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戦史、歴史
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264 もしミッドウェー攻略作戦が成功したと仮定して、そこから陸攻隊でハワイ攻撃は無理だといわれていまが、実際、微細でも攻撃は無理でなんでしょうか。
トワイライト

  1. 爆装時の航続距離が全く足りませんし
    爆装を減じて航続距離を延ばす特殊改造を施し
    仮に到達できるようにしても鈍足の爆撃機単独で遠路を飛ばす
    メリットがありません、護衛戦闘機は当然ですがついていけません。
    軍功機能をマヒさせたい、燃料タンク等の破壊工作を行いたいのであれば
    潜水艦からの航空機を発射させ低空侵入が成功率は高いと思われますが
    最終的にはどちらの方法もレーダーで捕捉され撃墜がオチかと思いますし
    ミッドウェーが攻略できるという事は日本側機動部隊は
    壊滅せずという事になるのでしょうから、好きな方位から再度ハワイに空母で
    強襲をかけるほうがはるかに成功率も効率も高いと思います。
    五十六さんは最終的にはハワイを攻略する腹積もりだったようですが
    ミッドウェーは防衛は攻略前ですら困難だろうと目算されてましたので
    保持してても史実のガナルカナルが、攻略したミッドウェーに
    なるだけかと思いますのでハワイ空襲どころじゃない状況になると思います。
    ももんが


  2. 微力でも良いハワイ攻撃ならば、ミッドウェー占領前でも、K作戦として二式大艇で実施できてますね。



263  1939年9月にドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻して第二次大戦がはじまりましたが、独ソ開戦まで1年半以上、太平洋戦争開始まで2年以上経過しています。
 ポーランド侵攻当時、独ソ戦や太平洋戦争を予想した人物はいたのでしょうか?
PIAT

  1.  現在(2022年10月)ロシアとウクライナの戦争では、ロシアが敗色濃厚となっており、核兵器の使用が懸念されています。
     私はなんとなく、世界中で大動乱が起こるような気がします。
     後世、「2022年2月に第三次大戦が始まった」と言われるのではないかと思い、質問いたしました。

    PIAT


  2. 先ず、ヒトラーはポーランドに宣戦布告をして侵攻する際
    英国が宣戦布告をしてくるのは想定外だったみたいです。
    かなり取り乱したと言う話です。
    但しナチスドイツとソ連は、いくら中立条約を結んでいても
    いずれ破綻するだろうと言う感じだったと思います。
    まさのり


  3. 質問文における「予想」の意味、あるいは定義が不明確と思われます。
    太平洋戦争ですが、満州事変勃発時に米大統領は対日水師発動を命じようとしたが、時の海軍長官が職をかけて反対したのと、英国が噛んでいるのを知ったので取りやめ、取合えづ重巡は条約の限度いっぱい建造することにしたのは有名です。フランスの降伏後は、日独伊、ビーシーフランスの4か国との戦争を念頭に両用艦隊計画のもとで海軍の大拡張に取り掛かりました。はっきりと、戦争を覚悟したというより開戦を決断したのは独ソ開戦後のようですが。
    日本においても、日独伊三国防共協定に反対した人は、将来の日米間の戦争につながることを恐れたのが一因です。はっきり書くなら、いつ戦争が勃発してもおかしくない状況でした。
    独ソ戦でも、将来何かが生じると恐れていた人は多数います。インターネットで調べても、ソ連はドイツの侵攻の危険性を十分認知しており、ある程度の準備はしていたようです。
    なお、現在のロシアによるウクライナへの進行でも、ロシアに接するいくつかの国は、御承知のように徴兵制を復活したり、復活しようとしたり、軍備の増強を図ったりしていました。
    結局、そのものずばりを予想した人は少ないでしょうが、かなりの確率で生じると予想した人は多数いるようです。
    あと、解答者のまさのり氏ですが、何故ヒトラーは英国が宣戦布告をしてこないと思っていたか、英仏両国はナチにのみ宣戦布告をし、ソ連にしなかったのかを調べても如何でしょうか。
    UK


