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4697 また教えてくださいよろしくお願いします。流星改(B7A2)は鑑攻と鑑爆の統合機種ということですが、鑑攻と鑑爆半々というより鑑攻寄りに作られているように感じる(私にはなんとなく)のですが実はどうだったのでしょうか。また日本海軍は大戦後期、末期の時期に航空魚雷攻撃をどのように認識していたのでしょうか将来においても有効な攻撃方法であるとの認識の基に流星改(B7A2)は計画されたのでしょうか
もりやま

  1. 海軍では各機種を試作発注する上での要求根拠として『航空機種及性能標準』という資料を作っていました。これは数年おきに改訂されてゆくものですが、昭和15年に作られた改訂原案のあたりから「急降下爆撃可能な艦上攻撃機」が策定されはじめます。これが16年に決定を見、則って試作されたのが十六試艦上攻撃機(B7A1、のちの流星)です。

    俗説として流星の量産機は「試製流星改B7A2」であるとされていますが、昭和20年4月付で海軍航空本部が出した『海軍機略符号一覧表』を見ると、「試製流星改B7A2」は誉二三型装備の発展型につけられた名称になっています。誉一一型装備型はあくまで「試製流星B7A1」とするのが正しいようです。

    急降下爆撃は、主として敵空母の飛行甲板を破壊するためのものです。
    魚雷には別の意味合いがあり、それは最後まで有効でした。


  2. 急降下爆撃で800キロ爆弾を投下しても
    6インチ以上の装甲は理論上貫徹できませんからね。
    (5インチでも理論上不可能)
    魚雷攻撃の有効性は否定されていないでしょう。

    1945年2月の
    硫黄島周辺海域に出撃した「第2御盾隊」でも
    4機の天山が魚雷を搭載して「特攻」をかけています。
    Kleist

  3. 艦上雷撃機という観点からすると、英国のスピアフィッシュ、ファイアブランド、米国のAD(A-1)、AMといった同期生がいて、英国では更にワイバーンがその後になっても出てきます。
    陸上雷撃機からするならば、やはり英国がボーファイターの雷撃隊を戦後も長く使っており、ソ連に至ってはIl-4やTu-2といった第二次大戦型に加えてジェット双発爆撃機のIl-28に雷撃をさせるつもりがあり、またそれをライセンスした中国もジェット雷撃機を保有することになります。
    フランスも恐ろしく旧式化してはいましたがLate298水上雷撃機部隊を1952年まで維持していました。

    このように、世界的に見ても50年代半ばくらいまで、つまり第二次大戦終結から10年前後の間、雷撃は主要な対艦攻撃手段のひとつとして維持されており、また日本においても流星の世代で雷撃を軽視してしまえるような趨勢にはありませんでした。
    むしろ、日本海軍で言えば、航空魚雷の強度問題から高速投下(ないしは高高度投下)が難しい状態にあった、流星より一つ二つ前の世代の方が雷撃に関して懐疑的な様相があるようです。
    頑丈な新しい魚雷の完成を前提として従来の雷撃よりもずっと高速で突っ込む、また降爆も彗星並みの速度と降下角度で突っ込む、水平爆撃もやはり高速で行う、つまり高速接敵対応型艦攻が流星ということになります。
    まなかじ

  4. 1.流星は艦爆寄りの機体か?=機体としては艦爆だった。

    「流星が艦爆寄りに見える」との印象は確かにその通りでしょう。
    流星は敵母艦の重防御化に対応した500キロ爆弾による急降下爆撃可能、かつ空戦可能な大型艦爆として研究が開始されています。艦爆を大型化することで艦攻としての要求性能である800キロ爆弾の水平爆撃能力、雷装はそのまま可能になるからです。略符号が艦攻を示す「B」であっても、性能標準が「急降下爆撃可能な艦攻」をうたっていても、機体の開発は空戦可能な翼内銃を装備したニ座の大型艦爆として始まっています。

    2.雷撃を軽視していたのか?=確かに軽視していた。

    雷撃と急降下爆撃のどちらを重視していたかを比較して言うならば断然急降下爆撃を重視しています。これは敵空母と戦艦とどちらが重要目標とされていたかを考えれば納得できるでしょう。雷撃はその補助手段です。高速投下などは魚雷の性能上の問題ですから機体とは関係ありませんし、戦争後期に雷撃隊が活躍するのは急降下爆撃不可能な夜間に行われる夜間雷撃が主要戦法となったためです。
    BUN

