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社会、組織、時事
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298 第二次大戦時の赤軍の兵力単位について不明な点があるので質問します。

第二次大戦時欧米の兵力単位が師団→軍団→軍となっているのに対し、日本軍及び赤軍の兵力単位はは師団→軍→方面軍(あくまで邦訳によります。念のため)となっていると理解していました。

しかるに第二次大戦中の赤軍には上記とは別に「軍団」が存在することを、このたび知りました。この「軍団」の位置付けが良く理解できません。上記の兵力単位のどこに位置するのか、また、1941年開戦時の「軍団」と1944年大戦後半時の「軍団」が同様の規模の兵力単位を示すのかも良く分かりません。

このあたりの赤軍組織について詳しい方、素人にも分かるようにざっくりとでいいのでご説明ください。

備後ピート

  1. 「第二次大戦中の赤軍には上記とは別に「軍団」が存在する」とはどのような編制を指しているのかを教えてください。
    1941年の軍団も、1944年の軍団も、基本的な編制は変わっていません。
    少々趣きが違うのは1930年代に編成された機械化軍団ではないかと思います。
    BUN


  2. すいません。正直言ってBUN様の解答の趣旨が私にはよく理解できません。

    これはwikiからの要約ですが、1943年のクルスク戦時のボロネシ方面軍の戦闘序列は、第6親衛軍、第7親衛軍、第38軍、第40軍、第69軍、第1戦車軍、第35親衛狙撃兵軍団、第2親衛戦車軍団、第5親衛戦車軍団と軍と軍団が混在しています。

    私が知りたいのは、師団<軍団<軍<方面軍なのか師団=軍団<軍<方面軍あるいは師団<軍=軍団<方面軍なのかという兵力単位の大小の関係性なのですが…。

    赤軍の兵力単位上の「軍団」は欧米流の「軍団」と比較することや、日本軍が「軍団」と邦訳するのが不適当な微妙な存在なのでしょうか?

    少なくとも第一次大戦のロシア軍は欧米流の師団→軍団→軍→方面軍の構成を取っていたと思うのですが…。

    備後ピート


  3. 独ソ戦時ソ連軍の大半を占める歩兵部隊については開戦前から1945年5月まで、師団、軍団、軍、フロント(概ね独軍の軍集団に相当)といった構造に変化はありません。各軍管区の予備兵力は別として師団、軍団、軍、フロントの階層で構成されているのです。
    それでも巨大な軍隊ですから例外はあり、例えば開戦時の北方フロントでは第7軍は下に軍団を持たず師団4個を直轄で持っています。師団、軍、フロントの1例ですが一般的ではなく、他の14軍、23軍には歩兵軍団があり、こちらが標準的です。
    開戦時から終戦まで、師団と軍の間に軍団があるのが普通なのです。

    ただし、これは歩兵部隊に於いての話で、戦車部隊、機械化部隊では事情が違います。
    上に挙げた開戦時の北方フロントの第14軍は第42ライフル軍団を持つと同時に戦車師団を軍直轄で持っています。突破作戦時の予備として第1戦車師団を第1機械化軍団から分離させて直轄で持っているのです。
    では、第1戦車師団を分派した第1機械化軍団はどうなっているかと見れば、こちらはフロント予備として間に軍を介さずフロント直轄です。
    このように機械化部隊は普通より小さな単位で直轄部隊として組み込まれることが多く、師団、軍団、軍、フロントという標準的なスタイルからはみ出しがちです。

    さらに開戦後、ソ連軍は戦車師団を編成せず、機械化軍団、戦車軍団は戦車旅団や独立戦車連隊などから編成されます。師団、軍団、軍、フロントではなくて、旅団、軍団、軍、フロントといった構造に変わります。
    そして開戦時と同じく、機械化ぶたい、戦車部隊は予備としてフロント直轄で運用されることもあります。

    「日本軍とソ連軍は師団、軍、フロント(日本なら方面軍)という構造だ」というのは単なる誤解で、ソ連軍は基本的に師団、軍団、軍、フロントの構造を一貫して維持しています。
    ただ、機械化部隊、戦車部隊では事情が違う、ということです。

    BUN


  4. BUN様、素人にも良く分るように懇切丁寧に説明してくださり、ありがとうございます。赤軍独特の兵力単位が良く分り、かのフジ出版「バルバロッサ作戦」「焦土作戦」を読んで以来の長年の疑問に区切りがつきました。

    当時大学生で図書館で借りてきた表紙カバーの無い、分厚い黒い表紙の両書を読んでいて「あいつは暇さえあれば辞書を読んでいる」と友人らに揶揄されたのも今では懐かしい思い出です。
    備後ピート



