirds.jp/kakuki/sanko/hosi_slow.gif
     上記の図には描かれていませんが、シリンダーの中で混合気が爆発した途端に外に噴出するなんてことがないように弁が設けられております。その弁を本来の位置に戻しているのが弁バネですが、車のエンジンでも掛けただけで1000回転ぐらいにはなります。つまり、毎秒17回転です。航空機用のものはもっと回転数が高いのではないかと思いますが、最高速度を出すためには、この弁バネが回転数に追随できないと駄目なのです。
     そんなことは知っていますといわれそうですが…。
     
    hush


  19. >17
     すいません、製作図方式でなかったということは、38式は実物を見ながらということでしょうか。
     さすがにそれはないだろうと思うのですが、もしかしたらと思ってお聞きする次第です。
     
    hush


  20. >16
     特許の問題が絡みますので、作りたくても作れない場合もあるのです。
     もちろん、戦時中なんだから特許なんてという考え方もあろうかと思いますが、欧米では契約は絶対ですからね。
     http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc200.html
     上記の合成アンモニアの話なんかは面白いですよ。
     しつこくて御免なさい。
     
    hush


  21. hushさん、>13.18で筆たらずの書き込みのご説明有難う御座います。

    製作図の件、一寸筆が滑りましたが99式までは製作図の公差/公隙の指定が不十分で到底互換性を持つ製品が出来なかったようです。
    上がってきた部品を一個ずつ現品あわせで鑢を掛けて組み込んでいました。

    航空機では製作現場に検査具の供給が出来ずやむを得ず大きめに鋳造して鑢がけをして組み込んだとの回想があります。

    poran


  22. >21
     早速の御返答ありがとうございました。
     99式から互換性が出てきたというのはそういう意味でありましたか。しかし、工場が違うと云々というのは、興味深いというより、うなってしまう話ですね。
    >説明
     すいません、多分、質問者の方も御存知のことだと思うのですが。
     
    hush


  23.  20で紹介した記事ですが、読み返すと、面白おかしく書きすぎですね。なぜ、戦時中、フォードはドイツで生産を継続できたのかという観点で調べて出てきたのを紹介させてもらったのですが、陰謀論めいてました。
     申し訳ない。
     
    hush


  24. ごめんなさい、普段回答者なのですが、所謂一般的な兵器生産を合算して語ってしまうと、総じてアンフェアな比較にならざるを得ないという事を付随させていただきます!

    鉄道で拠点間を結べる、大陸間の軍備と、1941年以降海・空戦闘が雌雄を決する様になってる日本だと、軍備の形が全然イレギュラーなのです!
    ですので、あやゆるリソースの、輸送船と航空機に向けた傾斜が行われており、正面兵力(所謂、火砲・戦車等)に割けるリソースは、不経済であります。
    それらは、海空戦闘が勝敗を分ける中で、どのみち敗北すれば海の藻屑と消えるか、弾薬燃料の補給がなく置物とかしてしまうのです。
    だから、湾口・飛行場拠点を巡る戦闘といった、海空戦闘に寄与する範囲での陸軍兵力ということになりますので。主力はあくまで海上戦闘であることを、お忘れなきよう。

    実は日本の航空機製造は、1944年はイギリスを超えているんですよ。
    1944年は日本は28180機の生産を記録して、ドイツ・ソビエトがそれぞれ4万程度ですから、十分な戦時体制と言えるではないですか。
    1939年からの合算ですと、ドイツが117881機であるのに対して、日本は79123機なんです。
    もちろん、性能面で見劣りするものであったのは、事実。
    だけど、量ベースでの生産体制という意味では、日本も効率化著しかったのです。
    輸送船も同様で、戦前戦中に多くの艦船が供給されました。戦闘消耗が激しすぎるため、一時期一時期を切り取ると、同時に用意できた数が少ないというだけで、トータルの生産実績でいえば、戦前の段階で既に600万トンの世界有数の商船団に至っていた日本が、19年単独だけで175万トン以上も生産するのです。

