ちょっと気になると夜も眠れない。

社会、組織、時事
Ans.Q

どうでも良いことなのに…、誰か助けて!


・ あなたが疑問を持っているなら、ここで記入してください。
名前:

*ここは新規質問投稿欄です。質問への回答ではありません。
[戻る]

320 最近入手できた祖父・父の軍歴簿関連で質問があります。

1 大正九年に一年志願兵として入営し、予備役、少尉任官、後備役編入を経て再応集、昭和十六年に北支で戦死した祖父ですが、

  大正十 年十二月  一日 歩兵曹長ノ階級ニ進ム
  大正十一年 三月三十一日 任歩兵曹長

このような、「階級ニ進ム」と「任」の違いはどのような意味なのでしょうか。よろしくお願いします。

2 また、父の場合には(昭和十九年)、伍長までは「階級ニ進ム」でしたが、陸軍習志野学校再学中、「軍曹ノ階級ヲ与ヘラル」の一言がありました。これは兵・下士官の別か何かでしょうか

もこ

  1.  旧日本陸軍、しかも階級のことなど何も知りませんが、
     https://www2.mellow-club.org/densho/modules/d3forum/index.php?post_id=5132
     に、「六月一日。「陸軍伍長ノ階級二進ム」九月一日。「陸軍軍曹ノ階級二進ム」 階級章の付け替えか忙しかった。階級だけは昇っても候補生である限り、あくまでも仮の階級であって、何らかの事故かあればすぐ一等兵に降等するので油断かならなかった」とあります。
     ここより考えるに、「進ム」は仮の階級で、「任」が正規のものと考えられますが、どうでしょうか。
     「与ヘラル」も正規のものかなと思っています。
     
     
    hush


  2. 「進ム」は,軍隊内の階級が進むこと。
    質問が示している事例では,「歩兵曹長の階級に昇進した」との意味。
    「任」は,陸軍武官としての階級に任じられること。
    曹長は,文武判任官等級令で判任官二等に該当することから,
    質問の事例は,文武判任官等級令別表に定める判任官二等に任じます,との意味

    「與へる (与へる)」は,新たに階級を与えること。
    質問の事例では,陸軍習志野学校の生徒 (幹部候補生) に身分が変更になったことで,新たに「軍曹の階級」と与えます,との意味。




    ねこねここねこ


  3. hush様
    ありがとうございます。あまり当たり前に書いてあるので、まさか仮の階級とは思いませんでした。

    ねこねここねこ様
    ありがとうございます。書き方が良くなかったようで、

    昭和十九年 九月八日 習志野学校入校
       同年 十月十日 伍長ノ階級ニ進ム
       同年十二月十日 軍曹ノ階級ヲ与ヘラル
    のような書き方となっておりました。
    あいにく父の場合、兵籍簿関連は入営の記録のみしか記載なく、あとは軍隊手帳の記載にあった文言です。

    もこ


  4. このような経過と推定しました

    昭和十九年九月八日以前
     兵籍は軍人で,階級は兵長であったと推定

    昭和十九年九月十日
     習志野学校に入校に伴い,下士官に進級 (伍長ニ進ム)
     このとき兵籍は軍人のまま

    昭和十九年十二月十日
     幹部候補生となることを認められ,幹部候補生に兵籍変更
     幹部候補生として,軍曹の階級を与えられる (軍曹ノ階級ヲ與ヘラル)
     

    ねこねここねこ


  5. 補足
    昭和 19 年,かつ習志野学校入校という点から特別甲種幹部候補生とも考えました。
    しかし,次の理由で特別甲種幹部候補生ではないと判断しました。
     1) 特別甲種幹部候補生は,高等教育機関に在学する陸軍外部の志願者の中から銓衡し,入校又は入隊時に伍長に任命
      よって,「伍長ノ階級ヲ與ヘラル」か「伍長ヲ命ズ」となる
      特別甲種幹部候補生は,兵の階級を経ていないことから「伍長ニ進ム」とはならない
      ご質問の事例は,合致しません
     
     2) 規定に拠れば,軍曹に進級するのは入校あるいは入隊から 6 カ月後
      ご質問の事例,12 月に「軍曹ノ階級ヲ與ヘラル」は,この規定に合わない
     
     3) 昭和 19 年 10 月採用の特別甲種幹部候補生は期限の短縮が図られ,昭和 20 年 3 月に軍曹に進級
      こちらの事例も,ご質問の内容と一致しません

    よって,
    習志野学校に9 月に入校,その後 12 月に幹部候補生の銓衡考査に合格し幹部候補生徒として軍曹の階級を與られた,と考えた次第です
    ねこねここねこ