297 日露戦争の頃の露国海軍士官俘虜という表を見ますと、中将、少将、中略 大尉、専科二等大尉、専科中尉、少尉、専科少尉、少尉補とあります。
この「専科」と何なのでしょうか?
戦闘兵科では無い士官の方と愚考しましたがご存知の方おられますでしょうか。
3式団子

  1.  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%BB%8D%E3%81%AE%E9%9A%8E%E7%B4%9A#%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E8%BB%8D%EF%BC%881700%E5%B9%B4%E4%BB%A3%EF%BD%9E1917%E5%B9%B4%EF%BC%89
     上記にあります「ロシア帝国海軍の階級呼称一覧」を見ながら考えてみたのですが、うまく適合しません。
     ただ、専科二等大尉の二等に注目すると、一覧のкапита&#769;н 2-го ра&#769;нга(Kapitan 2-ga Langa)に2が含まれており、他には、水兵以外では、数字を含むものがありません。もっとも、これは二等海佐と訳すはずのものですので、尉官ではありません。ただ、御質問の中略部分に佐官階級が含まれているかどうかが分かりませんが、もし、他に二等という言葉を含むものがなければ、専科二等大尉はкапита&#769;н 2-го ра&#769;нгаである可能性が高いと思っております。だとすれば、佐官待遇の尉官という意味で「選科」とつけたのかもしれません。だとすれば、これは特別という意味なのかなとも思っております。また、もしそうなら、選科少尉というのは、少尉待遇の下士官という可能性があります。
     なお、少尉補は、1886年まで旧日本海軍で使用されていた階級です。
     
    hush


  2. 早速の御回答頂きましてありがとうございます。
    「専科」が付くのは尉官のみでして、大佐、中佐、大尉となっており少佐がありません。
    英語版wikiなど見て原語が何で合ったのか探してはいたのですが良く分かりませんでした。
    3式



296 映画「燃ゆる大空」で整列した訓練生に訓示する中で〈皇国空軍の勇士〉と言うセリフが出てきます。
1940年の映画で軍の検閲がかなり厳しい時代と思うので言い間違いが通ったとも思えません。旧日本陸軍では航空隊は空軍という通称で呼ばれていたのでしょうか? 
トロッター

  1.  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%A4%9C%E9%96%B2#%E8%84%9A%E6%9C%AC
     該当する項目がなさそうですね。
     なお、海野十三が1933年に出した「空襲下の日本」という文章には「帝国空軍」と出てきます。また、邦字新聞には「日本空軍」と書かれたケースが散見されます。
     
    hush


  2.  リンク先を https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%A4%9C%E9%96%B2 に変更します。
     
    hush


  3. 航空部隊を空軍と呼ぶことは当時、普通にありました。例えば航空兵団が創設された際の徳川好敏航空兵団長が各隊長に向けた訓示(昭和11年11月9日)で徳川兵団長は「無敵空軍を速やかに建設し明日の戦争に備うる」と述べています。
    ときどき読み違えられ、誤解されますが、この発言は「空軍独立を望む」といった将来の展望を述べたものではないことが、訓示の前半で「本年東京の不祥事件」(2.26事件のこと)を挙げて軍紀風紀の緊粛を求めていることからもはっきりしています。そんな時期にそんな場で軍制改革を煽ったならば、いくら徳川男爵でも即刻解任されていたことでしょう。
    BUN


  4. 作家やマスコミがどう呼ぶかはさておき、軍の内部、しかも公式な場で航空兵力を「空軍」と呼ぶことがあった、ということです。
    BUN



295  軍用機の機長について質問します。
 過去ログを見るとと、日本軍では機長は特に決まっておらず、搭乗員の中で最先任の将校が就くもので、操縦員とは限らないとのことでした。
 『メンフィス・ベル』や『決戦攻撃命令』のようなアメリカ製戦争映画を見ると、主任パイロットが常に機長になっています。
 民間機でも機長は主任パイロットですが、日本軍は例外だったのでしょうか?


