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3010 昭和十九年に戦死致しました伯父の遺稿を整理している者でございます。
陸軍の輸送船につきましてお教え願えますでしょうか。どうぞよろしくお願い申し上げます。
伯父の乗った船は新造の七千トンの輸送船です。
輸送船には高射砲が据えつけてあると聞きましたが、それはどこに据えつけてあるのでしょうか。
自動車や特殊連絡艇などを船倉に積み込む場合、一度クレーンで甲板に上げてから、船倉へ下すのでしょうか。
どうぞお教えくださいますようお願い申し上げます。
半月

  1. どこに装備されているかは、船が分からないと断言できませんが高角砲はこのホームページの乗っているhttp://www.hx.sakura.ne.jp/~troll/senpaku/hune05.html
    ようなものが搭載されていました

    516

  2.  戦時で新造7000トンならば、1Aか2A輸送船でしょう。
     で、#1で紹介されてるのは上陸用舟艇に載せたものと試験装備ですので、恐らく該当しないでしょう。
     19年の新造A型ならば、標準として短20糎砲が1門、あとは随時機銃を増備しています。
    http://ww6.enjoy.ne.jp/~iwashige/hisakawamaru.htm
     これは模型写真ですが、このような感じで、船体後部の居住ブロックの上に砲、台座を増設して機銃といった具合です(機銃装備は船や時期で異なる)
     また舟艇や車輌はデリック等で持ち上げて船倉に直接降ろします。甲板に巨大な蓋があって、それを開けてしまえば直接下ろせるのです。
    SUDO

  3. 516様、SUDO様
     ご親切にご回答いただきまして本当にありがとうございます。貴重なご教示と資料写真を頂きまして感謝申し上げております。お陰さまでよく理解することができました。 
     とくに久川丸の模型では、初めて輸送船の色を知ることができ、感激致しております。実は伯父の乗船した船の名前は三説あって、実際に乗船し生還した三名の方が各々違う船名を手記に載せていらっしゃるので不思議に思っておりました。でもこうして迷彩色に塗装されているのを見ると、船名は乗り込んだ本人にもわかりにくかったのではと納得致しました。
     心から御礼申し上げます。  
    半月

  4. >3
    #船の名前は三説あって
     もしも沈んだ日や場所がお分かりでしたら、
     http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron.html
     で、調べられると船名が分かる場合があります。
     また「知られざる戦没船の記録」(1995年柘植書房刊)と言う本の下巻に戦没船舶の一覧表が日時順に並んでおります。
     絶版だと思いますが、図書館などにある場合がありますので、一度お調べになられるのも良いのではないかと思っております。
     横合いから失礼致しました。
     
    hush

  5. hush様
     ご親切にお教えくださいましてありがとうございます。
     このような記録のサイトがあるのは存じませんでしたので、さっそく今見てまいりました。
     ただ、伯父の乗船いたしたと思われる船で、とくに可能性が高い二隻は規模の同じ姉妹船で、19年10月26日僅か三時間の差で米潜水艦ドラムに攻撃されています。モマ05船団の『大彰丸』と『大博丸』という船です。この船団はフィリピン増援の一万人を運ぶ輸送船12隻、護衛艦六隻の船団でした。二隻で4500人が亡くなられたといわれています。
     伯父の船に関しましては、三説ありますものの、私は生還者の方の手記の共通部分から『大彰丸』ではないかと思っております。
     お教えいただきましたサイトを見ると、戦果の記録の羅列が日本船の撃沈がいかに多かったかを表していて、その一隻一隻に日本を守ろうと悲壮な覚悟で乗り込んでいたのだと胸を打ちます。
     貴重な情報を頂きまして本当にありがとうございました。
    半月

  6. >6
    #大彰丸
     多分、御存知だと思いますが、この船ですね。
     http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~museum/19441026daisyo/daisyo.htm

     
    hush

  7. hush様
     そうです。この船です!!
     ありがとうございます。カラーでこんなに生き生きとした絵は初めて見ました。
     外洋を航海している時のイメージがつかめました。
     心から御礼申し上げます。
     
    半月

  8.  いえいえであります。
     なお、戦没した船と海員の資料館
     http://www.jsu.or.jp/siryo/
     内にあります戦没船舶の位置のフィリピン北部バリンタン海峡の地図
     http://www.jsu.or.jp/siryo/map/phillipin/north_luzon/balintang/balintang.html
     に両船が掲載されております。
     大彰丸はスケッチでありますが、大博丸は写真が掲載されております。
     
     末尾ではありますが、御冥福をお祈り申し上げます。

    hush

  9. hush様
     重ね重ねのご親切なご教示を頂きまして感謝申し上げております。
     今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
    半月

  10.  参考になるかどうか判りませんが・・・
    広島県豊田郡安浦町に、E型戦時標準船の設計図を基に作られたコンクリート船
    第1・第2武智丸が防波堤となって現存しております。船体のみですが、コンクリート
    製ですのでほぼ完全な形で形状をとどめております。800トンの小型船なので、
    大彰丸とは大きさ、形状ともに違いますが、船内に入れます(機関室、船倉は海面
    下に没していますので入れませんが)ので、当時の日本の輸送船がどのようなもの
    であったかがよく判ると思います。一度行かれてみてはいかがでしょうか。
    神社

  11. 神社様
     貴重な情報をお教え頂きまして本当にありがとうございます。
     コンクリート製の輸送船が現存していて、しかも防波堤となっているとは、とても興味深く、是非一度参りたいと存じます。
     ご親切なご教示をいただきながら、お礼を申し上げますのが遅くなりまして申し訳ございません。
     どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。
    半月


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