  4.  予想した人はいるでしょう。「我が闘争」にはスラヴ民族を隷属させ、東方に領土を拡大して大ゲルマン帝国を建設すべきと明記されているからです。ロシア人はスラヴ民族でありますので、ポーランド侵攻と分割が独ソ不可侵条約の結果とはいえ、両国の蜜月が長いものではないと考えた人が多いでしょう。ただ、スターリンはそういう具申を無視しており、大粛清も手伝って、独ソ戦は完全な奇襲で始まっています。したがって、4にある「ソ連はドイツの侵攻の危険性を十分認知しており、ある程度の準備はしていた」というのは、どなたが書いているのだろうと思うのです。
     一方、太平洋戦争については難しいかもしれません。というのは、日独防共協定は1931年ですが、その3年後の39年に独ソ不可侵条約を締結してポーランドに侵攻しているからです。防共とは、統一協会の文鮮明の作った勝共連合の共と同じく、共産主義を意味します。つまり、ドイツは日本との協定を無視して、共産主義の総本山であるソ連と手を組んだわけです。「我が闘争」には日本を侮蔑する内容も散見されますので、ヒトラーらしいわけですが、そこから枢軸国対英米蘭中等連合国26ヶ国とその植民地との戦争に発展するというのは読みにくいでしょう。ただ、日中戦争の推移とそれによるアメリカの権益との衝突を考えるとあり得ると思ったでしょう。また、それだけ虚仮にされても40年に日独伊三国同盟を結び、北部に引き続き、ヴィシー政権下のヴェトナム南部に侵攻したことによりきな臭さを感じ取った人は多いでしょう。
     ところで、4の中で分からない点がいくつかあります。
    >「予想」の意味、あるいは定義が不明確と思われます
     その時点で独ソ開戦や日米の衝突を「予想」した者がいるかですよね。何の疑問もなく答えられるのですが、何か問題があるのでしょうか。
    >満州事変勃発時に米大統領は対日水師発動を命じようとしたが、時の海軍長官が職をかけて反対した
     1931年だとフーヴァーとチャールズ・F・アダムズですが、そういう話は存じません。スティムソン・ドクトリンのことでしたら、国務長官ですし、職を賭すような話があったかなと思うのです。もし、「有名です」がこれにかかっているのなら、笑われるだけのことかもしれませんが、出典を御教示いただければ幸いです。
    >戦争を覚悟したというより開戦を決断したのは独ソ開戦後のようです「が」
     最後の「」を付した「が」のかかり具合が分かりません。まさか、戦争を覚悟したから両洋艦隊法を可決したという訳ではないと思いますが。
    >日独伊三国防共協定に反対した人は、将来の日米間の戦争につながることを恐れたのが一因です
     巷間、そう伝えられていますが、若干の疑問があります。山本五十六はその中心人物ですが、「半年か一年の間は随分暴れてご覧に入れる」と述べたと近衛の手記にあります。対米戦争の回避を訴えた一節ですが、これだけを取り出すと短期決戦なら勝算ありと取られかねない文言です。また、大山事件にしても非武装の将校が軍服着用の上、サイドカーで中華民国軍が警備する飛行場のゲートに突入したわけですが、時の海軍大臣、次官は米内、山本です。「我が闘争」の原文を読んだ堀が、そのような国とと言い出したからかなと思っています。
    >何故ヒトラーは英国が宣戦布告をしてこないと思っていたか、英仏両国はナチにのみ宣戦布告をし、ソ連にしなかったのかを調べても如何でしょうか
     それで何が分かりますか。
     
    hush


  5. >その3年後の39年に独ソ不可侵条約を締結して
     8年後ですね。
     
    hush



262 軍事についてはほとんど知識がないのですがよろしくお願いします。
先日、YouTubeでアメリカ海軍を紹介する動画を視聴しました。
その動画でアメリカ海軍の構成員の人数が紹介されていたのですが、
☆大将9名
☆中将37名
☆少将61名
☆准将118名
☆大佐3067名
☆中佐6486名
☆少佐10267名
☆大尉19860名
☆中尉6846名
☆少尉7156名
☆准尉1900名
☆士官候補生4539名
☆下士官208088名
☆水兵75746名

このように紹介されていました。
軍隊の構成員の比率は軍事の知識がないわたしのイメージだと
おおよそピラミッド型になるような気がしていたのですが、
この構成員比率を見ていると必ずしもそうではないのでしょうか?
特に気になったのは、大尉の人数が中尉と少尉を足した人数より多いことです。
これに士官候補生を合わせてもほぼ同じ人数になります。
少佐の人数を注目して見ても、中尉、少尉よりもかなり人数が多いようです。
なぜこのような比率になるのでしょうか?
よくわからないのですが、少尉や中尉の退職率が高いとか、大尉から少佐に昇任する人数が少なくて、大尉のままで歩留まりしている、こんな感じになるのでしょうか?
なにしろ軍事知識がないもので見当違いな質問なのかもしれませんし、勘違いが多々ある可能性も有りますがよろしくお願いいたします。URLは一応把握していますが、貼って良いのかわからなかったので留意しました。
カーペンタリア