PIAT

  1.  機長は英語でpilot in commandと言うそうです。操縦士の長です。ポルトガル語のPiloto em comandoも同じです。ところが、イタリア語のcomandante di un aeromobile、ロシア語のКомандир воздушного суднаは航空機の長、フランス語のCommandant de bordは船長です。そして、英語のpilot in commandはアメリカ英語で、イギリス英語ではcaptainなのです。そこから考えると、機長は操縦士ではなく、他の人がやっており、操縦士に指示していた時代があったということになります。ところが、おそらくはアメリカで、操縦士が機長を兼任するようになってpilot in commandという呼称が生まれ、ポルトガルなどはこれに追従したのだと思われます。
     では、操縦士が機長になる前はどうであったかというと、航法士、もしくは爆撃手が任じられていたそうです。
     したがって、旧日本軍だけでなく、他の国でも操縦士以外の人が機長となるケースもあったのではないかと思っています。もっとも、私の語学力ではそこまで調べる力も気力もないので、他の証拠はと言われると困るのですが。
     
    hush


  2. hush様 外国語の情報を調べていただき、ありがとうございました。

     軍隊では自分で銃を撃ったり、機械を操作したりする者よりも、命令する者が上官なのが普通だと思います。
     通常の場合、水雷艇の艇長は、操舵したり機関銃を撃ったりせずに、例えば「取り舵一杯」とか「右45度の敵水雷艇を撃て」とか命令すると思います。
     また、戦車の車長も、通常は砲手や操縦手に命令するのが仕事です。
     航空機では操縦手が機長つまり指揮官になったのはなぜでしょうか?
    PIAT


  3. >2
     飛行機がアメリカで発明されたからでしょう。
     貴族社会でしたら、運転は使用人の仕事ですが、そうではないアメリカでは、自分で運転する人が多かったと思っています。
     たとえば、人形劇のサンダーバードでは、ペネロープは、自分が運転できるにも関わらず、執事のパーカーにFAB1を運転させています。ところが、トレーシー兄弟は、キラノという執事がいるにもかかわらず、自分で操縦しています。言うまでもなく、ペネロープはイギリスの貴族の娘ですが、兄弟の父であるジェフ・トレーシーはアメリカ空軍の退役大佐です。
     また、ライト兄弟にしろ、カーティスにしろ、なぜ、飛行機を作ったかというと、自分が操縦するためです。
     したがって、乗員が増えても、操縦士が機長であるというのは、アメリカでは不思議ではなかったわけですが、ヨーロッパ各国では、共和国フランスですらCommandant de bordであり、操縦士は指示を受けて操縦する者という立場にならざるを得なかったのです。
     そういう中で、ポルトガル語のPiloto em comandoが、アメリカ英語と同じく、操縦士の長というのは、異質なのですが、これはブラジルのポルトガル語なのかもしれません。
     というのは、ブラジル人にとって、飛行機の発明者は、ブラジルのコーヒー農園主の息子で、ライト兄弟の初飛行の3年後にヨーロッパで最初に飛行機を飛ばしたサントス・デュモンだからです。そして、ブラジルは、差別に不寛容な国ですから、操縦士だから指示を受けるものであるという発想が出てこないわけです。
     
    hush


  4.  民間で発生したというのも大きいと思います。
     ライト兄弟、カーティス、ラングレーはもちろん民間人で、サントス・デュモンに至っては飛行機の軍事利用に反対し続けた人物ですので、2で仰っているような軍の指揮系統とは無縁です。
     ところが、飛行機と同時期に開発された潜航艇のほうは、民間にはあまり関係のない代物です。もちろん、ブッシュネルも、ホーランドも民間人ですが、軍の要望によって開発しています。したがって、タートルのように1人乗りから発達しても、操縦者が艇長になるということはなかったわけです。
     
    hush



294 大日本帝国の陸海軍においては、士官が結婚する際に結婚相手の親戚まで調べられると聞きました。下士官においてもこのようなことはあったのでしょうか?
また、結婚相手が水商売のために許可が下りず、海軍を辞めて愛を貫いた士官の話をききましたが、他にも認められない条件はあったのでしょうか?
ちはや

  1.  http://storage2017.jugem.jp/?eid=9
     上記あたりが分かりやすいと思いますが、下士官においても同様です(徴兵中は結婚できませんので、引き続いて軍籍に残った場合となります。なお、明治時代の兵曹長は士官となります)。
     不許可になるのは、そこにあるように「本人もしくは直近の血族に禁治産者や犯罪者がいない者」ですが、国籍条項もあるはずです。
     芸妓に関しては身請けしていれば法的には問題はなく(顰蹙を買って私的に制裁を受けたようですが)、知人の養女にしてという方法が取られたケースもあるようです。
     なお、山田風太郎の「エドの舞踏会」で知ったのですが、明治の元勲の妻には芸妓出身の人が多く、軍人では山本権兵衛の妻が有名です。
     
    hush


  2. >不許可になるのは→許可になるのは

    hush



293 戦前の陸軍において、陸軍大臣、参謀総長、教育総監が「陸軍3長官」と呼ばれ一応同格の存在であったと理解しているものです(大前提)。
特に陸軍省と参謀本部の権限は軍政、軍令と別れていても同格で戦時下に色々な軋轢を起こしている印象があります。