  6. ねこねここねこ様

    「幹部候補生」は別兵籍とは知りませんでした。単なる進級の用語にも深い意味合いがあるのですね。深い洞察と、重ね重ねのご回答ありがとうございます。

    父の場合は徴兵後(学徒動員ではなく)、幹部候補生に採用され、満州から習志野に。(その間本隊はレイテに送られ、悲惨な境遇に陥りました。)

    昭和十九年三月一日 現役兵トシテ○○第○○部隊(満州第○○部隊要員)○中隊入営
    ・・・
    同年六月十日 昭和十九年度第二次採用兵科幹部候補生ヲ命ズ
    同年七月十日 兵長ノ階級ニ進ム
    同年八月十日 甲種幹部候補生ニ採用
    同年九月八日 習志野学校入校
    同年十月十日 伍長ノ階級ニ進ム
    同年十二月十日 軍曹ノ階級ヲ與ヘラル
    昭和二十年四月一八日 陸軍習志野学校卒業
    同年同月同日 見習士官ヲ命ズ
    ・・・

    この與ヘラルが疑問でした。
    もこ


  7. 追加の情報

    名称が似ている制度が複数あるので整理

    1) 甲種幹部候補生
      在営,かつ中等教育学校卒業以上の学歴を持つ兵の中から選抜し,学校で教育
      卒業後,予備役将校に任官

    2) 乙種幹部候補生
      在営,かつ中等教育学校卒業以上の学歴を持つ兵の中から選抜し,部隊で教育
      卒業後,予備役下士官に任官
      
    3) 特別幹部候補生
      15 歳以上 20 歳未滿の男子志願者から選抜
      学校で教育し,卒業後は短期現役下士官に任官

    4) 特別甲種幹部候補生
      高等教育の学歴を持つ男子志願者から選抜
      学校で教育し,卒業後は予備役将校に任官

    階級に関して補足
    「歩兵曹長ノ階級ニ進ム」に示している,「歩兵曹長」は軍隊内の階級
    「任歩兵曹長」に示している,「歩兵曹長」は,武官の階級
    どちらも正式な階級です

    武官としての階級が昇給することのほうが,家族 (特に奧さんは) うれしかったりします
    それは,俸給と恩給の額は,武官の階級に基づいて決定するからです
    質問例ですと,
    軍隊内の階級は,大正 10 年 12 月に,曹長に昇級
    俸給は,翌大正 11 年になってから判任官二等 (曹長) の額に昇給
    となります
    任官日,つまり昇給した日が 3 月 31 日であることを考えると,予算案が成立したことで昇給が為されたと推測いたします
    ねこねここねこ


  8. ねこねここねこ様

    大変良くわかりました。博識に頭が下がります。ありがとうございました。
    もこ



319 かつて特別な学校の卒業式で、優秀な人物に「恩賜の銀時計」が授与される制度がありました。帝国大学である東大では、1899年から1918年まで続きました。他の帝国大学でも終わる年は同じであったでしょう。しかし陸軍士官学校ではその後もずっと続いていたようです。例えば、小野寺信は1919年5月に、辻政信は1924年7月陸士卒業時に銀時計もらっています。陸士卒業式での銀時計授与はいつまで続いていたのでしょうか。戦争終了間近になるとそのような余裕はなくなっていたのでは、とも思うのですが。詳しいこと教えてください。
電気戦艦

  1.  1944年に学習院高等科卒業生総代だった三島由紀夫が銀時計を下賜されています。
     陸軍士官学校卒業生にいつまで下賜されていたかは存じておりませんが、そこから考えると、戦時中も授与されていたのではないかと思っております。
    >戦争終了間近になるとそのような余裕はなくなっていたのでは
     モルトケは時刻表の隙間を縫って兵員輸送を行った演習で有名になっています。そして、このことは、ドイツ(プロイセン)の鉄道が時刻表通りに運行されていたから可能だったわけですが、それを支えたのが時計です。そして、御存じのように、旧日本陸軍はドイツ陸軍の影響下にあり、当然、時間厳守は大切なものだったはずです。このため、時計の生産というのものは、兵器類の生産に準じて行われていたはずですので、戦時中でもかなりの量が軍事用に作られていたはずです。
     下賜されたセイコー19という銀時計は、鉄道時計として開発されたものですが、この時計は敗戦の2ヶ月後には生産を再開していますので、戦時中も下賜するのに困ることはなかったのではと思っております。
     
    hush


  2. hush様
     ありがとうござました。1944年に授与があったということなので、おそらく最後まで実施されていたのでしょう。戦争末期になると卒業生も増えましたが、全員に渡すわけではないので、なんとかなったのでしょう。軍人は直接天皇から指揮される立場なので、帝大卒業者とは性格が違いますね。
    電気戦艦