    アメリカは別格としても、諸外国全般と比較して、凄まじく劣っていた体制かというと、ベクトルが違うだけでありあんまりな比較です。
    日本はそこまで、生産体制が悪くなかったというのが、海空方面の生産体制で言えることです。

    げしゅたぽ


  25. 普段回答者→普段質問者
    げしゅたぽ


  26. hush様、poran様、それにげしゅたぽ様
    有難うございます。

    hush様
    >日本は火山国ですから、産出する鉄鉱石に硫黄や燐等の不純物が混じります。そして、硫黄が混じると、鉄は非常に弱くなるのです。
    こちらは初耳です。
    鉄鉱石は古くは八幡製鉄所から始まり終戦まで、近代日本は中国大陸で産出されたもので鉄工産業を営んでいるという認識でした。日本で産出される鉄鉱石(?)というのがあり、それも用いられていたという事でしょうか。そうであれば私自身そもそも小学生の地理から『日本は鉄鉱石は産出されない』と習ってきてたままの知識なので、意外です。

    ちなみに、ニッケルやクロムの産出でこれの産出地が自国領内にない日独が苦しんだ(装甲の合金からターボチャージャー云々に至るまでの材料として)、またそれに変わる代用合金を開発した、というのは良く聞きますね。
    そもそも大元の質問をした理由も、いわゆる『日本の治金技術が劣っていたから』とする言説・評価も、蓋を空けてみたら案外日本の科学力のせいなんじゃなくて材料ないからなだけじゃないのかと思ったりしたが故でもあるんですね。
    同じく金属資源のないドイツの本家DB601のBF109と『治金技術が悪かったから』『故障率が高い』とされる三式戦のハ40は、具体的にどこがどう設計構造や使用される技術や生産体制として違ってたのか、そもそも結果統計としてBF109や英米ソなりの液冷戦闘機に比べてなお著しくよく壊れていたするデータの客観的根拠があるのかなと。
    ニューギニア戦線なりの非内地の三式戦がボロカスに言われるのは、あくまで日本陸海軍の他の戦闘機なり爆撃機なりと比しての話ですから『まともに整備体制のない過酷な環境での液冷戦闘機とはそうなるものなのだ』と言われるならまだしも、『ハ40が悪い、日本の技術が悪い』となると、その具体的な根拠が掘れば掘るほど分からなくなってる感じです。

    >ところが、スウェーデン北部、キルナ鉱山で取れる鉄鉱石は不純物をほとんど含まないのです。
    >それをドイツは大量に輸入し、戦時中も中立国となったスウェーデンと交渉(恫喝?)して輸入し続けたわけです。それを、兵器の重要部分、たとえばバネに使ったわけです。

    有難うございます。これはスウェーデンの技術、ドイツの技術が噛む余地はなく、原材料が製品の差の大体を決めてしまってる、と解釈した方がよろしいのでしょうか?
    ねお少佐


  27. poran様
    >製作図の件、一寸筆が滑りましたが99式までは製作図の公差/公隙の指定が不十分で到底互換性を持つ製品が出来なかったようです。
    >上がってきた部品を一個ずつ現品あわせで鑢を掛けて組み込んでいました。

    有難うございます。
    こちら質問からややズレて、第二次世界大戦時期から離れかねませんが、九九式の前といえば三八式ですが、同世代のGew98やM1903、モシンナガン等含めてはどうだったんでしょうね。
    第一次世界大戦前からヤスリや職人組み立てを淘汰してた国はなかなか想像がつきませんが、仮にあれば制度確立の格差は大きいですね。
    ねお少佐


  28. げしゅたぽ様
    >実は日本の航空機製造は、1944年はイギリスを超えているんですよ。
    >1944年は日本は28180機の生産を記録して、ドイツ・ソビエトがそれぞれ4万程度ですから、十分な戦時体制と言えるではないですか。
    >1939年からの合算ですと、ドイツが117881機であるのに対して、日本は79123機なんです。

