3486 日本海軍の大和型戦艦は竜骨(キール)が通常、艦の中心線上の一本なのに対し、二本通っており、一般には同クラスの堅牢さを代表する事例の一つとされていますが、何かの資料で逆に船体強度に対するする過信と構造上の複雑さによって艦底の三重底防御構造の採用が遅れる要因となったとも記されていました(後の信濃型、改大和型で順次改善)。
未完成艦はともかくとして実際にはメリット、デメリットのどちらが大きかったのでしょうか?
備後ピート

  1.  竜骨(キール)が二本というのは、船底中央の縦通部材が箱型になっている=船体中心線上には部材がないということを言っているだけで、堅牢さの事例にはまったくなりません。戦艦の断面図を見てほしいのですが、二重底の箱全体が縦曲げ力に抵抗する背骨の役をしていて、箱の縦棒線の一本一本が小型船のいわば竜骨にあたるものです。中央にあるものを慣習として竜骨と呼ぶだけです 
     大和型戦艦は従来船型より幅広のため、二重底部を、小さな箱を組み合わせた大きな箱のような構造としました。(牛乳パックを貼り合わせたようなイメージ。)この設計で強度上十分であったため、防御上の要求の三重底は、構造上の複雑さ(=工作の困難=建造期間の長期化=条約明けに間に合わない)を考えて採用しなかったと言っているものです。

     この箱型構造は今日では普通の構造ですが、鋲接で組み上げたところは先人の偉大さを感じます。信濃の飛行甲板も、重装甲を格納庫内の支柱なし(揚爆弾筒等を利用)で支えるのに同様の構造としたと牧野茂氏が書いています。
     目白通りと明治通りの交差点の千登世橋陸橋(下から見れる)が古い鋲接で、大和型の二重底構造に雰囲気似ています。

    船体断面の考え方、以下にある断面図を参照ください。
    日本財団 図書館
    http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00324/contents/026.htm
    IWA

  2. TWA様。回答ありがとうございました。どうやら他国の戦艦の3重底事例と混同してしまったようです。
    上京する折あらば、件の千歳橋陸橋もぜひ見てみたいと思います。
    備後ピート


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