318 戦争末期になると、米英の雑誌の記事が翻訳され日本の雑誌に載ることが多くありました。例えば昭和20年頃の「航空朝日」には、戦後の航空輸送についての論評など出ています。このような当時敵国だった国の出版物は、どのようにして入手したのでしょうか。中立国を介すると言われますが、具体的にどのように「物」を日本に運んだのでしょうか。
電気戦艦

  1.  基本的にはシベリア鉄道だと思われます。ソ連は、ドイツ、イタリアと戦争状態にありましたが、同じ枢軸国である日本とは戦争状態にはなかったからです。ただ、そこからヨーロッパ各国に渡るには、鉄道が寸断されていたため、バスを利用するしか方法がなかったようです。
     しかし、重量物については船舶輸送が一番ですので、ドイツ船による柳船輸送が考えられるのですが http://www.saturn.dti.ne.jp/ohori/sub20.htm には、中立国スイスの製品が柳船で運ばれた事実はないとしています。
     
     
    hush


  2.  hush様 どうもありがとうございました。ご紹介の資料も大変興味深いです。ものを運ぶのがシベリア鉄道だとすると、結局以下のようなコースになるのでしょうか。

    英国から出発した船は、Uボートをかわしながらムルマンスクに到着する。陸揚げした物資は主としてシベリア鉄道を利用し満州里から満洲国内に運び込む。以後は鉄道で釜山に至り関釜連絡船で日本国内に運び込む。

    最後の部分も米潜の攻撃があるので危ういですね。1945年5月以降になるとドイツが降伏したのでバルト海が利用できるようになったかもしれません。なお、1945年になるとヨーロッパ戦線も大筋は決着がついているので、ムルマンスクがどの程度使用されたのかちょっとわかりません。
    電気戦艦


  3.  多分、英米の図書については中立国のスイス、スウェーデン、ポルトガル、バチカン、アイルランド、アフガニスタン、トルコあたりから入手していると思います。アイルランドあたりですと文化的に英米の書物は入りやすいでしょうし、そこからイベリア半島からイタリア、トルコ経由でソ連に運び入れれば、あとはシベリア鉄道で行けます。もっとも、トルコは1945年初頭には連合国側に立って参戦していますので、このルートが使えるのはそこまでです。
     あとは、外交官特権で持ち込むかだと思いますが、ソ連に隣接する中立国がないと厳しいかもです。
     ムルマンスクの場合は、英米がソ連に物資を輸送するルートですので、彼等が交戦国日本のために使わせるというのは考えにくいです。
     
    hush


  4. hush様

    どうもありがとうございました。やはりムルマンスクは無理がありましたか。ソ連の書籍輸入機関が英米から輸入し、そこから一部を日本に回せるかもと思ったのですが、そこまで日本に便宜を図る理由はないので無理筋ということですね。

    交戦国間の直接的な物のやりとりは難しいですが、中立国とか国際赤十字などのような存在は「便利」なことがあるのですね。戦時期の国際通信も一般には困難ですが、ものすごく細い糸があったとも聞きます。今後の調査課題とします。
    電気戦艦



317 カーネル・サンダースで有名なケンタッキー州の名誉大佐ですが、
他の州にもこういう名誉大佐の制度はあるのでしょうか。

また、何か特典(各種集会に賓客として招かれる)などはあるのでしょうか。
安井 賢一

  1.  過去半世紀のうちにアラバマ、ジョージア、ケンタッキー、ルイジアナ、ミシシッピ、ニューメキシコ、ニューヨーク、ノースダコタ、オクラホマ、サウスカロライナ、テネシー、ユタで名誉大佐の称号が授与されました。
     南部の州が多いのは、こちらでは連隊長が名誉職で、実務は中佐がやっていたという歴史的経緯があるからではないかと思われます。
     このため、南部の紳士的な意味合いがありますので、各種集会に賓客として招かれるのは当然です。
     
    hush


  2. hushさん、回答を有難う御座います。

    かなりの州に制度があるんですね。
    安井 賢一



316 ロシア連邦陸軍の部隊の編成についてなのですが、師団と軍事基地の主な違いは何になりますでしょうか?
規模としては師団級とありますし、かなり大規模な部隊なのかなと感じました。
ロシア本国にも今や師団級の部隊は数個師団しかないそうですし、この聞き慣れない部隊について
少し教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。
タマリンド