    具体的かつ丁寧にありがとうございます。
    しっかり力を入れていた分野では量産体制自体もそれなりの結果を出していたのですね。英国の生産量を凌いでいるというのは凄まじいと思います。44年辺りの量産は逆に英国は何か色々大変かも知れませんが。
    ねお少佐


  29. >24
     ええ、日本も頑張ったんです。小学生まで動員して兵器を作らせたぐらいですから。ただ、質は別としてと仰られてはいますが、焼玉機関まで使用した日本の戦時標準船とアメリカのリバティー、ヴィクトリー・シップを同列に並べられてもとは思っています。
     https://ja.wikipedia.org/wiki/1945%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%88%AA%E7%A9%BA#第二次世界大戦中の各国の航空機生産数
     たしかに1944年の日本の航空機生産数はイギリスを越えていますが、アメリカが充分すぎるぐらい生産していますし、もしかすると、もうその頃にはイギリスは戦後を見越していたのかもしれません。
    >26
     御免なさい。日本国内の鉄鉱石は、ないわけではないですが、産出しないといってもいいでしょう。したがって、産出する鉄鉱石がではなく、鉱物がです。
     硫黄や燐は微量でも鉄を弱くするのですが、これは、石炭はもとより炉材に含まれても影響が出るぐらいなのだそうです。このため、硫黄や燐の成分は0.035%以下に抑えるとなっていたそうですが、戦時中の大量生産の中でどこまで守られたかは不明です。
     もっとも、輸入した高級な鋼材を使用した場合、職人芸的な素晴らしいものも作っています。たとえば、アメリカでは38式歩兵銃の評価が高いのも、そのせいだそうです。ただ、職人芸的に素晴らしいからといって、量産性に富むわけではないのは当然のことですが。
    >材料ないからだけじゃないのかと
     当時の日本の治金技術がどうだったか知りませんが、空冷星型の航空エンジンに関しては進んでいても、大馬力のものは作れていませんし、欧米で主流になっていく液冷直列についてはほとんど経験がありません。
     ハ40は、その液冷直列で、11で述べた伯父は、飛行中に突然エンジンが止まって死にかけたわけですので、日本にはこの手のエンジンは時期尚早だった、鋳造技術がなっていないと言っていました。
     もちろん、一航空将校、一操縦士の言うことですが、工業学校、今でいうと工業高校しか出ていないのに、大卒の人と競争しながら、某財閥系会社の工場長までなっておりますので、私としては、耳を傾ける価値があると思っています。
     数年前、飛燕を再生するというので、各務原まで行って見てきましたが、あのエンジンはオイル漏れがひどかったようで、入れておいた潤滑油が暖機中に無くなるほどだったそうです。そして、それは最後まで直らなかったようです。多分、伯父の機体も、オイルが無くなって焼付けを起こしたのだろうと思いますが、Bf109は背面飛行をしてもオイル漏れなど起こさなかったそうです。また、イタリアでもアルファロメオで生産されていますが、管見の限りではそのような話は聞いておりません。
     日本の魚雷で一番高価な部品は気室だそうです。ニッケルクロムモリブデン鋼という高級材料を使っているということもあるのですが、削り出しだからです。つまり、金属柱の内部を削って、薄い殻のボンベを作っているのです。なぜ、そのような手間のかかることをやったかというと、鋳造して溶接という方法では200気圧という高圧に耐えられるものができなかったからです。しかし、200気圧というと、スキューバ・ダイヴィングに使うボンベと同等なのですが、あれを削り出しで作っていたら庶民には手が出ません。
     しかし、この削り出しという技法は、一点ものならいざ知らず、大量生産には向いておりませんし、無駄も多いです。逆に、大量生産に一番向いているのはプレス加工だと思いますが、日本は、この点が一番遅れていたと思っています。削り出しでも鋳造でも、工具と技術があれば何とかなるでしょうが、プレスは機械が必要だからです。しかし、欧米は精密プレスで大量の武器を製造していたのです。実際、Gew98もM1903もプレス加工された部品を使っています。
     代用合金にしても、ドイツと日本では随分と異なります。たとえば、薬莢、あれは加工しやすい銅を使いますが、銅は高いのです。アメリカみたいな鉱物資源国は使い捨てですが、日本の場合、自衛隊でも回収しているぐらいです(別の意味もありますが)。ところが、ドイツは軟鋼をプレス加工して作っているのです。戦後、共産圏でこの技術は継承されたようですが、当時の日本で軟鋼をプレス加工して薬莢を作れたかというと、かなりの疑問なのです。当時のドイツの精密プレス技術は世界最高峰だったのですが、それでようやくものにしたものだからです。
     また、長くなって申し訳ないです。
     