これから類推して海軍でも「海軍3長官」、海軍大臣、軍令部総長、連合艦隊司令長官はほぼ同格と理解していたのですが、終戦後米内光政海軍大臣が無条件降伏を肯んじない豊田軍令部総長と、大西軍令部次長を呼びつけて激しく叱責する場面があったことを知り、陸軍の3長官と海軍の3長官では内部の力関係に大いに差があるのかと思ったしだいです。
これはもともとそういう序列だったのでしょうか?それとも貴下の艦艇のほとんどを失い、相対的に軍政の方が軍令の立場より優位に立った結果としてのことだったのでしょうか?
備後ピート

  1.  米内が兵学校の何期か、また、豊田、大西の両名が何期か考えてください。また、天皇の判断に異議を唱えられないのですから、立場は関係ないでしょう。なお、連合艦隊司令長官は、軍令部の命令を受けて行動する建前ですので、鎮守府司令長官、方面艦隊司令長官等と同格でしょう。
     
    hush


  2. hush様。早速の解答ありがとうございます。しかし海軍兵学校の卒業期がそこまで重要な要素しょうか?多少の疑問が残ります。ですが現実にそうなっている以上その点は無視できないでしょう。鈴木貫太郎首相などはそれよりはるかに先輩ですが。

    もし海軍大臣が前任の嶋田繁太郎海軍大将だったら、このような場面は、果たして現出したでしょうか?いろいろ興味のわくところです。

    また陸軍においても、陸軍大臣阿南大将が梅津参謀総長と河辺次長を叱責するような場面がありえたのでしょうか?

    IfにIfを重ねることはあまり意味がないこととは思いますが、個人的には非常に興味深く思えたので、あえて質問したしだいです。いろいろ無知をさらけ出して汗顔の至りです。

    備後ピート


  3. >2 海軍兵学校の卒業期がそこまで重要な要素しょうか?
     もちろん、重要な要素です。
     
    hush



292 戦前の陸、海航空軍に対する国民のイメージについてお尋ねします。
今日、日本で製作される日本航空軍を直接ないし間接的に描いた (兵員の物語や、登場人物の一人が航空軍を志願したり、など) テレビドラマや映画においては、海軍航空が大半を占めており、陸軍航空は一部例外を除きあまりないのが現状です。これはそもそもの「徒歩で行軍する陸軍」と「軍艦で航海する海軍」のイメージ的洗練度の差や、戦後の陸軍悪玉論などが製作者側に影響を与えているものと思いますが、ではその当時の国民は両航空軍にどのような印象を持っていたのでしょうか。
当時陸軍は映画製作に積極的に協力したり、運用機を開示して愛称を公募したりもしています。またこれも今日製作される戦時を描いたテレビドラマや映画の例ですが、街並みセットに雰囲気を出すための小物として用いられる航空兵募集のポスターは陸軍のものが多いように感じます。後者が実情に沿ったものであるなら、前者と併せて陸軍はかなりイメージアップに砕身していた証左と見ることができ、逆説的に当時から海軍航空のほうが好印象で人気があったともとれます。
当時を生き、その雰囲気を感じていないと回答は非常に難しいのは承知のうえですが、証言や志願者数で推測できることなどから、何らかのお考えをいただければ幸いです。
DDかず

  1.  義理の叔父は戦車兵から航空兵に転科したのですが、それを知った母親が随分と怒ったという話は聞いたことはあります。というのは、当時の飛行機は落ちるものだったからです。実際、海軍士官の名簿を作っていても、航空機事故で殉職という方は結構います。その一方で、義父などは、自分の兄が飛行機で飛んできてくれて、家の上空を一周して帰っていったなどということもあるのでしょうが、憧れ以外の何物でもないわけです。大正生まれの私の父親なども、雑誌の車の写真を切り抜いたりしていますので、若い世代にとっては、そういう機械は憧憬でしょうが、その親の世代にとっては、大事な子供の命を奪いかねない危険なものという意識を持っていたようです。それに、親の世代というのは、大正デモクラシーを経験している世代ですから、昭和に入ってからの急激な軍国主義化についていけない人も多かったと思います。したがって、当時の少国民は、国防教育の御蔭で、少年飛行兵、少年戦車兵に志願したがったようですが、親のほうが肯んじなかったというのはたくさんあったと思います。
     なお、陸、海航空軍とありますが、航空隊ですね。
     