  1.  ロシア陸軍 軍事基地でGoogle検索をかけると第102と第201軍事基地というのがヒットしますが、他はないようです。
     第102はアルメニアに駐留する独立自動車化狙撃旅団と航空基地を基幹とする約4000名、第201はタジキスタンに駐留する自動車化狙撃師団を基幹とする約7000名からなる部隊です。
     ともにロシア本国外に拠点を持っており、航空基地を持っている点が、他のロシア陸軍の部隊と異なる点のようです。
     
    hush


  2. hushさんおはようございます。
    回答して頂きありがとうございます。 ご回答いただいた第102と第201軍事基地の他に、
    第4親衛軍事基地 (南オセチア共和国)と第7軍事基地(アブハジア共和国)があるようです。
    ご指摘のように、確かに全てロシア国外に駐留している部隊のようです。
    部隊規模はかなり大型のようですね。大変参考になりました。
    wikiのロシア陸軍のページによりますと、軍事基地の説明は師団級の部隊とあるのみでしたので
    詳しい方に解説いただけて助かりました。心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
    タマリンド



315 お世話になります。

オーストラリアの軍隊について教えて欲しいのですが、オーストラリアには陸海空軍の上級単位としてオーストラリア国防軍という軍事組織があるとwikiに書いてありました。具体的には、オーストラリア陸海空軍の項目で、各軍の上級単位として国防軍(Australian Defence Force, ADF)があると記されています。
その司令官として、国防軍司令官, Chief of the Defence Force (CDF)が存在するようです。
この国防軍司令官というのは各軍の総責任者とは別のポストなんでしょうか?
この国防軍、国防軍司令官というのは他国の軍隊で例えると、統合参謀本部、統合参謀総長にあたる役職なのでしょうか?wikiを読解しようと努力しているのですが、軍事に関する事に疎いのでよく理解できませんでした。
申し訳ないのですが、よろしくお願いします。
やっぱり内燃機関

  1. >別のポストなんでしょうか?
     そうです。現在の総司令官はアンガス・キャンベル陸軍大将となっていますが、彼は陸軍総司令官から転任しており、別の人物が陸軍のトップに就任しております。
    >統合参謀本部、統合参謀総長にあたる役職なのでしょうか?
     https://en.wikipedia.org/wiki/Chief_of_the_Defence_Force_(Australia)#Responsibilities には”The CDF is the Australian equivalent position of what in NATO and the European Union is known as the Chief of Defence, in the United Kingdom is known as the Chief of the Defence Staff, and in the United States is known as the Chairman of the Joint Chiefs of Staff, although with the latter prohibited by law from having operational command authority over the US Armed Forces.”とあり、それらに相当する役職であると記載されています。
     
    hush


  2. >別の人物が陸軍のトップに就任しております
     別の人物が代わりに陸軍のトップに就任しております

     念のため、日本語訳を入れておくと「CDFは、NATOや欧州連合(EU)では国防長官、英国では国防参謀総長、米国では統合参謀本部議長と呼ばれる役職に相当するが、後者が米軍の作戦指揮権を持つことは法律で禁じられている。」となります。
     
    hush


  3. hushさん、解説をありがとうございます。大変助かりました。心よりお礼を申し上げます。
    やっぱり内燃機関



314 原爆の投下が、非人道的だと主張されるケースはよくありますよね。放射能の影響が定かに解っていないにせよ、広島長崎が非難される世論は世界的に弘まっている現状です。
ですが、日本各地での無差別爆撃は非難される世論は殆どないようです。明らかに軍事関係のみならず民間人を巻き込んで殺傷したのは事実です。そしてそれらは原爆で亡くなった総数よりはるかに大量の犠牲者をいきます。
戦時中、B29の撃墜した捕虜が少なからずいましたが、捕虜として厳格に扱われることが正しかったんでしょうか。当然、民間人を大量殺戮した凶悪犯罪者として全員死刑にする結論が導かれるとも思われるのですが、当時、そういった考えは水面下でも発動されていなかったんでしょうか。
また、戦後にB29は国際法を破った責任追及することが、司法の常識として表面化されるケースはなかったんでしょうか。できるできないは別として、一般的な司法の判断では、B29の無差別空襲は大量殺人罪で極刑に該当する方向性はないのですか。
明確な答えがある質問ではなくて恐縮ですが、司法の素人の判断では、不明瞭な実状です。
一酸化炭素削減

  1.  東京裁判で日本側がこのことと無制限潜水艦作戦のことを衝いてこなかったのは助かったという述懐があったように思います。ただ、無差別空襲についてはゲルニカや重慶のほうが先だったわけです。無制限潜水艦作戦についても先に行ったのはドイツや日本です。
     また、捕虜になったB29乗員は http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/tobu.html で見ると、裁判を受けずに処刑された者が散見されます。
     罪状としては、殺人罪ではなく、戦時国際法違反になりますので、命令者が処罰の対象となります。たとえば、極東国際軍事裁判でA級戦犯となった人達です。
     
    hush


  2. >ですが、日本各地での無差別爆撃は非難される世論は殆どないようです。

    単純に、知られてないからです。
    東京大空襲をはじめとする日本の各都市に対する絨毯爆撃作戦について、日本以外では全く知られていません。教科書に載っているのは日本だけです。
    海外から日本に来て東京大空襲のことを知った外国人は大抵非常に驚きます。