    hush


  30. hushさんは非常にお世話になっている方であり論戦は望みません。ですがこの話題ではちゃんと一貫した根拠を持って臨んでおります。

    しかし何もアメリカと互角とまで言ったつもりもその必要もありません。
    戦時標準戦のかくあるべきは何か?
    リバティ船があまりに未熟な溶接技術と鋼材のために千以上の脆性破壊を起こした話を僕も貴方も、時期尚早だとは言いません。
    仮に作ったうちの一部が壊れたとしても、その何倍も作れるならその方が良く、そして戦争中の短期間さえ持ってくれさえすれば良い。最初から戦後の運用など度外視している、あくまで一般の船とは違うんです。
    それが非情なるも戦時規格というものであり、これを大規模に達成できたのは日米なんねす。当時のこれを僕は非合理的とは思いません。
    これらの必要がない大陸国家との比較はアンフェアである事を皆さまに伝えていきたい。
    これが日本の戦術標準船です。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E6%A8%99%E6%BA%96%E8%88%B9
    げしゅたぽ


  31. >30
     互角とは申しておりませんが。
     脆性破壊にしても、アメリカの場合、艦艇でも生じていたことで、戦時標準船だから危険を冒して溶接構造を採用したわけでなく、短期間持てばいいというスタンスで造ったわけでもないのです。実際、リバティー船の一部は、記念船という要素が強いのですが、稼動可能なものがあります。
     なお、イギリスは第1次世界大戦時にも戦時標準船を建造しており、それが間に合わせのものだけでなかったのは、後に旧日本海軍で使用された給油艦野間がその後身であったことでも分かります。野間は、民間に売却され日本丸と改名され、1933年に座礁しなければ、もっと使用されたでしょうし、国号を冠したことからも分かるように、当時の”造船大国”日本ですら、最優秀のタンカーだったのです。
     また、大陸国家のドイツは、第1次でも、第2次世界大戦でも、大量のUボートを建造していますが、第1次のものは日本の潜水艦の基礎となり、第2次最後のほうに出現したヴァルター潜水艦は、原子力潜水艦が出現しなかったら主流になりえたものでした。
     互角というのと、同列に並べるというのは、随分と違うものなのです。
     
