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4113 対戦機のプロペラについて
アメリカやイギリス・ドイツはプロペラの形状が各機種・形式で外見に特徴があるが,日本機はどの機もよく似ている。それだけ研究不足だったのか,それで良かったのか,どなたか教えてください。

chiepop

  1. 戦前の日本のプロペラ技術は、確か、ハミルトンのデットコッピ−一辺倒だったとか何とか...
    腕に覚えのドイツなど、高出力機にも、3枚プロペラですましていますが、日本はそうはいかないようで...
    墜落したP51のプロペラをみた日本の技術者が、“到底勝てる相手ではなかった”と述懐していた本を、立ち読みした記憶があります。
    通りすがり

  2.  技術的なことはよくわからないのですが、手元にある「アメリカ戦略爆撃調査団報告書”日本の工業”」において、プロペラ産業に関する報告書があるので、その一部を抜粋します。
     住友金属工業株式会社プロペラ製造所:1933年より生産開始、日本のプロペラ生産の67%(海軍機ほぼ100%、陸軍機40%)を生産、ピークは1944年7月がピーク生産で3140個、主としてハミルトン・スタンダート会社の可変ピッチとVDM式プロペラを生産した。この会社のプロペラ設計部門設立は1941年らしい。
     日本楽器製造株式会社:1941年から1945年の間、全プロペラ生産の28%(生産数第2位)、ピークは1944年7月に1789個生産、他に補助燃料タンクも生産。戦後に本来の楽器や家具生産に戻った。
     以上のようにこの2社でプロペラ生産の3/4を占めていました。もっと掘り下げて調べればわかることもあると思いますが、日本のプロペラ設計開発の環境は、貧弱だったように感じます。
    魂コレクター

  3. 日本機のプロペラは、大戦の後半からブレード幅の広い形の物が現れています。
    百式司偵三型、五式戦、キ102等のハ-112-II搭載機や雷電等がそうです。
    雷電の場合では、往来の付け根付近が細い(そこは断面が翼形ではなくほとんど
    真円〜楕円形なので推力を発生できない、と思う)ものから全体的に幅広のものに
    変更したところ、ようやく1万mへの上昇が可能になったといいます。
    四式戦のプロペラも、写真をよく見てみると、付け根からなるべく翼断面形に
    なるよう配慮されているようです。零戦、一式、二式戦とは明らかに形状が異なって見えます。
    フッフール

  4. 陸海軍の定速可変ピッチプロペラは海軍主導で生産開始したいわゆる住友ハミルトン(零戦、隼)から始まり、その後VDM(雷電、紫電)を導入、日本国際航空で開発が進められた陸軍系のラチエ改良型(疾風)が海軍にも採用検討されているうちに終戦を迎えています。
    ブレードの形状もVDM導入と共にドイツ系の影響が見られるようになります。
    BUN


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