  1.  2017年のアメリカ軍全体の階級別人数一覧 https://www.factmonster.com/us/military/us-military-ranks を見ても同様の傾向がうかがえます。また、旧日本海軍の現役海軍将校名簿1926年度版 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1905450 の兵科将校を見ますと、大将2ページ、中将2ページ、少将5ページ、大佐18ページ、中佐32ページ、少佐47ページ、大尉66ページ、中尉40ページ、少尉43ページ、少尉候補生7ページとなって、大尉の数が多いのが分かります。
     旧日本海軍の場合、ほとんどの人が大佐まで進級しますが、陸軍はそうではなく、アメリカもO-3からO-4へは半分程度しか昇進しないと書いてあるサイトがあります。
     また、 https://www.businessinsider.com/how-much-military-service-members-make-2019-2#o-1-38256-10 によると、アメリカ海軍のO-1(少尉)は2年間で自動的にO-2(中尉)になり、O-3(大尉)には3年間の勤務が必要です。そして、4年間の勤務後にO-4(少佐)になれますが、これは資格を得たというだけで、自動ではなれません。
     つまり、退役などがなければ、士官学校の卒業生や大学で士官教育コースを受けた者のほとんどは大尉になれますが、少佐になるには障壁がある上に、大尉のまま4年以上過ごす人が多いので、大尉の数が多いわけです。
     なお、O-3は、ものによってはLieutenant(中尉)とし、大尉の階級をなくした訳もありますが、一般的な訳に従いました。
     
    hush


  2. hushさん、おはようございます。質問にお答えくださりありがとうございます。
    リンク先、大変良いサイトを紹介頂き助かります。今は、翻訳もすぐできますし便利になりました。
    階級の昇任にはいくつかの決まり事があるのですね。少しずつ理解できればと思いました。
    大変有意義な勉強をさせていただきました。心よりお礼を申し上げます。
    ありがとうございました。
    カーペンタリア



261 なぜアメリカは大日本帝国に対してナチスドイツほど大規模詳細な戦史編纂をしなかったでのでしょうか?
りんごろう

  1.  質問は、アメリカがドイツに対するほどには日本との戦争を詳細に記録しなかったのかという意味なのでしょうか、それとも、アメリカはドイツほどには大規模かつ子細に戦史を残さなかったのはなぜという意味でしょうか。前者についてはそのようなことはないように思えますし、後者については国民性の違いでしょう。
     
    hush



260  壇ノ浦合戦で平家軍が大敗したため、多数の船(何百艘)が遺棄されたと思いますが、これらの船はどうなったのでしょうか。流れ着いたところの個人あるいは村落が勝手に私有物にしたのでしょうか、あるいは九州方面の最高指揮官である範頼が指示を出し、全てを集約した後で何らかの処理をしたのでしょうか。
電気戦艦

  1. 呼び水程度に、素人の想像ですが造船するというのは、手間費用がかかりますので、普通に使えそうな船は地元民の漁師等や源氏側の水軍が再利用じゃないでしょうか?
    後年の大英帝国海軍も拿捕帆船には拿捕賞金を払って再艤装して、編入させてたくらいですから
    まさのり


  2. まさのり様 どうもありがとうございました。おっしゃる通り船は今も昔も高価なものでしたから、誰かがまた利用したことは確かだと思います。問題は、見つけた人が、これは幸いとばかりに、自分のものにしたのか、あるいは、権力が介入して再配分方法を決めたのか、ということです。何か文書がないと今となってはわからないとは思うのですが。
    電気戦艦


  3. この時期はまだまだ情報・管理が行き届いてないと思うので、個人或いは地域の長や豪族等が略奪していった
    という感じだと思います。時期はだいぶ後になりますが
    戦国時代や関ヶ原では戦が終わった後に、金目の物を強奪する地元民等が居たようでしたから
    まさのり


  4.  ただ、使い道があったのかが疑問です。

     漁船に使うには大きすぎるし無駄な設備もあるし、旅行文化があるわけでもないので旅客業は成立しない、海上輸送に適した船だったかどうかとなるとこれまた疑問。地元豪族なら既に自前の船を持っているでしょうから、自分の船より新しい船なら手に入れたかもしれませんが、そうすると今度は古い船が要らなくなる‥‥‥それでいて当時の船なんてメンテナンスしなければあっという間に使えなくなってしまう代物ですから
    おうる


  5. おうる様 新しい視点ありがとうございました。この合戦に参加したのは、両軍とも各地で活動していた水軍でした。水軍は海上通行料を経済基盤としていました。ということは、瀬戸内海を初め西日本海域での海運は思うより大規模だったのでしょう。平家についていた水軍の遺棄船舶は源氏についた水軍にはそのまま使えるでしょう。漁民にとって使い勝手がいいかどうかはわかりません。当時の漁の形式によるのでしょうが、今すぐには何とも言えません。
    電気戦艦