    hush


  32. 皆様、ハ40には個人的な事故エピソードや良くないという話があるというのは、もちろんあると思うのですが、ここでは質問主は素材と技術との線引きを求めています。
    僕は、時期尚早だとは思いません、技術的には。
    皆さん、一旦前提を隅に置いてからハ40の開発を俯瞰して見て、そして前提に一旦戻って下されば、なぜあの当時ハ40の生産が可能とされたか、ちゃんと根拠あってのものだという話が理解できるかと、思います。
    渡辺洋二の液冷戦闘機飛燕 日独合体の銀翼
    によると、困難とされたフルカンの生産はオリジナルと完全同等のものができており、クランクケースやシリンダーに至ってはオリジナルを上回る品質のものだったということが明かされています。燃料噴射装置も当初は上手くいかなかったのですが、燃料噴射装置のノズル等川崎から三菱製に交換して三菱の技術者の改良でどんどん調子が良くなっていった、ハ40は日本の総力を挙げた国家プロジェクトであり、決して燃料噴射装置であっても日本の手に余ったという認識ではないのです。
    軸受けも精度の良いものを選別して使っていました。問題なのは意外と話にされませんが、これも素材の焼き入れ硬度不足の問題があり、スウェーデン産出の鉄鉱石を基にしたドイツが使っていたものとは、原材料からしてまるで違うのです。
    クランクシャフトもニッケル使用制限さえ無ければ、熱田ではいくらかマシだったといつ話です。
    時期尚早だというのは、結果だけ振り返ってみればそうかもしれませんが、これらの話は想定し切れなかった素材不足により、結果として失敗するに至ったというのが、僕の新しい見方です。
    日本の総力があまりにも杜撰すぎたと仰るには、これらの話は出来過ぎではないでしょうか。僕は戦時中の材料調達に制限されたが日本は十分な工業体制にあった、その一つとして数えても良いというのが、伝えたいことです。
    げしゅたぽ


  33. >32
     でも、オイル漏れを起こすエンジンはいただけないですね。
     
    hush


  34. >>31 互角であるか否かもこの話の争点ではなく、かつ同列に扱ってもいないと思うのですが。純粋にあるのはアウトプットの一点のみです。
    これだけの戦時標準船を作れたのは、日米だけです。
    あまり複雑な話をしているわけではないのです。
    戦時標準船は溶接を強行したのは、なにも溶接そのものが未熟だったとかいう話ではなく、溶接工程自体が杜撰なものが多く、多くの溶接不良が残された状態での出荷があったからです。リベットでも失敗はある、それと同じで、基本的に少なくない数の「手抜き」が出回ったのが事実です。それに、材料の方にも、品質のよろしくない代替材料が使われたりしたのも、日本?、いえ、だけではなく紛れもないアメリカの話です。
    英国は第一次大戦に注目しても、この話である第二次大戦では、日本ほどのアウトプットは出せておりません。海上護衛が世界で最も先進的であったことと、アメリカからの支援があったことが要因ですが、であればなおさらアンフェアな比較とならないためにも、日本の傾斜と他国の傾斜をはっきりさせておくべきなのです。
    げしゅたぽ


  35. >30、34
     日本もたくさん造った、だから”生産体制が悪くなかった”、”アメリカは別格としても、諸外国全般と比較して、凄まじく劣っていた体制”ではないということですが、大量生産に必要なのは生産品種を絞ることです。しかし、その日本の戦時標準船にしても、30でお示しになられたものを見るだけでも何種類あることやらと思ってしまいます。これに対し、たとえば、ソ連はT34戦車に、ドイツはUVII型潜水艦に、イギリスはマリーン・エンジンにというように、何らかに絞っております。
     こんな国力がない国だから、質で勝負しようというのは分からないでもないです。しかし、これだけ無茶苦茶に生産品種を広げてはいけないのです。私としては、敗戦があったから、平和でよかったねとなるのですが、戦争に勝とうとするのなら、これと思うものに全力を集中すべきなのです。そういう意味では、日本の生産体制は列国に比べて、かなり悪いほうです。
     また、戦時には材料の不足、低品質化、熟練工の不足による精度の不足等がおきますが、この面でも日本の対応は後手に回っています。複雑な凝った設計が多くて、生産が大変なのに、簡略化が遅れたのです。
     さらに、精密プレスがあれば簡単に成型できるものが、削り出しや叩き出しで造らねばならなかったので、熟練工が絶対に必要なのに、どんどんと徴兵していったという問題もあります。
     そういう中で、あれだけの数を造った。日本も頑張ったんだという私の詠嘆も、本心からのものですが、数ができればいいのかというのも、同様なのです。
     戦時中ですので、アメリカでも”手抜き”は多く発生します。品質の悪い材料も使わざるを得なかったのも事実です。しかし、日本の戦時標準船のように、船倉から空が見えたなどという話までは聞いたことがありません。