    >一般的な司法の判断では、B29の無差別空襲は大量殺人罪で極刑に該当する方向性はないのですか。

    カーチス・ルメイ氏本人はもしアメリカが負けていれば自分は有罪になっていただろうというコメントをどこかで残していたように記憶しています。
    おうる


  3. 無差別爆撃はドーエ以来、空軍の本質にかかわる問題ですので、計画的に実施されている以上、訴追されることはありません。原爆投下も同じです。
    また、ゲルニカは市民の死傷者が過大に報道され、空襲のニュースだけを聞いたピカソが同名の作品を公開したために世界的に有名ですが、爆撃直後に地上部隊が町に突入する計画であって、野戦砲兵の活動と大きな違いはありません。無差別爆撃と言う程の殺戮は無く、戦略爆撃の範疇ですらないのです。
    そして無差別潜水艦戦も日米双方がほぼ同時に実施したものでどちらかを一方的に非難するような性格の事柄ではありません。
    BUN


  4. >無差別爆撃はドーエ以来、空軍の本質にかかわる問題ですので、計画的に実施されている以上、訴追されることはありません
     https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%88%86%E6%92%83-140422 には、戦略上正当視する見解もあるものの、無差別爆撃についてはほとんどが国際法上の違法行為とされています。
     
    hush


  5. その認識は批評、評論の類で、誤っています。戦略爆撃について最も正直かつ正面から取り組んだ英空軍はこうした理論には制約されていません。
    そして、公式の命令によって出撃した爆撃隊員が訴追されることなどありません。
    空軍の攻撃は劣勢なうちは無差別夜間爆撃の形態をとり、劣勢が挽回されつつああれば昼間精密爆撃の形態をとり、さらに大兵力を導入できるようになれば昼間無差別爆撃へと向かいます。倫理的な問題は別次元の話です。
    BUN


  6. >その認識は批評、評論の類で、誤っています
     百科事典等の記載をその一言で切り捨てられる理由が分かりません。
    >爆撃隊員が訴追されることなどありません
     爆撃隊員はそうですが、命令者は違うでしょう。
     
    hush


  7. >その認識は批評、評論の類で、誤っています
     百科事典等の記載をその一言で切り捨てられる理由が分かりません。

    百科事典の使い方が間違っています。


    >爆撃隊員が訴追されることなどありません
     爆撃隊員はそうですが、命令者は違うでしょう。

    大規模無差別爆撃の隊員が訴追されないのは常識として認めてくれたようでせうが、命令者とは最終的に誰なのでしょう。
    どうも、大規模無差別爆撃を「戦場で発生した違法行為」程度にお考えのように見えます。
    BUN


  8. 普通の感覚だと空爆は歴とした戦争犯罪ですし、アメリカでもリベラルな人はヒロシマだけでなく東京やドレスデンの違法性も指摘しています。
    それでも第二次世界大戦後の裁判で空爆というトピックはなんと枢軸国すら裁かれてないんですよね。
    この事に明確な答えはありません。 「これこれこういう理由で空爆はノータッチ!」みたいな取り決めがなされた訳では無いですから(無いよね?)。
    理由としては連合国が突かれたくないから、要は原爆はどうなんだとか言われたら困るからだと言われています。
    その辺りを考察をすると長くなっちゃうんで、
    「政治の話はともかく法的な名分は立つの?」と言われると、立つんですね。
    ハーグ陸戦条約二十五条には
    :防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
    とあります。 普通に解釈すると迎撃機が来たり対空砲に撃たれたらその都市は防守されているので攻撃の正当性があるという事で、
    つまり空爆は非合法とは言えない、だから裁判でも訴追されませんでしたと結論付けられます。
    よって国際法違反とは言い切れないのです。
    正確には主張する事も出来るけど否定出来る余地が大きいと言うべきでしょうか。
    回答としては道義上はともかく当時の国際法的には戦争犯罪でなかったと解釈出来るし、大々的には追求される様なケースもありませんでした。
    勿論裁かれなかったから問題無いという話ではないし、逆に日本のした重慶爆撃は民間から賠償訴訟も起きています。
    ワナ



313  旧日本軍の士官学校、兵学校は平時には現在の防大のように任官拒否はできたのですか?