  5. 追記
    B7量産機を指して「流星改」という呼ぶことは間違いです。「誉一二型」を装備した「流星」の量産機全てはB7A1で、「流星改」にあたる機体は1機のみ製作されていることが確認できます。ただその機体は「流星一一型」と呼ばれています。
    BUN

  6. >4の1
    そうか。生え抜きの艦爆メーカーであり、三座艦攻には実績がない愛知に作らせた機体である、ということを忘れてました。



  7. 方向転換。
    従来の艦攻はいわば重量物をぶら下げて飛ぶやや頑丈な汎用機体として設計すればよいことになっていました。「強度類別」では艦攻は「第III類」に属し、「やや急激なる旋回、ならびに引き起こし」に耐えればよいという標準使用範囲が定められています。
    一方で艦爆は「強度類別第IV類」であり、「特殊飛行全部」をこなせる強度の機体であることが要求されています。
    艦攻よりも艦爆の方がやや特殊なノウハウを必要とする部類に属し、それなりに構えた姿勢でもって機体計画を行わなければならないものである、ということがいえます。


  8. つまり、考え方としては銀河に近いものと思えば良いでしょうか?
    銀河を単発にして艦上機にし、航続距離を削って空戦性能を付加したようなものと。
    まなかじ

  9. 魚雷に未練を残していることも含めて、ですが。
    まなかじ

  10. 便乗質問になってしまうのですが、搭乗員の訓練はどのように予定されていたのでしょうか。
    富士見町

  11. あまりに観念的過ぎませんかね。

    >銀河を単発にして艦上機にし、航続距離を削って空戦性能を付加したようなもの

    それの何処が銀河なのでしょうか。
    BUN

  12. >7
    それであるならば「強度類別第IV類の艦攻」を設計しても良いのです。
    でも現実にはそうではなかった。
    理論とか理屈ではなく事実として海軍の指導下で愛知では何がどのように進められたか、という話が大切なのです。
    BUN

  13. しかし、操縦性能はともかく
    500キロ爆弾をもって降爆する機体として
    彗星より明らかに優れている、高性能といえるのか・・・・

    Kleist

  14. 最大速度 爆撃正規状態で300kt
    航続距離 爆撃過荷重で1800浬

    この水準で十三試艦爆より明らかに優れていないとは随分と贅沢な要求ですね。
    BUN

  15. >4
    流星という名称は艦爆の系統だと思うのですが,開発段階から決まってた
    んでしょうか?
    またなぜ略符号は「B」を与えられたのでしょうか?
    taka

  16. 海軍には年度ごとに試作する機種の中期計画があります。
    例えば、十二試艦戦(零戦)の後に十六試艦戦を作り、その後に十九試でまた艦戦を作る、といった計画が実機の試作研究とは別に立てられます。
    流星に関して言えば、十六年度に試作発注する艦攻の試作スケジュールが先にあり、それに応じて略符号「B」が振られているのです。
    流星の名称は昭和18年8月10日以降に新しく付与された名称ですから開発当初には存在しません。
    BUN

  17.  便乗質問です。話題の流星、及び彗星の急降下制限速度はどれくらいでしょうか? 銀河は計画350kt、実機で380ktに達し、敵戦闘機に追われた際も急降下で逃れ得たと「世傑」にありました。単発の両機ならもっと出せそうに思うのですが、いかがでしょうか?
    NG151/20

  18.  彗星の降下制限速度は350knotで、試作1号機が360knot出したけれど大丈夫だった、とのことです
    セミララ

  19. 流星が発着艦出来る空母は、翔鶴級を除いて、あったのでしょうか?
    まさのり

  20. > 19.
     流星に対応した着艦制動装置を装備していたのは大鳳、信濃、雲龍型、伊吹、雲鷹と海鷹ぐらいで、翔鶴型は瑞鶴が戦没するまで流星に対応した着艦制動装置を装備していませんので、発艦はともかく着艦できません。
    T216


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