  6. まさのり様  >3.
    確かに陸上の戦闘の場合は、近在の農民が武器などを収集し、専門の武器商人に売るのが普通だったと聞きます。またいいものがあれば、自分のものにもしたのでしょう。戦闘で死んだ兵士の遺体埋葬なども同じ人たちがやったとすれば、手間賃として道具をもらうのは当然かもしれません。ただこの部分は私の単なる憶測です。
    電気戦艦


  7. 難破船とその積み荷の所有権は発見者にある、というのが江戸時代以前の不文律でした。出港した船が強風で帆が破れたので港に引き返したら、港の人々が、帆が破れたから難破船だ、だから積み荷は発見者のものだと船に押しかけ、根こそぎ奪っていた事例もあるようです。まぁ、これは船員と港の人々の間にトラブルがあったので、港の人々の仕返しなのではと想像します。「難破船とその積み荷の所有権は発見者にある。」というルールはヨーロッパでもそうだったそうです。イギリスでは、難破船の生存者も発見者の所有物、すなわち奴隷にされた事例があります。
    あと、船は解体すれば材木になります。建物の建築や補修に使ってもよいし、売ってもよい。傷んだ部分は燃料として使えます。昔の人にとって木は現代の鉄と石油ほどの価値があります。
    青龍


  8.  壇ノ浦で使われた船がどのようなものであったかは、ほとんど分かっていません。ただ、「平家物語」に「源氏の舟は三千余艘、平家の舟は千余艘、唐船せうせうあひまじれり」とありますので、平家側には日宋貿易に使われたような大型船がまじってはいたようです。しかし、それ以外の船は和船だろうと推定はできても、兵船なのか、漁船なのかも分かりません。おそらく、搔き集められたものでしょうから、種々雑多なものであったと思うばかりです。
     一方、「吾妻鏡」のほうは「平家五百余艘分三手(平家五百余艘を三手に分け)」とあるだけで、戦の具合もほとんど書かれていません。もちろん、明治になって出てきた潮流の変化云々もありません。「及午剋平氏終敗傾(午剋に及び、平氏終に敗れ傾く)」とあるばかりです。では、合戦図を見ればわかるかというと、壇ノ浦にしろ、屋島にしろ、残っている図は16世紀のもので、平安末期のものではありません。
     ただ、平家側として九州の山鹿、松浦の名が出ておりますが、うち、松浦党は遣明貿易の護衛を室町幕府から任されています。山鹿のほうは没官になっておりますが、松浦党が勢力を維持できたということは、自らの船を持ち帰れたのではないかという想定もできます。
     というのは、源氏は西国に興味が薄かったからです。
     源氏は、東国を自らの地としており、平家の勢力の強かった三関より西は朝廷のものと考えていたようです。当時の戦いは殲滅戦であったとは思えず、大勢が決したのちは逃れるに任された船も多かったのではないのでしょうか。
     推測を重ねれば、いくらでも出せるのでしょうが、多少とも根拠らしいものを示しながらとなると、この程度しか出せません。
     
    hush


  9. 青龍様 >7.
     貴重な情報 ありがとうございました。そういう時代もあったのですね。平安時代末期では、船を作るための板材は、まだ大型の鋸がなかったので、クサビで元の丸太を割った後で、チョウナを用いて表面をはつって用意しました。結構な価値があったでしょう。

    hush様 >8.
     ありがとうございました。言われて気づいたのですが、殲滅戦ではなかったというのは、そうだと思います。平家の船団は4個で組織されていましたが、そのうちの粟田重能に率いられるグループが寝返りました(最初からのつもりのようです)。ですから、このグループは源氏から攻撃されるわけはなく、そのまま四国に帰って行ったのでしょう。そのほか四国や九州の山間部に逃げ落ちた平家がいるのは確かです。

    電気戦艦



259 記憶モードで申し訳ありません。何かの記事で戦前だか戦中に英国東洋艦隊所属の潜水艦が紀淡海峡、明石海峡を突破して瀬戸内海に侵入し、演習中の日本艦隊を偵察し、日本艦艇の主砲発射間隔等を調査し、まんまと気づかれず脱出し帰還したというエピソードを読んだ記憶があるのですが、出典を調べたのに出てきませんでした。
これは事実でしょうか?ガセでしょうか?それとも架空戦記の記述が混入したのでしょうか?