     第1次大戦のイギリスの戦時標準船を持ち出したのは、この時代から、イギリスはそういうことをやっていたということを示したかったからで、当然、第2次大戦もやっております。これをエンパイヤ型と申しますが、合計で500隻344万総トンとなり、これにその他の船舶を加えると、イギリスは第2次大戦中に1036隻731万総トンもの船舶を建造しています。これに対し、日本は太平洋戦争中に1303隻とイギリスよりも多くの船を建造していますが、総トン数は半分の338万総トンに過ぎません。
     
    hush


  36. >35 イギリスの総トン数が優っていたのは知りませんでした。それは素直に誤りを認めます。では、海洋国家のイギリスに負けていたから駄目なのか?ではないでしょうか。
    大陸国の独ソとはどのみち事情が違いすぎますし、造船大国イギリスの半分というのは凄いことではないでしょうか。
    腐される理由も、船としての機能を果たすという点において、いくらかが駄目でも一定数を供給できたアウトプットが明白である以上、支配的ではないと思います。

    hush様がそうであるとは、全く微塵も思っていませんが、航空機生産にしても、船にしても、それぞれ他海軍国・陸軍国に対して一桁違うかのように言われているのが、一般ではありませんか。
    航空機だとドイツと比べても7割弱の生産数を誇っている。列挙に並べても十分だと思います。
    げしゅたぽ


  37. >36
    >大陸国の独ソとはどのみち事情が違いすぎます
     ですが、戦時戦争体制という点では一緒でしょう。
    >造船大国イギリスの半分というのは凄いことではないでしょうか
     もちろん、そうです。ただ、戦争が始まる前にきちんと戦時標準船の設計図ができていて、開戦前から建造に着手していたら、簡単に追い抜いていたはずなのです。そして、船倉に仮の木甲板をわたし、ハンモックを並べただけのものではなく、きちんとした輸送船があれば、沈むたびに何千人も無駄に死ぬ必要はなかったと思うのです。私は、それに腹が立つのです。
    >いくらかが駄目でも一定数を供給できたアウトプットが明白である以上、支配的ではないと思います
     では、特攻はどうなるのですか。ドイツのように無線操縦の爆弾があれば、あんな死に方をさせる必要性はありませんでした。ところが、戦時中に熱探知型の爆弾を開発していたという人の言うには、電線の被覆が紙でできていたというのです。日本は、マレーシアを占領し、連合国側に天然ゴムの供給が止まっていたというのにです。
    >他海軍国・陸軍国に対して一桁違うかのように言われている
     そうなんですか。そんな馬鹿なことを言う人がいるんですか。もう少し調べてから言ってほしいものですね。
    >ドイツと比べても7割弱の生産数
     ええ、これでもう少しまともなやり方をしていれば、負け方も違っていたと思います。
     
    hush


  38. >>37 もちろん、細部の仕様、そして特攻の面では、その通りであるを否めません。
    いくらか合理化において遅れていたのもあるでしょう。実際に、壊滅的な損害を被ったという事実はあるのです。
    しかし、生産体制に関して言われているほどではないのは、アウトプットを見ていただければ、分かる、という事なのです。
    「イギリスの半分」とか「ドイツの6割強」と聞いて、「酷過ぎる!」なんて思う人は、居ないでしょう。前提として。
    それが、ああいうふうに言われるのは、丼勘定で1割とかそれぐらいのイメージの人が、めちゃくちゃに腐すんだと思います。
    実際、日本は陸軍海軍で分かれ陸海軍内でも多種多様な種類が存在しており、一種あたりの生産実績が少なくなるため、こう見られるのも仕方ない感はありますが。
    あれだけの大国の片割れでもあれば凄まじい規模なのです。
    トータルの兵器生産高では、欧米の半分程度とみるべきでしょう。

