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4678 96艦戦にフロートを装備して水上戦闘機とする計画はあったのでしょうか。
固定脚好

  1. 昭和13年の性能標準で「水上戦闘機」ははじめて登場しますが、その座席数は「2」とされています。実はこれ以前の時期には二座の九五水偵が水上戦闘機として使われていたのです。九六戦にフロートを履かせたようなものではなくて。
    14年の性能標準で単座の水戦が定められますが、これに沿った場合、中島一号水戦でも性能不足となります。栄二一型装備の二号水戦が計画されたのもうなづけます。
    ということで、中途半端な九六艦戦改造水戦の出現の余地はあまりなかったように思います。


  2. もうちょっとわかりやすく述べるなら、要するに、日本海軍の水上戦闘機を二期に分けるとするならば、

    前期は、日中戦争勃発とともに空戦能力を持つ二座水偵を水上戦闘機として使用したことであり、実際に九五水偵が艦爆を援護するという用法も行われています。九五水偵のほかに零式水観もこれに類するものです。

    後期、つまり昭和14年以降思想が転換し、機種として確立された水上戦闘機は、爆発的に航空隊数を拡大させたマル五計画軍備に向けたもので、基地の防御を局地戦闘機とともに水・陸上機をもって行うためのものです。性能面での要求としては、艦上戦闘機と同等の最大速度を求められています。ここで日本海軍の水上戦闘機は零式水観からいっきに強風までグレードアップしてしまいます。その狭間の時期を埋めるストップギャップとして計画されたのが、零戦を改造した一号水戦、二号水戦です。
    これよりも低性能の単座水上戦闘機は、計画思想として現れ得ないのです。


  3. なるほど要求性能から来る制限があったのですか参考になります、ありがとう御座いました。
    固定脚好

  4. 要求性能というより用兵思想の方ですね。



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