気になってしょうが無いので質問します。出典が示せない以上、盛大に突っ込んでいただいて結構です。
備後ピート

  1.  こちら https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Regulus_(N88) に、載っています。
     
    hush


  2. hush様。御回答ありがとうございます。事実だと知ってすっきりしました。
    備後ピート


  3. 2ですが、質問文の内容と「1」に記載されている内容(事実)は全く違いますよ。
    トンマ


  4. >3
     まあ、そうなのですが、以前、質問文にありましたような内容の記載は読んだ記憶があります。また、HMS Regulus Japan 1939でGoogle書籍検索を行いますと、らしい記載があります。もっとも、観測したのは主砲の発射間隔ではなく、長門の主砲ならびに測距儀の旋回速度のようです。
     
    hush


  5. hush様。トンマ様。やはり出典が示せないのはツライ…。ともあれ愛ある突っ込みありがとうございます。ミリオタ長々とやってても、思い込みや思い違いからは逃れられないもので…。

    英潜レグルスの日本近海冒険航海は事実だったり、ウォルフガング・ミッターマイヤーが新谷かおる氏の短編漫画の主人公だったり、かの「ドイツ空軍行進曲」がイギリス人の作曲だったりと「ええっ!」と思うことが多い今日この頃。行き行きてなお道半ば…というより沼にハマって四苦八苦です。
    備後ピート



258 英国のロングボウや日本の和弓は、ロングレンジで使用する場合空に向け射ります。降下する際矢のような軽量なものでも威力の低下は少ないと言いますが本当でしょうか?あとクロスボウでは水平撃ちが主流で
空に向かって射るというのは聞きません。これは矢の違いからでしょうか?
まさのり

  1. >降下する際矢のような軽量なものでも威力の低下は少ない
     実際には行われていないようですが、ピサの斜塔でガリレオが証明したように、落下する速度に影響を与えるのは摩擦であって、質量ではありません(威力は質量と関わってきます)。したがって、羽毛のように抵抗の大きいなものならいざ知らず、同じ形状であれば、木であろうが、鉄であろうが、同じ速度で落ちます。ただし、降下する角度が鉛直に近づくほうが速くなるのは、急な下り坂のほうが速度がつくことからも分かります。そして、鉛直に落下させようと思ったら、真上に撃てばいいのですが、これでは意味がないので、角度をつけるわけです。特に、遠距離から発射すると、鋭角で落ちてきますので、威力も大きくなります。ただし、命中させるには熟練が必要です。
     この点を改良したのがクロスボウです。機械式にしたため、張力は非常に強く、かなりのスピードで飛んでいきます。ただ、台座を持つ関係で弓を小型化しないと持ち歩けないため、通常よりかなり短い矢しか使用できませんし、矢羽根も小さくなります。このため、遠距離での命中率は低く、水平射撃による近距離戦にしか使えません。また、ストロークが小さいため、命中してもロングボウと威力は変わりませんので、重量をつけて威力を高めています。
     したがって、仰角をつけてクロスボウを射ないのは、矢の違いもありますが、構造上の問題となります。
     
    hush


  2. hushさん、詳しい解説ありがとうございます。
    まさのり


  3. まさのりさん
    >降下する際矢のような軽量なものでも威力の低下は少ないのか
    というご質問ですが、軽量なものほど威力は低下しやすいですね。「同じ形状であれば、木であろうが、鉄であろうが、同じ速度で落ちます」ということはないと思います。問題はどれだけ威力が低下するのかというところですが、申し訳ありませんが、答えを持ち合わせておりません。

    hushさん
    >実際には行われていないようですが、ピサの斜塔でガリレオが証明したように、〜〜〜同じ形状であれば、木であろうが、鉄であろうが、同じ速度で落ちます。
    ⇒空気中であれば、同じ形状・大きさであれば比重が大きな鉄が速く落ちます。「過去に●●が行われていなかった」ことを明らかにするのは悪魔の証明的な難しさにも関わらず、ピサの斜塔で大小の鉄球が同時に落ちる?やら木であろうが鉄であろうが同じ速度で落ちる?実験がなぜ「実際には行われていないようですが」とされるのか考えてみてください。実験をして『同じ速度で落下するという結果を得た?』というのが有り得ないので『実際には行われていなかった』と解釈されているんだと思います。(ピサの斜塔で実験自体をしなかったという証明は非常に難しい、悪魔の証明ですね。実際には実験は行われていたかもしれない。実験をして同時落ちしなかったというのは普通ですし、数mの高さで実験をして同時落ちしたように見えてしまったというのもあり得ます。)

    太助


  4. >3
     https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/butsurikiso/archive/resume006.html
     物理の基礎だと思っていましたが…。
    >軽量なものほど威力は低下しやすい
     エネルギーは質量と速度の2乗に比例しますので、軽量なもののほうが威力は小さいですが、質量は変化せず、速度は質量の影響をうけないので「低下しやすい」とは言えないはずです。
     
    hush


  5. その基礎がわかっていないのが問題なんですよ。

    そのサイトでも、
    @空気中では『ほとんど同時に落ちた』
    A次に空気抵抗のない真空の場合を見てみよう
    って流れでしょう。

    簡単な運動方程式をたてることができれば判るんですが、難しいですか?
    @は、>>3にもかきましたが『数mの高さで実験をして同時落ちしたように見えてしまった』ケースですね。