また予備校まであったそうなので人気は高かったようですが海陸学校の併願はできたのでしょうか?
タブ

  1.  https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13259654233 だそうです。
     
    hush


  2.  併願については https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000280213 の記載を信じるのなら、可能ということでしょう。
     
    hush


  3. ありがとうございました。
    >1 任官拒否はできないけど辞職はできるって言葉遊びみたいですが、辞められるってことですね。
    >2 「記載を信じるのなら」..信憑性に疑問符有りでしょうか???
    タブ


  4. >3_2
     恐らくそうでしょうが、裏を取っていないという意味です。
     
    hush


  5.  1939年に兵学校と士官学校の双方を受験したと書かれた手記 https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/onketsu/11/O_11_447_1.pdf を見つけました。
     したがって、併願はできたということになります。
     
    hush


  6. ありがとうございました。
    なかなか読みがいのある手記ですね。

    タブ



312 おはようございます。
日本の御皇室に関する質問になります。よろしくお願いいたします。

天皇の皇位継承権についてなのですがわからない部分があります。
現在の皇位継承順位は
1=秋篠宮文仁親王皇嗣殿下
2=悠仁親王殿下
3=常陸宮正仁親王殿下
このようになると思います。

仮にの質問で大変申し訳ないのですが、もし、天皇陛下御一家に親王殿下がお生まれになった場合、
皇位継承順位はどのように変化いたしますでしょうか?
一位の秋篠宮文仁親王皇嗣殿下は立皇嗣の礼を執り行い、広く世界に宣明しました。
秋篠宮文仁殿下の順位は不動だと思うのですが、この解釈であっていますでしょうか?
そこで天皇陛下御一家にお生まれになった親王殿下の順位なのですが、
3位の常陸宮正仁親王殿下の次、第4位となりますでしょうか?
カーペンタリア

  1.  その通りです。
     
    hush


  2. ありがとうございました。
    カーペンタリア


  3. >1
    なぜ第四位なのでしょうか?
    質問のケースでお生まれになる親王は
    天皇の第1皇子なのですから皇室典範第2条の継承順位一位の皇長子ではないのですか?
    その場合はお生まれと同時に皇位継承順位一位になるのではないでしょうか?

    根性のない履帯


  4. >3
     今上天皇に新たに子が生まれた場合だと思っていますので、第3皇子ですよね。その場合は悠仁親王の次ですので第3位ですね(ごめんなさい、間違いました)。
     今上天皇は私の1つ下ですから、今さら生まれるわけがないという前提で書かれているのなら、皇太子の第2子という意味でしょうか。この場合も第3位です。
     それとも、悠仁親王の子という意味でしょうか。他に継承者が増えない場合は、これも第3位です。
     
    hush


  5. >4
    >今上天皇に新たに子が生まれた場合
    この場合で合っています。そしてその場合なぜ第三皇子なのでしょう?
    第126代天皇の第一皇子では?

    秋篠宮文仁親王が皇嗣であるのは、今上天皇の立皇嗣の礼での宣明通り、
    皇室典範の定めるところつまり
    皇室典範第2条に定める継承順位よってですので

    皇位継承順位は儀礼に過ぎない立太子の礼や立皇嗣の礼に関わらず
    皇室典範に定める順位で変動すると理解していましたが
    何か当方の理解に見落としがあるのでしょうか?

    質問のケース、今上天皇の直系男子で長子たる親王がお生まれになるケースでは
    お生まれになった親王は、今上天皇の皇子たる親王にして皇嗣となり
    空位である皇太子の称号を受けるでしょうし。
    秋篠宮文仁親王の継承順位は
    当然変動し、2位に繰り下がり皇嗣でなくなるのではないでしょうか?

    根性のない履帯


  6. >4
     ごめんなさい、私の頭の中にあった今上天皇は退位した上皇のことでした。
     オオボケかましてしまいました。
     
    hush


  7. >6
    私も天皇陛下と言われて、まず頭に浮かぶのは上皇陛下ですので
    お気になさらずに。

    まったくの余談なのですが、>4で書かれていた
    皇太子の第2子が親王にして長子のケースでも
    皇長孫なので継承順位は第三位でなく第二位です。
    根性のない履帯



311 ウクライナ戦争でたびたびウクライナ・ロシア間の捕虜交換のニュースがあります
第二次世界大戦中は各国はどのような形で捕虜交換が行われていたかが書かれている書籍、資料等ございましたら教えて下さい。
さんぽんど