    あまりの弱体な工業国の戦いのそれでは、無かったというのがお分かりいただける筈です。僕の観測範囲が、そうなっていて、この様な事を付随せざるを得ないと思い、具体化させてもらいました。
    げしゅたぽ


  39. >38
     つまり、「ああいうふうに言われる」人がいるからということですね。
     ならば、これを最後まで読まれるような方ならば、そのようなことは思ってもいないでしょうから、よろしいんじゃないでしょうか。
     長時間、お付き合いいただきありがとうございました。
     
    hush


  40. >39 失礼、分かっている方々が集うのだから、ここにぶつけるべき内容ではありませんねしたね。どうかお嫌いにならないで下さい。。。場を汚してすみません。
    げしゅたぽ


  41. hush様、げしゅたぽ様ありがとうございます。

    hush様については御親族の方が現に三式戦の不調が故に命を落とされかねないところだったという事で、本当に貴重なお話を有難うございました。
    今回はこの議題ですから、パイロット視点もさることながら、生産者視点としての議論も出来れば良いと思っております。
    日本陸軍における御親族の様な目に遭われたパイロットは、果たして米陸軍のP-40やP-51、ドイツ空軍のBF109やイギリス空軍のスピットファイア、ソ連空軍のYak等の隊にはいなかったのか、俗説で言われるような話の実際、客観的な統計やデータを見たり考察を踏まえたりというお話が伺えたりすると良かったかな、と思っております。
    ねお少佐


  42. げしゅたぽ様
    溶接についてはリバティ船で事故が多くともそれが許容出来てノウハウを積めたアメリカ側と、第四艦隊事件(だったかな?)が堪えて保守的な体制を取りたかった、かつ電気溶接のコスパの悪さを嫌った日本側との違いだったというお話を聞いた事があります。
    鋳造にせよ溶接にせよリベットにせよ、何処の国でもやり方に得手不得手があったという話に落ち着く程度の差なのかどうかとは思ってます。(余談ですが戦車の鋳造技術はソ連が異常に優れていた、みたいな話も聞いた記憶があったりなかったり…)

    飛燕の機体製造のお話も有難うございます。
    ねお少佐


  43.  えーっと、まだ書くんですかと言われそうですが、鄭重な御礼をありがとうございました。
     どうも、部品の完全互換性を達成した最初はアメリカのイーライ・ホイットニーの製造したマスケット銃だという話もありますが、実際にはスプリングフィールドM1842らしいです。その後、兵器産業からミシンやタイプライターのほうへ流れていったようですが、19世紀中葉のミシン工場の絵ではヤスリ掛けをする人が描かれています。したがって、工場からヤスリが追放されたのはフォードの製造工場のようですので、第1次大戦の直前、1913年のようです。また、自転車の部品については1890年代に業界標準部品が定められているようです。
     ただ、互換性のある部品という観点でいくと1800年に発明したイギリスのヘンリー・モーズリーのねじ切り旋盤にたどり着きます。もっとも、イギリスが完全互換性のある製品を生み出すのは第1次大戦中の兵器工場で、ドイツはそれより少し早いようです。
     溶接船体については、仰るように第4艦隊事件で見直されるのですが、軍縮条約の制限トン数の中で、日本では軽量化の観点から盛んに研究されています。ただ、コスト・パーフォーマンスが悪かったというのは聞いたことはなく、むしろ、建造期間の短縮に繋がるとして、戦時標準船の建造には全溶接構造が採用されています。
     そして、戦後日本の造船業の躍進を支えたのは、戦時標準船建造で培った溶接とブロック建造だったのは歴史の皮肉です。というのは、旧海軍の技術では建造期間、建造費ともに国際競争に打ち勝つことができなかったのです。
     もっとも、当時の全溶接構造だと、船全体が一本の棒のようになって、捩れを吸収する部分がないので、一部にリベット構造を用いて、力を分散させるようにしたと聞いております。
     