    太助


  6. 運動方程式を自力でたてられない場合は、wikipediaなどで『終端速度』で調べると一助になると思います。
    (中学か高校あたりの自習サイトも参考ください。)
    太助


  7. >5
     まさかと思いますが http://www.phys.u-ryukyu.ac.jp/~maeno/cgi-bin/pukiwiki/index.php?%BD%C5%A4%A4%CA%AA%C2%CE%A4%E2%B7%DA%A4%A4%CA%AA%C2%CE%A4%E2%C6%B1%BB%FE%A4%CB%CD%EE%A4%C1%A4%EB%A4%C3%A4%C6%CB%DC%C5%F6%A1%A9 のことを言っていますか?
     
    hush


  8. 重力加速度は一定でのお話です。
    空気抵抗は考慮したお話です。
    終端速度というお助けワードも出したつもりだったんですが。

    このやり取りを『物理の基礎も解っていない素人に絡まれて困っている』とお感じなら、もっとメジャーな板(航空機関係とか)に『空気中では思いものでも軽いものでも同じ速さで落ちますよね』と質問を挙げてください。誰かが仲裁に入ってくれるでしょう。

    warbirds常連のhush氏とこんな基礎的なところでぶつかるとは残念ですが、万一小生が間違えている可能性もあります。
    第三者のご意見を求めるのは反対ではありませんよ。

    太助


  9. >4 後半部
    この理屈だと「どいつのぱんてる戦車の75mm砲の装甲貫通能力はたいがーI戦車の88mm砲のそれに全距離で優っている」ことにならないでしょうか?
    知ったかぶり


  10.  うまいこと説明できる自信が無いんで回りくどい説明になるんですが・・・

     仮に比重の異なる物質を使って同じ形状同じサイズの砲弾を作って同じ速度で打ち出したとします。両者の初速は同じですが質量が違います。

     この場合、運動エネルギーは質量×速度^2なので質量の高い方が運動エネルギー量が高いです。
     空気抵抗の大きさは表面積に比例し、速度の2乗に比例します。今の話の条件では速度も表面積も同じなので空気抵抗の大きさも同じです。
     空気抵抗が同じなら飛翔中に失われる運動エネルギー量も同じですが、質量が違う分だけ元々持っている運動エネルギー量が違うので、軽い方の砲弾が先に運動エネルギーを失う……つまり減速していきます。

     今度は同じ2つの砲弾を同じ運動エネルギー量になるように初速を調整して打ち出します。質量の異なる二つの砲弾が同じ運動エネルギーを持つように打ち出すので、軽い方の砲弾が質量比の√2倍ほど速くなる計算です。実際は砲弾形状や表面の滑らかさなどの影響で色々な定数が加わりますが、それは話を単純化するために今回は無視します。

     この場合、2つの砲弾が持っている運動エネルギー量は同じですが、今度は飛翔中に受ける空気抵抗に差が生じます。砲弾の表面積は両者とも同じですが、速度が違うからです。
     前述したように空気抵抗は速度の2乗に比例して高くなります。質量の軽い方の砲弾は重い方の砲弾より質量比の√2倍速いので質量比の√2倍の2乗で質量比×2倍ほど高い空気抵抗を受ける計算になります。
     運動エネルギー量は同じですが軽量な砲弾の方が高い空気抵抗を受けるので運動エネルギー量の低下……すなわち減速量は軽量な砲弾の方が大きくなります。

     よって、大きさ形状が全く同じであるならば、軽量な砲弾の方が重い砲弾より減速しやすいということになります。

     なおこれは話をかなり単純化していて、速度も亜音速以下の領域に限った話であることを注記しておきます。傾向は同じだと思いますが、音速度域以上の空気抵抗がどうなるかについて私は把握してないからです。
    おうる


  11. >10
     丁寧な説明ありがとうございます。
     
    hush


  12. おうるさん
    説明は前半部分だけで十分な気がします。
    後半によくでてくる”質量比の√2倍”は”√質量比”倍でしょうか(質量比が1の場合で簡単に検算しました)。

    怪しく感じても、>>2のように『詳しい解説ありがとうございます』と書いておくのが大人の対応かもしれませんが、どちらがいいんでしょうね。程度問題かな?だとすれば今回は小人の指摘になりますがご容赦下さい(おうるさんの文意に依存ありません)。

    太助


  13. >>11
     日頃の恩返しになっていれば幸いです

    >>12
     ああ、そのようですね、
     休日の朝の半分寝ぼけた頭で書き込んだので恥ずかしい失敗をしてしまいました。
     ご指摘ありがとうございます。
    おうる