    hush


  2. ありがとうございます。
    当時の航空兵に対する世間の印象が漠然と感じ取れます。
    厚かましくはありますが、市井で航空兵を目指す者たちにとっての、陸軍航空と海軍航空の印象の高低がお分かりになれば、その時はまたよろしくお願いします。
    なお航空軍とは組織的な航空兵力を指しているにすぎず、そこはあまりお気になさらず。
    DDかず


  3. 参考程度にお願いします。たまたま手元にノモンハン事変の実録記として書かれた「ホロンバイルの荒鷲」(昭和16年11月発行)と「ノロ高地」(昭和16年2月発行)とがあります。「荒鷲」のほうは初版らしいのですが、「ノロ」のほうは11月20日の450版となっています。「バルシャガル草原」と合わせてノモンハン3部作として出版されたようですが、「荒鷲」も物資不足の制約があったとしてもそれなりに売れたと思われます。これを陸軍の人気と取るか宣伝上手と取るか難しいところですが、出版物から見るアプローチもあるのではないかと思ったので、紹介させていただきます。
    まよいねこ


  4. 貴重なご意見ありがとうございます。回答状況を確認する頻度も少なくなっておりましたので、もし回答いただいてから日にちが経っていたならご容赦ください。
    DDかず



291 連続しての質問をお許しください。
第四師団の軽機関銃装備についてですが、開戦時の装備は十一年式軽機関銃を使用していたとここで知りました。
開戦後、彼らには九六式軽機関銃の配備はあったのでしょうか?
みかん段ボール

誰か答えて下さい。

290 日本陸軍の捜索連隊について教えて頂きたいことがございます。

第四師団隷下の捜索第四連隊についてですが、昭和18年度の編成では装甲車中隊×4コとかなり珍しい編成になっておりますが、彼らは乗車歩兵を持たず、純粋に装甲車で編成された連隊なのでしょうか?また、使用する装甲車は九七式軽装甲車なのでしょうか?
みかん段ボール

  1. 19年6月にパレンバンに進駐し独立混成第二十六旅団の指揮下に入った際には乗車二個中隊、通信小隊などがあったはずです。
    BUN


  2. 乗車中隊があったんですか。
    ということは何か別の捜索連隊と勘違いしてしまったのかもしれません。申し訳ありません。
    みかん段ボール



289 もし自衛隊が准将から大将の将官四階級制になったら陸上総隊司令官、自衛艦隊司令官、航空総隊司令官は大将になるでしょうか?あれだけの兵力を指揮下に収めているのに中将というのは不自然な気がします。
ライヒスターク

  1.  旧海軍においても、連合艦隊司令長官は、あれだけの兵力を指揮下に収めているのに、平時は中将です。
     
    hush


  2. 平時にGF司令長官が中将なのは知りませんでした。ただ陸軍の総軍司令官は原則として大将だったので陸上総隊や航空総隊は大将にするという話になり、それとの均衡で自衛艦隊も大将ということになりそうな気がします。少なくとも制服組はそれを求めるのではないかと
    ライヒスターク


  3.  陸のことはよくは存じませんが、総軍等は戦時中に編制されたもので、平時の軍司令官は中将が基本ではないでしょうか(連合艦隊司令長官もそうですが、大将の軍司令官もおりますが、これらは例外でしょう)。また、制服組がそれを求めたとしても、決定権はありません。
     
     
    hush



288 戦前の日本陸軍には、関東軍、台湾軍、朝鮮軍などナンバーを有しない軍司令官職がいくつかあったようですが、陸軍省内においてこれらの軍司令官とナンバーを有する軍司令官の先任序列は、一般的にどちらの方が上だったのでしょうか?
備後ピート

  1. このような質問は、何故貴方が知りたいのかを最初に記載して下さい。
    また、例えば関東軍といっても時代により違います。確か、終戦時は関東総軍です。軍の名付け方も時代によって違います。
    UK