    hush


  44. マッキC.202のアルファロメオ モンソーネエンジンが機体に装備され始めたのは400号機以降のことで、それまでのC.202はドイツから供給されたDB601A-1を装備しています。
    アルファロメオ製に変ってからの故障多発により可動機/保有機の比率が日本の三式戦以下に落ちたことはかなり知られている事実だと思います。
    BUN


  45. >44
     フォロー多謝。
     
    hush


  46. hush様、それにBUN様、有難うございます。

    >したがって、工場からヤスリが追放されたのはフォードの製造工場のようですので、第1次大戦の直前、1913年のようです。また、自転車の部品については1890年代に業界標準部品が定められているようです。
    具体例からの御意見、有難うございます。
    フォードの生産概念が世界に波及していったという説はよく伺いますが、第一次世界大戦直前頃なのですね。

    >建造期間の短縮に繋がるとして、戦時標準船の建造には全溶接構造が採用されています。
    >戦後日本の造船業の躍進を支えたのは、戦時標準船建造で培った溶接とブロック建造だったのは歴史の皮肉です。
    有難うございます。感じられる量産のメリットはやはり、日米を通して同じだったわけです。
    コスパどうこうというのは、言葉足らずで失礼致しました。
    “電気”溶接ですから、日本の発電量(?)において電気を多様する工程を奨励する態度があまり好ましくなかったとする話、電気溶接も技術職即ち“熟練工”であるため薦め難かった話等を拝見したものです。
    お話して頂いている造船というジャンルにおいてもそのようなデメリットが感じられていたのか、そもそもそれがデメリットとして有り得たのか(特に発電量云々は)と言われれば、これも疑問なのですが…。
    ねお少佐


  47. BUN様
    >アルファロメオ製に変ってからの故障多発により可動機/保有機の比率が日本の三式戦以下に落ちたことはかなり知られている事実だと思います。
    不勉強で、初めてこのエピソードをお伺い出来ました。有難うございます。

    mc202もライセンス組として同じように不調に苦しんでいたのですね。アルファロメオ製の不調をもたらした主な要因は、我が国のハ40のそれと同じようなものなのでしょうか?
    ねお少佐


  48. いまさらですが、
    >24.
    ランカスター/ハリファックスのような四発重爆も、複葉の赤とんぼも同じく「1機」ですよね。
    超音速


  49. 超音速様

    議論遡ってのお話、ありがとうございます。
    ここまで色々お話伺わせて頂いてますので、古レスも多くなってますが、色々意見頂けるのは幸いです。

    確かに仰る通りですね。
    特に何処の国でも単発練習機等は、しばしば『戦力ではない』として生産カウントをされませんが、戦時下軍用機の大分の割を占めますからね。
    四発重爆のようなゴツい機体を大量生産していた連合と、ほとんど生産数のない枢軸では、確かにアンフェアかも知れません。

    ひとつの指標としては、げしゅたぽ様が出して頂いた生産数という視点も重要だとは思いますが。

    ねお少佐



235 戦国武将で大名になっても
けつの穴掘られるのが好きな武将を教えて下さい

偉くなると掘る専門になるのでしょうか

あざきえる

  1.  いっぱいいるんじゃないですか。
     詳しくはこちらをご覧下さい。
     https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%AD%A6%E5%B0%86%E3%81%A8%E7%94%B7%E8%89%B2%E2%80%95%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E3%80%8C%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E8%A1%86%E9%81%93%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9B%9B%E8%A1%B0%E5%8F%B2-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%96%B0%E6%9B%B8y-%E4%B9%83%E8%87%B3-%E6%94%BF%E5%BD%A6/dp/4800303036
     
    hush



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