  1.  たいていの国では捕虜になることは名誉であり、脱走でも、捕虜交換でも、帰国すれば英雄となります。しかし、日本はその逆であり、戦後、帰国しても後ろ指を指されるという状況が日露戦争時、すでに起きています。したがって、ソ連軍の捕虜となった亡父などはこのことを心配した可能性はありますが、ソ連も、死守するため捕虜を許さなかったようで、この両国の捕虜交換はほとんどなかったのではないでしょうか。
     このため、日本での例を調べようとすると、捕虜交換ではなく、戦時交換船を調べるほうがいいと思います(「日米交換船」という本が出ています)が、遺骨の返還を別とすると、日本は捕虜の交換を認めてはいません。ただ、フィリピンで捕虜となったアメリカ陸軍のウェインライト少将等と、ドイツ敗戦時に残留していた日本人との交換が計画されていますが、日本の敗戦により中止となっています。
     したがって、Prisoner exchangeのような英語で検索をかけたほうが資料は探しやすいと思います。
     
    hush



310 ロシア軍によるウクライナ全土へのミサイル攻撃が続いていますが、その攻撃対象は広範囲なものになっています。
以前からそうでしたがアパートだったり学校、公園、発電所などバラバラに打ちまくっています。
文明国への攻撃は発電所や浄水場、主要橋脚など基幹的インフラを徹底して攻撃するのが最も効果的な筈ですが何故ロシアはそうしないのでしょうか?

返信お待ちしております・
東京

  1.  精密誘導兵器が残っていないかでしょう。
     
    hush


  2. 返信ありがとうございます。

    何だか開戦時から攻撃対象がバラバラだったと思うのですが…
    精密誘導兵器は最初から不足していたということでしょうか?
    コソボ紛争でNATO軍が主要インフラへの攻撃で勝利したのと比べると雲泥の差があります。
    東京


  3. >何だか開戦時から攻撃対象がバラバラだったと思うのですが…
     Wikipediaで申し訳ないですが、 https://ja.wikipedia.org/wiki/2022%E5%B9%B4%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E4%BE%B5%E6%94%BB%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3 のタイムラインを見ますと、ロシアの初期の攻撃目標が今日のように無差別なものではなかったことが分かると思います。
     
    hush


  4. 返信ありがとうございます。
    Wikiのタイムラインを見るとなるほどミサイルの攻撃対象の全体像がわかります。当初は軍事拠点への使用が目につきますね。
    東京


  5. 質問の前提に誤りがあると思われます。
    通常、全面的に戦争を仕掛ける際の最初かつ重要な目標は、相手方の軍事施設や重要な兵器、それも整備に時間と金がかかる物です。日米開戦における真珠湾の戦艦類、六日戦争における地上における航空機等。現在では、さらに通信、指揮系統等。基幹的インフラではありません。ロシアがウクライナへの攻撃に際してそうしなかったのは、短期の戦いで済み、あとは傀儡政権を作る心算だったからだと思います。下手に基幹的インフラを破壊すれば、その後が大変です。
    初期の計画が失敗したから、そして戦略目標が変わったから基幹インフラの攻撃に変更したのだと思われます。

    UK



309 第二次大戦中のドイツ陸軍には作戦地域名から始まる軍集団と、アルファベットから始まる軍集団が混在していますが、後者の場合、命名順には何か命名規則のようなものがあったのでしょうか?
備後ピート

  1.  C     1939年
     A、B、D 1940年
     E、F   1943年
     G、H   1944年
     HはHollandの略だそうですが、ほぼ建制順ですね。
     
    hush



308 お世話になります。

自衛隊では士官のことを一般的に幹部と呼称するそうですが、海上自衛隊の当直士官のように士官という名称もたまに見かけます。これは、海上自衛隊のみなのでしょうか?陸上自衛隊や航空自衛隊でも士官という言葉を使用することがありますでしょうか?
ゆき風

  1.  航空自衛隊でも航空士官という言い方はするようで、防衛大学校同窓会の検索窓に「士官」と入れて調べますと、幾つか用例は出てきます。しかし、これ以外の用例のほとんどは、海外の軍人に対してのものであるようです。したがって、自衛官であっても、軍人ではないという規制は、一部の俗称以外には使用されていないということから考えると、公式には守られているようです。
     
    hush


  2. hushさん、おはようございます。一部の俗称以外にはやっぱり使用されていないのですね。
    大変参考になるご回答、ありがとうございました。心よりお礼を申し上げます。
    ゆき風


  3. 艦艇だと「士官室」「士官寝室」「士官室係」等は普通に使われてますね。
    呉に展示されている「あきしお」でも「第〇士官寝室」のプレートが貼られています(画像検索でも出て来るはずです)。
    「護衛艦 艦内配置図」で画像検索をかけても図面に「士官室」という名称が記載されているのが判ると思います。
    元自