  2. あと、陸軍省内においても、不適切だと思います。
    UK


  3. 質問をするのにその動機を明示しなければならないとは、ここ十何年この板を利用させていただきましたが初めて知りました。
    質問の趣旨は簡単。どちらの先任序列が上か下かというごく簡単なことです。
    またわざわざ最初に戦前の〜と書いているのに、終戦間際の関東総軍を持ち出すなどろくに質問文を読んでいないんじゃないんですか?
    陸軍省内とあえて書いたのは会議の席次などで、先任序列が明らかになりやすいのではないかとと思ったからです。ただ単に不適切だと思いますというのは貴方個人の感想ですか?そのほかに客観的な理由があるならそれを示してください。
    備後ピート


  4. 一般的に、守備範囲が決まった軍は、その地域の名称を付されることが多い。戦争が始まって軍の数が増えればナンバー名称の軍が増える。これらの場合、重要な軍の司令官は、名簿の序列、先任順位が上です。そうでなくとも、前途を期待される中将職以上です。しかし、軍の名称、それもナンバー名の軍地域名の軍の軍司令官の先任序列等は、誰も興味を持たない事項です。
    人に教えを乞う以上、誰も興味を持たないと思われる事項に関する質問には、何故かかる事項に興味を持つかを示すべきです。
    会議の席次で先任序列が明らかになりやすいと言う理由も具体的には不明です。
    戦前といっても長期です。軍そのものの内容も規模も違います。それらも無視して質問されても答えようがない。
    UK


  5. 日本陸軍がどのような組織になっているのかを概略で良いですから調べてみれば関東軍や台湾軍などの位置づけが自然に呑み込めると思います。
    また「省部」という言葉も覚えておくと役に立つでしょう。
    陸軍には軍政、人事を司る陸軍省と軍令、作戦、動員を司る参謀本部、教育を司る教育総監部があります。
    「陸軍省内」と言ってしまうと関東軍などは含まれないのです。
    そしてこの場での「先任序列」のように、質問に使う用語も自分で意味がよく解っているものを選んで使うと相手に伝わりやすいということです。
    BUN


  6. BUN様。「陸軍省内」と書いたのは組織を意味するものではなく、「陸軍省の建物の中」のつもりでした。わかりにくくてどうもすいません。

    やたら質問の動機を気にされる方がおられるので、今さらながら書きますが、私の中では太平洋開戦時、台湾軍→第14軍に改称変更されてフィリピン攻略に従事した(当然台湾軍司令官の本間正晴中将が第14軍司令官となる)と思い込んでいたため、先任序列云々の問題はどうしたのかと思ったからです。駐屯軍と作戦軍の違いなどよくわきまえないで質問したため、無用の混乱を招いてしまったようです。思い込みはダメですね。もっと勉強を重ねないとと思います。
    備後ピート


  7. >「陸軍省の建物の中」のつもりでした。

    そうした自分自身にしか通じない表現は誤解のもとですよ。

    BUN



287  古代ローマ軍の役職名について質問です。

 ローマ軍の役職でプラエフェクトゥス・カストロルム【praefectus castrorum】というのがあります。日本語では「陣営隊長」とか「野営隊長」とか訳され、筆頭百人隊長(プリムス・ピルス【primus pilus】)を務めた人が就任する名誉ポストで、野営地の運営を担当する事になっています。

 ローマ軍は野営するたびに一々野戦築城しているので野営地=要塞になっており、野営地も要塞もどちらもラテン語ではカストルム/カストラなのですが、後に恒久的な要塞(カストラ・スタティヴァ)が登場した場合は管理する責任者のポストが別途必要になったのではないかと思います。
 で、「要塞の司令官」をラテン語であらわすと「野営地=要塞」なので、既存のプラエフェクトゥス・カストロルムと被ってしまうように思います。

 そこで質問なのですが・・・
1)「要塞司令」は「野営隊長」とは別の役職名があったのか?
2)「要塞司令」と「野営隊長」が同じ「プラエフェクトゥス・カストロルム」なら、何か使い分け方というか呼び変えというか区別する方法があったのか?

 以上です。よろしくお願いします。
おうる

  1. 誰も御答えがないようなので。

    以下、ローマ軍団を扱った小説からの知識なので、正確さは保証できないと承知してください。

    まず回答として、「要塞司令」は「dux」、「Legatus Legionis」、「Tribunus Militum」などが努めます。

    これは「野営地」でも同じで、要するに部隊の指揮官が「司令官」です。

    「praefectus castrorum」とは、ご自身がお書きになった通り、筆頭百人隊長が引退せずに軍に残った場合に与えられる名誉職であり、元は宿営地と装備、建物の計画・保守点検及び運営に「助言」を与える資格を持つ役職です。要するに超ベテランの下士官上がりの「特務士官」です。

