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3037 600番台航空隊の定数と空地分離

2994の質問を読んでいて気になったのですが
 600番台は母艦航空隊ですがマリアナ以前は、器である航空戦隊(空母の要領)に合わせて定数が設定されているように思えます。
 しかしマリアナ以後はどうなっているのでしょうか?
 航空戦隊の変遷は下記だと思うのですが、間違っていたら指摘下さい。

1944.
06.20 マリアナ直後
 一航戦 小沢直 瑞鶴(損傷)、601空
 二航戦 城島 隼鷹(損傷)、龍鳳(損傷)、652空
 三航戦 大林 瑞鳳、千歳、千代田(損傷)、653空
 四航戦 松田 日向、伊勢、634空

07.10 二航戦解隊
 一航戦 小沢直 瑞鶴、龍鳳、
 三航戦 大林 瑞鳳、千歳、千代田
 四航戦 松田 日向、伊勢、隼鷹

08.10 瑞鶴修理完了後
 一航戦 小沢直 雲龍、天城
 三航戦 大林 瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田
 四航戦 松田 日向、伊勢、隼鷹、龍鳳

10.01
 一航戦 古村 雲龍、天城
 三航戦 小沢直 瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田
 四航戦 松田 日向、伊勢、隼鷹、龍鳳
剣高

  1.  601空の変遷
     1944年夏、松山基地にて再編成。残った空母に乗り込む予定でした。しかし、それも中止されました。その後、全国各地の基地を転々として、居候生活をしました。終戦時には三分割され、茨城県百里基地と、愛知県の明治基地、三重県の鈴鹿基地にいたそうです。
     学徒動員の主計士官が書いた本にありました。
     その人は、配属先希望に「空母機動部隊」と書いたそうです。しかし、内地の航空隊になりました。しかし、601空とは、空母機動部隊そのもので、自分の希望がかなえられたものと、後で分かったそうです。
     空地分離の実態には、かなり批判的でした。実際には分離されていなかったかららです。601空が去った後の松山基地には、343空が編成されました。源田実と紫電改で有名です。その後の601空は、各基地を渡り鳥生活でした。膨大な物資を持っての引越しです。そんなことをするくらいだったら、松山基地に601空を残して、少し編成替えをすればよかったのにとの意見でした。

    霞ヶ浦の住人

  2. ご回答ありがとうございます。
    空母が機能せずに航空隊も迷走したようですね。


    以下、調べきれず、少し推測混じりですが
    マリアナ後の601空の定数は
      戦161(艦戦)×48
      戦162(爆戦)×48
      攻161(艦爆)×48?
      攻262(艦攻)×48?
      偵61(?)×24?
     計216機。8月編入の雲龍、天城、10月編入の葛城の三隻で割って一艦72機?という意味合いになるのでしょうか?

    続いて653空の定数は
      戦164(艦戦)×48?
      戦165(爆戦)×48?
      攻263(艦攻)×48?
     これは計144機で旧三航戦の瑞鳳千歳千代田の三隻で割ると一艦48機、定数としてはこれくらいが妥当なのでしょうか?
     しかし、8/1に三航戦に修理完了の瑞鶴が編入されます。
     仮に瑞鶴の定数を72機として、小型空母一隻につき(144−72)/3=24機?

     ここまで考えて、これは定数の確定が8月じゃないと推測に値しないですね。
     航空戦艦+隼鷹他の634空や潜水艦搭載機の631空の定数も気になります。
    剣高

  3. 航空隊の定数は母艦航空隊、基地航空隊にかかわらず、何機種を何隊、という形で定数を構成しています。定数は内令で例えば「陸上戦闘機 2隊 艦上戦闘機1隊半」といった形をとり、戦闘機は18機で1隊となりますからこの場合陸戦代用の零戦36機と陸上基地の艦戦として27機(1隊18機+半隊9機)という意味になります。
    このようにして定められる定数は、母艦航空隊の場合、必ずしも母艦の収容機数とリンクしていません。原則的には分乗する母艦によって余れば地上の根拠地となる基地にあればよく、マリアナの大損害後は基地航空隊も含めた海軍航空隊再建の優先順位によって影響を受けています。
    BUN

  4. また六〇一空が移動を繰返したのは空母が機能しないからではなく、2月付けで母艦航空隊としての任務を解かれたことによります。関東地区への移動と4月の沖縄決戦参加、関東帰還後の防空任務、終戦直前の大和基地等での本土決戦待機は当時の海軍航空隊の動きとしてはまずは普通ではないかと思います。
    BUN

  5. お答えありがとうございます。
     定数は24の倍数かと思っていたのですが、18(一隊)+6(補用)=24機と考えて良いのでしょうか?

     あと、上記のように8/10〜11/15ぐらいまでの600番台航空隊の定数は所属空母の収容数をあまり考慮していないと言うことになるのでしょうか?
     もっとも、定数定数といっても中身があれなんでエンガノ沖に出撃した三航戦へ653空の他に601空から飛行機を抽出して混成したかと思うと、同時に両隊の残留部隊を基地航空隊としてフィリピンまで進出させたり・・・

     彗星と瑞雲で構成されていたのかと思っていた634空に、いつ頃から戦闘機が所属し始めたのかも気になります。
    剣高

  6. 六三四空への戦闘機隊配属は通常型の母艦を四航戦に組み入れたことが理由と解釈できます。
    この頃の部隊編制を見る場合、航空隊単位の定数を見ることよりも配属された飛行隊に重点を置いて眺めた方が動きが読める傾向にあります。戦争最後の一年は特設飛行隊の動きを中心に追っかけた方がわかりやすいのです。
    BUN

  7. ありがとうございます。
    634空の戦闘機は7/10以降ということで一応隼鷹に乗せる含みもあるということなんでしょうね。
    剣高


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