  4. >3
     そういえば、そうですね。
     御教示、ありがとうございます。
     
    hush


  5. 船乗りは民間であっても、通常、上級船員(船長、機関長、航海士など)は士官と呼ばれるからではないでしょうか。
    BUN


  6. BUN様
    現役時代に同じ疑問を持って乗艦の副長に聞いたことがありますが、「日本海軍からの伝統引継ぎ」との回答でした。
    警衛士官、甲板士官等の民間商船ではあまり見かけない言葉を普通に使っていますので、民間であっても……というのは当てはまらない気がします。
    複数の上官に確認した訳ではないので絶対とは言えませんが、一応内部ではそういう意識がありました、というコトで。
    元自


  7.  自衛隊に出された訓令(達等)を調べますと、士官室の他にも、仰られるように、当直士官、警衛士官等の表記がなされているものがありましたので、公式にそう呼んでいることになります。これがいつまで遡れるのか分かりませんが、海上警備隊が海上自衛隊に改められた際に、掃海船が掃海艇に改められたように、一定の数の守旧派がいたということかなと思っております。
     
    hush


  8. 官の呼称だから民の事情は関係ない、というのではなく、
    官の呼称も民のカルチャーを反映した部分があるので官制の呼称を外れてそう呼ばれているのではないか、というお話です。現場の意識はどうであれ、根っこにはそうした「オフィサー」に関する船員関係の慣例継承があるのではないかと思います。
    BUN



307 2022年6月、電力逼迫のさなかですがネットで「東京湾には原子力空母も原子力潜水艦もいるじゃないか」という話題を目にしました。
艦載原子炉ならばかなり大規模な発電能力は期待できると考えられますが
送電方法等まで考えた場合に実用性はどの程度有るのでしょう
ボーン

  1.  それは1939年に電力不足に陥ったタコマ市に空母レキシントンが1ヶ月間に渡って電力を供給したことから思いついた話かなと思います。
     しかし、東京湾にいる原子力空母も原子力潜水艦もアメリカのものですから、日本に電力を提供する義務はありませんし、そのような要請があっても、貴重な軍事力を回すようなことはしないでしょう。
     たとえ、それを首肯したとしても、現在のアメリカの原子力空母も原子力潜水艦も、レキシントンのようなタービン・エレクトリックではありません。原子炉で作った蒸気でタービンを回してスクリューを回しているので、発電能力は小さいのです。
     これが、フランスのように原子力タービン・エレクトリックだったとしても、今日の都市が必要とする電力は1939年のタコマが必要とした電力とは桁違いです。
     したがって、実用性はない話かと思われます。
     
    hush


  2.  1939年>1929-30年
     失礼しました。
     
    hush


  3. 軍艦と我国一般の商用電力では、電圧も周波数も大きく違います。艦載原子炉の発電能力は知れています。
    また、原子炉の核分裂は、特にPWRは炉の中心と外周部では中性子の漏れだしによる密度分布のばらつきがあり、冷却水の入口と加熱水の出口では減速材としての水の密度の相違があり、娘核種の経時変化による燃焼への影響もあります。炉心交換の時期の短縮につながったりすれば、それこそ本末転倒の話となります。都市の電力不足を補うための稼働は不可能です。
    トンマ



306 艦船の板の方に書こうかと思いましたが、1国の建艦政策にかかわることなのでこちらの方で質問させていただきます。

第二次世界大戦時のイタリア海軍の重巡建艦方針について質問します。

イタリア海軍では高速軽防御のトレント級重巡2隻の後、前級から一転して列強でも有数の防御力を有するザラ級重巡4隻を建造しています。

ここまではいいのですが、ライバルのフランス海軍がザラ級に対抗して防御力強化型のアルジェリー級以降の防御重視の建艦方針に転じたにもかかわらず、7隻目の重巡ボルツアーノでは、元の高速軽防御のタイプに回帰しています。
これはどのような理由があったのでしょうか?

イタリアの軽巡を見るとジュッサーノ級からアブルッツイ級まで一貫して大型重防御化しており、また高速で雷装が必要なら、大型駆逐艦ともいうべきカピタニ・ロマーニ級を計画整備しています。

このような一連の流れの中でボルツーアノの建造目的が分かりません。イタリア海軍の重巡建造方針が迷走していたのでしょうか?


備後ピート

  1.  よくは分かりませんが、ボルツアーノの起工は1930年、アルジェリーの起工は31年ですので、アルジェリーの対抗馬ではないでしょう。だとすると、それ以前の高速化するフランスの大型駆逐艦や巡洋艦に抗するものだったのではないでしょうか。
     なお、ザラ級は、魚雷発射管を装備すると重量的に条約に収まらないと判断されて諦めただけですので(実際には超過)、ボルツアーノの場合、装甲を犠牲にした分、搭載可能となったのでしょう(実際には超過)。
     
    hush



[管理人専用]

管理者 F4U : Ans.Q v1.40 [Shigeto Nakazawa]