    したがって正規の上級士官(佐官・将官)よりは格下ですが、戦闘時では副指揮官扱いされることも珍しくありませんでした。それだけの経験を積み実績があるのが普通です。ただ必ず居るとは限らなかったようです。

    結果として権限を持つようになり、castra/castrum の運用と保守を担当する「将官」の意味になります。司令官ではありません。これは要塞でも同じです。

    これらの陣営は、あらかじめ用途毎に用意されたプランを基に技術士官(architect)の指揮で専門の工兵が施工します。その際にアドバイスをするのは普通の事だったようです。居た場合は、ですが。
    タンジェント


  2.  回答ありがとうございます。

     元々ローマ軍の要塞は軍団と共に移動するので「要塞司令=軍団長」になるのは当然ですから、軍団のトップを意味するドゥクスやレガトゥス・レギオニスが要塞司令として表現されるのは理解できます。

     伺いたかったのは軍団と一緒に移動しない永久陣地として建設された常設要塞の司令官で、要塞から駐留している軍団が居なくなった際に要塞の管理や運用を担当する責任者の役職名は何だったのか?です。

     ただ、回答の中に軍団幕僚を指すトリブヌス・ミリトゥムがあるということは、要塞の司令官の職務は軍団の担当から独立せず、軍団幕僚の一人が要塞のトリブヌスとして責任を負っていたということになるのでしょうか?
     ただ単にプラエフェクトゥス・カストルムが空位の時に軍団幕僚の一人がプラエフェクトゥス・カストルムの業務を担当するという程度のことにも見えますが・・・
    おうる


  3. ローマ軍団の役職は、同じ名前でも時代により差異があり、また非常にフレキシブルだったようです。

    御質問の「永久陣地」にしても、状況次第で規模や意味が異なる場合があることは御存知かと思います。

    常設の守備隊がいる場合と、少数の留守部隊がいる場合では、「司令官」も「運用長」も異なるでしょう。

    前者なら、特に後期のローマ帝国なら、常設のpraefectus castrorumがいる可能性が高いでしょう。その場合の要塞司令官はduxあたりで、「総督」と訳される立場になり、必ずしも軍団と行動を共にしていないでしょう。(そうでない場合も多くあるようですが)dux は、複数の軍団の指揮権を持つ役職です。

    後者なら、特に少人数なら、残されたうちの筆頭百人隊長あたりが指揮をとり、彼の部下の誰かが運用を任されたでしょう。

    私が「要塞指令」に Tribunus Militum を挙げたのは、例えば長期宿営地が立地条件から小規模のものをいくつも造営せざるを得なかったような場合に、それらの宿営地の一つの指揮官として割り当てられていたようだからです。

    一個軍団が3カ所の冬季宿営地に分かれて冬ごもりした場合に、Legatus Legionis(一個軍団の指揮権を持つ役職≒軍団長)が、その一つの指揮官になり、残り二つにTribunus Militumを指揮官にしたことがあったと記憶していますが、なんせ小説ですので。その話では若い方のTribunus Militumにpraefectus castrorumを補佐につけていたと……
    タンジェント


  4. 回頭有難うございます。
    参考になりました
    おうる



286 軍隊符号についての質問です
第一総軍に属していた東京防衛軍なんかは,警備第一旅団だとか,警備歩兵第一連隊だとかがあります。
この「警備」はどう表すんでしょうか?

 ***

それと「https://ja.wikipedia.org/wiki/軍隊符号」によると、近衛歩兵第一連隊は「1Gi」だそうですが、連隊を表す「R」はどこへ行ったんでしょう?
明石

  1. 資料を網羅している訳ではないので、誤っているかもしれない上での回答です。

    恐らくですが、「警備」を表す符号そのものが存在しないと思います。
    『作戦要務令附録其ノ一』などの旧帝国陸軍の軍隊符号に関する資料を参照しても、「警備」という項目が見つかりません。
    また、軍隊符号は兵科や兵種、編制単位、常備任務(近衛や捜索)を簡略表記する為のものなので、部隊名に冠する名前としては第二線や本土・拠点の留守番任務を表す「警備」に符号が充てられていたとは考えにくいです。
    何らかの理由で略記しなければならない場合は、警備第一旅団なら「1警B」、警備歩兵第一連隊なら「1警i」という風に漢字混じりで表記していたのではないでしょうか?
    (漢字+アルファベットの軍隊符号は他でも実際に使われています)