257 太平洋戦争終戦時、陸海軍をはじめ各省庁・組織が書類を徹底的に焼却した、という話がありますが宮内省でも同じことをしたのでしょうか?
バツ

  1. また、宮中ではどうだったのでしょうか。
    バツ


  2.  宮内省 書類焼却で検索をかけたところ、
     1945年8月18日付の「機密書類ノ焼却ノ件」と題する文書で、宮内省の大臣官房から省内の各部局長宛に出され、「機密ニ属シ破棄相当ト認ムベキモノ」を「原簿ト共ニ之ノ際全部焼却スルコト」とし、8月18〜22日に「宮城内 三重櫓(富士見櫓)下」で焼くように指定している
     というブログを見つけました。
     
    hush


  3. ありがとうございます。検索を忘れていました。やはりしていたのかという感想です。残念です。
    バツ



256 司馬遼太郎が次の逸話をよく書いています。

司馬たちの戦車隊は、満州から関東の防衛のために栃木県佐野に移駐してきました。
その時分、参謀本部から少佐参謀がやって来たので、ある将校が彼に質問しました。
「敵軍が上陸してきたら、我々は南下して防衛にあたらなければならない。しかし、その街道は、北上してくる避難者で混雑するであろうが、どうすればよいか?」と。
この参謀少佐曰く「轢き殺してゆく」と。

質問は、今考えるには、こういう状況ではどのように対処すべきなのでしょうか?


park123

  1.  そのような場合、交通規制が行われるでしょう。
     災害対策基本法を援用したものとなると思われますので、警察官がいない場合、自衛官による交通規制も可能でしょうが、たとえば自動車専用道路を緊急車両専用にしてしまうというような方法を採ると思います。
     もっとも、日本に海を使って大規模な軍隊を送り込める国なんて、アメリカぐらいしかないと思いますが。
     
    hush



255 ヤフーニュースで「この1ヶ月でウクライナで戦死した将官は7人。これは第2次大戦以来初めてのこと」と出ていました。(元ネタはニューズウィーク日本版?)
第2次大戦末に日独で多数の将官が自決することはありましたが、1ヶ月間に7人も将官が自決でなく戦死したことはあったのでしょうか?
トロッター

  1. 独ソ戦初期のキエフの戦いでは、私の記憶に間違いがなければフルシチョウ等の政治局員は包囲される前に逃げ出したようですが、確か大将が戦死していますし、その他多数の将官が戦死しているはずです。多分、多数が捕虜になったこともあり、正確な数は不明だと思われます。その他、第一次世界大戦も含めると多分、幾つもあると思われます。
    UK


  2. 2.1の追記ですが、第2次世界大戦の第2次ハリコフ攻防戦では、ソ連軍は中将が3名戦死しているようです。少将も含めるともっと多数が戦死していると思います。
    UK


  3.  ありがとうございます。調べてみます。
    もし第2次ハリコフ攻防戦で多くの将官が戦死していたらウクライナはロシア将官にとって鬼門ですね。
    トロッター



254 日本海海戦で、「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は有名ですね。
ところで、この文章は暗号化されて送信されたのでしょうが、後半の「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は平文だったそうですね。
質問は、平文が混在した状況について解説して下さい。
park123

  1.  電報の原文 https://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/angou.htm を見ると、暗号とそうでない部分とがあります。単純に、それに対応する暗号がなかったということでしょう。
     
    hush


  2. hush様へ

    電報送達紙の左半分は今まで見ていたのですが、今回、右半分も拝見させていただきました。

    当時は、その後と違って、伝文全部を暗号化することはなかったのですね。主要な単語などは置き換えにより暗号化できましたが、使用頻度の低い特殊な単語などは平文で送らざるを得なかったのですね。

    park123



253 日本陸軍特別大演習の年ごとのデータのまとめサイト、書籍等ないでしょうか。

  1. https://higeta.hatenablog.com/entry/20080214/p2
    これはどうでしょうか。
    亀ルーン


  2. https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000074523

    連投失礼。関連しているので是非読むといいと思います。
    分からないことはこういうプロセスで調べるといいですよ。
    亀ルーン



252 太平洋戦争において、宮崎支隊や川口支隊、南海支隊や水上支隊など、連隊に支援部隊をくっつけた戦闘団の指揮を歩兵団長及び歩兵団司令部に充てる例が多いですが、連隊長には厳しいという考えがあるのでしょうか。
もともとノモンハンの頃はぜんぶ連隊長でしたよね。
そもそも歩兵団は本来、歩兵3個連隊を指揮する歩兵部隊としての運用が想定されていたと思っていましたが…。
しかし史実の流れを見てると支隊編成用の運用が想定されて残ったのでしょうか?無い師団もありますが。
宜しくお願いします。

  1. >ノモンハンの頃はぜんぶ連隊長
     安岡支隊長は中将ですね。
     太平洋戦争においては一木支隊等は連隊長が支隊長で、歩兵団長が支隊長をするというような決まりはないようです。
     多分、支隊の規模によるものと思われます。
     
    hush



251 大西洋のビスマルク追撃戦の最終局面で、英海軍が全砲門沈黙して浮かぶ鉄屑と化したビスマルクを、南太平洋海戦時のホーネットのように鹵獲曳航しようとしなかったのはなぜでしょうか?

自沈工作がなされ(英海軍は知らなかった)、戦艦部隊の残燃料の不足とUボートの脅威(実際には無かった)があったとはいえ、十分な隻数の艦艇を有し、また人道上の乗組員救助の点からも、問答無用で巡洋艦の魚雷をぶち込むことは性急ではなかったでしょうか?

あるいは火薬庫に火が回り、大爆発轟沈して損害を受けることを恐れたのでしょうか(では南太平洋海戦のホーネットは?)?
備後ピート

  1.  逆に伺います。どうやって、ビスマルクを拿捕するのでしょうか。戦闘力を失ってはいますが、乗員が残っております。ボートで近づこうとすれば銃撃ぐらいは受けるでしょう。自沈するぐらいですから、降伏の意志はありません。
     ホーネットの場合、放棄されて漂流していました。拿捕されたUボートも放棄され、自沈する直前に拿捕されています。
     商船を拿捕するのと違って、軍艦の場合は難しいのではないでしょうか。
     
    hush


  2. うーん、さすがの英海軍でも難しいですかね。駆逐艦コサックが戦闘配置の補給艦アルトマルクに接舷強襲をやっちゃった例がありますが、例外中の例外でしょうかね。
    備後ピート


  3. >2
     アルトマルクの例をすっかり忘れておりました。
     ただ、あの時には捕虜の奪還という至上の課題がありましたので、同列に語ってよいものかどうかとは思いますが。
     
    hush



250  ちょっとした笑い話の元ネタというか裏付けについて質問します。
 笑い話は以下のようなものです、

「ロシアでは恵比寿ビールが人気だ。ロシア語でエビは女性器を意味する隠語に近いのだそうだ。
 その昔、ロシア駐在武官の日本軍人がモスクワの街中で同僚を『海老原少尉!!』と大声で呼んで物議をかもしたことがあるらしい。
 街中で『エビ・ハラショー』と叫んだりしたら、銀座で『マ〇コ・バンザイ』って叫ぶようなものだから、そりゃ物議も醸すだろう。」

 というような内容です。

 感嘆に調べたところEbis(ロシア語だとЕбись)は女性器じゃなくて排泄物を指す隠語のようなので、その時点で海老原少尉云々の話は作り話っぽいのですが、制度的な問題で見た場合旧日本軍で少尉という階級の低い士官がロシアのモスクワを訪れる機会というのはあったのでしょうか?
おうる

  1.  その話、イタリア語の磯野カツオと同じぐらい知られた話のようですが、いつごろからあるのか不明です。ただ、疑念を持たれたように、一介の少尉がロシアにいるというのは、日露戦争やシベリア出兵以外には考えにくく、まして、モスクワというのは難しいだろうと思っております。したがって、ハラショーにくっつけるために少尉を持ち出したのでしょうが、少佐や少将ではないという点が、実在する人物ではないということ示しているように思えます。少佐でもよかったはずなのに、あえて少尉にしたのは、あくまでも小話であり、本当にいるのだと思われないようにするためではないかと思っております。
     なお、Ебисьは「犯す」を意味するебатьの命令形と書いたものがありましたので、英語のfuckと同様の語と考えられます。どちらにしろ、外交の一翼を担うはずの武官や武官補佐官が軽々しく口に出せる言葉ではないでしょう。したがって、ロシア語を齧った者が日本で広めた可能性が高いと思っています。
     以下、余談。野球の福留選手が渡米した際に、苗字がFuck do meと読めると話題になりました。また、大毎オリオンズに1962年に入団したFrank Edward Mankovitch選手の場合は、マニーの名で登録されています。したがって、御質問で伏字にされた語は、私の幼少期においても憚られるものだったとなるわけですが、最近、読んだ本では、これは饅頭に由来するもので、京阪神の上流階級の人々が上品に使っていたようです。それが、関東に伝わった際に卑語になったようで、大毎が毎日新聞と大映(大日本映画)の合併でできた在京球団であったがために、改名となったのでしょう。ただ、当時は情報が今のように伝播する速度が遅かったので、私のような田舎者は、聞いたこともない言葉でした。
     
    hush


  2. >>1 回答ありがとうございます。
    おうる



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