    連隊の「R」省略について。
    陸軍の編制は連隊が「単一兵科の最大単位」なので、辞書では「歩兵科」「歩兵隊」と訳されているinfantryも、軍隊の編制上(軍事用語)としては「歩兵連隊」を意味しています。
    よって、「1Gi」は(1st Guard infantryと解釈すると思われる為)「R」が無くても「近衛歩兵第一連隊」という意味になります。
    他にも例を挙げると、歩兵第一連隊なら「1i」、騎兵第二連隊なら「2K」という具合です。

    では、「R」が存在する意味って…?となりますけど、ご参照のウィキペディアのページ記事にもあるとおり、歩兵や騎兵などの近代以前からある伝統的な兵科連隊以外の連隊を意味する場合、例えば飛行連隊(後の飛行戦隊)を表す「FR」だとかに使用したり、他では歩兵連隊でのみ運用される歩兵砲やその運用部隊「RiA」などを表すのに使いました。
    久住


  2. >久住様

    ご回答ありがとうございます。
    明石



285  無知なご質問お許しください。
五・一五事件,二・二六事件などの現役軍人の
クデータが失敗したのにもかかわらずなぜ軍部
の政治力が落ちるどころか増しっていったのでしょうか?
じおらま

  1. 直接の回答ではありません。というより貴君の状況は、簡単に回答できるような段階では無いと考えます。

    私の思い込みである場合は御詫びしますが、2.26事件なり5.15事件について、ある程度の知識があれば、この質問は出てこないと思います。なぜなら軍部の力の増大がクーデターを引き起こしたのであって、逆ではないからです。昭和帝の意思がなければ、クーデターは少なくともあの形で終わらなかったせしょう。

    まずウィキペディアでよいから読み通すこと。次に参照文献を、または新書で「2.26事件」を謳うものを、できれば2・3冊読むことをおすすめします。


    タンジェント


  2.  テロを認めたからでしょう。たとえば、5・15事件の際、海軍は犬養首相を殺害した三上卓中尉を禁固15年に処しただけで、それすら5年で釈放していますが、この人物は戦後もテロを計画しています。陸軍も同様で、最高が禁固4年というさらに軽微なものでした。
     2・26事件の際には、さすがにそういう軽い刑で済ますわけにはいかなかったようですが、実行犯の1人は死刑を免れ、5年後には釈放されています。
     尊皇討奸とか言っておりますが、奸臣として殺された人達は、軍事力の拡張を好まず、外交によって平和裏に物事を解決しようとした人物が多いわけです。しかし、軍部は、自らの拠りどころである軍事力の増強はしたいし、外交よりも軍事力でという軍人も多かったと思います。したがって、軍部の望まない方向にいこうとする政党政治家を邪魔者と見る者も多かったわけです。
     そういう中で、軍事裁判でそのような判決が出たということは、テロにかかるような者は軍に反対する者だから、命を落とすことになっても仕方がないと恫喝しているのと同じなのです。この結果、政党政治は崩壊し、2・26事件後に組閣した外交官出身の広田弘毅は、主要閣僚を軍の反対により入れ替えざるを得なくなり、1年後に議会を解散しようとした時には陸海軍の反対により総辞職、以後は軍人か、軍の意向におもねる人物しか首班になっていません。
     2・26にしろ、5・15にしろ、背後に軍部がいることは、当時の政治家にとっては自明の理ですので、沈黙を守らざるを得なくなり、軍部の台頭を許したというわけです。
     
    hush



284 鎮守府司令長官の幕僚の定員は、(連合)艦隊司令長官の幕僚と同じでしょうか?
また、鎮守府参謀が実際に受け持っていた分掌(作戦参謀等)もご教示頂けたら幸いです。
ご存じの方いらっしゃいましたら宜しくお願い致します。
ARST

  1.  アジア歴史資料センターの検索窓で 鎮守府 定員 を調べてもらうと、いくつか出てきます。
     もし、いつの時代のことかお分かりでしたら、絞り込み検索で年数を入れてもらえればと思います。
     
    hush


  2. >hushさん
    ご回答ありがとうございます。
    ご教示頂きましたサイトにて参照したところ、鎮守府の定員は分かりました。

    一方、鎮守府参謀の分掌は見付からず不明なままなので、引き続きどなたかにご教示頂ければと思います。
    ご回答・ご誘導お願い致します。
    ARST


  3. アジ歴にある鎮守府戦時日誌の「人員ノ現状」表ではだめですか?


  4. >片さん

    ご回答ありがとうございます。
    「人員ノ現状」表で結構です。
    というか、こちらの想像以上に情報が網羅されていて、求めていた情報として完璧でした。

    ARST



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